teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


スレッド一覧

  1. パソコンクラッシュ(>_<)(6)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:269/9288 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

連合赤軍とオウム真理教

 投稿者:管理人 iPad 4797  投稿日:2018年 7月 6日(金)14時37分7秒
  通報 編集済
      麻原彰晃以下、7人に死刑執行という、大きなニュースが飛び込んできた。雨が降る家居の中でiPadから手を離し、テレビニュースに首ったけだった。上祐史浩の会見が始まっていた。彼がかつての師匠・尊師を「麻原」と呼び捨てていた。「ああ言えばジョウユウ」と言われた饒舌のイメージはなくなり、やや老けた、逆に言えば落ち着いた感じで、謝罪とコメントをしていた姿に、事件の終息を感じた。
    たまたま小職は、iPadで、連合赤軍のドキュメンタリーを前日、見ていたところであった(You tube)。再現ドラマと当時の報道フィルムで、当時の最高幹部、森恒夫と永田洋子の姿、さらに凄惨なリンチで殺害された同志のあわれを当時の思いとともに想起していた。もう半世紀近く前のことだ(1972年。小職の透析開始の35年前よりさらに前だ)。あさま山荘の銃撃戦、は当時連日テレビ報道された。だが、人々のショックは、「総括」と言われたリンチの方によりあった、とナレーションがあった。さもありなん、革命のために、という言葉のもと、同志が殺害されたのだから。
   この事件は60年代の大学紛争、70年安保と72年の沖縄返還を控えた、全国的な盛り上がりのしんがりに生じた事件であった。これ以降、若者の叛乱は沙汰止みになり、セクトのゲバルト争いになっていった。だが、当初の学生叛乱は、皆に共有された感覚であった。ドキュメンタリーのコメント役で出演していた、同世代・中村雅俊でさえ、当時デモへ行ったと言っていた。

   それに引き換え、世紀末に登場した、オウム真理教という集団は、共感するというレベルどころか、あまりに幼稚な、現実離れした、おかしな集団であった(オカルト教団という言葉が出た)。当時東京杉並区に住んでいた当職は、荻窪駅で衆院選出馬した彼らの選挙活動を見たことである。「しょーこー、しょこしょこ、しょうーこー、あさはらしょーこー」という歌の文句が忘れられない。さらに選挙カーに乗っていた、踊る女性信者の頭には、なんと象の被り物。鼻の長さとともに、まるで幼稚園か何かの踊りかと思ったくらいだ。衆院選出馬というのは宣伝の方便だろうぐらいに思っていたら、本気で当選することを確信していた、と言うから二度びっくり。この現実離れした集団が、のちにサリン事件など思いもしない凶悪事件を起こしたのだった(松本サリンは1994年、地下鉄サリンは1995年。前者の死者は8人、後者の死者は14人、負傷者に至っては実に6,300人といわれる。その他の事件でも殺されたひと、後遺症を負って後々苦しんでいる人々が多数いる)。
   同じく全国を震撼させたといっても、連合赤軍事件と根本的にちがうのは、一片の共感もないどころか、社会から全く離れた異質の出自だったことだろう(連合赤軍は、間違いなく社会から生まれた)。ちょうど、昭和から平成への時代の変わり目、天安門事件やソ連崩壊、湾岸戦争など、激動の時であった。もう何があっても驚かない、という情報時代のさなか、こんな集団のこんな事件が起こったのであった(ちなみに、地下鉄サリン事件の1995年は、阪神大震災が起こった年でもあった)。
 
 
》記事一覧表示

新着順:269/9288 《前のページ | 次のページ》
/9288