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  1. パソコンクラッシュ(>_<)(6)
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「無垢」―「純潔」の「仮面」

 投稿者:管理人 デスクトップPC  投稿日:2020年 1月28日(火)20時44分25秒
    江藤淳の『小林秀雄』の最終ページには、次のような一節がある。

「小林秀雄が、モオツアルトという「無垢」―「純潔」の「仮面」に自己を一致させ切ったとき、彼の肉体は完全に消え、逆に「モオツアルト」は彼の魂をひたした清い海と空のようなものになった。二十年間、彼が希求しつづけて来たのは、要するに、かつて若年の彼が企てて果たさなかった南海の断崖から紺碧の海に跳ぶことだった、ということも出来るのである。…」

 「無垢」―「純潔」とある言葉に注目される。大部の『小林秀雄』に多用されるキーワードである。いかに、人生の初期からこの言葉から遠い小林であったか、江藤の解説からみてとっておきたい。


 小林秀雄と中原中也との関係は、いわば「父と子」の関係のようだった。むろん、「子」とは「純粋」で「無垢」「自然」で社会に責任を持たないことをいうのであり、逆に「父」とは、そうした「純粋」を社会における「責任」と「自負」との板ばさみの中に失ってきたものをいい、これは当時二十歳前にして父を失い、家族を養わなければならない小林の立場(のち長谷川泰子も養う)を表していた。例えば、その病状を気にかけていた富永太郎(夭折した詩人)は、「暗夜行路」の「父子の確執と和解」を、感激をもって受け入れたと手紙でいうが、小林には、その父子との「確執と和解」もなかった。

 その富永を介して知り合う中原に、小林は、旅費の借金を申し込まれる。自称ダダイストという〝粗野で文体を持たない志賀直哉〟に無心されても用立ててやったのは、それだけ惹かれるものも多少あったということだが、この出会い自体の衝撃は小林にとって大きなものだったようだ。富永が恥じらって隠そうとした「無垢」を中原は臆面も無く主張する。「外界は、女といえどもこの「無垢」を「よごし」て、彼に「悲しみ」をあたえる」。何の検証もなしに志賀直哉になれるのは、小林のような意識家にとって錯乱のようなものだった。


 中原中也という格別の個性はいまはおいて、江藤淳のいう小林秀雄とは、要するに次のようなものだ。

「彼は反逆すべき「父」が実在しないように、帰るべき「故郷」もまたない。彼は日本近代がつくり出
した抽象的な都会生活者の一典型である。…このことは看過しがたい原因である」-。

 そうした宿命の近代人・小林秀雄が「Xへの手紙」や「オフェーリア遺文」で逸失への疑似体験を試み、さらに「ランボー体験」にあたって自らの健康調節を果たすというのは、この国の近代の自我のドラマとして象徴的といえよう。特に戦後すぐに発表された「モオツアルト」、小林秀雄のモーツアルト体験が、「かつて若年の彼が企てて果たさなかった南海の断崖から紺碧の海に跳ぶことだった」と言表することが正しいのか、やはり、小林の文章から、またそのように書く江藤淳の内面から検証することは、いま大事なのかもしれぬ。

        ○

 冒頭引用に対して、富岡幸一郎氏は、「私はこれまで『小林秀雄』の最後が、小林の「モオツアルト」で閉じられている事実にあまり注意を払わなかった。江藤淳によって描かれた、モオツアルトと言う無垢の「『仮面』に自己を一致させ切った」小林像は鮮烈であり、動かしがたい終結部をかたちづくっていると思っていたからである」(「『歴史』のデーモン」-「群像日本の作家 江藤淳」1997年小学館刊)とあるのに、注目したい。富岡氏は続ける。
 「しかし、いまは「モオツアルト」で『小林秀雄』の筆がおろされていることにある不自然さを覚える。ここでは戦後を生きた小林秀雄というものが、江藤淳の批評の刃でばっさりと切り落とされてしまっている。そんな印象が否めないからである。」

 むろん、『小林秀雄』が、まだ20代の終わりに書かれた(1961年)という事実があろうが、その前、『作家は行動する』(1959年)を書き終えた江藤自身が、「私は小林秀雄氏に対して不公正な態度をとっていたのではないかという疑いにとりつかれた」と書いたのは有名な話だが(当時江藤の「転向」か、などといわれた)、富岡氏によると、次のような江藤淳の文章に徴すると両著の小林秀雄観にそれほどの懸隔があるとも見られない、という。引用するのは、小林秀雄没後一年を経ての感想、「絶対的少数派」と題された文章(「文学界」1984年四月号)。

〈年譜を一見すれば明らかなように、この結果小林氏は昭和二十年代を通して、ほとんど言葉を奪われていた。人は、この時期の小林氏が、戦後の世相と文学に背を向けて、悠々と美の世界に遊んでいたという。いかにもかつて「黙って…事変に処」した氏は、占領下の現実に対しても同様に「黙って」身を「処」し続けた。しかし、この最も辛い試練の十年間に、「美の世界に遊」んでいたということばほど、この時期の小林氏が言葉を奪われ、言葉から遠ざかるを得なかったという事実を、如実に物語るものはない〉――。

 のちに江藤淳は一連の占領研究から、戦後日本の言語空間にたいする批判・追及をおこなうのだが、そこには、「『黙って』身を『処』し続けた」小林秀雄の存在の陰画があるように思われてならない、と富岡氏は続ける。
 すなわち、江藤淳は、ある時期から戦後の小林秀雄が「黙っていた」、いや「黙っていたい事」だったことをあえて語りはじめているように思える。〝戦後〟という歴史の劇(ドラマ)の背後にあるデーモンが、江藤淳という戦後日本から出発し歩き続けてきた一人の批評家にそうすることを強いている、といってもよい。


 富岡氏は、江藤淳に小林秀雄の代弁者(戦後の)をみているようだが、ここでいう小林秀雄の「黙っていたい事」とは何であるのか、江藤淳自身の言葉から証し立て、その真実を明らかにしたいものだ。
 
 

群系HP更新!

 投稿者:管理人iPad 6280  投稿日:2020年 1月28日(火)16時44分44秒
編集済
   先にこの掲示板で挙げた、既刊号の在庫をホームページの方にもアップしました。特集と一緖のページサイトなので、見やすいと思います。
 ついでに、トップダウンメニューの「関係団体の会合記録」など、タイトル変更(前は「出版会の様子」)をし、見やすいよう、内容目次を掲出したりしました。前世紀の皆さんの写真もあり、動画もあります。どうぞお楽しみください。
  http://gunnkei2.sakura.ne.jp/index.html
 

ご著にまとめる、ということ

 投稿者:管理人iPad 6230  投稿日:2020年 1月27日(月)21時16分42秒
   たまたま喫茶店で新聞を読んでいて知ったのですが、小生の大学の先輩と後輩がそれぞれの分野で一級の仕事をされていて、この度ご著を出されたようです。先輩の方は中世文学専門で軍記物語(「平治物語」)の全注・全訳を講談社学術文庫から出されたました。逆に後輩のある私大の教官は、専門の昭和文学について新書を出されたようです(朝日新聞か何かの広告で見たのでした)。国立大学といっても、千葉大の国文科は新制大学ですから、戦前からの伝統があるわけでないのですが、私なんかも頑張らなければと思いました。
 いまも同人と電話で話し合ったのですが、「群系」も長いのですからそろそろ著作本を出していくべきだなあと考えています。先立つもの、つまり費用はそれなりにかかりますが、個人で出しても50~60万。それでもキツイならどうでしょう、5~6人の、あるいは10人くらいの論稿を集めて一書にするというのはいかがでしょうか。
 もう後がない、と言うわけではありませんが。令和になったいまの時期こそ、御自分の論考を本にすることを考えてみませんか? 10人で一緖のものなら、費用もそんなにかかりません。また。
 
 

今年は、座談会の企画もやりたい

 投稿者:管理人iPad 6150  投稿日:2020年 1月27日(月)02時40分0秒
編集済
   『人物研究』誌主宰の田中徳雄さんから昨夜、電話がありました。先にお手紙を出してはいたのですが、電話で直に来るとは。案外若々しい声で、そのうちお会いしましょう、となりました。長年の想いが実現です。

 作家の島田雅彦氏が、新作「空想居酒屋」を書き上げたそうです。頑張ったせいか腰痛が激化したそうです。皆がお大事に、と言っています。もちろんFacebookの友達承認の一人として、小生にもメールで送ってもらっているのです。でも、平成文学の先駆け、ポストモダンの作家の氏には近づきたいものです。次で見られます。
 https://www.facebook.com/masahiko.shimada/posts/2759976544087453

 先にこの板で披露した浦田憲治さんに会えるかも。ある人の紹介を受けましたのでした。その人も言うようにたいへん博覧、読書家の人のようです。新聞記者やりながら、よくあれだけ書き上げましたね。『未完の平成文学史』は今話題のようです。雑誌を送ってそのうち、同人とともに会いたいですね。
 

「群系」既刊号の在庫

 投稿者:管理人 デスクトップPC  投稿日:2020年 1月26日(日)18時34分55秒
編集済
    やっとやる気を出して、既刊号の在庫を調べてみました。
 総索引(執筆者別・項目別)作成へと進んでいきます。

    号     刊行年月      冊数
  創刊号  1988.07.     4
   2号 1989.08.     3
   3号 1990.10.    3
   4号 1991.11.       3
   5号  1992.11.     5
   6号 1993.11.     3
   7号 1994.08.     4
   8号  1995.08.     2
   9号 1996.08.    8
 10号  1997.10.   10
 11号  1998.09.    3
 12号  1999.11.    5
 13号  2000.12.    1
 14号  2001.10.    1
 15号  2002.10.    9
 16号  2003.10.    4
 17号  2004.10.    3
 18号  2005.12.    3
 19号  2006.12.    7
 20号  2007.12.    5
 21号  2008.07.    5
 22号  2008.12.    2
 23号  2009.07.    2
 24号  2009.12.    4
 25号  2010.07.    1
 26号  2010.12.    4
 27号  2011.07.    3
 28号  2011.12.    3
 29号  2012.07.    7
 30号  2012.12.    4
 31号  2013.07.    4
 32号  2013.12.    3
 33号  2014.07.    3
 34号  2015.04.    5
 35号  2015.11.    5
 36号  2016.05.    5
 37号  2016.10.    5
 38号  2017.05.    4
 39号  2017.12.    5
 40号  2018.05.    2
 41号  2018.12.    4
 42号  2019.06.    3
 43号  2019.12.    5
          合計       174

 5冊以上在庫のあるものはお分けすることが出来ます。
千円/1冊、でいかがでしょうか?メール連絡下さい。
 uf2gmpzkmt@i.softbank.jp (iPadメルアド)
 逆に1~2冊しかないものは、皆さんの方で余分がありましたらお分け願えますか。
これも千円/1冊でお願いしたく存じます。(編集部)

【参考】各号の特集
 http://gunnkei2.sakura.ne.jp/99_blank001.html
 

実年齢と主観年齢

 投稿者:管理人iPad 5900  投稿日:2020年 1月24日(金)16時00分33秒
編集済
   昨日一日雨で外出も出来ず、何か憂さが心中をめぐって、嫌な一日となった。一人でいると精神衛生上よくない。ところが今日は朝から起きてきちんと朝食を摂って病院に向かった。九段下でいつものように珈琲を飲んで。やはり透析室はいい。声をかけられ、技師さんや看護婦さんがよくしてくれる。そのせいか気合が入って四時間のベッドのうち三時間も本を読めた(さらにその後も送られてきた同人誌「陸」も読んだことだった。何度も言うが読書するのは小生だけで、隣りのおばさんはずっと寝ていた)。最後の回収も感じのいい女性が来てくれた(嬉しい。話をよく交わす)。
 今日は読書中心で、iPadはそんなに見なかったが、最初の二〇分ほど、老化や寿命について調べたことだった。そうしたら、実に我が意を得る研究成果というのが出ておった。体調や寿命は主観のありようで変わると言うことだった。つもり気の持ちようで実年齢より若く見えるし、実際寿命も延びるということであった。
 よく人によって年より老けて見える、逆に若く見えるというが、これは結構、気の持ちよう、つまり主観によるということだった。もう俺はダメだ、もう生きていけない、と思っている人はその通り早死にする。前にも紹介した東進のかつてのスター講師、金ピカ先生こと、佐藤忠志氏がその例だ。二、三十年前はそれこそみんな知っているスター講師で、教室に日本刀を持って来てそれを抜いて意気を見せたことだった。それが晩年はタバコと酒、不規則な生活で、仕事もダメ、生活保護の身になって(これは驚いた、かつて年収何千万と言われていたから)。そしておれはもうダメだ、死ぬ、と言っていたそうだが、その通り孤独死して、発見された。小生より二つも年下だった。
 逆に、「自分は元気、毎日散歩もするし、食事もしっかり摂っておる」ー。小誌にも例の連載をしていたある同人は、媒体こそは変えたがいつもの気合の入った論稿を書いている。九〇歳にしてますます意気軒高である。これも主観年齢は二〇歳は若いのだろう、だからまだまだこれからである。病は気から、というむかしからの格言が、現代の最先端の医学、老人学で実証された訳である。

 これに気を良くしたのは、その主観年齢(検索)が断然若いつもりでいる小職である。先日の誕生日を迎える以前は、ああもうこれでいい年なのか、と気落ちしていた感じだったが、いざよわいを迎えてみると、ああこれからは世間の常識を変えてやる、という意気込みになった。
 確かに前向きな小生でも体調が良くない、雨天で外出も出来ないのが続くと気が滅入るが、気分転換する機をつかむのである。テレビは進んでは見ない方だが、お笑い番組に気をそそられるほうで、まだまだ関心、興味はある方なのですね。最近はiPadで漫才をよく見ます。サンドイッチマンはほんとに面白いし、ナイツも好き。(「群系」の原稿も最後の入稿、気合を入れて透析中にもiPadで書きました)。
 読書や書くことを辞めたら一気に老けるように思います。同人の執筆年配者はその年に見えないですよね。

 ※ 主観年齢がたぶん若いのは郷ひろみと吉永小百合ですね。大晦日の紅白、郷ひろみだけ見ましたが、六〇代半ばと見えません。吉永小百合も、肌も綺麗で、年齢のイメージを変えた人ですね。そういえば陛下も二月二三日には還暦を迎えられるとか。幼い頃浩宮さまだった彼がもうそんな年? 六〇歳といっても、昔とだいぶイメージが変わりましたね。またそれ以上に、月日の経つ早さに驚くのは小職だけではないでしょう。
 

『未完の平成文学史』を読む

 投稿者:管理人iPad 5770  投稿日:2020年 1月23日(木)09時38分47秒
編集済
   今日は寒いですね、そして雨降りですね。明日だけ少し暖かくなって(最高気温13度)、来週は雪の日が続くようです(最高気温7度、最低気温0度)。
  https://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/13/4410.html
 今年は暖冬だそうですが、いままでが“暖冬”で、来週は例年並み、ということでしょうか。電気ストーブは点けっぱなしで、時折ガスストーブを点けないでは過ごせませんね。東京はまだまし、北陸や東北はたいへんでしょう(金沢の小林弘子さん、いかがお過ごし?)寒がりの小生は、寒地に住む人をすごいなと思っています。北海道、特に旭川市民を尊敬してます。

 さて、こういう時こそ読書ですね。次号特集の《平成文学》に資するべく、『未完の平成文学史』(浦田憲治著・平成27年刊)を読み直しています。著者は日経新聞の文芸部記者で、多くの文芸記事、作家へのインタビューを担当、新聞記者にしてはたいへん造詣も深く、文学・作家への愛情もあり、5年前の著作ですが、バブル前後に始まったこの〈平成〉という面妖?な時代と、昭和とは違う平成文学の態様をよくまとめています。確かに著者が言うように、《平成文学》をグランスしたものはこの時期はまだなくて(最近、出だしたが)、昭和文学についての著作の多さ、多様さに対照されます。
 昭和文学については、平野謙『昭和文学私論』、高見順の『昭和文学盛衰史』、野口冨士男『感触的昭和文壇史』、川西政明の『昭和文学史』(上中下)、さらに、『座談会昭和文学史』(井上ひさし・小森陽一編著 全六巻)と言うのもあって、さすが多難多様な昭和、ですね。それに比して昭和の半分、時期的にも終わったばかりの平成、そしてこの平成文学についての俯瞰はこれからで、まず作家・作品を確認して読んでいきましょう。そして私たちが過ごしてきたこの時代を振り返っていきましょう。

 この本の内容について、ネット・図書館検索してみましたが、出ない。はたと思いついたのは、小生自身が前に、その目次を紹介していたのではないか、ということで、掲示板の「検索」に《平成文学》を入れてみましたら出ました。これは36号特集〈同時代の文学〉の参考として供出したのでした。今回も《平成文学》特集なので、同じく資料として掲出です。(36号もいま見ると、案外充実していますねぇ)。
  https://8614.teacup.com/snagano/bbs/9147

 平成文学とは、象徴されるのはこの本の第一章と第十二章ですかね。その部分をここにコピペしておきますね。
  第一章 ポストモダンの幻影
             島田雅彦 日野啓三  高橋源一郎 池澤夏樹
  第十二章 新世代の女性作家たち
              綿矢りさ 金原ひとみ  青山七恵   島本理生  朝吹真理子 本谷有希子
              川上未映子 津村記久子  鹿島田真希  赤染晶子  山崎ナオコーラ


 あとそうそう、井口時男氏の『大洪水の後でー現代文学三十年』も必須の資料ですね(43号に見開きで目次があります)。
 これについての読書人紙の書評がありました。池田雄一氏のもので、スキャンしたのですが、パソコンに取り入れたものの、あまり鮮明でなく、この掲示板にアップしたかったのですがかないませんでした。1月18日号です。図書館等でお調べ下さい。
 

次号からの編集・発行について

 投稿者:管理人iPad 5670  投稿日:2020年 1月22日(水)09時39分13秒
編集済
   43号の反応、その反省からすれば、現在、文学を支えているものは大多数が中高年であり、若い人は全くと言っていいほどに文学、に関心がないようです。原作の小説すら読んでいないのだから、まして文芸批評、評論に関心をもちようがありません。
 当方はiPadの動画で、日本に来る外国人(の若者)がどうして日本に関心を持ったのかという質問に対して、日本文化、特にアニメ・マンガと応える人が圧倒的に多いのを改めて感じ入りました。京都や奈良などの日本の伝統文化よりも、寿司、アニメなのです。楽しい、娯楽の旅行にしかめつらしい目的など、若い人にはないでしょう。

 歴史はこの半世紀でまったく変わった。サヨクだとか、リベラルなどという政治傾向は、われわれの時代と違って、若い人にはとうに、いや初めから意識の中にないのです。(もう、島田雅彦の『優しいサヨクの嬉遊曲』1983年、でターンを切っていた)。
 われわれ世代が関心を持ち、むしろそれに取り組むことが世代の証だとしていたことは、半世紀後のいまの若者にはむしろウザいくらいのものなのです。戦争文学だとか、「戦後文学」などはいまやよほど何か個人的な経験がない限り、無関心なのです。

 政治潮流も、その意識も様変わりした。60年代の美濃部都政を支えた社共の勢力はもはや若者の誰も支持しない状況である(社民党は気息奄々、風前の灯火である。共産党も党派制によってのみ組織があるので、若者の支持者も繋がってきていない。民青などどうなっているのか)。
 むしろ桜井誠の演説に若者はやんやの拍手であり、桜チャンネルにあつまる保守・右翼も、その右派性・国粋主義に一片の疑いも挟まない(懐疑を持たない彼らは、ゆえに知識人ではなく、単なるアジテーターでしかない)。最近勢を出してきた彼らの共産党批判は、中国・北朝鮮の国柄が大きく影響していることでしょう。これらの国に好意を持つことはあり得ないですからね。

 もう、個人的には若い人に期待する気持ちはなくなった。文学といっても、相変わらず、芥川とか太宰とか、いわゆるその人生の軌跡に惹かれる相変わらずの有名作家中心なのでしょう。戦争文学や『近代文学」への関心は、知らないのだから、関心の持ちようがない。もう、これからは関心のある私たち世代だけでやっていくしかない(一時、俳句や短歌が年寄りの好事家に偏した趣味であったように。いまは変わってきているか)。

 だが、われわれはこうした状況にめげず、がんばっていきます。われわれしか、この世代しかやれないのだから、やれる人間が頑張るしかないでしょう。
 これからの編集・発行方針としては、まず本誌を拒否する人たちには送らない。ゆえに発行部数を50~100部ほど減らして、学生には送付しない。また研究者だった方でも、「老齢で読めません」とあった方々にも送らないようにします(当方は今まで、期待と善意で送っていたのですが、迷惑と思う人がいることを知りました。もう相手にしません)。

 ただ、21世紀の文学・批評を担うのはわれわれだという自恃と責任でこれからもやっていきます。当然、個人的に健康面、やる気も関係してきますが、しかし断言できますが一つのことをずっと追求していく人は健康で長生きです。自分の使命感がつよいからこそ、健康に人一倍自覚的なのです。(小生はもちろん喫煙しませんし、AGEを増やす焦げた肉食はなるべく避け、野菜と適切なサプリを服用しています。元気だからこそ、透析中にも、こうした文章を書けるのですー他の患者は皆寝ている)。

 ※ 群系同人は、実年齢より若いと思います。先日の新年会も、65歳を超えた“高齢者”ばかりでしたが、その意気軒昂はカラオケでの歌いぶりにも伺えました。同人は年寄りが老けていく要素を皆、排除していることになります。老けていく要素は、アタマを使わない、運動しない、一人孤独に閉じこもりがちである。その点同人は読書して、考えて論をまとめるし、資料探しに本屋街や図書館に通って足腰を鍛えるし、飲み会や合評会に行って、大いにコミュニケーションを図っている。
 同人誌がなければ(特に一人の場合には)単なる孤独老人になってしまうところでした。
 

ぜひ、いまこそ書き留めておきましょう

 投稿者:管理人iPad 5580  投稿日:2020年 1月20日(月)23時55分55秒
編集済
   当方は雑誌を発行している関係もあって、「群系」のこと、のみならず他の同人誌や芸至上の会のことなど、折りに応じてネットに上げています。ブログではないのに、個人的なこともアップしています。
 この正月来、年賀状もあったりして、久しぶりに電話したり、手紙やメールを送ったりしました。小生も今年からはいい年になったので、いろいろ自分のことや周りの人のことなど、書いていきたいと思います(プライバシーに配慮しながら)。

 むかし、父が65歳で亡くなる時、その危篤の床に、青春時代からの親友という小林さんという人が訪れてきました。二人の写真もあり、生前から父自身も親友だと話していました。学校が同じか職場が一緒だったのか、あるいは海軍時代の戦友だったのか(父は四国の松山飛行場に整備士としてお務めをしていたそうです)。でもどちらにしても、大阪などの関西在住の方が遠く埼玉県の草加の病院まで見舞いに来てくれたことは、今思うと凄いことで、自分にはそんな友がいるのかとも思ってしまいます。

 同人のどなたかが、群系パーティーの挨拶の中で、「いま現在シューカツの身になっています」と仰せでしたが、もちろん就職活動ではない方で、まだまだ見かけは若いようですが、意識にはそういうものがあったのですね。
 亡くなった同人の野口存彌さんは、ご自分が死ぬということを意識されず、まだまだ九〇でも百歳までも生きていくつもりだったそうです。それくらいやること(書くこと)がいっぱいだったようですね。死ぬことを意識していなかったから、そうした手記も遺言のようなものもなかったようです。それはそれでいいのですが、医者に行くことがほとんどなかったというのは残念でした。脳溢血なら防ぎようがいくらでもあったのに、と思います。

 同人誌『人物研究』誌が送られてきて、そこの執筆者の一人と長電話しました(予備校以来の友人で、東進でも一緒だった)。この雑誌の素晴らしさは、この板でも以前紹介したのですが、最近の号は以前より薄くなって、高齢の同人はこの数年に亡くなってしまったようです。惜しまれるのはこんなにいい内容なのに、読書人や図書新聞などでも紹介されないことです(送っていないのかな)。主幹の方も八〇歳代でパソコンやネットをやらない方のようで、当然ホームページもSNSも作っていません。さらに、せっかくのご論なのに、執筆者紹介が全くなく、どんな人かもわからない(さらに友人に聞くと、合評会もやったことがないとか)。
 当方は、余計なお世話と思いながら、この『人物研究』誌や長野県の『構想』誌など、既刊号の目次だけでも、小誌のホームページで紹介できないかな、と思ったりしています(もちろん実際にやるからには許可が必要ですが)。
 しかし、実弟もブログなどを書いて幼少からの思い出を綴っていますが、個人的なことでも以来半世紀以上、何か書き留めておきたいというのは人情ではないでしょうか。

 このところ、二、三の出版社に、自費出版の費用について問い合わせしたりしていますが、いいものはぜひ本にまとめるのが、後々のためにも大事かなと考えています。皆さんのご意見も。

  https://8614.teacup.com/snagano/bbs/5773

 
 

松島訪問 最新情報

 投稿者:坂井瑞穂  投稿日:2020年 1月20日(月)05時34分20秒
  太宰治の直筆などが掲載されていたので勘違いしたようです。しかしながら写真ではみなさまご満悦の様子、撮影は瑞厳寺の裏手の山あたりでしょうか。
私の辿ったルートです。
野蒜駅-松ヶ島橋-宮戸島大高山-旧野蒜駅、震災復興記念館-東名運河-富山観音-名籠天王崎-銭神-松島タワー跡地-五大堂前-松島トンネル-扇谷山-陸前浜田駅、電車で移動し塩竈港から桂島へとわたりました。

みなさまの写真の背景にうっすらと見えるのは宮戸島か浦戸諸島のどれかのようですね。








 

松島訪問

 投稿者:管理人iPad 5400  投稿日:2020年 1月18日(土)17時25分22秒
編集済
   坂井瑞穂さんは実に活動的ですね。国内外を問わずいろいろな所へ行かれていますね。かつその報告をこうした板に書いて報告されています。同人も当方もそれに誘われてぜひどこかに行きたいですね(いまは寒いのでー特に今日土曜はー、そのうち暖かくなったら)。

 松島での太宰治と一緒の写真とありましたが、それは太宰の弟子筋だった菊田義孝さんと同人のわれわれとの写真のことではないでしょうか。群系同人の安宅夏夫氏と小生(永野)が、東京・立川から仙台に引っ越されて、そのお宅を訪問、その翌日に近くの松島を訪れた時のものです。

 http://gunnkei.sakura.ne.jp/99_blank078.html
 

太宰治作品<惜別>と仙台、松島の記念写真について

 投稿者:坂井瑞穂  投稿日:2020年 1月18日(土)05時56分1秒
  一年前くらいの掲載記事に宮城県松島の風景をバックに群系同人のどなたかと太宰治氏が並んで記念撮影した古い写真がありました。そのときはあまり気にならなかったのですが一緒にうつっていたのはだれでしたっけ。太宰治が周樹人を小説にした<惜別>を出したのは昭和20-21年頃で永野編集長もまだ生まれていません。年上の重鎮たち、安宅氏、野口氏も少年だった時期ですからハズレです。
なんでこのような書き込みしたかというと、今私が宮城県松島に向かっているからで、自分自身何かを書きとめる目的はとくにありませんが、とにかく吹雪になろうがブリザードが吹きつけようが路面が結氷してアイスバーンになっていようがチャリンコで走りまわってこようと考えています。
<惜別>は詳しく読んではいません。魯迅が若い頃本邦に留学したことがあるのと、詩人蕗谷虹児と交流したなどことも書かれているかもしれないし、少し落ち着いたら読んでみるつもりです。
 

ケーシャツ官に一時停止させられた

 投稿者:管理人iPad 5270  投稿日:2020年 1月17日(金)09時21分38秒
編集済
   当方の日常生活には、このiPadとともに電動アシスト自転車が欠かせないのだが、昨日の夕方は取締りがあって、ケーシャツに一時停止をさせられた。前灯火をしていなかったことと、青にならないのに短い区間といえ、赤なのに渡ったということであった。ケーシャツ缶が「点灯して下さいね」のすぐ後に、「赤じゃないですか」と言うのを背後に聞いて、(スミマセン)の気持ちで通り過ぎて行ったのだが、路地に入ると、「ピピっー」といって、なんと二人の軽車つ缶が、当方を呼び止めたのであった。「一度スタンドを立てて、降りて下しゃい」とのことだったので、その通りにした。特に怒る気持ちもないし。当方そんなに悪くないのに、お勤めたいへんだね、の気持ちだった。無線で、自転車の登録番号を問い合わせている。ま、これが盗難車なら、得点もあろうが、名前通りの本人だったから、ガックリかな。「失礼しました。気をつけて運転して下さいね」ということでした。

 しかし小生はiPadとともにこの電動アシストのあるおかげで、視野が広まり、行動範囲が広まっている。昨日は長く借りていた本を隣りの区(江戸川区)の中央図書館に返却に行ったのだが、まずあらかじめiPadで休館じゃないことを確認、ただ返却するだけでなく、船堀駅でやるべきことも予定して行ったのであった。夕食なども取ったので遅くなったのであった。

 この江戸川区立の中央図書館はない本はない、というほど充実しているし、全集なども各巻の作品もザーッと書いてあってたいへんためになる。佐々木基一全集なども、各巻の作品が記録されてあって、閲覧者にはたいへん助かる(江東区立はろくでなく、蔵書も少ないし、作品名があるなどの便宜もない。それに加えて、江戸川区立に比べて、休館が多い)。
 https://www.library.city.edogawa.tokyo.jp/toshow/index.php

【追加】比較のため、江東区立図書館も掲出しました。(佐々木基一全集で検索、比較下さい)
 https://www.koto-lib.tokyo.jp/

 江東区が人口45万人くらいなのに対し、江戸川区は70万人近い。この数字は驚いたことに、千葉県船橋市を上回っているのだ。それにしては江戸川区は地味ですね。駅も新小岩と船堀くらいしか名のある駅はにゃい。それに比して船橋市は、駅も船橋、西船橋は乗降客数で、県下一位、二位だし、津田沼も駅半分は船橋市内だ。その他、デパートもあるし(江戸川区にはにゃい)、昔は船橋ヘルセンター、今はらら・ポートがある。そして何と言っても、ふなっしーが出たことで、知名度は全国区、である。

 当方、実は昔船橋市に住んでいたことがあって(海神町)、80年代から出来ていたらら・ポートには当時はミニ・バイクで出掛けたものであった。このバイクを駆って当時は房総台地のあちこちに行ったものであった(運転免許が、ミニバイク用といえど所持していたのだ)。後に東京に引っ越してからは(杉並区)、やたら一方通行があって、そのうち乗らなくなってしまった。
 そういえば、あの頃は透析導入前でしたね。小生にも日々を自由に動ける日々があったのでした。もうそういえば今年で37年になりますから、透析のなかった日々より透析をしている日々の方が長くなっています。
 実はこの書き込みも、やることがないそのベッド上で打っていました。
(「群系」〆切間際は、透析中に原稿を書いていました。このiPadで)。
 

駿台・東進のこと

 投稿者:管理人iPad 5180  投稿日:2020年 1月16日(木)11時16分23秒
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   年賀状、追加の分が同じ人から来ていた。駿台の同僚だったMからだったが、言い足りなかったこと、お礼と感慨、そして情報があった。小生のこと、「一病息災」を実践してきてエラいと言ってくれていた。そういえば、先の白鳥永興師以外にやはり同世代の荒井光三師も亡くなったとかいう。駿台ひな壇講師(専任)八人のうち、三人が不帰の人になったわけだ(九〇年代、講師がだいぶ増えて、非常勤数十人を前にして八人の専任は並んで毎学期前、報告・挨拶をしていた。ただ授業だけをする他の予備校とは違っていた。当方はそのひな壇を旧ソ連幹部会と思っていた)。今度亡くなった方もMと同じく東大卒で、駿台は学閥があった(いまは事実上なくなった)。
 予備校講師で、当方より若くして亡くなったのは、やっちゃん先生こと英語の佐藤忠志氏などいるが、就業期間中に自殺とか不審死などは多かった。予備校という不安定な職場のもたらすストレス・不安などもあったのだろう。しかし、この場を通過儀礼として過ごし、のちに高名な研究者・大学教官、ジャーナリスト、評論家・文化人になった人も多い。
 東進の、特に今世紀になってからの進撃はすごいものがあって、代ゼミから移籍(やっちゃん先生も)、駿台からも移籍者(同籍か)、何人かいたことでした。駿台のプライドよりカネですかね。
 しかし、前にも書いたように、新参の東進には、その経営に銀行・証券業界出のノウハウと先の見通しがありましたね。社長の永瀬は、塾から予備校界進出にあたっての講師を呼んだパーティーで(80年代末。京王プラザホテル)で、「私どもは三大予備校の一角を崩す自信があります。不安な方はどうぞ、駿台、代ゼミへ行って下さい」とぶったものでした。当方は東進草創から在籍していたのですが、やはり古いタイプ、駿台に受かったらそっちへ行ってしまいました。でも古文科ということで、古文しか教えられない。小生は現代文でトフルや東進で一定の人気を得たので、古文はそれに比べていまひとつでした。十年も持たずクビ、採点講師になってしまいました(年齢も関係か。有名講師も毎回開かれる採点会議に出ていましたから)。ま、不安定ですが、時給はいい。駿台だと一コマ(50分)で一万円ですから、午前中四コマ受け持つだけで四万円ですね。週に何コマ持てるかが勝負で、嫌なヤツは、コマ担当の教務幹部と仲良くなったりしていました。
 でも五〇才になって授業担当はなくなったので、再就職で高校講師に応募しました(教員免状はあったのですが、腎臓が悪かったので、正規教員にはなれなかったのでした)。そしてそれら高校の中で(『会報』にも書いたように)日本音楽高校があったのでした。彼女らとの付き合いは群系パーティーや音楽会への招待にもなって、一年ごと生徒交替の予備校とは違う、交流になりました。

 社会事件をきっかけに個人的なことを書きました。出来ればトフルアカデミーのことをもっと書きたかった。授業が生き生き展開できたところでした(いまは現存しないですが、OB・OG会が数年前から出来ているそうです)。またの機会に。

          ◯

 ところで小生以上に、自分語り(思い出語り)は弟(永野裕二・S30生)のブログですなあ。(つい先日の日曜日の新年会も編集同人に加わり、よく飲み喚き、歌っておった)。ブログは、ジオログからYahoo、そしてamebaと媒体が変わり、そのたびにお引っ越しが大変だったようだが、ヤツの“昭和の思い出”は安宅先生も激賞もの。まずは2006年の少年マンガの紹介から、ご覧あそばせ。

https://ameblo.jp/beautynagano/archive-200609.html

追加
https://ameblo.jp/beautynagano/entry-12545791100.html
 

坪内さんのご逝去について

 投稿者:名和哲夫  投稿日:2020年 1月15日(水)11時53分22秒
  この掲示板、永野さんの投稿で坪内祐三さんの逝去について知りました。新聞で見ると確かに若く61歳だったそうです。『本の雑誌』の「読書日記」毎回楽しみにしてました。読書量もすごく、また、間違ったこといい加減なことを書くと指摘を鋭くされる方のようでした。2月号でも書いているので突然だったのでしょうか。
自分はまだ今年に入って、7冊しか読んでません。トルコのノーベル賞作家、オルハン・パムクの小説を何冊か読みました。結構長いのですが、すごく面白いです。
予備校の先生の話は、数年前の早稲田の渡部直巳氏のことを思い出しました。
今年も精進して頑張っていきたいと思います。
 

東進人気講師が逮捕!

 投稿者:管理人iPad 5000  投稿日:2020年 1月14日(火)22時53分0秒
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   改めて、書き直しますね。
 夕方のネットニュースで二つの驚きがありました。一つは文芸評論家の坪内祐三の逝去、もう一つは東進ハイスクール講師の逮捕、ですね。坪内氏は独自の文学史観を貫いていて、若いのにこれからという時でした(それでも還暦にはなっていたようです)。「群系」43号で、名和哲夫氏がその名をあげていたのでしたが(27ページ)。
 もう一人の東進講師は、人気実力もピカイチの板野博行という人でした。直接の面識はないのですが、東進が売りに出して、しょっちゅうその名前と顔は表に出ていました。小生、板野氏の名前が印象的なのは、もう二〇年前ですか、古文単語の参考書を同時期に出したことですかね。小生のは老舗出版社の学燈社、彼は予備校自体から刊行のいわゆる東進ブックスでした。売れ行きはどっち?は言わずもがな、のちに倒産となった『國文学』を出していた出版社と、飛ぶ鳥を打つ勢いの予備校ですからね。
 たまたま先の投稿で、東進の話題にふれていただけに驚きましたが、でも、妻帯していたのに教え子との女性問題はやばいですねえ。せっかくの人気と地位。これでおじゃんではないですか。でも、女性問題は最近ニュースになりますね。例のTBS の記者が二十歳くらい年下の美人ジャーナリストに訴えられたのも記憶に新しいというか、強姦されたとかいう生々しい話題でしたね。

         ◯

 さて、講師逮捕を受けて東進がどう出るか、また業界に与える影響は? 意外とこの問題は、表面ではこの程度ですが、裏ではいろいろ言われることでしょう。まず日刊紙、そして週刊誌がどう扱うか、ですね。
 このたびの問題はあってはならない、そして暴露されてはならないネタでしょう。教え子と関係して、そのことを言われると孕んだ子を下ろせ、さもないとお前の動画をネットに晒すぞ、というのは悪質もいいところで、晒すのは本気でなかったにしろ、手術を強要としたのが事実なら女性一般の反撥は必至でしょうし、受験生ならびに受験生をもつ親に不信感を持たせたことでしょう。
 ただでさえ、受験業界、予備校などは、大学とは違ってその存在があまり信用が置かれてないところ。大学ならあまり名の知れてないところでも良しとされるが、予備校とそこのセンセはあまり信用がなかろう。特に東進ハイスクールのような成り上がりは。そこの講師は板野のように、京大卒のエリートもいるのに、正規の教育施設と受け取れていないからだ(「東進ドットコム」のサイトは今はクリックしても「ページが見つかりません」となって、早くもサイトが削除されていますね)。

 今回のように、堕胎を強要とはNHKの定時ニュースなどでは扱いにくいネタだ。ま、逆にそれだけ非倫理的な、生々しい事件だ、ということだろう。性に関することはもともとこの国では表ざたにならないものだ(逆に言えば、裏で処理され、噂話となる)。
 だが、最近はそうした風がすこし変容してきている。それは先にも書いたように、TBS記者のセックススキャナダルに見られたように、被害者がレイプされた、とか性行の被害、などの言表があった例もあることだが、社会的には、韓国の慰安婦被害の訴えが、その慰安婦像とともにあれだけマスコミで扱われ、拡散していたこともあろう。慰安婦像、なんて子供の前でどう言い訳するのか。

 だいたい性に関する問題は本来個人的な問題、秘事である。だが被害者の泣き寝入りはあってはならない、ということが、マスコミや警察などにも流布してきたことなのか。
 でも加害者とされる人間の、これへの対価はあまりに大きかろう。板野氏はこれからどうするのだろう。子供がいないという妻との関係は? ちょっとした判断の謝りが大きな代償をうんだ。

※ ちなみにこの投稿は東進への恨みからではなく、業界に関係した人間としての関心からです(東進はクビではなく、駿台へ移籍したからでした)。でも多くの予備校は若手を求めて行き、四〇~五〇代の頃の小生とその周辺の仲間は徐々に持ちコマが減っていきました(三〇代の時は東進やトフルアカデミーはコマをだいぶ持たされていました)。その分、旺文社や学燈社や桐原書店、赤本の教学社に原稿の仕事になっていきました。


 
 

診察結果は良し!

 投稿者:管理人iPad 5000  投稿日:2020年 1月14日(火)17時58分33秒
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   個人的なことですが、きょう女子医大心臓外科の診察に行ってきました。六年前に受けた心臓の弁移植のその後の経過観察をしているのですが、一週間前にやった心臓エコー検査の結果は「全く問題なし」ということでした。多少何か言われると思っていたのですが、「全く問題ない、いいですよ。また来年診ましょう」とまで専門医に言われると嬉しいというしかないですね。心臓の拍動を抑えるメインテートという薬は飲んでいて、その結果、血圧も120-70、脈も65くらいで、いいのでした。

 
 

風景が変わる、思い出が消えていく

 投稿者:管理人iPad 4780  投稿日:2020年 1月12日(日)12時07分44秒
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   今日はこれから新年会。場所は新宿西口ハルク前で待ち合わせだが、Google Earthで確認すると西口の昔からあったビルが壊されている様子が出てきた。何のビルがあったか思い出せない。正面の道路の左側なら安田生命ビルだったが。そういえば東口の紀伊國屋ビルの右も壊されて新しいビルが建つようだ。最近東京は新しいビルがどんどん建って行く。当方の地元、江東区大島もやたらとマンションが建っている。東大島~大島~西大島の靖国通り沿いで、数えたら十棟ほどは、under construction、だ。
 下町でさえそうだ。繁華街となると、しばらく行かないと風景が様変わりだ。渋谷なんか、めちゃくちゃな再開発だ(空中を走る地下鉄銀座線の景観が一変した)。まそれだけ経済が好調なのだろうけれど、これらは若者向き、だ。我ら団塊の世代前後の者にとっては昔馴染みの風景がなくなってきて、もう皆さんの時代は終わりですよ、と告げられている感じだ。
 当方は年配でも、通院の帰りなど、いつもと違うバスに乗ると都心のどこへでも行ける(無料パスがある)。いつもの九段下行きでなく、渋谷行きに乗ると四谷三丁目へも行ける。昨年秋頃だったか、終点までいってみた。それが先程の超高層の風景である。東急資本が渋谷駅を壊してそこにドデカイ超高層を建てた(よくテレビで屋上からの風景をやっていた)。少し前に、プラネタリウムのあったビルが壊され、渋谷ヒカリエというファッションビルに、今また東急プラザ(5階に大きな書店があった)が壊され、高層ビルが新築中だ。まだ東急デパート東横店や奥の本店が健在だからまだいいが、新宿でも、紀伊國屋や西口のヨドバシカメラが建て直しになったら、我々の青春は終わりだ。

 日本の青春の記憶は高度成長とともにあったが、今年2020年は第二の東京オリンピック。子供時代の時以上に、東京の風景は変わっていく。綺麗な建物、斬新なのだろうが、当方のように都市散策が好きな者でも何か食傷気味、だ。何か仏作って魂入れず、というか、この近代百五十年も終わって、文字通り異空間へ東京、日本は突入だ。快適な都市空間とメディアは言うだろうが、何かポッカリ大きな穴が待ち受けているような気がしてならない。
 我々は以前に“戦後派”世代と言われた。その後、大人にはもっとわからない、“戦無派”世代が続いたが、もはや“戦”の文字が入らない世代がこのところ(今世紀になって)続いているのだろう(テレビを見ても、ドラマも歌番組も、知らないニューフェイスばかりだ)。
 しかし、この数年に顕著な街の風景の変わりようの奥にあるもの、それは現在20~40代の世代にはわからない、“戦”の世代しか感じられない何かなのだろう。
 

いま四〇代の人の人生

 投稿者:管理人iPad 4650  投稿日:2020年 1月11日(土)08時36分23秒
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   最近のネットやテレビニュースで確認したことだが、就職氷河期世代の厳しさを改めて認識した。ネットニュースにあった今年41歳の男性は、いまだ派遣契約でなんと月収が15万円しかないという。これでは年収で200万に満たない。実家から通うなどしないでは、賃貸ではとても暮らせない。あるいは、テレビでは地方公務員になれたやはり40代の男性の話があった。兵庫県宝塚市はいわゆる新卒の新規採用ではなく、こうした氷河期世代を職員に募ったという(この手法もよし)。四人くらいの合格者が女性市長から採用の証書を下賜されるところが映っていたが、数百倍(細かくは忘れた)の倍率だったという。小さな郊外住宅都市でも安定がいかに嘱望されているかも表していよう。インタビューに応じたこの中年男性、ごく普通の感じのいい人なのに、今まで民間の採用試験四百社受けて全て落ちたという(四十社だったかな)。それにしても、凄まじい就職氷河期、である。
 また同様に、ある一流大学(慶応)を卒業した男は商社や銀行皆落ちて、いま塾の講師だという。予備校なら教室の生徒数が二百人くらいいてインカムも悪くないが、十数人の教室では収入もカツカツで安定しないどころか、潰れることもある。それでも子供が好き、教えるのが好きというならともかく、不本意で塾なら、中年にして人生不本意を感じていようか。

 このことで、いま思い出したが、当方が講師をやっていた東進スクール(のちに東進ハイスクール、さらに東進衛星スクールも作って全国展開)のことが最近載っていて注目すべき記事があった。小生の勤務は80年代(三十歳代)のことで、東進の草創期。講師室もなく輪転機が回る横の椅子で休憩を取っていた)。吉祥寺にあったその東進と、もう一つ北の方角、上石神井にあった石神井学院という小中高生相手の塾が当時の仕事先だった(その後、トフルアカデミーという上智慶応進学の予備校と駿台に受かってそっちに行くが)。
 注目すべき記事とは、東進躍進の秘密はそこの幹部が皆証券や銀行出身、それも東大などトップ大学出身だという記事だった。塾長(いまCEO)の永瀬昭幸も東大卒・野村証券出で、そも彼の兄弟も東大・国立大(鹿児島大)卒は当時から知っていたが、当時の教務部長大山広道氏(神戸大卒)の出世ぶりにも感心した。彼は模擬授業の小生を褒めて「私が見た中で一番良かったですよ」と言って採用してくれ、特進クラスというトップ教室をやらせていただいた。一族経営の中でそうでない氏が取り立てられ、記事の執行役員十人くらいの筆頭に掲げられ(専務だったか)、年収がなんと五千万円!とあった。先の石神井学院はとうにつぶれてしまっていたのに(教室に各数人しか生徒がいなかった。雇われ理事長もプライドだけ高く、生徒募集もこれという策もなかった)。
 http://www.mynewsjapan.com/reports/2411
 東進の以降の躍進はすごいもので、かつての三大予備校、駿台・河合・代ゼミの一角に食い込み、さらに少子化に対応しそのうち廃業?を前に宣言した代ゼミが最近目につかなくなり、そこに東進が入って、小学生相手の四谷大塚も傘下におさめ、駿台・河合をも凌ぐ勢いである。記事にもあったが、東進ハイスクールはそも教育産業ではない、証券(野村)、銀行(みずほ)出身者中心の、投資企業なのである。当然、ハイテクやネットを駆使した先取り経営で、今の21世紀型産業に成長したわけだ。

 それに対して、21世紀の会社社会に乗れなかった人たちのことをおもう。
 職業は人を作る、というが四〇にして不本意な生活では、落ち着かず、プライド毀損どころか中には犯罪にも走りかねない。このところの若者や壮年の凶悪犯罪は、一見成熟したように見えるこの国の反面を見せているのだろうか。昨年の京都アニメの放火容疑者は、あちこち転職し、確か勤めていたコンビニでも何かしでかしたのだった。それで「夢がアニメの原作者」ということだったのだろう。あまりにも幼稚で(人間が出来ていなくて)、あげく、ガソリンを撒いて京都アニメに復讐したということだろうが、そんなことをすればどういうことがおこるか想像力が欠如していたこと、それが大問題であった。
 人には自尊心というものがあろう。文学や芸術、秀でたスポーツなどないものには、職業が人をつくる(Job makes men)。二〇代ならともかく三〇代、そして四〇代になっても正規の会社員になれなかったら、プライド、生活の先行きを保てなくて、人格形成も難しくなる(これは、人間問題、社会問題だ)。多くのマスコミが、イランと米国の衝突や、ゴーン出国とその弁明をニュースにしているが、静かに、しかし確実に人や社会を蝕んできている、多くが生活の不安定だという現実、この職をめぐる問題もっと大きく記事をさけないのか。不正規雇用は、結婚可否の問題につながり、少子化の加速にしかならない。
 それにつけてもレバノンに出国、そして昨日の二時間半に及ぶ長口舌はカルロス・ゴーンという人間のいかに自分勝手、他を顧みない責任意識の欠如した利己主義者であるかを見せつけた。出国にかかった費用が15億円とあって、先の日本の若者の貧困とあわせて、開いた口がふさがらない。特別背任の罪の意識もないのだろう。会社のカネを自分の関係の架空名義に振り込み、それで特大のヨットを購入など、全く論外である。前にも書いたように、ヤツには解雇された社員と家族のことなんか、ぜんぜん関心がない、想像力が欠如である。こんなヤクザな者を経営トップに据えたのだから、累は関係者にも及ぶ。

 ただ、小生自身も正規雇用になったことがないのではある(腎臓病は採用禁忌。卒業当初の朝日新聞社採用の健康診断で蛋白尿と高血圧があるといわれてそれと知られた)。
 だが、当方は自分の人生に悔いはない。予備校で多くの友人に恵まれ、野口存彌先生・安宅夏夫先生を初め多くの人に出会えて、文芸誌をやってこられたのだから。予備校で現代文・古文を教えるという楽しさも味わえたのだから。透析もまた、いま若い技師・看護師さん、尊敬できる医師に出会えているのだから(むしろ通院も含めて、行くのがたのしい)。
 文学というものに携わる同志に心からの敬意とこれからよろしく、のエールを送ります(キザっ)。
 

「北方文学」創刊80号記念号

 投稿者:管理人iPad 4500  投稿日:2020年 1月 9日(木)14時14分11秒
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     昨年十月の〈全国同人雑誌会議〉で知り合い、「群系」43号にもご文をお寄せいただいた柴野毅実さんから、ご主宰の「北方文学」創刊80号記念号を送っていただきました(二冊)。340ページ以上にもなる量とともに、批評を中心としたその内容にも惹かれ、ご紹介が遅くなってしまいました。
 実に、今までに小生宅に送られて来ているいくつもの文芸同人誌の中でも、この「北方文芸」誌はピカイチといってもいいもので、冒頭の二つの追悼特集をはじめいくつかの批評・エッセイは、小誌「群系」にも通ずるものもあり、いろいろ目配りさせていただいていました。ネットのブログにも詳しくありますが、とりあえず80号記念号の目次を紹介しておきますね。


『北方文芸』第80号目次

【追悼・さとうのぶひと】さとうのぶひと/略年譜/掲載作品一覧/榎本宗俊/松井郁子/
    霜垣和雄/井口梵森/成田憲一/清水 実/椛澤友重

【追悼・長谷川龍生】長谷川龍生/木下 晋/館 路子/柴野毅実

ジェフリー・アングルス*漢字の住民

館 路子*鉦叩きが、仄暗い火を鑽る

魚家明子*靴

米山敏保*落蝉

霜田文子*不死の庭―ボマルツォの「聖なる森」―

鎌田陵人*夏目漱石『行人』試論、あるいは意識の単数性について

坪井裕俊*米山敏保論(2)─地方主義の止揚をめぐって─

榎本宗俊*養生について

柴野毅実*ヘンリー・ジエイムズの知ったこと(三)

永野 悟*批評系文芸誌「群系」について

鈴木良一*新潟県戦後五十年詩史―隣人としての詩人たち(14)

徳間信佳訳・解題*農民工二題 彼らはいかにして形象化されたか

福原国郎*親族会決議

板坂 剛*幕末の月光

新村苑子*別れ

魚家明子*赤毛の神様

柳沢さうび*沃野

ブログのURL
https://blog.goo.ne.jp/genbunsya/e/89105115fe2854e0be1a6a73e4331db5

以下は、玄文社主人・柴野毅実氏の編集後記です。
https://blog.goo.ne.jp/genbunsya/e/b166e12f1d6a4299085cba44a04a4399


   期せずして、漱石作品論は、小誌「群系」43号にもあり、同じ「行人」を取り上げた論考でありました。ジェフリー・アングルス(検索)という米国の日本文学研究者の詩もありました。
   また、詩人には疎い小生でも、長谷川龍生という現代詩壇の一翼を担った人物の追悼特集には目を向けさせていただいたことだった。91歳だったそうですが、東日本大震災を契機に書かれた大傑作「鹿、約百頭の」と、それについての柴野氏の批評解説もなるほどと思いました。
 柴野氏の読書量は、小誌「群系」43号のご文にも伺われますが、連載も三回目となるヘンリー・ジエイムズ論稿もさることながら、ネットのブログ右横にある、『パルムの僧院』論(1)~(3)も面白かったです。スタンダールは大岡昇平も敬愛していた写実小説の代表ですが、なるほどと思いました。
 巻末の掲載者のご住所を見ると、主幹の柴野さんの柏崎市をはじめ、新潟県内の方々が多い。それで『北方文芸』なのでしょうが、もっともっと中央文壇、全国に知れるといいと思いました(ご住所以外に、簡単なプロフィルがあるといいなと思いました。一部の方はネットの検索でも出てきますが)。
 柴野毅実さん、3月1日の小誌「群系」の合評会にもお出でのご予定とのこと、ぜひ率直なご意見を伺いたいと思います。
 

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