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中野忠晴の歌

 投稿者:ももくり  投稿日:2006年12月 9日(土)23時04分52秒
  どういたしまして。今回発売されたアルバム集は一枚2100円と安価ですし、収録曲も珍しいものばかりです。中野と同時代に活躍した、二世歌手のリキー宮川やその妹の宮川はるみ、ベティ稲田や川畑文子、森山良子の父であり直太郎の祖父である森山久。そして知る人ぞ知る黒人歌手ミッジウィリアムスの録音が纏めて聞けるのです。今年1月に出たバートン・クレーンのアルバムが巧を奏したのではないでしょうか。これからはこういった心あるインディーズレーベルに中野忠晴等の優れた録音の復刻を大いに期待したいです。因みに私が持っている中野の音源はCDの他SP盤では「須磨行進曲」「出船の港」「歓喜の歌」「海の人気者」「一九三五年」「山山山」です。彼のSPレコードは、中々入手来ませんね・・。以前「八戸行進曲」のレコードを御当地で見た事が有りましたが、非売品と言う事で売ってくれませんでした。地元限定のCDで出して頂けたら絶対に購入するのですが・・。長々と失礼致しました。  
 

「日本のジャズ・ソング」

 投稿者:筆者  投稿日:2006年12月 4日(月)19時38分49秒
編集済
  http://bridge-inc.net/product/sp.html
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000HRLV0O
これのことですね。
私はLPの音源は持っているので買う予定はないのですが、ボーナストラックも入っているのですね。
情報ありがとうございました。
 

ももくり様

 投稿者:雅治  投稿日:2006年12月 1日(金)20時08分41秒
  インディペンデントレーベルの6枚シリーズのことでしょうか?ぜひ購入したいので詳しく教えて下さい!  

素晴らしい

 投稿者:まさ  投稿日:2006年11月30日(木)23時31分32秒
  まさに吉報!!  

吉報です

 投稿者:ももくり  投稿日:2006年11月30日(木)23時21分53秒
  最近、ブリッジと言うレーベルから「日本のジャズソング」というCDアルバムが出ました。1976年に発売されたLPアルバムをベースにしてますが、ボーナストラックも少し入っています。アメリカのジャズのカバーが中心なのでタンゴやシャンソンは少ないのですが、現存数が極めて少ないジャズソングのSP盤復刻全集ですから貴重であることには間違いありません。この中に中野忠晴の歌が7曲あり、「タイガーラグ」「あなたの為に」「リズムに浮かれて」「夢見るたそがれ」「東京見物」そしてソロ復刻として「月夜の散歩」「とても嬉しい」があります。一部を除いて、珍しい曲ばかりで中野ファンとしては嬉しいのですがまだまだ少ないと思います。淡谷のり子のように、3枚組みのCDが出てくれる事をもう10年以上前から願っております・・・。失礼致しました。  

中野と洋楽

 投稿者:筆者  投稿日:2006年11月12日(日)10時29分4秒
  どうも、お久しぶりです。
中野が洋楽を歌うきっかけとなったのは、実家が教会で、子どもの頃からオルガンに触れていたことであると思います。
(その点は高木東六と同じ。)
コロムビアの専属以前から中野が洋楽に関心を抱いていたという点は、音楽学校の卒業試験でクロトワイルの「三文オペラ」を歌ったという点から明らかです。
また、中野は山田耕筰に見出されてコロムビアに入ったわけですが、コロムビアの入社の際に既に「山の人気者」をコーラス付きで歌ったという資料も残っています。
コロムビア専属の初期に古賀政男路線だったのは、流行歌手としての地盤を固めるためだったのではないでしょうか。
おそらく、この時点で既に、アメリカのミルス・ブラザースのように日本でもジャズ・コーラスを流行らせようという計画は練っていたのだと思います。
 

久しぶりに

 投稿者:雅治  投稿日:2006年11月11日(土)19時49分36秒
  ナカノ聞いています。雅治です。お久しぶりです。中学か高校の頃ですからもう25年位前になりますが、1930から1940年代の、たぶんアメリカの男性ボーカルグループのリードボーカルでナカノに声がそっくりな歌手の歌を聴いた覚えがあります。名前も曲名も不明なのですが…ナカノが古賀政男路線から洋楽路線にかわったのはひょっとしてそのボーカルの影響もあるのかな、と思いメールしてみたのです。つまり、ナカノが洋楽を歌うきっかけはなんだったのでしょうか…
お教え下さい!
 

回答

 投稿者:筆者  投稿日:2006年 6月 3日(土)13時32分22秒
  どうも、お久しぶりです。
昭和13年の後半以降、中野はレコードの吹込みの回数が減っていき、昭和16年の8月以降は1曲も吹き込んでいません。
では、その間に何をしていたのかというと、実際には分かりません。
地方巡業は行なっていたと思いますし、二等兵として徴兵もされています。

中野は軍歌はデビュー当時からいろいろ吹き込んでいますよ。
「日本国民歌」とか「戦死者を弔ふ歌」とか「第十師団凱旋歓迎歌」とか…。
「ナチス党歌」を私は1回聞いてみたいと思ってます。
 

中野忠晴と軍歌

 投稿者:雅治メール  投稿日:2006年 6月 2日(金)20時00分24秒
  ジャズポップスのパイオニア、ナカノの戦時中の活動はどうだったのでしょうか?「露営の歌」「愛国行進曲」はコロムビアの歌手の面々と共に歌っていますが彼単独で吹き込んだ「軍歌」「戦時歌謡」はあるのでしょうか?  

 投稿者:   投稿日:2006年 4月22日(土)21時17分4秒
  そうですか ははは  

日本歌謡学院

 投稿者:筆者メール  投稿日:2006年 3月27日(月)12時19分59秒
  私の文章を読んでくださり、ありがとうございました。
お尋ねの件ですが、日本歌謡学院の院長は作曲家の中野忠晴です。
戦後の中野忠晴は「ブギウギスリー」という清涼飲料水の会社を設立しましたが、
事業に失敗したため、作詞家の松村又一を頼ってキングレコードの歌手兼作曲家になりました。
中野は事業を起こすのが好きだったようで、キングレコード専属後も日本歌謡学院という
歌手を育てる事業を起こしました。
 

ざっと

 投稿者:通りすがり  投稿日:2006年 3月27日(月)09時44分10秒
  読ませてもらいました。私の尊敬している作曲家のひとりである
中野忠晴氏のことが良くわかり感動しました。
私は今56歳ですが1963.4年頃の雑誌「平凡」「明星」等の付録の
歌本の裏表紙なんかに”日本歌謡学院だったかな?”院長中野忠晴ってありましたが、
その辺の関係はどうなんでしょうか?設立に関係したのでしょうかねえ・・・。
 

リズム・ボーイズの前身

 投稿者:筆者メール  投稿日:2006年 3月18日(土)20時20分15秒
  コロムビア・アイキー・クワルテットとコロムビア・ミッキー・フォアーに関して」をまとめました。  

頑張って下さい

 投稿者:雅治  投稿日:2006年 2月26日(日)11時57分46秒
  こちらこそ、よくぞここまでまとめられたな、と感激しております。ナカノに限らず、また洋の東西を問わず、当時の歌には人の心を癒やす働きがあると思うのです。作曲家、作詞家、歌手、演奏者…生身の人間のあたたかさを感じます。今の電子楽器では表現できない、忘れられた「ヒューマニティ」があると思います。当時の歌がいわゆるスタンダードナンバーのようにもっと歌われたらいいのにな、と常々考えています。筆者さま、就職活動、試験、ストレスのたまることばかりですが、ご自愛下さい。応援しています!  

ありがとうございます

 投稿者:筆者メール  投稿日:2006年 2月26日(日)10時57分48秒
編集済
  卒論を読んでくださり、また貴重なご意見を寄せていただき、ありがとうございます。

>ナカノの再評価は戦前の大衆文化の再評価が必要だと思います
特に大衆文化の中でも、都市の中流階層以上の層の文化ということになりますでしょうか。
戦前はまだまだ蓄音機も持っていない家庭自体多かったでしょうし、農村の人たちがモダン文化に触れる機会は少なかったでしょうしね。
ともかくも、戦前の間違ったイメージを払拭するためには、何らかの方法で当時の(統計)データを収集する必要がありますね。

さて、私は現在は大学院に進学しておりますが、中野の研究は一旦中断し、修士論文では”昭和40年代”のなつメロブームを題材に取り上げて研究する予定です。
何かアドバイスがございましたら、よろしくお願い致します。
今年いっぱいは民間への就職活動、公務員試験の勉強、修士論文の準備…と、中野の研究を続ける余裕はなさそうですが、卒論を短くまとめて雑誌論文として投稿することも薦められていますので、そのうち活動を再開したいです。
もっとも、社会人になってそういった時間を確保できるかどうかは分かりませんが。(笑)
 

ナカノを聞きながら

 投稿者:雅治メール  投稿日:2006年 2月25日(土)22時10分48秒
  卒論よませて頂きました。ナカノが歌手を辞めてしまったのは、声が十分出なくなり、歌で表現することができなくなってしまったからではないでしょうか。先日田辺靖雄(ヘイポーラを妻の九重祐三子と歌っていた)がテレビで歌っていましたがなんともおそまつ。はじをさらしたくなかったのでは、と思うのですが…それにしてもすばらしい論文、感動してナカノを聞きながら涙が出そうです。ナカノを愛する気持ち十分理解できます。それから、戦前、自由がまったく奪われていた暗黒の世界だったようなイメージがありますが、案外洋楽も盛んに聞かれていたはずです。ナカノを再評価するには、間違ったイメージを払拭しなくては、と思います。音楽に関して、当時のレコードや映画をどんどんテレビやラジオでやってみるのもいいかも、と感じました。戦前の洋画 はやることが多いですが、当時の邦画はまったくやりませんからね。ナカノの再評価は戦前の大衆文化の再評価が必要だと思います。ご意見お待ちしてます。  

服部良一の

 投稿者:雅治  投稿日:2006年 2月25日(土)07時01分51秒
  流線型ジャズ、草津ジャズは、はじめて聞いたとき、あの時代に(昭和10年代)こんなジャジーな曲が日本人の手によって作られたのか、とゾクゾクしました。日本のポップスの黎明期、若かりしナカノと服部良一はじめ作曲家との熱い交流が偲ばれます。  

ジャズバンド

 投稿者:筆者メール  投稿日:2006年 2月24日(金)23時51分14秒
  昭和初期(1920年代後半)の頃はまだ国産のジャズバンドはレベルが低かったようですが、昭和一桁の後半にもなると、レベルが上がっているようですね。
編曲も、コロムビアの場合は奥山貞吉のジャズ編曲はダメ、仁木他喜雄と服部良一の編曲は優れていると一般的にも評価されています。
 

バックの楽団

 投稿者:雅治  投稿日:2006年 2月24日(金)11時47分31秒
  主にコロムビアの楽団みたいですが、ナカノや淡谷のり子の曲を聞いていると、そのテクニックのハイレベルさにいつも聞きほれてしまいます。編曲も、仁木多喜雄などはすばらしいですね。  

知名度の低さ

 投稿者:筆者メール  投稿日:2006年 2月24日(金)10時51分17秒
  その通りですね。
中野忠晴が戦前に国産のジャズ・コーラスを作ったという事実は戦後今まで忘れられていました。
それを何とかしたいと思い、大学の卒論では中野忠晴を取り上げました。
ケータイからだと見られないかもしれませんが、ウェブ上に完成した卒論を載せておりますので、よろしければパソコンからご覧ください。

中野忠晴はやはりポップスだというのは私も同感です。
卒論の作成の際に音楽プロデューサーの中野忠彦さん(中野忠晴の長男であり、中野マサハルさんの父親)と接触できたのですが、忠彦さんも同様のことをおっしゃっていました。
 

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