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  1. パソコンクラッシュ(>_<)(6)
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群系文学評論の今後

 投稿者:小野友貴枝  投稿日:2018年 9月29日(土)10時48分55秒
  私は、長いこと書いてきて、いつも思うことは、誰かに、読んで貰いたい、読みたいと思う人に届けたい、という欲求、発露で書いています。だから、書く欲求は、読んでくれる人が一人でも多い、事を、だから、書き続けられた。その最短の手段が、応募でした。(同人誌では読者が付きません)しかし落選続きで、落胆の半世紀。ここで読者に届く方策を考え、推薦してくれた友人もいて自費出版の手段で、全国の書店、図書館に並ベて貰える販売手段です、読者に届くよう頑張っています。群系の評論も素晴らしいレベルだと思います。但し有名な作家は、又は作品は、ほとんど評論家が本にされていて、二番煎じ、参考資料扱い?になってしまうという、評論のむずかしさがあります。しかし、まだ新しい論説で戦い、また、評論されていない作品でもっていく手があります。それらを充分編集して一冊にする、群系叢書として、3年?に一度、書店に並べる。高校、大学の図書館に置かれるほとになったら、群系作品集がいきる。私の経験では、いまの同人誌では読者に、参考にしている文学研究者にトドケラレナイ、と言いたい、と言いいたかつたのです。本気で意気ごみがあれば出版社がつきます、また低価格で出版できるかも。?。きょうちょのたいへんさは、校正よりも、構成でしょうか?  私は、いま、「もちろんっその通りですか」最終校でおちこんでいます。手前かってな作品で、読者が届くかどうか悩んでいます。今年はじめにだした、長姉の歌集が茨城県芸術祭の文学賞に(短歌部門)、読者推薦でノミネートされています。「光そこここに」一位で優秀賞狙っています。これもじひしゅっぱんでさす。参考に。

http://blog.livedoor.jp/hbk3253/archives/cat_10041481.html

 
 

本人は別に反応しなくてもいい相川コメント所感

 投稿者:草原克芳  投稿日:2018年 9月28日(金)19時37分0秒
編集済
  さて…。


~などと、思わせぶりに書きましたが、
このヒトにコメントしても、センザンコウでも相手にしているみたいで、
いかにも退屈そうなので、やめにします。
どうやら、ご自分は「論理的な理智派」だと暗に主張されておられるようなので、
その大切な自意識を、傷つけてもいけませんから。
また、あえて先日の「誰かの書評を41号へ載せてほしい」コメントを例に挙げて、
https://8614.teacup.com/snagano/bbs/11806
いかにも、人間心理に疎い人の書いた「お願い」文章のようだ、などとも、申しません。


まあ、
しいていえば、なんですか。

>日本語では「情に流される」と表現します。

などと、日本語について、云々されていますが、
「情に流される」は、それこそ、用語ミスでしょう。

これでは私が、いかにも優しい「情に掉させば流される」(漱石「草枕」)ような人情家みたいで、
他者の心の動きに敏感な、憐れみ深い善人に見えてしまい、
相川氏としては、むしろ不本意な表現だと思います。
多分、氏の言いたい事を伝えるのならば、「感情的な」……ぐらいが、日本語としては、適切な表現でしょうね。
どうも、実際の喋りだけではなく、書き言葉のほうでも、滑舌が悪いようだ。


■それから、相川さんの終活本棚在庫整理のブローカーとして、私と永野さんが指名された理由としては、

>(a)古本屋と交渉して売るのはいわば下積みの労苦作業ですから、群系双書出版に賛同し、
それに情熱を持っている同人でないとつとまらないこと、
(b)一般的に云って「情に流される」人は、行動力に富むという長所があるので、
こうした作業を厭わずやってくれそうなこと、です。

~なんだそうです。
これまた、事実誤認ですね。
あるいは読解力が不足してるのか
(相川さん、ここで挑発に乗ってはいけませんよ。
また、わざわざ所感③を書いて、"本来ならば「打ち止め」にしようと思ったのだが…"、などと弁解しながら
おすおずとコメントしてもいけません。理性と論理と実証のヒトは、知らんぷり、知らんぷり。)

べつに私は、「群系双書出版に賛同」ということは、言っておりません。
相川氏は、勝手に独断的に、狭い思い込みで決めつけておられます。
単純に、提案の不可能性ばかりを性急に言い立てても仕方がないし、
観測気球が地上十数メートル昇ったばかりで、すぐにパチンコ玉で打ち落とすのではなく、
もう少し、あれこれ揉んでもよろしいのではないか、ということを言っております。

>一般的に云って「情に流される」人は、行動力に富むという長所があるので

■申し訳ないけど、この香ばしいばかりに滑稽で無考えな表現、
思わず、癒されて、笑ってしまいますが、
一体、これ、
どこの「一般」から飛び出して来た論理なんですかねぇ。
相川さんの「脳内一般」でしょうか。
これまた、面白い日本語の珍文・奇文・怪文です。

いや、質問ではないので、答える必要はありませんよ。
こんなくだらないコメントに反応すると、
まるで挑発に乗ってしまった、罠に引っかかってしまった、
ということにもなりかねない。
無視するのが一番です。

なにしろ、「打ち止め」宣言のあとで、
すでに、「所感②」まで連載して、"嘘つき"になってしまっていますから。
「目下私は原稿書きに忙しく、この種の議論を時間的余裕がないし、気分でもありません。
今後、質問には一切お答えいたしません。」(←テニヲハがおかしい)という態度を立派に貫くべきです。


               *


■まあしかし、
それはそうと、退屈ですね。
こういうことを書いても、気持ちがどんよりと、暗くなりますね。
あまり相手しない方が、いいかも知れません。

本人も、前もって、ロープにタッチしながら、一切受け付けない、といってますし。
大切なご執筆と、「終活」とやらに、お忙しいらしいので、
当然、このコメントも見ていないでしょうし、
すでに関心もないでしょう。


■そんなことより、永野さんの話です。
永野さんの良いところは、
案外、こういう下町の町工場の社長のような「大風呂敷」が、
堂々と、語れるところではないでしょうか。
提案にはツッコミどころは満載だとしても、前向きでポジティブな姿勢は、見上げたもの。

富士正晴賞だって、正直、私はとれるとは思わなかった。
ごく普通に、評論誌はダメだろうと、考えておりました。
(同人誌の賞がナンボのもんじゃ、という話は置いといて)
こういう、ポジティブなムード・メーカーは、得難いものです。
賞というよりも、むしろ、
吉村萬壱氏の「批評が作品になっている」とか、
勝又さんの「同人誌では、群系を一番読んでいるかも知れない」とのコメントは、
我々にとってありがたいものだった。

■荻野さんは、「第二の近代文学」は恥ずかしいという。
確かに、それはそうでしょう、常識的には。
その批評家・作家たちの実績を、知っていれば、なおさらのこと。
わたしなりに、この意味を勝手に読み換えさせていただくならば、
いささかトーンダウンいたしますが、「第一次戦後派文学を心の故郷とする」となります。

ただ、これ、
雑誌の代表が、一種のキャッチフレーズとして、スローガンとして公言してしまうと、
外野では、逆説的に、目をむかせる効果、というのか、
宣伝・販促効果として、「言ったもの勝ち」みたいな効果は、あるのかも知れない。
反撥、嘲笑、反論を、あえて買って出る道化役――のような。
いずれにせよ、
前向きな暗中模索の精神というか、
「群系」という一同人誌を、新たな位相に持っていこうという、永野さんの強い気持ちの表れなのだと思います。
今回の永野発言のポイントは、むしろこの、"気流作り"、"気運作り"、にあると思っています。



 

荻野さん、失礼いたしました

 投稿者:草原克芳  投稿日:2018年 9月28日(金)11時47分53秒
編集済
  ■荻野さんのコメントは了解いたしました。
わたしの意見は、
「永野さんがせっかく観測気球をあげて様子見をしているのに、
いきなり、矢継ぎ早に〈不可能性の証明〉を並べたてるのはいかがなものか」
という程度のニュアンスに過ぎません。

■池に一石を投じた時、波紋は思わぬ反対側の岩陰で、面白い模様を描くこともある。
こういった議論が逆に、本来の企画は現実化されなくとも、
雑誌の内容面において、別の形で反映されないとも限らない。
これは、「綺麗ごと」でも、「偽善」でもありません。

~端っこのロープに触れながらモノを言い、
「今後、質問には一切お答えいたしません」「打ち止め」などと退場を匂わせつつ、
挙動不審な捨て台詞を吐いていく相川氏と違って、
これから議論が始まる、ブレストが始まる……という荻野さんの「良識派」としての建設的なご意見は、
わかりました。
ごもっともです。

さて…。







 

草原質問について所感2

 投稿者:相川  投稿日:2018年 9月28日(金)10時39分14秒
   草原質問は論理をまとめられる前に感情のままに出された内容のように見受けますので、回答する気になりません。このような感情にまかせて即反応する状況を日本語では「情に流される」と表現します。

 ただ、草原さんが頭に来た要因の一つが、出版する本について議論する場合、費用捻出方法を「後回しにして綺麗ごとを並べるだけでは偽善的だ」と書いた文中の「偽善的」という用語への不快感があったのではないかと憶測します。これはやや用語ミスで、「空々しい」へ変更して、お詫び致します。

 私が費用捻出方法の一つにあげた同人所蔵書籍の群系への寄贈と、それを古本屋へ販売する世話役候補の一人に草原さんの名を挙げたのは、次の理由によります。(a)古本屋と交渉して売るのはいわば下積みの労苦作業ですから、群系双書出版に賛同し、それに情熱を持っている同人でないとつとまらないこと、(b)一般的に云って「情に流される」人は、行動力に富むという長所があるので、こうした作業を厭わずやってくれそうなこと、です。

 前述のように、目下私は原稿書きに忙しく、この種の議論を時間的余裕がないし、気分でもありません。今後、質問には一切お答えいたしません。
 

ご意見、感謝です(改訂版)。

 投稿者:管理人 iPad 6019  投稿日:2018年 9月28日(金)10時02分51秒
編集済
     このところの議論を多とするものです。草原氏のブレーンストーミングの提案は嬉しいものでした。また、相川さんの二度に渡る真摯なご所感は雑誌経理のご経験があった上でのお話で、たいへん参考になり、感謝です。

   提案者の小生が、一時退場の形になったのは、あまりに強い反対(良識派)に怯んだからです。こういう人とこれからやっていけるのか、と思い悩んだからでした。でも、これだけ意見が出たことは、課題はとりあえず俎上に載ったということで、後は機を見てまた議論していくことにしましょう。
   ただ、一言いっておくのは、「不健全な経営」についてですが、三〇年間きちんとやってきたものです。「不健全」ではありません。外野が知らないことを言わないでください(あくまでも39号の時は、入金が少ないという事態が重なったものです。偶然のものです)。
   そして、事態・経緯を知らない良識派は、勝手な理屈を述べている感じが、あれだけの提案を書いた小生には感じられたのでした。

   同人誌は、同人間の信頼と和でもって運営されているものです。むろん、議論はあります。でもそこには人間的な信頼があります。個人的に小生は同人の方々、執筆者の方々を敬愛しています(創刊時から)。この雑誌から立ち去っていった方にも、エールを送りたい気持ちなのです。
    そこには、個人のプライドなんて言葉はこの間出たことがありません。お互いの立場を忖度し、どういう気持ちなのか考えられる人、そういう信頼がないと、会社ではないのですから、こういうゲマインシャフトである同人誌は傾いていきます。これからも皆でやっていこうという敬愛の気持ちと、ご発言がどういう意味をもたらすか一顧することで、お互いの気持ちの行き違いを防げると思います。
 

同人誌に良識派は必要です

 投稿者:荻野央  投稿日:2018年 9月28日(金)09時34分52秒
編集済
  ◆「健全に判断する人々」が良識派の意味ですが、今回の永野さんによる「群系叢書」の企画について、まさにこれから「判断」を交換するブレーンストーミングが始まるわけです。そして「健全」とは何か。健全は言うまでもなく、議論の場ではきちんと理路を通して意見の合致(一枚岩)すること、順不同をしないことにあります。永野さんの個人的な夢と編集部の合意が一致しているという順不同に私は違いますと述べました。そして個人的な夢が群系全体の夢になるべく具体的な案を練るというところで、相川さんと私では一致していて、会費の5倍にとなる値上げで対処しようとするとどういう事態を導出されるか、ということを考えねばいけないということなのです。

◆年金制度ではありませんが、永野さんの「群系債」なるものの提案は、群系会員全体の”互助精神”を恃みとしていますね。若い世代が老年期の世代を支えるように、会員相互が互いを支えるという精神。これを永野さんは、会員の皆様の清らかなカンパニア精神に求めています。初めての前号の赤字決算により募った会員からのカンパは凄いものですが、一方鎌田さんの言われるように「不健全な経営」のツケを払ったということになります。カンパでしたが本来の互助精神から出て来るカンパニア精神によるものなのか、私には良く分かりません。違うように思えます。

◆相川さんと私はこの掲示板に「修正案」を述べました。とくに私は叢書ではない形式を提案したつもりです。そしてこれからの群系は?という問いにたいして公開されたAmazon利用を提案しました。これらについてなんらの反対意見と疑問が出ないうちに、提案者である永野さんが「やはり、難しいものなのか」となにやら嘆息をつきながら退場しています。これではいかにも後味が悪いな、としか感じません。1年に2冊出すとか、会費を1万円にすることを私は絵空事に近いと「判断」しました。そのことについては、相川さんは現実的な(つまり「良識」をもって)修正案を出されています。だから永野さんは退場することはないのです。ここからブレーンストーミングなんでしょ?? 潰すとか潰されないとかの話ではないです。

◆ここ数日このことに関して考えて意見を書いてきました。ちょいと次号の原稿が気になるので、以上でもってこの事に関する私の議論は終わりたいと思います。

(追補) 先の「群系」40号の合評会の席上で、小野さんの「本にすれば読者はついて来る」という意見が印象に残りました。永野さんの「出版の意味」がそれに相当するのでしょう。私は(少し前からなんですが)「群系新書」ができたらいいなと思っていたのでした。個人が自費で出版するのではない「群系」の冠を付ける以上は何かしらの工夫を持たなくてはならない。
発行元を龍書房とするならば、本人負担・龍書房の収支(つまり儲け)の保証・「群系」からの拠出金、としいう三者のバランスをうまく取らなくては、と思います。特に後者2つについては緻密な計算が必要になろうか、とも考えます。

 

もう少しわかりやすく教えてください。

 投稿者:草原克芳  投稿日:2018年 9月28日(金)03時03分3秒
編集済
  ■相川さん、
以下引用のところ、もう少し、分りやすく教えてください。
何度読んでも、前半の文の流れから、どうしていきなり、こういう、ややこしい、狭苦しい論理になるのか、
私にはわかりません。

>?私として草原/永野さんへ引き受けてもらいたいの(世話)は、次の案です。
実のところ、私は終活を始めようと思っていて、書棚の本を処分していきたい。
同じ思いの同人もけっこう多いのではないでしょうか。
それで、売れそうな本を世話役宅へ自費負担で送付(寄付)するので、
それをなるべく高く買い取る古本屋を見つけて売って、それを出版費用に当ててもらいたい。
                                   (相川さんコメント)


■相川氏は、いつのまにか頭の中で、勝手に「世話役」をお作りになられている。
金銭的な代替案がないコメントは、「綺麗ごと」で、「偽善的」だという。
それに、永野さんの方はともかく
「情に走りやすい(喧嘩っ早い)草原さんにありがちな早とちりもある」ような人間は、
そもそも世話役なんか、不適性の最たるもの、ではないんですかね。

――それと、私は「草野さん」ではありません。



 

草原さん「ブレーンストーミング」論への所感

 投稿者:相川  投稿日:2018年 9月28日(金)00時20分35秒
  先に永野さんの「群系双書」案についての意見を投稿したところ、草野さんから永野案をブレーンストーミングでブラシアップするべきで否定すべきではない、との投稿が寄せられた。永野さんが気落ちし自案を引き下げられる気配なので、友情から援護の気焔をあげられたのですから、別に気にしていませんが、情に走りやすい(喧嘩っ早い)草原さんにありがちな早とちりもあるように思うので、私なりの訂正をしておきます。

◆ 私は永野案の趣旨(本の出版)には賛成だが、その手段(費用捻出の方法)には反対だとのべ、それに代わる手段の代替案を提案しました。手段の代替案を提案したことをもって、仮に草原さんがブレーンストーミングを否定すると見做されるなら、それこそが異論を排除する訳で、ブレーンストーミング精神に反します。自身も代替案を掲げて、議論すべきです。その場合、金の問題を後回しにして綺麗ごとを並べるだけでは偽善的だと思われませんか?
◆ 私が永野さんの手段案(同人に一万円の寄付要請)に反対する理由は、次の体験のためです。7~8年前まで所属していた文芸誌Nは、その5~6年前に赤字のため機関誌の発行が危うくなって、同人へ臨時の寄付を要請しました。当時N誌は(数字は凡そですが)同人が120人ほどいて90万円くらい集まりました。それに味をしめた編集委員は以後毎年寄付の要請を出し、5~6年後でも40万円ほど集まったと記憶します。けれど、その5~6年に同人は90人を切る状態まで減っていました。何も寄付ばかりが同人の減少理由ではないでしょうが、同人が減ることは覚悟しなければなりません。でなければ、群系は大丈夫だという根拠を示してください。

◆ 代替案には費用捻出方法の裏づけが必要だと述べましたが、両者を分けることも可能です。例えば、
①同人の中には競馬/宝くじに当たったり、退職金とか親の遺産が入って懐に余裕が出来たが、他方で、自分だけで単行本を出版するだけの原稿を準備できない人がいるかも知れない。そういう人には手を挙げてもらい、その人と実際に編集雑務を担う委員を編著者にして、テーマをたて、それに参加する同人有志を募り、共著を出版する(出版費用はそういう人に多めに負担していただく)。優れた同人を世に売り出すのも、同人誌の役割だと思います。

?私として草原/永野さんへ引き受けてもらいたいの(世話)は、次の案です。実のところ、私は終活を始めようと思っていて、書棚の本を処分していきたい。同じ思いの同人もけっこう多いのではないでしょうか。それで、売れそうな本を世話役宅へ自費負担で送付(寄付)するので、それをなるべく高く買い取る古本屋を見つけて売って、それを出版費用に当ててもらいたい。

「群系」41号への投稿など、書きたい原稿を抱えているので、運営方針に関わっている時間的余裕がありません。この件についての群系掲示板への私の投稿はこれで打ち止めです。
 

ブレーンストーミングができない……という不思議

 投稿者:草原克芳  投稿日:2018年 9月27日(木)20時43分33秒
編集済
  ■とりあえず永野さんの提案を、一種の"観測気球"として受け入れて、
それを、おもむろに、多様な角度からブラッシュアップするという方向に、なぜ、いかないんですかね。

こういうパターン、企業でもさんざん見てきましたが、
「群系」は別に企業ではないので、金銭的に可能か不可能かを問うのは、ブレストの最後の最後でいいわけであって、
しばらくその「夢」を、時間をかけて、ドリブルしたり、蹴っ飛ばしたり、変形させたりする余裕が、多少あってもいいように思うのですがね。
というか、現段階では、企画倒れも大いに結構…というイマジネーションの遊びで、
全然OKの段階ではないんですかね。

■最初の案や企画が不完全なのは当たり前であって、それを温存したり、発酵させたりしておくと、
あとで意外な別の要素と結びついたり、奇妙な形に化けたり、窯変したりする……ということもありえる。
しかし、日本の企業の会議では、すぐアイディアは、芽のうちに、寄ってたかって、潰されてしまう。
あの、イヤ~な思い出を、連想しました(笑)
良識派が多いのかな。
 

新たな試みの難しさ

 投稿者:管理人 iPad 5869  投稿日:2018年 9月27日(木)16時13分57秒
編集済
     文芸同人誌を刊行して三〇年、40号の祝詞の言葉にもありましたが、この間には、いろいろな問題がないわけではありませんでした。小生は創刊同人として実務一切担ってきましたが、同人の皆さんに必要事項は必ずメール、または郵送で連絡してきました。そしてなるべく皆さんの意見に添うよう、雑誌刊行、合評会、会報発行など、運営してきました。これらは文学をやっていく基本的な必要事項であったので、責任意識をもってやってきました(編集や校正などは皆でやってきましたが、事務などは分散させると横の連絡もかえって厄介になるので、これは小生が担当してきました)。それに賛同してくださる方が多くて、これまでの原稿も集まってきたと思います。
   が執行部として、ただ今までの継続以上に、新たな試みもやっていこうということで、今まで年一回の刊行を年二回(21号から)に、また外部の出版社に企画を持ち込み、皆で文学のガイドブックも出してきたことでした(宝島社の本)。これらは特に強い反対もなく、いわばスムーズに出来てきたことでした。
   しかし、今回の提案のように、実際お金がからみ、他の同人のためにするということはやはり難しいのかな、という感触を抱いております。
    雑誌も三〇年、同人の皆も相応に年を取ってきました。やるなら、今でしょ、という感じで草案を書いたのですが、どうもやはり時期尚早、いや企画自体にムリがあったのかなという気持ちがしています。
    とりあえず、次号41号のご投稿確認を先にしていくべきでしょう。
 

簡単にムリ、と言わないで。

 投稿者:管理人 iPad 5869  投稿日:2018年 9月27日(木)14時01分33秒
    荻野さんの消極的な姿勢は、なんでしょう。編集部にあらざる感じがします。

〉叢書という一同人のために他人が債権を買って出資するというアイデアは、相川さんが指摘しているように無理です。自分の本は自分の金で出すのが通常です。

   「自分の本は自分の金で出す。」ー
   それが難しいから、こうした提案を出しているのですよ。
   荻野さんは個々の同人の事情をご存知ない。また、本を出すことの意味も分かっていらっしゃらない。小生は、ぜひ出したらいいという、同人への思いで提案しているのです。

   「無理です」の一言で、せっかくの提案も雲散霧消してしまうのですよ。
 

『群系』が読者に届くまで

 投稿者:荻野央  投稿日:2018年 9月27日(木)09時31分19秒
編集済
  (何故か)削除された永野主幹の投稿を読みまして、あれやこれやと考えたのですが、以下のような企画はいかがでしょうか。

◆Amazonに出品して買ってもらう方法があります。(月額4900円負担)。興味を覚えた未知の読者ないしは全国の同人誌の人々に買ってもらう。認知度は高まっても買いやすくなくては読まれない。どうでしょうか?? 狭い同人誌の世界から抜け出て公開の場に出るわけです。

◆叢書という一同人のために他人が債権を買って出資するというアイデアは、相川さんが指摘しているように無理です。自分の本は自分の金で出すのが通常です。
そこで……”アンソロジー”を「ときどき」出版するというのは?
例としてはあの『歴程大冊』があり、同人誌の世界では大阪の「あるかいど」のアンソロジーがあります。(写真) 前者は有名な詩人たち、後者は小説。
出したい人が夫々自己評価の高い作品を一つ出し合って、出した人々が「割り勘」で負担するのです。
(もちろん版元は龍書房さん)

どんなもんでしょうか。
 

雨は、もう結構。

 投稿者:管理人 iPad 5744  投稿日:2018年 9月26日(水)23時55分33秒
編集済
     今日は雨なので、一日中在宅でした。銭湯にも行かず食事に出かけることもなく(冷蔵庫のもので済ました)、牡蠣のように?閉じ篭っていました。明日もやはり朝から雨だというので、がっくり。この雨は秋雨前線というのですか。天気予報を検索すると、金曜だけが晴れで、後はまた、今度は台風の影響ですか、雨模様らしいです。

   でもまだ東京など関東はいい方かな。鎌田さんの宇和島など、西日本は大変でしたね(さらに24号も近くを通過するのかな)。さらに、検索すると、世界の降雨ランキングなど見ると、雨が多いという日本よりも、もっともっと振り続ける国や地域があるのですね。(日本は46位、先進国では多い方。欧米ではそんなに降らないようです)。
  https://www.globalnote.jp/post-816.html
   このランキングで見ると、世界一のコロンビアの年間降雨量は3,240ミリ、日本は1,668ミリ、72位のイギリスは1,220ミリ。逆に降らない国の三つ、178位のサウジアラビアは59ミリ、179位のリビアは56ミリ、最下位180位はエジプトで51ミリ、でした。まこの辺の国は納得ですが、それにしても降らなさ過ぎですね。もう、傘という概念がないでしょうね。
(ま、どんな参考知識じゃい!、という感じですが)。

   北原白秋の童謡「アメフリ」のように無邪気な気持ちで雨を受け入れればいいのですがー。
 

市原さん、失礼しました!

 投稿者:荻野央  投稿日:2018年 9月26日(水)18時42分24秒
  私の邪推が中りまして、最近、女史が来られない理由は全く別の所にありましたッ。

もう歳なのか。私の「誤作動」が酷くなったことです。ふ~。
 

九十代の農婦の短歌集

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2018年 9月26日(水)18時31分12秒
   今日、山形で生まれ育ったひとの短歌集をいただいた。身近な農作業のこと、家族のことなど誰もがわかる生活の歌である。日本には俳句、短歌、随筆と普通の人たちも楽しめる文芸がある。どれほど多くの人たちがこれによって慰められていることか。わたしのとっては西欧の名作を読むことも日々の慰め。すべての芸術は日々生きるひとの慰めであり励ましであると思っている。

 今出来る歩く話す食べること 長く続くを祈る日々なり

 腰曲げて手植せし日々語らむに 友は今は亡く田の面と話す

 この日々を詠うひとを大事に思うのです。

 書くことはどんなに小さな場であっても世界が見える。そう思える表現を探ってゆきたいと、思うのです。それが一冊の本になり、より多くの人々に伝えられるなら、それはそれで良しとは思う。
 

相川さん、荻野さんの意見を参考にしてアンケートをとってはいかがですか?

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2018年 9月26日(水)15時39分39秒
   永野さんの「群系」愛には感服致しますが、熱くなり過ぎかなとも思います。私などは、もう次号で店じまいかなとも思っていますので、ここは冷静に資金などのことを綿密に考えるべきかと思っています。

 詩人の場合は、その年度に出した「詩集」によって評価がなされますから、本にしなくては始まりません。
 所属する「木偶」からも二人は大きな賞をとってますが、だからといって詩の場合、それで生活できるわけもなく、栄誉だけのこと。高々、狭い詩壇に一時話題になるだけのことかと。

 まずは、住んでいるところの「文学賞」から挑戦しませんか・・・わたしは賞に挑戦したのは、若い時にシナリオコンクールに一回だけ。私は競争には全然向いていないので、それ以来やっていません。
 ですから、小野さんの長年にわたる挑戦を偉いと思っております。

 まずは、「群系」次号にてアンケートをとることを提案いたします。
 

群系双書案について

 投稿者:相川  投稿日:2018年 9月26日(水)13時13分13秒
   永野さんの提案は、『群系』誌所収の論稿になかには優れた作品も多いので、それらを集めて書籍として出版するという内容であったかと思います。主旨は良く理解できて賛成ですが、お金の絡む問題なので、編集委員の方々が慎重に検討されるよう望みます。というのは、文学誌同人はえてしてお金(会費の多寡)に無頓着であまり意見を述べなくて、しかしいざお金を払う段階になると目覚めて余計な出費をしたくない、それなら会を辞めようかという事態になりかねないからです。
①前回の寄付要請が成功したことを踏まえて、同人にはボランティア精神で寄付を厭わない方も多いとの判断について……自分たちがこれまで投稿してきた同人誌の発行が赤字で危ういという状況に直面して、初めて、この1年間に投稿した執筆者に限定して、緊急避難的に寄付を募ったから、募金してくれた同人が多かったのだろうと思います。
 一部の同人の作品を載せる書籍の出版のために、恒常的に寄付を求めても、期待外れに終わることが危惧されます。私の感じでは、年4000円の会費を5000円に引き上げ、値上げ分1000円を書籍出版の補助にあてるといった程度なら、無難です(一口一万円は多額にすぎる)。

?書籍出版費の捻出方針……基本的には、その書籍に論稿を載せる執筆者が掲載料のつもりで負担するべきです。ただ、出版書籍のページ単価は同人誌のそれより高いですから、一部を年会費の値上げ分の転用などで補填する。となると、双書の発行を年2冊は過重で、5年に1冊程度が分相応のように思われます。
 以上、さしあたりの所感まで。
 

群系叢書(仮題)刊行の提案

 投稿者:管理人 iPad 5599  投稿日:2018年 9月26日(水)10時52分3秒
編集済
      荻野編集部同人のお言葉もありましたので、くだんの「群系叢書」なるものの刊行への提案素案を掲出させていただきますね。メールとは違うので、一部個人名などは割愛させていただきました。今後、編集部のみならず、関心のある同人その他の方のご参集をもっていろいろ話し合う機会があれば、と思っております。

                                        ◯

編集部各位
  先日は合評会、ご苦労様でした。
  群系同人の文学に対する熱意は、その後の掲示板書き込みにも現れていますね。
  ほんとに、こんなすごい論考などが掲出され、定期的に刊行されている文芸同人誌は、他にはそう多くはないのではないでしょうか。

   本誌は先年全国同人雑誌大賞を授与され、今年創刊三〇周年も経て、このかん40冊もの既刊号を世に送ってきました。最近はCINIという学術機関の登録もされ、広く全国的にも(一部海外にも)検索されるようになってきました。後は、懸案の新規群系ホームページを作成して、方々の作品をネットにアップすることですね(いま準備をしつつあります)。

   さて、これだけの論考・作品をこのまま雑誌だけにしておいていいのでしょうか。いま、世に活躍している批評家・作家は、自費であれ何であれとにかく本にして出版されています。例えば、批評家にしろ、当方がこの間注目してきた、新保祐司、高澤秀次、富岡幸一郎、樋口覺、鈴木貞美氏などは、沢山の著作を世に問うています。文末にその一部を掲出しましたが、論じられる対象文学者からみても、彼らが現代のこの国において、重要な着目・視点から、問題を切り込んでいるのがわかります。(その他、むろん江藤淳、松本健一、井口時男氏なども注目)。

    問題は先立つ物、ということでしょう。なかなかその点で厳しい状況が今まであったことでした。また、一部の有為の同人の方の自費出版はあったものの、自ら本を出すことに遠慮されている同人も少なからずいらっしゃいます。しかし、このことで長く著作が出ないということは、広くこの国の文学界においても損失ではないでしょうか。近く、野口存彌氏の論考集『昭和の三人の女性作家ー大田洋子・森茉莉・佐多稲子』がやっと版元(武蔵野書房)から発刊されるようですが、野口存彌氏の特集が本誌においてこのように継続して組まれているのは、ご著作がしっかりあったからです(それも年譜とともに時系列で整理出来る)。

   そこで、先立つ物の捻出を如何にするか。この点について、編集部では先に重要な経験を経ました。実は、39号で、本誌は創刊以来初めて赤字を計上することになったのでした。これは依頼原稿扱い、転載、その他が重なって入金できない部分があったので、この際、同人・購読会員の皆様に事情をお訴えしたところ、10万円お二人、5万円、2万円、その他、多くの方々がカンパされ、累計38万円にもなって、赤字解消どころか、その後のための用意にもなったのでした。
  このことを鑑みると、同人・会員には実に善意の、かつ見返りを求めない多くの人がいるということに今更気づいたのです。

   現代のネット社会では、クラウドファンディングという資金調達法があるようです。むろん、素人の当方には手がける手段もわかりません。でも脚下照顧、わが「群系」誌には、それに代わる、大きなちからがあるではないか、ということです。
   現在、本誌には執筆者・購読会員など、会費を振り込んでいる方は70人、いらっしゃいます(この数は、この数年減りもしませんが増えもしません)。この方々からいただく会費は一人二千円ですから、全部合わせても、14万円に過ぎません。これでは本の出版には到底足りません。
  そこでこれをお一人一万円にするとどうでしょう。50人だけでも50万円になります。自費出版は、先日の合評会の小野さんの発言にあったように、よその出版社では軽く100~200万円はかかります。しかし、そこは我らが龍書房では、ハードカバーでなければ50万円で出来るのです(医師の成瀬勝俊さんの、あの厚い創作も、部数が少なかったので、それくらいで出来ました)。100部でもそれ以上でも同人あるいは外部の友好誌の方々に買っていただければ、バックも見込めます。
  問題はどのような名目で、お金を集めるか、というと、これは例えば「群系債」とでも称して、一口一万円で購入をお願いするのです。当然一口のみならず数口、お買い求めの方もいるでしょう(お名前は伏せますが、会社経営や組織の長にある方などからは、いつも本誌にカンパをいただいています)。その他意気に感じて、群系債権を購入していただく向きはあると思います。

  さて、ではその見返りは何か、というと、御自分の論考・作品もいつか本になるかもしれない、ということでしょう(何よりも、意気に感じてご購入いただく方もいると思います)。

   当方がいま暫定的に思っているのは来年を初年度として向こう5年間で、年に二回、合計10冊以上の「群系叢書」を出すことです。もちろん、この中には、批評集だけでなく創作集もあることでしょう。で誰の、何を出すかは、今までの投稿者の希望と編集部などの調整を経て決めましょう(むろん、中には本誌以外に初出のものもあっていいと思います)。
   こうした叢書を継続して出していくことは、業界にも相応のインパクトもあると思います。

   大事なのは、今、でしょう。冒頭にも書いたように、雑誌掲出だけでは広く知れ渡らないのです。本になれば、それこそ検索して出るし、Amazonで購入ということもありえましょう。また、群系債を購入する皆さんも、いつか自分も、という励みにもなると思います。

   どうでしょうか。一つの素案の提起ですが、龍書房の担当・渡辺さんにも相談したところ、この数号なら、まだデータがあるとのこと。皆さんの賛意と励ましがあれば、これを同人・会員各位へのお手紙、としていきたいとおもいます。
   いかがでしょうか?
  ナガノ拝

※  なお、一般会員を増やす手立てとしれ、会員各位の教え子の学生さんに購読会員になっていただくのはどうでしょう。本誌会員には大学教官が多いのですが、国文専攻のそれら若い人に会員になっていただき、そのうち短いものでも投稿していただくのはどうでしょう。70人から100人に増やすには、能動的な手段も必要でしょう。

【参考】
  著作は一部掲出です。後は検索でご覧下さい。
新保祐司(1953~) 都留文科大学教授
『内村鑑三』(構想社 1990/文春学藝ライブラリー(文庫) 2017)
『島木健作 義に飢ゑ渇く者』(シリーズ民間日本学者・リブロポート 1990)
『批評の測鉛』(構想社 1992)
『正統の垂直線 透谷・鑑三・近代』(構想社 1997)
『信時潔』(構想社 2005)
『シベリウスと宣長』(港の人 2015)
『「海ゆかば」の昭和』(イプシロン出版企画 2006)

高澤秀次(1952~)
『辺界の異俗(フォークロア) 対馬近代史詩』 現代書館、1989年。
『昭和精神の透視図ー大衆の形成からポスト・モダンまで』 現代書館、1991年。
『江藤淳 神話からの覚醒』 筑摩書房〈戦後思想の挑戦〉、2001年。
『文学者たちの大逆事件と韓国併合』 平凡社新書、2010年。
中上健次 『現代小説の方法』 編、作品社、2007年。
絓秀実、宮崎哲弥 『ニッポンの知識人』 ベストセラーズ、1999年。

富岡幸一郎(1957~)
『戦後文学のアルケオロジー』(福武書店 1986年)
『悦ばしき神学 カールバルト『ローマ書講解』を読む』(五月書房 2004年)
『最後の思想 三島由紀夫と吉本隆明』(アーツアンドクラフツ 2012年)
『北の思想 一神教と日本人』(書籍工房早山 2014年)
『日本の説教3 内村鑑三』(解説、日本キリスト教団出版局 2004年)
『私小説の生き方』秋山駿共編 アーツアンドクラフツ 2009年
『稀代のジャーナリスト・徳富蘇峰』杉原志啓共編 藤原書店 2013年

樋口覺(1948~)
『富永太郎』(1986年、砂子屋書房)
『一九四六年の大岡昇平』(1993年11月、新潮社)
『三人の跫音 大岡昇平・富永太郎・中原中也』(1994年2月、五柳書院)
『中原中也 いのちの声』(1996年2月、講談社選書メチエ)
『三絃の誘惑 近代日本精神史覚え書』(1996年12月、人文書院)
『富士曼陀羅 三島由紀夫と武田泰淳』(2000年11月、五柳書院)
『日清戦争異聞 萩原朔太郎が描いた戦争』(青土社、2009年)

鈴木 貞美(1947年~)
著書
『転位する魂 梶井基次郎』(鈴木沙那美名義)社会思想社・現代教養文庫、1977
『蟻』(鈴木沙那美名義の小説)冬樹社、1979
『人間の零度、もしくは表現の脱近代』河出書房新社 1987
『モダン都市の表現- 自己・幻想・女性』白地社 1992
『現代日本文学の思想―解体と再編のストラテジー』(トランスモダン叢書)五月書房 1992
『「生命」で読む日本近代―大正生命主義の誕生と展開』NHKブックス:日本放送出版協会 1996
『梶井基次郎 表現する魂』新潮社 1996
『日本人の生命観-神・恋・倫理』中公新書、2008
『戦後思想は日本を読みそこねてきた 近現代思想史再考』平凡社新書、2009
『「文藝春秋」とアジア太平洋戦争』東アジア叢書:武田ランダムハウスジャパン、2010
『「文藝春秋」の戦争: 戦前期リベラリズムの帰趨』筑摩選書、2016 上記の改訂増補版
『入門 日本近現代文芸史』平凡社新書、2013
『戦後文学の旗手・中村真一郎―「死の影の下に」五部作をめぐって』水声社、2014
『近代の超克―その戦前・戦中・戦後』作品社、2015
『宮沢賢治―氾濫する生命』左右社、2015
『『死者の書』の謎―折口信夫とその時代』作品社、2017
共編著 編集
『モダン都市文学 2 モダンガールの誘惑』平凡社 1989
『モダン都市文学 4 都会の幻想』平凡社 1990
『大正生命主義と現代』河出書房新社 1995
『雑誌「太陽」と国民文化の形成 』思文閣出版 2001
『満洲浪曼』全7巻別巻1 呂元明、劉建輝共編 ゆまに書房 2002
『梶井基次郎『檸檬』作品論集』クレス出版 2002
『技術と身体--日本「近代化」の思想』木岡伸夫共編著 ミネルヴァ書房2006
『石川淳と戦後日本』ウィリアム・J・タイラー ミネルヴァ書房 2010
『明治期「新式貸本屋」目録の研究』浅岡邦雄共編 作品社 2010

 

永野さんへ

 投稿者:荻野央  投稿日:2018年 9月26日(水)09時51分32秒
編集済
  私は「群系」に関わらさせていただいて8年目に入りました。年次的には「新参者」です。”これからの群系の会”という大きな課題は、読書会、「群系」発足時ないしは「葦の会」からの先輩諸氏の意見が、まずもって求められていいはずかなと思いますけれども、浪々の身の私を救いあげてくれた「群系」は、私に取ってホームグラウンドです。(命綱かな?)。なので息せき切って意見を述べます。

これまでの30年にわたる同人諸氏の苦労作をそのまま放置していてよいのか、と永野主幹は言っておられ、しかも「編集部として」とクレジットされていますが、記憶する限りそのような議論は私はしておりません。主幹自身の発言と編集部合意としてまとめられた発言は、区分してやっていただきたいと思います。
群系叢書として本にするとした提案は、「群系」の根幹に触れる問題だと思うので会員の皆様が考えるべき提案ではないでしょうか。(数日前に私へメールでその懸案および「叢書」なるものの企画を知りました。)
したがって永野主幹の提案内容を詳しく、この板に掲示していただきたいのです。

※ついでに言わせていただくと、主幹は「こんなにすごい同人誌は他には無い」「第二の『近代文学』を目指す!」とかの自画自賛的な評価をなんども掲示板に書かれておられます。これまでそのような高揚した発言はなかったと思いますが、おそらく「全国同人誌大賞受賞」が契機なのでしょう。掲示板はインタネットです。全国の同人誌の方々が閲覧していますから、このような高揚した文章を掲示してもいいのか、と感じます。”第二の近代文学”(?!)…恥ずかしい、とも。少なくも私はそのような評価を持っておりません。
私にとってあの受賞はこのうえない栄光でした。何度も言いますが選考委員の方々が“群系批評”の形式的本質を見抜いて高く評価されたこと、(私はたかだか数年にすぎませんが)同人諸氏の長年のたゆまぬ研鑽、そしてなにより文学を愛してやまぬ心映えが「報われた」という感想に尽きるのです。
そうしたことからも思うに、大賞受賞は大きな栄光であるには違いありませんがそのことは、単にひとつの(よくアスリートが使う)「通過点」に過ぎません。言わせていただくなら文学は「永久運動」そのもの、栄光の感動に何年も浸っていることは”停滞”以外にほとんど意味はないし、受賞したからと言って筆の高品質が保証されるわけでもない。ついに文学活動は一人きり、報われたということです。私はそのように考えています。また、考え方として大賞を受賞したのは表向きは群系「誌」であるけれども、内実は群系「会員」なのですから、永野主幹の提案している「群系叢書」なるものの起案に直線的につながるのはどうなのかと思います。(会費の値上げにかかわることですから)。

意気軒高、高いプライド、もっと積極的に。

しかし土屋さんの批判的な感想や、このところの市原さんの合評会不参加の連続は、なにやら主幹の不分明な高揚感、自画自賛、から本誌が当初の姿の群系から変容しようとしていると誤解されているのではないかと邪推しているのです。(お二人、間違っていたらスミマセン)

私はそう思いますので、皆さんのご意見、ご感想を伺いたいと思う次第です。

 

群系の会のこれから

 投稿者:管理人 iPad 5599  投稿日:2018年 9月26日(水)08時48分9秒
      ここのところよく雨が降りますねえ。夏の酷暑の後は、秋の長雨ですか。
    当方、駅までは自転車で行くので雨の日はほんとに困ります。それでもこれまでは空模様を見ていい塩梅のときに家を出たり、帰宅時も見計らって待機などしていましたが、昨日は(先日に続き)、iPadの雨雲情報を時間軸で見渡しても小止みになる時がないとわかったので、雨中決行、帰宅の途に着きました。当然サドルや荷台も雨粒いっぱいなので、沢山のティッシュで拭きました(当方は、いつも多く携行しています)。
   ま、風邪をひかない点だけはいいのですがー。

   「群系」誌の論考を巡って、この板でもだいぶ議論が出ましたが、外部の有力な批評家からも言及があったりしました。また、まだ次号特集取り組みへのご参画の返信は全部は来ていませんが、それでも大筋の結構は見えてきていて、次号も問題作が掲載される見込みです。(確かに、募集要項発送から締切まであまり猶予がないのは恐縮です。でも自由論考の方をはじめ、多くの方は前から準備されていたようです)。今年中、12月半ばに刊行するということですが、このところ版元の龍書房さまのお仕事がテキパキしているので、締切10月末のところ、一部の方は11月半ばになっても大丈夫ですよ(ご連絡下さい)。
   なお、「群系叢書」(仮名)として、既刊号の論稿などを収めた著作の刊行、について編集部の素案を常連の投稿者の方などに送らせていただきましたが、いかがでしょうか。費用についての提案も含め、これから同人皆の検討事案となり得るものでしたら、本掲示板への掲出も含め、同人・会員の方皆さんにお送りしたいのですが、まだこれについての賛否、ご意見がありません。どうぞ、全くの絵空事だ、というご批判でも何でもお寄せ下されば、と思います。当方の気持ちは、これだけの論稿を雑誌のままにしておいていいのか、それにつきます。
 

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