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草原さん論評ありがとう

 投稿者:石井洋詩  投稿日:2018年 9月22日(土)23時21分28秒
  草原さん、「『徳之島航海記』の謎を読む」について懇切に論評をしてくださってありがとうございました。
節論で主題とした反軍的思念に関わる問題を読み取って頂いたこと、嬉しく拝読しました。島尾さんの戦争小説については多くの批評家がいろいろな側面からアプローチしており、読み方もパターン化してきているように思います。しかし、島尾さんが作品に施したプロットのからくり、ディテール間の連関、表現の重層性など小説の構造に即した読み方はあまり試みられてはいないように思います。
私が島尾さんの小説に惹かれるのは、小説の構造を読み解くことによって物語の奥に潜む根源的なものに出会えるからです。そうやって「徳之島航海記」に見えてきたものが反軍的思念でした。
草原さんが言及されている「死の棘」論もそのような読みを試みたものでした。「登場人物をめぐる詳細な考察のモチベーションが、個人的にはわかりにくかった」とご指摘のあった「モチベーション」は上記のところにあります。現実の島尾夫妻と小説の妻と夫を切り離す重要な方法として「登場人物の視点」を捉えているからです。付け加えれば、その読みの中で見えてきたことは、人間の根源的な悪です。だから私は『死の棘』を悪からの離脱を試みつつける人間を描いた宗教小説として捉えています。その過程で妻と夫の愛は変化していきます。狂気の妻は夫を導く存在に変わっていきます。異界に生きる妻の世界に同化することによって夫は内部の悪との戦いに入ります。そのよう読みをすれば草原さんが「身辺雑記小説を超えて、神話的・宗教的なオーラを漂わせている」印象を持たれたのはよくわかります。『死の棘』の読みの方向は異なりますが、ご指摘頂いたことを次に生かしたいと思います。
文化史的状況への広い視野の中で、対象を多面的に捉えて、犀利にしかも情意への配慮を失わずに考察する草原さんの論考にはいつも啓発されています。40号の「谷崎論」では特に自我構造のあり方についての視点には眼を啓かれました。「幇間」を主題にこれだけ幅広く谷崎文学を論じた批評はないのではないでしょうか。
 
 

「島尾敏雄『徳之島航海記』の謎を読む」について

 投稿者:草原克芳  投稿日:2018年 9月22日(土)06時25分34秒
編集済
  ■どこの同人誌の合評会でも、時間の関係上、
出席者の作品中心の議論になりがちですね。

残念ながら、会ではあまり言及されなかったのですが、
下のコメントで永野さんが少しふれられているように、
今回の石井洋詩氏の連載の島尾論「島尾敏雄『徳之島航海記』の謎を読む」は、
たいへん読み応えのある内容でした。
これまでの連載では、島尾の『死の棘』という小説には私も感銘を受けていたものの、
登場人物の視点を巡る詳細な分析のモチベーションが、個人的にはなかなかわかりにくく、
論全体の主旨が見えにくい印象を受けていました。


■しかし、今回40号の論考「島尾敏雄『徳之島航海記』の謎を読む」においては、
特攻隊部隊長(特攻艇/空ではなく海)時代の島尾敏雄の内面にメスが入れられ、
焦点を絞った明快な問題意識が主軸となった説得力に富んだ論考だったと思います。

『死の棘』は、描写されている現象だけを読むと、
「私小説/家庭小説」の典型のような作品ですが、
「自分の体験した事を、正直に、嘘偽りなく、赤裸々に書いた」類いの身辺雑記小説を超えて、
何かしら、神話的・宗教的なオーラを漂わせている作品といった印象がある。
島尾の作品と、他の私小説のどこがどう、違うのか。
その謎とは何なのか。
ミホさんと結婚する以前、「家庭」以前の島尾敏雄の葛藤とは何だったのか。
ここで、島尾夫妻においては、単なる「夫―妻」の日常的位相と、
「軍神―巫女」との神話的・潜在意識的位相が、つねに重なり合う。
そこに狂気と嫉妬、愛憎と至福との複雑な心理が、悪夢的に絡み合う。


■今回の「島尾敏雄『徳之島航海記』の謎を読む」では、
軍隊組織と「私」との葛藤、
國體護持という大義と「私の内面」との葛藤、
命令者(特攻艇という自爆死の命令者)の欺瞞と、部下への絶対服従の強制の問題が明示されている。
戦争中演じることを強いられ、島尾自身なじむことができなかった「島尾隊長」という"ペルソナ"の問題。
こういった重くるしい過去を、島尾はあの暗く俯いた温顔に秘めていたかと思うと、
(安岡・遠藤ら「第三の新人」仲間の仇名はインキジノフ)
やはり『死の棘』を頂点とする島尾作品には、さまざまな実存的ミステリーが
いまだ未解明のまま隠されているように思われます。

今回の石井氏の論考は、島尾文学創造の前史をも含めて
その辺りの核心的な謎の究明にアプローチしている優れた論考だと思いました。



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【蛇足的参考】
カトリックの神父さんが
島尾ミホ原作の映画『海辺の生と死』と、島尾敏雄について語っています。
かなりキリスト教寄りですが。
http://www.fukuinnomura.com/?tag=%E5%B3%B6%E5%B0%BE%E3%83%9F%E3%83%9B

映画『海辺の生と死』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=wi23Xq2SZBg






 

風邪にご用心。早朝読書をめぐって。

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2018年 9月21日(金)06時16分51秒
   今朝は一気に冷え込みました。毛布一枚でやすんでいたら、寒くて眼がさめました。掛け布団をだすのも面倒だったので、長そでのブラウスを羽織り朝の読書。先日の「群系」合評会で坂井さんから頂いた「風」を読む。大堀さん、土屋さんなどお馴染みの方々の小説には特別の思いがめぐる。坂井さんの小説も「群系」作品と違ってリアリズム。随所に坂井さんらしい表現があって面白い。坂井さんは本質的に詩人なのでしょう。わたしも普段、詩を書いているから、リアルな文章の中に詩的表現が混じってしまう。川端康成は上手いですね。リアリズムの中に自然に詩的表現が生かされていますね。

 今回、久しぶりに「随想」として日常生活のことを書いています。一行書いては気づくことがあり考えこんでしまう。「風」を読みながら、つくずくと思っています。小説の中の人物造形の難しさ。
 先ず、厳密な人物のデッサンが必要かなと思っているところ(自分自身も)。心理描写だけでなく、身体の動きも大事かなと。

 今、我が家は孫の拾ってきた「猫」に翻弄されています。生後一か月の子猫は何処にでも登ってしまう。テーブルの上に食べ物は置けないのです。いろいろと事情があって、当分、我が家で飼うことになりそうで複雑な気持ち。自分の身体を動かすのがやっとのわたしと夫が、どうやってこの猫の面倒をみてゆくのか・・・でも、連れてきてすぐに排泄の始末をきちっとしたのには感動してしまった。二歳くらいまでオムツのとれない人間の子供のことを、改めて考えています。しかし、猫は野生を生きてますね。身のこなしは豹のようです。野生動物では豹好きのわたしですから、多分、可愛くなってしまうのかな。困っています。

 急にに初冬の気温です。みなさまご自愛ください。
 

塩原、ブラタモリで紹介されていましたね

 投稿者:管理人 iPad 4770  投稿日:2018年 9月20日(木)10時46分33秒
編集済
     あ、齋藤さん、お久しぶり。ご投稿ありがとうございます。
   塩原について、先日、NHKの「ブラタモリ」でやっていましたね。塩原がいかに観光地となっていったのか、その由来と歴史をやっていました。齋藤さんを思い出し、さぞ喜ばれているのではないかと思いました。ほんとに、同人たちと伺えればと思います。
 

塩原便り

 投稿者:斎藤康夫  投稿日:2018年 9月20日(木)10時32分12秒
  ★ご無沙汰してます。塩原の近況・芭蕉の遊行柳と吉永小百合さん歩いた雲巌寺の散策・この秋は是非来てみてください。塩原観光協会。  

同人誌の方向について

 投稿者:管理人 iPad 4672  投稿日:2018年 9月19日(水)17時15分39秒
編集済
     個人的な、どうでもいい投稿ばかりでスミマセン。
   同人誌について、関東同人誌交流の掲示板に書きましたので、ご参照下さい。

https://9301.teacup.com/douzinnnzassi/bbs/2039

 

西高東低の首都圏

 投稿者:管理人 iPad 4572  投稿日:2018年 9月19日(水)10時04分13秒
編集済
     地価の価格が公示され、27年ぶりだかに値上げになっていたそうな。珍しいことに、その地価の価格は大都市だけでなく、地方都市、いや思いがけない田舎街にまで及んでいるそうな(瀬戸内海香川県の直島という島嶼が注目されているそうで、そこには草間彌生のオブジェがいろいろあってそれを目当てに観光客や移住してくる若者もいるそうな。驚き!)。
   都内でも、都心や山の手などの高級住宅地よりも荒川区や足立区などの値上がり率が高位になっていた。もとより都心に近く、近年交通網が整備されて、マンションなども建って、ショッピングセンターなども出来て生活利便性が増したからだそうだが、うべなるかな。

    当方の江東区もマンション新築ラッシュが続いています。岩本町まで15分、新宿までも急行に乗れば17分ですからね(ちなみに朝の電車もラッシュ時は乗れないほど。仕方ないので当方20分も早めに家を出て、7時過ぎの電車に乗っています)。
    群系の同人は山の手か多摩、神奈川が大勢で、一部埼玉、千葉、その他全国に渡っていますが、下町は小生だけです。インテリはやはり山の手などと相場が決まっているのですかね。昔から下町周辺(千葉・埼玉)で育って来た当方ですが、仲間と「下町は大学もないもんな」と自虐的に言い合って来ましたが、でも時代はやっと変わってきました。このところ、北千住に芸大と電機大学が移転してき、金町にはあの理科大が来ました。交通網も、足立区など東武伊勢崎線くらいしかなかったのに、つくばエクスプレスが開通し、日暮里から足立区舎人までは、新交通システムが通り、足立区南部を掠め通っているあの常磐線は、上野東京ラインで繋がって、東京品川まで乗り換えなしの直通で行けるようになりました。先輩・ビートたけしは足立区梅島出身、言わずと知れた世紀の英雄です。

    先日、渋谷が百年に一度の大改造だと渋谷川までおしゃれに変わったとカフェの店頭から中継してまで、NHKが報道していましたが、東急大資本による金持ちのための街づくりになぜ天下の公器が加担するのか。さらに品川と田町の間に新駅を作って、これまた大再開発が始まると報道していましたが、都心ばかりかっこよくして、どうするの。またさらに都などの前からの副都心計画で、品川・大崎は驚くほどの高層ビル街になっているし、目黒・五反田・恵比寿も若者受けする街に変容している。
    それにひきかえ、上野はどうだ。当方の青春時代からほとんど変わっていない。あの下谷郵便局跡に出来た京成百貨店が往時の上野と京成の最盛期だったのか(半世紀前)。だいぶ前に丸井に変わったが、その周辺、界隈も変わっていない(唯一、上野松坂屋新館が新築になった)。錦糸町も、東の新宿と一時は言われていたのに、楽天地が綺麗になって以来(これも半世紀前)、代り映えがしない。駅ビル・テルミナも半世紀以上前の骨董品です。都心やそれに準ずる地域ではまだ全然いいのに建物を壊したり、再開発の計画があるというのに。(赤坂プリンスホテルは、すごくかっこよかったのにとりこわし、跡地には全く代り映えしないデカイだけのビルが建った。赤プリは丹下健三設計で、村上春樹作品の舞台にもなったところだ。銀座では、思い出の阪急デパートも、銀座松坂屋も新規のビルに変わってしまった。sonyのビルも新しいものにかわったそうだ。かろうじて四丁目角の三菱スカイリングは今も健在だが、服部時計店同様、万古不易のものとしてもらいたい。中野サンプラザも取り壊しが決まったそうだが、建物の思い出や文化的価値以上に、資本の論理だけで動いている)。

    ダメなのは千葉・埼玉もで、船橋は人口60万人以上の中核都市だが、だいぶ前に駅前にフェイスという、センスのないデカイだけのビルが建って以来、これといった進展がない。どころかあの西武百貨店が閉店になってしまった始末(デパートの閉店は、街の活気を削ぐ大事態。松戸の伊勢丹、柏のそごう、千葉の三越など、このところ立て続けに閉店。埼玉の方は意外に頑張っていて、大宮高島屋はもうだいぶ古いのに営業中。浦和の伊勢丹、もだ。この違いはなぜ?)。

    街の周遊・徘徊、あるいは郊外電車に乗るのは、当方の昔からの趣味。でも、都心の変容は、この国に優勝劣敗を象徴しているかのようで、行きたくもありません。よく銀ブラや日本橋行きなど楽しみという人が昔からいますが、あれはやはり有産(有閑)階級だからの発想でしょうか。いややっかみになりますので、この話は以上で。
 

日常生活での不満

 投稿者:管理人 iPad 4572  投稿日:2018年 9月18日(火)23時37分38秒
編集済
     合評会とは関係のない話ですが、小生が常日頃考えている疑問について。
   それは駐輪場をめぐる不満です。最近は、女性も含めて自転車、特に電動アシストを利用している人も多く、ここ江東区大島付近は、歩道にもそれら自転車があふれています。幼児を前後ろに乗せたママチャリも、お母さん、よく頑張っているなと思いますが、時に通行にヒヤヒヤします。
   で、駐輪場の話ですが、大島駅には二つそれがありますが、当方が利用するところは平置きで便利ということもあって(もう一つはビルの地下の置き場)、いつも満杯です。で番号の付いたラックに置ききれない自転車は、駐輪場の通路スペースに停められます。あとで係員が空いたラックに留置するので、利用者は帰宅時には、ラックに止められた自分の自転車を100円、払って、出すことになります。でも時に係員の爺さんに、もう満車、入らないから他所へ行ってと言われます。そうは言っても、こちらは通院の時間に間に合わないので、時折そこで一悶着があります。
   実は自転車の駐輪スペースは満杯なのですが、真ん中にたいへん広いスペースがいつも空いています。そこは自動二輪、つまりバイクの駐輪場なのですが、いつも半分くらいしか置かれていない。そこに自転車を止めたいと思うのですが、爺さんに見つかると文句を言われる。空いているからいいではないかと言うと、自動二輪は月極めになっていて、いつそうしたバイクが来るかわからない、といいます。でも、ほんとにいつも半分も埋まっていなくて、逆に自転車は通路までいっぱいなのです。それに、この駐輪のラックは満車だと出すのがたいへんで、特にさっき言ったママチャリだと子供用のシートが大きくて、隣りにそれが来ていると、ほんと出し入れに苦労します。また、何より、帰宅時にそのラック番号を確認してから、機械にまで戻ってコインを入れるのは実に二重の手間になります。受益者負担というのでしょうが、大勢が皆この手間にかかっているとすれば、国民的(区民的)なムダともいえましょう。この際無料にした方が、結果時間や手間が省かれ、合理的だと思います。
    江東区は都内でもマンションなど集合住宅が一番多い区だと聞いていますが、それだけ人口が集中、自転車などは区民の欠かせない足となっているのに、肝心の駐輪場がこんな状態ではほんとに困ります。特に、障害者でもある当方は日々の生活に自転車は不可欠です。

    買い物にも自転車は不可欠ですが、あろうことかこの駐輪の機械システムは、西大島のダイエーの駐輪場にも導入されました。一時間以内だかは無料なのですが、それでもラック番号を確認し、機械にその番号をプッシュしなければならない。少しでも長くなるとむろん有料になる。誰が考えたのか、頭にきます。
   それと区役所(大島支所)の駐輪場もいつもいっぱい。こちらはラックはないのですが、階段下のスペースはせまく、いつもとめるのに苦労します(ここは図書館もあるので、母子などもよく来る)。ここはこの際、植栽の部分を削って、駐輪スペースを確保しなければならないと思うが、緑を削ぐのは論外というだろう。だがとにかく、為政者の管理中心の発想で、利用者区民の都合を考えていない。最近路地には選挙が近いのか、候補者のポスターがやたら貼ってあるが、区民に一番身近なことに目がいかないなんて、本末転倒だろう。
 

「群系」№40合評会

 投稿者:荻野央  投稿日:2018年 9月18日(火)09時41分25秒
編集済
  ◆午後1時から午後4時半までの熱い討議による厚みある内容と、その後の懇親会の賑やかな話し合いとたくさんの笑顔は、私がいつも感じる「群系」のアットホームでありながらも互いのリスペクト感に溢れ作者と豊かな批評を交換する、そんな生き生きとした時間を過ごさせてくれました。つまり充実感。皆さま、お疲れさまでした!!

◆「群系」の合評会は緻密な読みによる意見交換が活発なので、サロン的雰囲気に陥らない緊張感に充ちています。だから終わった後はグッタリしますが何かしらの栄養素(小野さんの言われる)を吸収できるから、すぐさまグッタリは次へのステップになる栄養素に転じる。そんな印象をいつも参加するたびに思うのです。

◆今回は創作から開始しました。土倉さんからの提案によるもの。尻切れトンボになりがちな創作批評はこれまでと比べて時間をかけてやれたように思います。特に初参加の坂井瑞穂女史の作品はこれまでに無い(メジャー系にもなかなかない)スタイルを持つものでメンバーから色々な意見が出ました。坂井さんはそれに応じて舌が次第に滑るように動いていった。これからもよろしくお願いします。

◆土倉さんが「わたし、喋り過ぎたかしら」なんて言っておられますが、それどころではない、もっともっと熱く、そのよく通る声で我々への叱咤激励の言葉が欲しいと思います。また浜松から来られた名和さんや近藤さん。「私が思うに」とした批評家の生々しい視点の披露に伴う対象の作品への掘り下げ方、批評スタイルに、ああ、”群系批評”がここにあると感想したことです。(もちろん他のメンバーにも共通することは言わずもがなですが)

◆わたしは第一特集の司会をやらせていただいて毎日40号を読んでまして、特に二日前一日前はずーっと群系批評を読んでいましたので、当日の朝なにやら半ショック状態で頭がフラフラになりました。向かう電車内で「大丈夫かなあ、司会…」と弱気になり五分遅刻してしまいました。二回目です。うーん。それくらい濃度ある作品があったということを、身体(脳味噌)は唯物論的に証明してます(?!)。

今日から41号に向けて読書と思考を再開していこう、と考えています。
 

群系合評会、盛況にて

 投稿者:小野友貴枝  投稿日:2018年 9月18日(火)08時51分49秒
  群系 40号合評会楽しかった、勉強になった、闘志が沸いた、最後に、書き続ける仲間力を貰った。諦めずに、毎日ほぼ毎日、書く時間を確保する、この5時間が必要とする「小説依存性」の私、群系の仲間にあうと、同じ臭いがする。40号のどのジャンルも全て書く、主題への熱い闘志が感じられた。それは昨日今日のものではない。私など、どんなことを言っても、言葉が上滑りしてしまう(評論・論考)昨日はまた、継続力、一人ではないと仲間力を頂きました。お世話様になりました。添付影像は(16日NHK首都圏ネットワークでエキストラ出演、日記¨夢中ばをPRしました。)

http://blog.livedoor.jp/hbk3253/archives/cat_10041481.html

 

「群系」に乾杯

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2018年 9月18日(火)06時50分47秒
   やっぱり、文学はいいな。ここ2か月は入院手術などがあって精神的に抑圧されていたのか、しゃべり過ぎたように思う。出席のみなさまごめんなさい。初めてお会いした坂井さん、いろいろなものがぎっしり詰まっていそうで楽しみです。究極、「文学」は人間の探求なのだろう。まだまだ不可思議な領域をもつ人間。現在は文芸誌を読む人より、書く人の方が多いと言われる。
 俳句、短歌などの自費出版は盛んだ。
 親の資産を自費出版で食いつぶした人が身近にいる。跡取りだった男は骨董と文芸に狂っていた。それでも兄弟たちは自分たちの生活までは侵されなかったので、批判はしていたが、骨肉の争いにならなかった。現在、彼は認知症になり施設に入っているらしい。彼の立派なな本が、私の書棚にもある。作家を夢見、コツコツと書いてきた彼。今はたぶん、小説を書いてきたことも忘れているに違いない。これも、幸せな人生か。さて、きょうから「群系」次号の執筆にかかるか。同人各位の御健筆を祈ります。
 

合評会、有意義なものでした。

 投稿者:管理人 iPad 4398  投稿日:2018年 9月17日(月)21時47分57秒
編集済
     合評会、無事終わりました。出席12人の、論考・創作など15作ほどを順に合評していきました。午後一時過ぎに始めて四時半まで、途中五分だけ休憩を取ったものの、ほとんどずっと作品評価を巡って言い合いました、皆きちんと前もって読んできて、意見の交換も紳士的(淑女的)でした。
    今回はいつも以上に充実した合評会だったと思います。ほんとに感心するのは、三時間半ものあいだ、文学を論じて倦むことのなかったことでした。出席者の熱意、質の高さを思いました。
    内容については、下の投稿にあるよう、インパクトのある投稿には皆共感し、賞賛していました。商業誌の賞を狙うべきだ、と意見もありましたが、実際、本誌の作品は江湖に訴えていくべきだと存じました。

    これだけのレベルの本誌は、CINIにも近年登録・紹介されるようになったことに現れているように、必ずや近い将来、文学研究者、愛好者に注目、必見の雑誌になることでしょう。編集部からも、原稿依頼を重ねてお願いすると思いますが、ご通信をお受け取りの向きには、ぜひ意気に感じて、作品をご投稿ください。本誌に関わるとあなたの人生に輝きをもたらすことでしょう。
(現に今日の会の後の懇親会には、新幹線で来た人も含め、ほとんどが一緒になって盃を交わしあいました)。
 

「群系」40号の充実

 投稿者:管理人 iPad 4320  投稿日:2018年 9月17日(月)09時29分23秒
編集済
      今回改めて、40号を通読してみたが、作品への読みの確かさ、素材の扱い、何よりもそれらを表現する運筆、語彙の的確さに感じいった。何年も(何十年も)こうしたことを続けていくと、進歩があるというのは数年前から確信していたことであるが、今号に至って、まさにそれが結実したという思いだった。
    紙幅の許す限り、当方が感じいったものをあげてみたいが、まず浜松在住の名和哲夫氏の論稿である。冒頭の、「暗夜行路」論は短いが、この作品の魅力を作家と作品を敬愛する者の眼差しで見つめている。特に作品の最終部の、視点の交替(人称の変換)については、作品の読み手の切歯扼腕の気持ちを作品からよく掬し、分析している。当時、小林秀雄も小林多喜二も尊敬、奈良の居宅にまで謁見しに行ったというほど小説の書き手であったわけだ。
   そうした志賀直哉を同じく私淑していた人に、藤枝静男がいる。前からの筆者の思いがついに評伝としてその端緒を切ったのだが、なかなか読み込みをさせていただいたほどに読みやすく、内容的にも概観をさせていただくものであった。当方のような初心者にも、藤枝の作品の素晴らしさの片鱗を感じたのは、「田紳有楽」についての作家の批評であった。堀江敏幸や笙野頼子といった才覚ある作家にああまで絶賛される藤枝とは何者かという思いを強くした。しかし、後に続く展開にあるように、藤枝の一家係累は、結核という宿痾に見舞われていたのであった。年譜と家族の名前列記の中にその没年が篆刻されているところは、慄然とするものであった。この国の既往、近代がこうも悲惨なものであったか、と改めて感じた。作品は文章・語彙的に引っかかるところもなく、何よりも興味を持って読めたことがいいと思った。「私小説」とは何かについても、藤枝の言葉を引きながら、改めて感じさせてくれた。次号で、小林の『私小説論』を分析しようとしている当方に後々も参考になろう。

   敬愛する作家・作品の分析という点では、間島康子氏の「梶井基次郎」の論稿もいろいろあって、文学作品の形成への経緯についてのアプローチの方法を改めて教わった。論考は、代表作「檸檬」を創成していくにあたっていかに作者梶井が意識的で、トライアルをしているか、「瀬山の話」の分析を通じて解き明かしている。梶井基次郎については、本誌でも特集したことがあり(15号。この号に惹かれて、間島さんは本誌に参画された)、当方も梶井基次郎については相応に読んできたつもりだが、こうして展開されると、改めてこの作家の詩魂、関心の領域に惹かれた。梶井の人生は短い(すぎる)。凝縮された人生、そこから材をとって作品に仕込んでいく。しかしだからといってそれらは「私小説」かというと、筆者は明快に否定する。「(私生活と作品とには)正確な距離あるいは乖離というものがきちんと行われている」ー。思えば、梶井というのは、どの文学流派に属していたというわけでもないのに、その文業、存在は燦然としている。間島さんの文学・詩作の原点とも伺っていますが、なるほどと思いました。

    同じ頃、本誌同人になった草原克芳氏の谷崎論、相変わらずの知的膂力で、問題を迫真的に追求するところはプロの批評家顔負けでしょう。彼のすごいのは近代文学のあらゆる領域に渡っているところで、漱石論と、その先行としての坪内逍遥・二葉亭四迷の分析、さらに、日露戦争下の『萬朝報』社主の黒岩涙香論、さらに昭和十年代の「近代の超克」論争にメスを入れ込んだ論考はまず他所に見られない圧巻のものでした。戦後の安部公房、武田泰淳にも論考はおよび、その行く手は敵知らずです。一つ、これら論考の成果としてあげるならば、明治開花期に頻用される「書生」という概念を定位させたことで、こうしたモラトリアムの存在こそ、日本近代文学の動因でしょう(「代助」が嚆矢ですが、今現在の引きこもりとはまた違うでしょう)。
     今回は、谷崎潤一郎という耽美派の文豪を扱いますが、単なる「美」の表現者でないという証左に、筆者はあろうことか、戦国時代が舞台の『武州公秘話』を素材に持ってきました。まあ、作品を読むだけでも大変、おぞましい内容です。敵方の大将の首級を切り取って、若い侍女たちにそれを洗わせる。のみならず、獲得の表象のためかその首級の鼻を削ぐというという場面も。それが薄暗い屋内で、しかもまだうら若い女たちの手でそれらの行為がなされる。女たちの白い肌、それと対照されるドス黒い首級、このエロスとタナトスの交叉する恍惚の場面の表現は、一人谷崎を持って成し得たものでしょう(川端も三島もなし得なかった。しいて匹敵できるとするなら、泉鏡花か)。
    作者谷崎は、一中一高帝大卒の抜群の知的エリートですが、その彼があえてその知性を韜晦し、マゾヒズムの徒となり、さらには本論で主題とする「幇間」の位置に自らを定位するのは、日本近代文学、その自我の表現に真っ向から反措定する、いわば逆説的な真実ともいえましょう。なにより、草原氏の運筆の凄さは、こうした谷崎の作品、いや作法全体を、いわば屍肉を腑分けする電動ドリルのような力業で、仕分けしていくその見事さにあります。読んでいて、そうだそうだと共感の域に持っていく運筆は知性と根性そのもので、これからの作品研究者、批評家のあるべき姿でもありましょう(ま、多少くどい部分はありますが)。
   後半、例の芥川との「筋のない小説」をめぐる論争が紹介されますが、こんな時期にもうこうした本質的な文芸論争が行われていたのか、と思うと同時に、自殺してしまった芥川に対比される谷崎、の二項対立は、日本近代文学のありようを象徴していましょう。

    合評会ご出席ではないですが、当方が感じ入った論考に、野口存彌氏の特集で、氏が論じた森鴎外「大塩平八郎」について書かれた大和田茂氏のものにも感心しました。もとより、あの泰平の江戸後期に幕府に叛乱した奉行がいたことに驚き、そうした反逆者に鴎外が関心を抱き小説に書いたこと、それも例の大逆事件から四年後という時期に、です。野口氏の注目点にも個性がありますが、それを丁寧に分析紹介していく大和田氏の展開も、さすが初期社会主義文学研究会理事などの要職を経てこられただけあるなと感じました。
    また自由論考では、石井洋詩氏の連載、島尾敏雄論ですが、今回は特に注目されたところがあったようです(以下は、草原君と長電話しているときに、彼が指摘していたことです)。
    ご論に以下のような箇所があります。
〉補足すれば、入隊前に保田與重郎の著作に親しみ、日本浪漫派的な思想に近づいていたことは島尾自身が述べている。226p。(注)に、『島尾敏雄日記』からとあり、読んでいた保田の論考名が列記されている。
    戦後文学の劈頭となる作品を書いていった、あの島尾敏雄が、保田與重郎に惹かれていた?  特攻に行こうとしていた当時の立場が、そうさせたのか、興味ひかれるところです。


    その他、市原氏の『若菜集』論、近藤氏の宮澤賢治論、など、よく野口存彌氏の論稿を読み込み、読んでいてひっかかる所のない、教えられる論考でした。土倉氏の賢治「永訣の朝」をめぐる思い、のご文も、ご子息の夭折ということがあって、それと重なる思いを披瀝していく書き方で、一つの文芸表現の様式でもありましょう。
    祝詞の先生方のご文も、皆のそれぞれで、読者もいろいろな思いを抱懐されたことでしょう。
 

樹木希林が亡くなった

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2018年 9月16日(日)19時54分4秒
   樹木には一度会っている。縁あって出席した田中裕子、沢田研二の結婚式である。化粧室で偶然出会って、お声をかけてしまったのだ。あまりにも着物姿が素敵だったので。粋と渋さが全身から匂っていた。いわゆる結婚式式用の着物ではない。バックも手提げ。いかにも、彼女らしい装いであった。 樹木は美人ではない。はっきりいってフがつくひと。でも、その人間味がなんともいえない。
 杉村春子系列の演技派。区分けすれば、そうなるだろうが、杉村とはちがう。これは女優の脇役論になってきて、やっかいなことになる。杉村の主な仕事は舞台。樹木はテレビに映画。

 最後の名作である、「モリのいる場所」と「万引き家族」を観ていて良かった。熊谷守一のおかみさん役は何とも言えない味わいであった。「万引き家族」の老婆役はリアルでしたね。

 彼女の絵はかなりのものがありそうです。隠された才能。リアルな演技に瞬時弾ける狂気は何だったのか・・・合掌
 

合評会、懇親会にぜひ!

 投稿者:管理人 iPad 4151  投稿日:2018年 9月15日(土)23時10分2秒
編集済
     いよいよ明後日、合評会ですね。ご出席の方は、先だっての群系パーティーに続いての方が多く、同人としてますます交流を深め合えますね。ほんとうにこれらの方々はかなり以前からの付き合いの方もいて、人生上の同志ともいえます。(ご欠席の方は遠い所の方も多く、仕方ないですが)。
   文芸同人誌とはほんとよく言ったもので、同じ興味関心の人が集い、語り合うなんて、実に興味深く面白いものです。小説を論じ、評論作品を批評し合うなんて、他ではめったにないことでしょう。どうぞ、当日、遅れてでもぜひ、お出かけ下さい。(小生個人としては、文学だけでなく、思想や哲学、政治や社会などについて、突っ込んで話したくいつも思っています。最近は同人とこれらについて長電話したりしていますーこの時ケータイでは長電話不適、ですよね)。

                                   ○

    こういう会合があるたびに思うのは、雑誌から離れていった人たちのことです。いや、群系誌からだけでなく、芸術至上主義文芸学会の例会にもこの数年、姿を見せなくなった人がいて、消息もあまり聞かれません。身内のご不幸があったと連絡があったきりの方や、著作まで出したのにどういう心境からか文学の道を断ち切って、連絡しても音信・反応がない方もいます(全然挨拶もなかった)。あるいは、大学院まで出て、相応の研究者になっていたのに、やはり例会に出てこられない人も。皆、小生より数年若く、有能でした。去る者は日々に疎し、と言いますが、相応に愛着のあったかつての同人は名残惜しいものです。

   もう同人の多くは高齢者になってきました。こういう機会でないとこれから顔合わせすることもなくなってきましょう。現に、一部の執筆者は体調や健康上の理由からおいでになれないとのこと。電話してきた同人によると、最近は体力だけでなく気力も失せてきたとのことでした。でもそうであればなおさら、皆とあって刺激し合うのが大事ではないでしょうか。
  健康の秘訣は、食事や運動以上に、人とのコミュニケーション、です。小生が大病したのに、元気で見た目も若く(人の意見)、達者なのは、こういう同人誌があるからでしょうね。
   ぜひ、お出かけ下さい。待ってます。
 

合評会のご出欠、第二弾

 投稿者:管理人 iPad 4064  投稿日:2018年 9月15日(土)11時41分20秒
編集済
     9月17日(月曜・祝日)の合評会、ご出席の方は現在までにご連絡があったのは、以下の方です。

   名和哲夫、土倉ヒロ子、間島康子、近藤加津、相川良彦、小野友貴枝、坂井瑞穂、澤田繁晴、草原克芳、荻野央、永野悟、に加えて取井一氏、など。

   欠席通知のあった方(執筆者)
   野寄  勉、大堀敏靖、安宅夏夫、大和田茂、市原礼子、柿崎一、井上二葉、石井洋詩、富丘俊(小池金太郎)、の各氏

    まだ、ご連絡のない方もいらっしゃいます。

   ※  ところで、下のLTO、って投稿、何ですかねえ。
 

LTO

 投稿者:ADA  投稿日:2018年 9月14日(金)22時11分29秒
   

訂正

 投稿者:草原克芳  投稿日:2018年 9月14日(金)20時16分23秒
  >「文学界」誌に転載されたそうです

■これは未来形です。
編集部と作者への承諾の問い合わせです。
 

いい人材が離れるのは残念

 投稿者:管理人 iPad 3947  投稿日:2018年 9月14日(金)19時28分9秒
編集済
      あ、土屋慶君のような人が本誌から離れるのは残念ですね。土屋君にあるのは、文学への共感であり、しっかりした社会意識です。これは、いまの若い人に少ない意識だろうし、同世代の人でも所持しているのが少ないかと思えるからです。今のお仕事について、初めて具体的に知りましたが、ぜひ頑張って下さい。教育者云々の話がありましたが、予備校講師は教育者ではないと自他ともに認識しています。如何に目標校に合格するか、目的が明瞭であり、授業人気だけで評価されて、教育者の資質など問われません。授業人気で有頂天になっている嫌なヤツを何人も見ました。受験業界など、小生のように、腎不全で都立高校行けなかった人間が緊急避難で行っただけで、まともな教育者が務めるところではありません。
    また、ご文にもありましたが、文学か教育かの二者択一を迫られるものでもありません。やれる人はともに頑張ってきていますし、どっちかの道を選択した人も多いようです。

   しかし、土屋君も本誌と十年になるのですか。最近は投稿されないですが、あの頃は素晴らしい論稿を書かれていましたね。今も印象に残っているのは、23号の巻頭に掲出させていただいた、「批評について 語りえぬものについて―伊東祐吏「批評論事始」に触れて- 」というものです。トップにのせるには異論もありましたが、類い稀とぞんじて、小生の一存で掲出しました。
    最近は小誌の方向性に違和があるそうで、正直少し戸惑っています。文学の特集を積み重ねていくと、自ずから専門的になり、仰せのような自由なラフな感じが薄れてきているのかもしれません。
    でも、やはり小誌のような水準のある文芸誌にかかわり、合評会に出てこられると、それこそいろいろな意見・感想を言いあって、それこそ文学の醍醐味があると思いますよ(かつて、よくお出ででしたね)。
    どうぞ、これからも掲示板にご意見・感想をお願いしたく。(できれば、タイトルも添えて)。

  ※  あるいは、下の草原氏投稿の『カプリチオ』に関わるのもいいかもしれませんね。カプリチオ47号掲載「何ごとが照らすかを知らず」(玉置伸在)という創作が、「文学界」誌に転載されたそうです。
 

しっかし…。

 投稿者:草原克芳  投稿日:2018年 9月14日(金)11時32分44秒
編集済
  ■大坂なおみが「やまとなでしこ」の代表に思えてしまう時代って、
一体、どんな時代なんだろ。

         ~わざとボケてみました。



【カプリチオ掲示板】
https://6910.teacup.com/capricciolitera/bbs

>News
■カプリチオ47号掲載「何ごとが照らすかを知らず」
玉置伸在氏の作品、「文学界」転載!


 

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