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東海林さま

 投稿者:筆者  投稿日:2007年 3月26日(月)21時24分14秒
  初めまして。管理人です。
投稿ありがとうございます。

中学生で80枚というのはかなりの枚数だと思いますよ。
私が戦前の流行歌に関心を抱き始めたのは大学に入ってからに過ぎませんが、知り合いには、中学生の頃から関心を抱き始めたという人が少なくありません。
古き良き文化を、共に啓蒙していきましょう!
 
 

始めまして。

 投稿者:東海林  投稿日:2007年 3月26日(月)19時48分38秒
  はじめまして東海林と申します。
私は戦前は中野忠晴 戦後はフランク永井好きな中学生です。
たまたま寄ったもので書き込みさせていただきます~
SPレコードはまだ80枚ぐらいしかもっていません
気に入っているのは淡谷のり子と一緒に吹き込んでいる「ヴォルガマーチ」です
それでわ~
 

「ボレロに寄せて」

 投稿者:筆者  投稿日:2007年 3月24日(土)09時58分12秒
編集済
  「ボレロに寄せて」、一応音源は持っております。
なるほど、「ビギン・ザ・ビギン」のカバーだったんですね。
この音源は以前、瀬川昌久先生も持っていないと仰っていました。

この盤に限らず、レコード番号が100001以降の赤すだれ(昭和15年4月)で中野が吹き込んでいるものはあまり現存していないように思います。
 

中野忠晴の先進性

 投稿者:ももくり  投稿日:2007年 3月24日(土)00時18分28秒
  戦争直前の頃になると中野のレコードは徐々に減ってきています。この頃の録音に、恐らく彼が出したジャズソングでは戦前最後の物で「ボレロに寄せて」と言う曲が有ります。これはコール・ポーターの名曲「ビギン・ザ・ビギン」のカバーだそうです。丁度10年後(昭和25年)に、越路吹雪が歌ってレコード化されヒットしてます。それもあってこの曲は戦後のポピュラーヒット曲と扱われてますが、まさか戦争直前に中野忠晴がレコーディングしていた事を知る人は当時でも少なかったと思います。この辺りにも中野忠晴の先を読む目が感じられますね。少数プレスされただけで、現存していたら相当価値が高いと思われます。以前投稿した際に「中野忠晴のレコードはなかなか入手できない」と書きましたが、この「ボレロに寄せて」はかなり入手困難な部類に入るでしょう。ぜひ一度聞いてみたいレコードです。  

感動物語

 投稿者:演歌太郎  投稿日:2007年 3月22日(木)01時22分50秒
  http://www.umigoroshi.com/newpage4.html
名曲「冬のリヴィエラ」誕生秘話。
今、絶体絶命のピンチに立たされている森進一さんを応援しよう!
 

日本のジャズソング

 投稿者:雅治  投稿日:2007年 3月20日(火)16時41分16秒
  全6巻揃えました。解説も詳しく、当時のジャズシーンがよくわかりました。収録されているナカノの本人の歌と、リズムボーイズの歌を抜き出して編集して楽しんでいます。「サムオブディーズデイズ」、「月夜の散歩」、リズムボーイズとの共演の「あなたの為に」にはなんとハイレベルな演奏かと、感動しました。和製ジャズでは「かっぽれ」「タリナイソング」。服部良一の熱い魂に心をゆさぶられました!ナカノの作品はどれもよい日本語詩がついていて心地よいです。またその当時へのあこがれが強くなりました。  

「ジャズワールド」にて

 投稿者:筆者  投稿日:2007年 3月19日(月)18時58分42秒
編集済
  ジャズ専門新聞である「ジャズワールド」(2007年3月号)の一コーナー、「日本ジャズヴォーカル物語」で、拙稿が紹介されました。
以下にその記事を掲載します。
http://www.m-nakano.com/jazzworld3.JPG
「ジャズワールド」の編集長は、『日本のジャズ史』(スイングジャーナル社、1976年)の著作がある内田晃一さんです。
日本のジャズの分野ではご高名な内田さんに拙稿を読んでいただき、評価していただけたことに感激しております。
 

(無題)

 投稿者:筆者  投稿日:2007年 3月18日(日)03時21分14秒
  >こまき様
これは面白いエピソードですね。
この時期に演奏会に参加していたという事実が分かっただけでも貴重でした。
 

もう一つ想い出が・・・

 投稿者:こまき くにおメール  投稿日:2007年 3月17日(土)15時10分36秒
   早くも1ヶ月のご無沙汰になってしまいました。
その後もう一つの想い出に気付きましたので、お知らせします。
戦争が険しくなった昭和18~19年頃、日比谷公会堂で演奏会があり、宮田ハーモニカバンドの演奏で主にコロンビアの歌手が出演、殆ど軍事歌謡が歌われましたが、中野忠晴は    ”タブー”を歌い、最後に「ルンバー ルンバー ルンバー」と力強く歌い上げたのをはっきり覚えています。なぜ中野だけがルンバを歌ったのか・・不思議でなりません。
 あの戦争のお陰で有能な作曲家、歌手がその能力を発揮出来なかったことは残念でなりません。特に服部良一と中野忠晴、ディック,ミネ、淡谷のり子が気の毒でした。
 しかし戦後ディック,ミネと淡谷の二人がなぜもっと戦前のすばらしい曲を歌ってくれなかったのか? 大いに不満に思っています。盛り上げてくれていたら、中野忠晴も思い出されていたでしょう。                こまきくにお
 

(無題)

 投稿者:筆者  投稿日:2007年 2月13日(火)13時24分26秒
  >こまき様
お役に立てたようで何よりです。
私も、卒論をわざわざインターネットで公開することによって、閲覧者の方々からの反響や情報提供がいただけ、嬉しく思っています。
バートン・クレーンというと、東京経済大学の山田先生のサイトが1番詳しく出ていると思います。
 

長生きしてよかった

 投稿者:こまき くにおメール  投稿日:2007年 2月13日(火)12時24分46秒
   昔から年寄りがよく言っていた言葉が身に沁みてよくわかりました。
 60年以上も経って、懐かしい中野忠晴について、こんなに細かいことまで、しみじみと語り合えるなんて、思いもよりませんでした。実は今回も、バートン・クレーンについて調べる必要が出来て、初めて歌手についてのインターネットを開いて見たわけです。
 私は横浜に住んでいますが、平成10年ごろからレコード収集家のご好意で、「蓄音機による音楽鑑賞会」を聴きに行っていましたが、解説者が入院されて流行歌部門を、私が解説をすることになりました。ある程度の知識もあり解説書もあるのですが、それ以上の知識を得たくて調べ出したのですが、こんな素晴らしい出会いがあるとは思いませんでした。
 主催をしてくれるのは、私の息子と同年代の人で、やはりかなりのSP盤マニアです。
忙しい仕事の合間に企画を立て、奇数月毎に開催しています。私も3月で3回目になります。
 手巻き式蓄音機のゼンマイを巻くあのゴトゴトという感触も懐かしく、パソコン、デジカメについで歌謡曲の解説・・と年を忘れて楽しんでいます。     こまき
 

「丘の夢」では?

 投稿者:筆者  投稿日:2007年 2月12日(月)13時06分56秒
  「レイを召しませ」はハワイアンだったんですね。
一応私が作成したリストは、国会図書館にある戦前のコロムビアレコードの新譜目録から作成したものですので、社歌などのPR盤を除く、一般販売のレコードに関しては、全て網羅しているつもりです。
塚越さんのサイトにある「昭和歌謡大全」にも、「レイを召しませ」は記載がありませんでした。
昭和館から出ている『SPレコード60,000曲総目録』でも確認してみる必要はあると思います。

次に、「二人のアルバム」より前の、二葉あき子と中野忠晴のデュエットというと、1936年7月の「丘の夢」しか該当がありませんでした。
ご記載の歌詞からも、これが可能性が高いと思います。
 

”レイを召しませ”の詩について

 投稿者:こまき くにおメール  投稿日:2007年 2月12日(月)12時31分2秒
  何しろ子供時代ですから、うろ覚えです。しかし当時としては珍しいハワイアンのリズムが印象に残ります。
 レーイ レーイ レーイ 花召しませ 恋の花を一ついかが
 燃える月に照らされ 波間に咲く花はいかが
 この花をお買いなさい 貴方の可愛いあの子はささやくでしょ アイラブユー
たしかこのような歌詞でした。
それと曲目の判らないのがあるのですが、
 枝から枝え歌を振りまく 小鳥でさえも 夢を見る
 僕等は若い 二人は楽し 君よ僕等もあのように
 小鳥と共に 丘の木陰で結ぼうよ
二葉あき子と歌っている明るく楽しい曲ですが、曲名がはっきりしません。
教えていただければ幸いです。 ”二人のアルバム”より前でした。
 以上よろしくお願いいたします。     こまき
 

「レイを召しませ」について

 投稿者:ももくり  投稿日:2007年 2月11日(日)00時03分56秒
  私が以前作成した、リストにもこの曲名はありませんでした。どういう曲だったのでしょうか。(記入漏れしたかもしれませんが)中野忠晴のジャズソングには幾つかハワイアンのカバーがあり、昭和12年2月に「椰子の島」と言う曲が発売されております。この頃は灰田晴彦のモアナ・グリークラブやバッキー白片のアロハ・ハワイアンズ等が人気でしたから、そのブームに乗ったものと思います。同年夏には「月光の湖」と言う曲も出ており、これもハワイアンだそうです。残念ながら2曲とも耳にしたことがありません。  

(無題)

 投稿者:筆者  投稿日:2007年 2月 9日(金)22時10分49秒
  >こまきさん
中野忠晴は後年、日本歌謡学院通信部というのを設立して、自ら校長となっています。
おそらくそれのことではないでしょうか。
古賀政男音楽博物館には私も2年半前に行きましたが、現在もまだ中野忠晴は表彰されていないのですね。
同じく不満を感じます。

>雅治さん
「東京見物」はいい曲ですよね。
通常「東京見物」というと、戦後の三橋美智也の歌を思い浮かべてしまいがちですが。
 

日本のジャズソング

 投稿者:雅治  投稿日:2007年 2月 9日(金)14時51分41秒
  6枚購入し、早速聴いています。「東京見物」は初めて聴きましたが、なかなかスピードがあって当時は斬新だったろうな、と思います。戦前というのは暗いイメージを持たれがちですが、あれだけ自由なジャズシーンが展開されていたとは驚きです。日本のアイデンティティとジャズの融合であらたな世界を築いている、いい時代だったのかなあと、曲を聴きつつ感じています。  

失礼しました

 投稿者:こまき くにおメール  投稿日:2007年 2月 9日(金)12時54分51秒
  慣れない操作でアッという間に飛んで行ってしまい、文の途中のままで大変失礼ました。
それでもメールは届いていたのですね。届いていないと思ったので、再度やり直していたらまたまた消えてしまいました。煩わしさをおかけして申し訳ありません。
「バンジョーで唄えば」はありました。あまりの多さに目が付いていけず、見落としてしまいました。
中野忠晴は晩年、鎌倉で歌謡教室を開いていたのではないでしょうか? 新聞で読んだ記憶があります。ぜひお訪ねしたいと思っているうち、訃報に接してしまいました。
とにかく幼い頃は最も好きな歌手でした。カラオケで歌いたいと思っても殆ど入っていません。古賀ミュージアムのカラオケルームで”小さな喫茶店”が歌えたのみです。
あの古賀音楽博物館でさえこんな扱いなのですから、大いに不満です。本来なら表彰されていい筈の人です。また飛んでしまうといけないのでこの辺で一度終わります。またメールします。                   こまき
 

修士論文

 投稿者:筆者メール  投稿日:2007年 2月 7日(水)22時24分15秒
編集済
  現在私は大学院の博士前期課程に在学しているのですが、この度修士論文を完成させました。
タイトルは
「戦後日本の『なつメロ』の成立とブームの特質に関する研究」
で、昭和20年代の「なつメロ」カテゴリーの成立から、昭和40年代の「なつメロ」ブームを考察しました。
今回の論文は時間が足りず、ネットで公開するほどの水準には達していませんが、もし読みたいという方がいらっしゃいましたら、個別にご連絡ください。
 

こまき様

 投稿者:筆者  投稿日:2007年 2月 7日(水)22時21分9秒
  拙卒論をお読みいただき、ありがとうございます。
リアルタイムで戦前の流行歌を経験なさっていらっしゃるとは、興味深いです。
「バンヂョーで唄えば」は、1938年6月の新譜としてリストには載せています。
「レイを召しませ」というのは初耳です。
もしご存知でいらっしゃるなら、発売年月等の詳細を教えていただけますと幸いです。
 

大フアンがここにも居ます

 投稿者:こまき くにおメール  投稿日:2007年 2月 7日(水)18時21分37秒
  喜寿の手習いで最近ヤット読ませてもらい、ただ感激!私は昭和2年生まれ、もうすぐ80歳のオールドフアンです。昭和11年父が東京、本郷湯島で盛業中のミルクホールを引き継ぎ開業。立派な電蓄があったのですが、レコードは絶えず裏返したり、針を取り替えたりの煩わしいのにネをあげて、小学校から帰るとよくレコード番をやらされました。転校して友人もいなかった私は当然のように手伝いました。前の経営者がしゃれた人で洋楽盤も沢山ありましたが。当時はレコード屋が毎月持ってきては聞かせて、父がそれを選んで買っていましたが、流行歌が殆ど。 それでも中野忠晴のレコードも10枚はありました。(リストに”バンジョウで歌えば”が無いのが不満でした。その他”レイを召しませ”)  

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