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  1. パソコンクラッシュ(>_<)(6)
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有名人の訃報に思うこと

 投稿者:坂井瑞穂  投稿日:2019年 1月15日(火)21時55分7秒
  梅原猛の名を知ったのは中学生ぐらいだったと思う。ノストラダムス予言がブームで五島勉、川尻徹、加治木義博を読みあさり、誰が本当を言っているのか自分で調べるべく梅原の<隠された十字架-法隆寺論>に行き当たり強烈な思想にうちひしがれてしまったのをいまでも忘れない。
その梅原猛が亡くなったのは何故1月12日のこと、すこしは追悼記事もあろうかと思ったがあまり大きくは報道されることもない。梅原の世間評はどうだろう、風変わりな学者、くらいに認識されているのだろうか。それにしても人気俳優、市原悦子死去の大ニュースに全く沈められてしまっている。このようなケースは以前にもあった。
1992年5月28日、この日は元阪神球団の選手、監督として活躍した藤村登美男の亡くなった日で特にスポーツ新聞はかなり大きく取りあげていた。そしてその新聞の三面に小さく船田和英死去が報じられていたのでいる。
この扱いの差はなんやねん、私は不満に思った。藤村が長嶋茂雄に並ぶ大スターなのは知っている。しかし私は藤村の現役時代を見ていない。リアルで活躍を見たのは船田のほうである。78年のヤクルトは船田の活躍なしにはあり得なかった、解説者も伊勢孝夫が大明神なら船田は大権現ですよ、そう言って褒めちぎってはいなかったか。
そして1999年6月24日、元巨人軍の別所毅彦が逝った日、大きく報じた三面にはひっそりと村下孝蔵の訃報を伝えていた。<初恋>の大ヒットからはや16年、コアなファンには相変わらずの人気はあったがあまりに寂しい最期だった。学生フォークの草分ともいわれた村下孝蔵も既に時代遅れとみられていたのかも知れない。
 
 

ラブストリーをかきたいなー 「 社協を問う」の出版を終えて

 投稿者:小野友貴枝  投稿日:2019年 1月15日(火)14時48分55秒
  小野さんの得意とするラブストリーが書けなくなったでしょう」と仲間に言われた。本当に、書けない、もし書いたとしても、私のレベルのものでは誰も読んでくれないでしょう。
 一昨年、ベッキーとゲス川谷の週刊誌暴露による陳謝事件から発して、昨年は、男性の大スター、タレントの不倫騒動が当たり年になった。はじめは何でこんな個人の秘密を大業にとり立たされるのかと不信感を持ったが、とんでもないマスコミから、一挙に国民まで参加して、「不道徳」だと騒ぎ立てられてはたまらない。
 しかし、その中で、小泉今日子が自らの不倫を堂々と告発し、休業を宣言した。普通でいけば、日陰の身で、自分の愛を貫くのだろうが、妻と別居している男性と恋愛し、「同居してこが悪い」と彼女は居直った。ここまで来ると、後は妻から夫への「不貞行為」の告訴によって裁判になるのだろうか。金銭で解決するのか、調停離婚に持ち込むのかわからない。
 確かに一夫一婦制という制度はあるが、でも既婚者同士、いうなれば不倫(?)小説は、一つのジャンルで、アンナカレーニア、日本なら「或る女」など素晴らしい文学はある。丸谷荘一氏は、日本の恋愛小説は、欧州から比べてズッと遅れていると言った。そのことは、日本における恋愛小説は、最近まで、玄人の女を愛するものが多く、素人、既婚女性が主人公になる小説は少なかった、と。さらに、女性作家の作品では全くというほどなかった。
 私たちが夢中で読んだのは、昭和40年代、「瀬戸内晴美」氏の小説ぐらいだろう。私小説である「夏の終わり」では衝撃を受けた。しかし、今考えれば、あの小説は愛を追及しているかどうか、わからない、男に妥協した不確かな愛である。
 日本の結婚制度は、愛を語るよりも子供、家族、仕事、そして財産などという幾重にも捲かれた価値観があるので、伴侶でない人との愛を得ても、解決策がない。(創作の中でも同じ、女性にペナルティを与えて読者に媚びてしまう)その点、欧米の婚姻のありようは愛が中核にあるので、愛を喪失した結婚生活は当然破局を迎え、離婚という手段を取り、再婚という再出発ができる。
 しかし、人間どんな場合でも人を愛することは自由で、大衆の掟であってはならない。倫理感で文学を縛ってしまえば、文学は先細りになってしまう。故に日本のラブストリーは、文学として、成り立たなく、共感も得られない。
 より最近のこととして、平野啓一郎の「マチネの終わりに」2016年(毎日新聞社)が恋愛小説として絶賛されているが、私は、別の所感を持っている。最後の章で、裏切られたと言いたい。愛を高めながら二人は生きてきたのに、なぜ、まったく最終になって、偶然性という、人間性とは違ったファクターで別の女性(秘書?)と結婚させてしまうのか、と、反論したい。これは読者への造反であると、言いたい。若い優れた作家が、世俗的な恋愛など書いてどうするのよと嘆きたい。通俗恋愛小説の方が本は売れるというのか、詰まらない妥協だ。だから、深い人間性を追求した恋愛小説は少ないのだ。
 ラブストリーが人間性の本質論に触れられないとしたら、欧米のような成熟期を迎えるにはまだまだ遠いという現実を突きつけられた「マチネの終わりに」である。
 その点、ラブストリーではないが、フランスのエマニュエル・マクロン現仏大統領は高校時代の既婚の先生を好きになって、その愛を20年間貫き、女性が離婚するまで待って結婚したという。そして、妻、ブリジット・マクロンの言った言葉こそ、愛の真価を問うフランスである、と心から、羨望する。
 「人生においては重大な選択をする瞬間があって、私は再婚を選んだ。24歳の差なんて、何でもない」という言葉こそ愛のストリーである。
 現実にこのような素晴らしい愛があるのだから、私も勇気をもって愛の真価を問う、ラブストリーを書いて残したい、と思うこの頃である。遡れば、私の処女作でもある「那珂川募情」(2006年/叢文社)は、著者が未熟であったために、最終場面で、最愛の男を病死させてしまう、という結末。これは妥協の産物である。もう二度とその手順は踏まない、果敢に生きる、大人のラブストリーにしたいと思っている。

http://blog.livedoor.jp/hbk3253/archives/cat_10041481.html

 

死者が増えてゆく

 投稿者:荻野央  投稿日:2019年 1月15日(火)13時28分52秒
  最近のことでは樹木希林さん、そして市原悦子さんの死。樹木希林さんは全身癌を何年も前に公表されていたのでいつかあるであろう死を思ったものだが、市原さんの場合は「日本昔話」の語りで、私の若い頃の無聊を慰める声の持ち主だったからショックだった。それだけ身近な存在だったのだろう。お二人の晩年の活動と発言を知ると、もはや生と死の一線など気にしない生き方をナチュラルに体得されている印象が強い。若い世代には(たいていは)不可能なことだが、私のような宙ぶらりんの世代には、まだまだまごついてしまう生き方になるか、と思われる。
それはそれとして、ここ何年、周囲に死者が増えてきた。スクリーンの、テレビの中で生きていた役者の死も同じだ。実際に交誼関係にあった人々(たいていは会社関係の人)が送られてくる社報の訃報記事で知るのだが、芸能界の訃報もそうした感を強くする。つまり自分自身も死の箱に、いつ何時分からないが入る、という予感が年々強くなっていくということになる。となればボヤボヤしていられない。やるべきことはどんどん、アタマが明晰なうちに片づけておこうという心境。これ、新年の文学の抱負ということになるのかナ・・・・・・。
 

市原悦子が亡くなった

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2019年 1月13日(日)21時22分29秒
   市原悦子82歳。憧れの女優であった。俳優座出身の女優では一番のひと。何と言っても「セチュアンの善人」の市原悦子が最高だった。その後、色々な女優の同劇を見たが、彼女に優る女優はいなかった。
 「ハムレット」におけるオフェリアもそう。「ハムレット」の舞台は幾つも観たが、市原が一番適役であった。市原は声が素晴らしい。容姿からいえばオフェリアはそぐわないと思うひともあろうが、彼女は声そのものでオフェリアになっていた。
 彼女に憧れて、舞台女優をめざした。
 色々あって、それはかなわなかった。市原さん、貴女の演技は素晴らしかった。
 ありがとう。ご冥福をお祈りいたします。
 

足摺岬は田宮虎彦の名作、では室戸岬は!!

 投稿者:坂井瑞穂  投稿日:2019年 1月13日(日)19時00分55秒
  田宮虎彦は田宮両親とも高知出身なので自身は東京生まれでも高知を故郷と意識していたらしいです。現在高知の地元では安岡章太郎とともに郷土の作家としてあらたに見直そうという動きもあるようで、当地でもらった簡単な冊子には田宮を私小説家として捉えている記述があります。そうなると<落城>のような歴史小説はべつにして、<足摺岬>は私小説の範疇でいいんじゃないかと考えられます。田宮の作品に共通して見られる弱者への共感、そして滅び行くものへの哀惜感さらには作者の本質として自死願望が浮き彫りになっている点、代表作品ともいえる<足摺岬>作中で見事主人公に自死を思いとどまらせた田宮本人が、快復の見込がない病気とはいえ人生の終末に自死で決着をつけるとはやはりショックでした。この作家もかつて小説のなかに織り込んだ理想に、自身はついぞ到達できなかった証拠を残すこととなり、作家としての評価も著しく減点せざるをえなくなりました。
というわけで足摺岬には有名なこの作品があることだし、と室戸岬へと私は向かったわけですがこちらには弘法大師空海の伝説がありはしたものの著名な文学作品とかは縁がないようです。あと高知では氷室冴子の<海が聞こえる>など結構人気がありますがこちらはジャンルとしてライトノベルですから群系サークルでは物足りなく思われるかもしれません。
年末年始の10日間、私はずっと山や野原をケダモノのように(小平ナオちゃんとか)這いずりまわっていたわけではなく、たまには文学研究も少しはやります。
 

41号合評会と、次号42号のこと

 投稿者:管理人 iPad 7042  投稿日:2019年 1月12日(土)20時29分50秒
編集済
    あ、お書き込み、ありがとうございます。

  41号のご感想など、年賀状など他、あり、中には個別的に詳しく書いてくれているのもありました。
(合評会の折りなどにまた)。
   なお、賀状などの返信は小生の事情でどなたにも出しておりません(スミマセン)。ただ、一月一日発信の「群系会報」をお送りしています(郵送の方には少し遅れて着いたと思いますが)。
   でもつい昨日、執筆者の方から、「会報来ないので、今年は出なかったと思っていました。でも先日のこの板で、坂井さんが会報、受け取ったと書かれていましたので、私にもぜひ、送ってください」とメールがありました。
   これは失礼、常連の執筆者さまにこちらの手落ちをお詫びし、直ちにお送りさせていただきました。
   どうぞ、「会報」は16ページの冊子ですので(A4の袋綴じ)、ご希望の方は連絡ください。wordのメール添付ですぐお送りします。

    三月三日の群系41号合評会、ぜひどなたでおいでください(会場・時間などは、編集後記にあります)。出席の方のを皆で話し合いますので、十日くらい前に、出欠を執筆者の方にはお出しします。よろしく。(非執筆の方も歓迎。無料。ご出席の場合出来たら当方にメールなどいただくといいです)。メルアドは、一番下参照。

   次号42号は四月末原稿締め切り、六月発行予定です。第一特集は《終戦・戦後の文学》(仮題)、です。このところ、『戦後文学を読む』(講談社文芸文庫)を紹介しているのはもちろんそのためです。いわゆる第一次・ニ次戦後派だけでなく、広く昭和二〇年代(中には三〇年代)の作家・批評家などを扱いたいと思います。このなかには、先日ご提起の田宮虎彦、獅子文六などあると、広がりがあっていいですね。
  また《終戦ー》とあるのは、あの8月15日のことを書いた文章があれば、ぜひご披露いただきたく、このことは近くまた、参考資料をアップの予定です。
※  集英社版『戦争×文学』の第九巻に「さまざまな8・15」というのがあります。
     https://www.shueisha.co.jp/war-lite/list/index.html

   なお最後になりましたが、執筆者の方からの掲載料振込がだいたい済んで(購読会員もいつもの八割方)、来週には74万円の請求のうち、60万円を振り込む予定です。でもなかなか黒字になるのが大変です。二千円の会費をいただいた方には、41号と会報をお送りしていますので、これからでも、どうぞご連絡下さい。
          群系編集部   永野悟他    メールアドレス  uf2gmpzkmt@i.softbank.jp
  ※ 会報未着の方は、上のメールアドレスにお申し込み下さい。

  ※ あ、月曜日また休みですね。郵便局やっていない。振込みもできない。
    https://6910.teacup.com/capricciolitera/bbs
 

坂井瑞穂さんへ

 投稿者:荻野央  投稿日:2019年 1月12日(土)15時36分46秒
編集済
  年末にお送りした数冊の文芸誌のお礼をいただいたのに返礼が遅れてしまいました。坂井さんは詩人「でも」おられるので、私の個人詩誌について素敵な印象を語っていただき、嬉しいものでした。個人誌は経験としてもう30年以上になりますが、今は無い「詩学」、大阪文学学校の「樹林」に何度か取り上げられて「ささやかに興奮」したのを思い出します。いい思い出です。「波蝕」は創刊して十年になりますが、この十年のうちにわたしの詩は大きく変化していったようです。それは所属していた(もう退会してしまいましたが)、土倉さんが健筆をふるっている詩誌「木偶」での合評会経験が大きくものを言っているのではないか。
詩の合評は小説と少し異なり、作品の世界を自分の感受性のうちに咀嚼して、すなわち得られたイメージを語るという、ちょっと空想と現実の二つの言葉を駆使しなくてはなりませんから、その意味大変。つまり自分の詩が他者にイメージを与えることができたかどうかということに尽きるように思えます。韻文の世界はとにかく比喩になるわけで(散文詩であっても)、作品から自分は何を与えられ、自分は作品に何を与えることができたかどうか。そうなっていくと、小説批評よりは、どちらかと言うと思想的な面がかなり濃くなるように感じられ、それまで一人合点の位置から追い出されてしまった経験が私の詩を変化させました。
”ロマンティシズム”。私の詩は坂井さんにそれを与えられたということになりますね。となると次は坂井さんが私の詩に何を与えてくれるのだろう、と予想して楽しくなりました。
「群系」最新号の坂井さんの詩は、内容の理解は別にして(なかなかムズカシイ!)、”異国の風”が吹いているなというイメージを得ました。でもこれでは感想になりません。もっと坂井さんの詩を読まなくてはなりません。また別の詩を期待しています。

Ps.「先生」はやめましょうね…。
 

獅子文六は面白いかもしれない

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2019年 1月11日(金)18時08分51秒
   坂井さんが挙げてくださったので、獅子文六の「自由学校」を思いだした。多分、松竹で映画化されたものをテレビで観たのだろう。淡島千景の活発なお嬢さんぶりが印象に残っている。
 今、また、獅子文六が注目されているらしい。
 人気作家になってしまうと、研究の対象からは外されてしまう。改めて作品を読むことの必要を感じている。2017年に放映されたテレビドラマ「悦ちゃん」は傑作であった。ユーモアあふれ、会話はしゃれていて、テンポよく、なかなか出ない傑作だったとおもう。獅子文六は経歴も面白い。書いてみたいけど、体力的に無理かと思う。くやしい。
 

いわさきちひろの世界

 投稿者:管理人 iPad 6879  投稿日:2019年 1月11日(金)10時53分7秒
編集済
    いい映画を見つけました。映画というより、いい絵本ですね。
いわさきちひろの絵は、女子医大のB1 レントゲン待合にあって、時折見ていました。

映画『いわさきちひろ ~27歳の旅立ち~』予告
  https://m.youtube.com/watch?v=VJX0BwxaCjY

  ちひろ美術館
https://chihiro.jp/tokyo/

追記
   松本善明、まだ生きてたんだ!  (まじめな人だった)
 

〈戦後文学〉派とはされないが、注目の作家たち

 投稿者:管理人 iPad 6688  投稿日:2019年 1月10日(木)15時56分45秒
編集済
    「戦後の文学についての雑感」、拝見しました。実に新鮮な内容で、坂井さんの読書ぶり、広範囲に渡る教養に感心しました。田宮虎彦、水上勉、松本清張、獅子文六など、いいですね。

〉いま挙げた作家は群系ではほとんど登場していないのである。私は研究者でもなく専門家でもないから戦後文学とは何か説明もできないが、どなたか解説していただければと感じている。

   小生で、ご満足いただけるか多少不安ですが、その通り、「群系」誌では扱われてこなかった作家たちですね。
   しかし、田宮虎彦は心引かれた作家で、映画「足摺岬」は、池袋文芸座で観て以来何度かビデオなどでみていました。貧乏学生の主人公。下宿先には女とその弟が住んでいた。だが左翼運動で逮捕、仕事も得られず、貧しさと先行きの見通せなさについに自殺行に行きます。その際、故郷に戻った下宿の女がいる足摺岬に行くのでした。映画は、原作の「足摺岬」の他、「絵本」などを素材にしていますが、隣の部屋で結核などを病んでいる少年がいるのは「絵本」からでしょう。主人公に木村功、女に津島恵子、その弟の少年に砂川啓介を配し、暗い画面が続きますが、生きることの切実な人物が描かれて好きな映画になっていました。木村功は「真空地帯」にも出ていましたが、林芙美子「浮雲」のテレビ版の夫ははまり役でした(妻役は佐藤オリエ)。
   実際言われて初めて思ったのですが、田宮虎彦はどんな文学史的な位置付けなのでしょうか。いわゆるプロレタリア作家とも言われないし、「足摺岬」は戦後の作品と言われても、やはりそういう位置付けはあまり聞きません。こういう点では梶井基次郎、中島敦などと同様で、いわゆる近代文学研究者はどう受容、研究しているのでしょうか。

    水上勉が宇野浩二の影響を受けていたというのも興味ふかいですが、松本清張もあわせて、この昭和戦後文学に注目された文豪は、いわゆる純文学とも大衆文学とも違い、仕方ないので、推理作家(松本)程度に済ませている感じです。
    獅子文六は、中村武志(サラリーマン目白三平シリーズ)、源氏鶏太(三等重役シリーズ)などと並んで、中間小説と呼ばれたようです(純文学と大衆小説のあいだ)。戦後社会が成熟して、いわゆる中間層を描いたからでしょうか。
   「群系」誌は創立同人の嗜好?で、いわゆる純文学作家を扱ってきたようですが、そも〈純文学〉とはなにかになると、横光利一以来の議論になりますが、明治大正文学と変わって、昭和になると、新聞雑誌などマスコミが発展・巨大化して、横光はじめモダニストたちは、背後の読者をいかに取り込むか、と思案していたようです。

   ちなみに獅子文六は、戦時中、岩田豊雄名義で、「海軍」を書いてヒットしました。かつての戦争文学研究会で扱ったこともありますが、戦後、戦争責任追及で批判されました(戦中のことはおいて、ホーム小説を書くようになった、等)。「陸軍」を書いた火野葦平は自殺しましたが、対照されるようです。
  http://gunnkei.sakura.ne.jp/99_blank061.html

   どうぞどなたでもお書き込みください。
 

戦後の文学について雑感

 投稿者:坂井瑞穂  投稿日:2019年 1月10日(木)06時29分20秒
  昨日は2週間ぶりに東京に戻った。
戦後文学と聞いて真っ先に思い浮かべるのは田宮虎彦だ。代表作の足摺岬はストーリこそ戦前だが戦後に発表されブームになったのは戦後である。映画化され清水均や谷沢永一が評論をしている。
宇野浩二は戦前の作家だろうが彼に影響されたという水上勉は活躍期にはいったのは戦後からである。もうひとり外せないのは松本清張だろう。昭和32年に発表された点と線は社会現象にもなっている。それまで推理小説分野で本流とされていた江戸川乱歩(平井太郎)や横溝正史が霞むほどだったらしい。
個人的に好きなのは獅子文六(岩田豊雄)である。昭和49年にNHK少年ドラマで放送された悦ちゃんは原作が戦前だったがまったく違和感なくまとまっていたし、こうしたものを不朽の名作というのかと思った。獅子文六の代表作に箱根山がある。こちらは高度経済成長社会を背景にした企業の姿をパロディーにするなどバリバリの戦後文学だと思うが実際はどうなのだろうか。
というのもいま挙げた作家は群系ではほとんど登場していないのである。私は研究者でもなく専門家でもないから戦後文学とは何か説明もできないが、どなたか解説していただければと感じている。
それから群系会報が来ていました。永野会長、ありがとうございます。これから久々の仕事です。世田谷に行くところです。サボりまくっていたので仕事量が山ほどたまっています。





 

「今、再び戦後文学を!」

 投稿者:管理人 iPad 6688  投稿日:2019年 1月 9日(水)20時15分21秒
編集済
     タイトルは、序章の対談での切り出しに、編集部(「群像」)が口に出していた言葉。〈戦後文学〉についてお二方に語っていただきたい、ということだが、今回紹介するのは、次の二つの章。

    序章   なぜ今「戦後文学」か          対談   高橋源一郎× 奥泉光         9~45p
    終章   「戦後文学」と現在             対談    島田雅彦  ×  奥泉光     395~427p

   序章の冒頭、「群像」編集部は、多くの人が漱石や太宰などの近代文学は読んでいる。しかしその後は村上春樹のくらいまでとんで、そのあいだはすっぽり抜けているという印象。「戦後文学」の意義はどういうところにあるか、問いかける。
   それに対して高橋源一郎は意外だ、自分は作家になる前に、戦後作家を全部一生懸命に読んだ(それだけおもしろい)、むろん漱石などは十代の時に親しんでいたが、近代文学一般や八〇年代以降の文学は勉強のために読んだという感じだった。それを受けて、奥泉光も、大江健三郎や倉橋由美子にのめっていた。その後、武田泰淳、大岡昇平、埴谷雄高に進んだ。でもやはり一番の影響は大江で、『同時代としての戦後』(1973年)で、あの評論集を読んだのが戦後文学を読むきっかけになった。ドストエフスキーもカフカも横並びで親しんだ、と語る。これに同意して高橋も大江の意義を言う。戦後文学は大江を中心にして考えるべきで、『万延元年のフットボール』(1967年)は強烈な印象を受けた、ものすごくかっこよかったー。

   二人の読書経歴はむろん一般読者とは違うだろう。だが、世代的なものもあろうが、ありうべき読書、文学受容ではないか。大江健三郎については同人・執筆者にも多くの論稿があるが、中上健次を加えて、春樹以前の文学風景の見方と言えるだろう。(この企画の「戦後文学」に一人大江だけが世代が違うが、そういう意味で取り上げたのだろう)。

   だが、なぜ一般読者は「戦後文学」に親しまないのか。これについては、終章でも島田雅彦が、〈距離〉という語句で、自分との関係を語っている。すなわち戦後派作家は、自分の祖父の世代だ(実際大岡昇平は祖父と同い年の生まれだ)、と。むろん、早くに文壇デヴューした島田は若いながらにそれら戦後作家たちに会っていたので、親炙したというが(特に埴谷雄高には吉祥寺のお宅に何度も伺ったとか)。

   二人に戻ると、1951年生の高橋と1956年生の奥泉とは、戦後派との「距離」が微妙に違うようだ。5歳年長の高橋が、自分はむしろ戦後作家と地続きなのを意識して同じ出発ではまずいだろうという気があった、あんなに夢中になったあれら作家を以後読み返していない。むしろ作風的には奥泉(氏)の方が戦後文学の継承者と思える。重苦しい観念性と極端なまじめなんだが、そこに笑える要素があるー。

   これはいみじくも、戦後派作家と、それ以降の世代のことをも示唆していよう。「戦後文学」を継ぐのか、違う表現を目指すのか(むろん年齢によらずとも)。ただいみじくもその後奥泉が「戦後文学には批評性があった」というのは、逆に八〇年代以降の現代文学と照らし合わせて、大事な視点となるだろう(この指摘はいみじくも、われわれの立場と同じだ。「批評」こそが現今最も必要とされるものだ)。
   実際戦後文学作品が掲載されたのは、『近代文学』が多かった。言うまでもなく、本多秋五、平野謙、小田切秀雄と言った批評家が主宰した雑誌だ。(二人が言うように)彼らのみならず、戦後は批評家が多く活躍した。花田清輝や中村光夫、福田恒存、寺田透、竹内好、橋川文三、磯田光一など。吉本隆明の告発によって、戦前のプロレタリア文学の偽善、罪状が明かされたのだからこれら〈批評〉がなければ戦後文学の飛行はまっとうに行けたか微妙だ(その後も江藤淳によって、漱石観の百八十度の転換がなされたー。〈則天去私〉の否定)。

   批評性という視点からも、戦後文学はいま注目すべきだとしてこの企画を始めた、と(編集企画の)奥泉はいうが、終章で島田がいう〈距離〉の語から、戦後文学の位置付けをしている。世代で分ければ、戦後派の次が第三の新人、次が内向の世代、その後団塊の世代が続いて、その次に我々がいる、というのだが、この世代の関係は、単に前の世代を引き継ぐというのではなく、むしろその前に親炙する。いわば孫は父ではなくて祖父に親しみを感ずる。いわば隔世遺伝がある。そのデンでいうと、我々は、一つ飛んだ内向の世代と、さらに一つ飛んだ戦後派に通じる、という。この奥泉の言葉に島田も同意して、自身も祖父の世代に通じているのかと。

   ここで大事なのは、〈戦後〉という時空間への言及だ。要するに、〈戦後〉は1980年には終わって、その後この国は、情報と資本に支配されて今までとは全く異なる異空間に入ってしまったという。実際1980年に戦後派の生き残り、大西巨人が「神聖喜劇」を完成したが、その同年村上龍の「コインロッカー・ベイビーズ」が発表された(世代の交替を言っているのだ、がこの作品は、その観念性とラジカルな暴力性、そして何よりも大きい世界を書こうとした点で、戦後文学に似ている、とされる)。

   まだ70年代には戦後派作家が生きていて、野間宏や、島尾敏雄、大岡昇平、埴谷雄高、小島信夫、など最後の余光を発していたといえよう。だが連合赤軍事件に見られるように、国民の?〈戦後〉からの離反は始まっていた。
※ 投稿者が思うのは、ここに出ていた村上春樹こそが、戦後的なるものの終焉ではなかったか。デビュー作品「風の歌を聴け」(1979年)はその意味で象徴的な言葉が発せられていた。ー「もう終わったよ、なにもかも終わった」ー。ただ、彼の中にも、実は戦後的なもの、いや戦争の記憶は潜在していたのだったが。
 

書けなかった言い訳

 投稿者:管理人 iPad 6440  投稿日:2019年 1月 8日(火)22時04分57秒
編集済
     すみません。(^^;)
   書くことはあるのですが、きょうは忙しいままで過ぎました。多くのアクセスがあるのに。失礼しました。
   明日は時間が取れるので、前回の続きを投稿しようと思います。
    皆様もどうぞ。

  ※  以下は、全国文芸同人誌評の掲示板、です。

   https://6928.teacup.com/377612377612/bbs
 

〈戦後文学〉について

 投稿者:管理人 iPad 6440  投稿日:2019年 1月 7日(月)13時13分42秒
編集済
     今日、一月七日は人日の節句、七草粥を食べる日ですね。まあ、今時七草を食する人も少ないでしょうが、昔は、「子の日」のお祝いといって、小松引きをしたそうですね。ネットのデジタル辞泉によると、「正月の初子(はつね)の日に野に出て小松を引き、若菜を摘んで千代を祝った行事」とありました。日本らしい、季節をいとおしむ行事ですね。「土佐日記」や「源氏物語」の一節を思い出します。

                       ◯

   さて、せっかく『戦後文学を読む』を取り上げましたので、その中身についても紹介しましょう。小職が読み取ったかぎりですが、実に教わるところが多うございました。野間宏や武田泰淳、梅崎春生、大岡昇平も、示唆深かったのですが、石原吉郎と藤枝靜男については、圧倒されました。合評の三人の誰かも言っていたように、石原の作品は詩だけを読んでいるとまだ一つわからなかったが、こうして彼のエッセイ(今回は「ペシミストの勇気について」)まで読むと、わからなかった詩が輻輳されて身にしみて理解できた、というのは同感です。まシベリアからの帰国ですから、自分の観念を当初は詩にうたうしかなかった、そのうち整理されてきたのか、散文にまとめることが出来た、というのは石原のみならずのことでしょうが、創作の真髄を語っているような気がしました。またほとんど知らなかった藤枝靜男については、同人名和哲夫氏のこれまでのご文で輪郭を触手していましたが、ここの鼎談で取り上げられた作品にはあっと思いました。「田紳有楽」という名前だけは聞いていたこの作品は、登場人物?というのが、一人は骨董屋ですが、あとの三人?は、グイ呑みであったり、抹茶茶碗であったり、丹波焼きの丼であったり、と人間にあらざる器物というか(最初は何を言っているのかわからなかった)、たいへん驚く設定です。まその筋も紹介されていて(ここではとても紹介しきれない)、その奇想天外に驚くしかなかったです。人間以外の、ま生き物などが出て来るものは犀星などにもあったのですが(「蜜のあわれ」)、ここまでの設定になると、リアリズムならぬもの、いやそれでいて妙に納得させられる存在感、というかがあると、異口同音に皆が言っていたのには、いろいろ 思いが飛びました。これでいて、〈私小説〉というのですから、日本近代文学の盲点というか、思い改めを感じさせられました。

   さて、この本(講談社文芸文庫)は、先にご紹介のように、雑誌「群像」連載されたものでした。2009年8月~2012年6月(号)までの断続的な連載でしたが、先に書いたように、文庫本には、
    序章   なぜ今「戦後文学」か          対談   高橋源一郎× 奥泉光         9~45p
    終章   「戦後文学」と現在             対談    島田雅彦  ×  奥泉光     395~427p
の二つが収録されています。(その代わりに、前には書かなかったことですが、当該作品の再録割愛以外に、それへのオマージュ的な「連作小説」なるものが、当時若手作家(佐藤友哉)によって随時書かれていたのですが、文庫ではそれらも省略されています)。
   じつは、序章   なぜ今「戦後文学」か  (対談   高橋源一郎× 奥泉光)の方は、この連載の企画の切り出しですから、連載の冒頭に「群像」に掲出されたようなのですが、それとは違って、 終章   「戦後文学」と現在  (対談    島田雅彦  ×  奥泉光)は、文庫本が出るときになされたもので、初出一覧にも「本書のために対談収録」とありました(すなわち2016年3月刊行の直前か)。
   両方とも、この《戦後文学を読む》という企画連載に携わった奥泉光が出ていて、よくこの企画の意味を表露しており、対談相手も高橋源一郎と島田雅彦という、現代最前線の作家ですので、いろいろ見方や知識を披露していて、戦後文学のこの国における意味、文学的な意義などを考えさせてくれました。今回は、それらの意義深いと思われたところを当方なりに(自己確認の意味もこめて)抄出してみたいと思います。
(でも長くなったので、この続きは次の投稿で)。

https://9301.teacup.com/douzinnnzassi/bbs

 

改訂版 追伸 『戦後文学を読む』

 投稿者:管理人 iPad 6242  投稿日:2019年 1月 5日(土)11時46分52秒
編集済
    一番下の※ 印以下、追加しました。

  下に掲出した『戦後文学を読む』には、第一回から九回まで、がWikipedia記事として紹介されていますが、文庫本になったものには、それの前後に序章と終章があるのでした。
    序章   なぜ今「戦後文学」か          対談   高橋源一郎× 奥泉光         9~45p
    終章   「戦後文学」と現在             対談    島田雅彦  ×  奥泉光     395~427p

    代わりに「群像」連載時には、各章の終わりに付録のように付いていた、各戦後文学作家の作品(一部)再録は、文庫本では割愛されています。

    ここに上げられている戦後作家の人選は、編集にあたった〈奥泉光・群像編集部〉によるのでしょうが、見事九章にまとめていると、個人的には思いました。
    野間宏・武田泰淳・椎名麟三・梅崎春生・大岡昇平、とここまでは定番の戦後作家ですが、その後
    石原吉郎・.藤枝靜男、という名前があるのは、〈編集部〉のご定見かと存じました。そして、
    小島信夫・大江健三郎、と、第三の新人、戦後派の旗手、を入れて、すばらしい采配と思います。

   もちろん、次号の特集には、これら以外の作家・詩人、など扱われる方がいるといいです。
   当然、以下の作家は入れたいところですね。
    島尾敏雄・安部公房・庄野潤三・安岡章太郎、さらに埴谷雄高、などですかね。

   この文庫本は、対象となる戦後派作家だけでなく、それを論ずる若い作家にも注目です。
「あ、こいつらも戦後文学を読んでいたのか」と、感心でした。

※ 追伸の追伸
   「大岡昇平をしのぶ」という、逝去時のNHKの番組をYou.Tube で見つけました。大岡をしのんで、盟友だった埴谷雄高と、後継者大江健三郎が出演しています。昭和末のことですから、ちょうど三〇年前ですが、当時よくNHKはこうした特番を組みましたね。大岡も、埴谷も出てきます。
https://m.youtube.com/watch?v=2DUfAvEf8ek
 

『戦後文学を読む』ーWikipediaより

 投稿者:管理人 iPad 6146  投稿日:2019年 1月 4日(金)12時49分10秒
編集済
     次号本誌特集《終戦・戦後文学》のためにも、格好の資料と思いますので、Wikipediaからその項目をコピペさせていただきますね。
    「平成」の時代がもうすぐ終わろうとしています。平成とはどういう時代だったのかの回顧も大事ですが、この国日本が一番たいへんだった時代、「昭和」への回顧も、今大事なことでしょう。天皇が、「平成の三十年、戦争がなかったことはよかったことでした」と仰せになった言葉は大きな意味があると思います。この国の焦点は、昭和戦前・戦中、そして戦後でしょう。人々の記憶もその時代のものが普遍的なものを持っているとおもいます。
   個人的な感想を言えば、「平成」年間は、〈劣化〉の時代でした。経済も国家も、人心も、です。加速した情報時代は、人々に幸福をもたらしたでしょうか。便利にはなったー。ただそれだけではないか、とも言いたくなります。結局は、GAFAと呼ばれるネット大資本を増長させただけではないのか。
   「昭和」は、大戦争を挟んでも、人心は変わらなかった。家族を思い、親子の情を大事にし、生きることにまともだった。(いえば、童謡なども、こういう生活の形から生まれたのだろう)。
    戦後は、国をあげて焦土からの復活だった。湯川秀樹ノーベル賞、ラジオやテレビから伝えられた新鮮な世界への感動ー。私どもはあの頃の感動を失いつつあるのではないか。
    せめて、文学において、それらの復活を試みる、それが批評系文芸誌と言われている本誌の役割ではないでしょうか。(以下、Wikipediaからのコピペ)

                             ◯

    戦後文学を読む(せんごぶんがくをよむ)は、講談社の文芸誌『群像』で2009年10月号から2012年6月号まで全9回不定期連載された特集企画。第二次世界大戦後の文学作品を再録し、小説家の奥泉光がほかの小説家や翻訳家とともに合評を行う。若手の小説家も毎回合評に参加している。

この企画は2009年8月号に掲載された対談「戦後文学2009」(高橋源一郎、奥泉光)をきっかけに開始された。第1回が掲載された2009年10月号から第9回(最終回)が掲載された2012年6月号まで、この企画に関連するものとして高橋源一郎の小説「日本文学盛衰史 戦後文学篇」(全24回)が不定期連載された。

掲載リスト 編集
2009年10月号
第1回 野間宏
合評 「暗い絵」「顔の中の赤い月」奥泉光、中村文則、島本理生
再録 「顔の中の赤い月」(1947年)
2010年1月号
第2回 武田泰淳
合評 「蝮(まむし)のすえ」「わが子キリスト」奥泉光、松永美穂、鹿島田真希
再録 「蝮のすえ」(1947年)
評論 「『ひかりごけ』ノート」山城むつみ
2010年4月号
第3回 椎名麟三
合評 「深夜の酒宴」「重き流れのなかに」奥泉光、佐伯一麦、辻村深月
再録 「深夜の酒宴」(1947年)
連作小説1 「割と暗い絵」佐藤友哉(第1回の野間宏「暗い絵」に関連する作品)
2010年9月号
第4回 梅崎春生
合評 「桜島」「幻化」奥泉光、福永信、朝吹真理子
再録 「桜島」(1946年)
連作小説2 「蠼(はさみむし)のすえ」佐藤友哉(第2回の武田泰淳「蝮(まむし)のすえ」に関連する作品)
2011年1月号
第5回 大岡昇平
合評 「野火」「武蔵野夫人」奥泉光、岡田利規、青山七恵
再録 「第42回「創作合評」〈武藏野夫人〉」中村光夫、本多秋五、三島由紀夫(『群像』1950年11月号)
連作小説3 「凶作合評(前編)」佐藤友哉
2011年9月号
第6回 石原吉郎
合評 「ペシミストの勇気について」「棒をのんだ話」奥泉光、山城むつみ、川上未映子
再録 「さびしいと いま」「待つ」「泣いてわたる橋」(以上の3編は詩)、「ペシミストの勇気について」(エッセイ、1970年)
連作小説4 「凶作合評(後編)」佐藤友哉
2011年12月号
第7回 藤枝静男
合評 「田紳有楽」「悲しいだけ」奥泉光、堀江敏幸、桜庭一樹
再録 「悲しいだけ」(1977年)
連作小説5 「緊急特別企画 恋せよ原発 東日本大震災・福島原発事故に対する文学者たちの模範解答予防集~あるいは『深夜の主演』」佐藤友哉
2012年4月号
第8回 小島信夫
合評 「アメリカン・スクール」「月光(がっこう)」奥泉光、保坂和志、青木淳悟
再録 「アメリカン・スクール」(1954年)
連作小説6 「緊急特別企画(2)命短し恋せよ原発 原発が絡むと若者のように自意識過剰な文章を書いてしまう作家たちへの処方箋~あるいは『十二月七日』」佐藤友哉
2012年6月号
第9回(最終回) 大江健三郎
合評 「芽むしり仔撃ち」奥泉光、野崎歓、町田康
再録 「芽むしり仔撃ち」(第一章のみ)(1958年)
連作小説7(完結) 「ライ麦畑でつかまえてくれ」佐藤友哉
 

「戦後文学を読む」にも高橋源一郎氏が。

 投稿者:管理人 iPad 5996  投稿日:2019年 1月 2日(水)19時22分19秒
編集済
     高橋源一郎氏は数少ない、小生とほぼ同年で頑張っている人ですね。前に『小林秀雄の後の二十一章』(小川榮太郎著)を同人とこの板で論じ合ったことがありますが、この若手新参の文芸評論家の本を、それまでの著作を全部読んで紹介の文章を新聞に書かれたのが高橋氏でした。
   で最近本屋で見て小生が購入したのが、標題の『戦後文学を読む』(講談社文芸文庫)で、副題に〈奥泉光・群像編集部編〉とあるものでした。全部で十一章ある、最初の序章 なぜ今「戦後文学」なのかで、奥泉光が対談している相手が高橋源一郎なのでした。もういい年のはずなのに、正面切って小説を読む、向かっていく姿勢はやはり見上げたのものです。
  じつはウィキペディアにも、「戦後文学を読む」で検索すると、その中味・目次が出てきます。最初のところを紹介すると、以下のようになっています。

   〈戦後文学を読む(せんごぶんがくをよむ)は、講談社の文芸誌『群像』で2009年10月号から2012年6月号まで全9回不定期連載された特集企画。第二次世界大戦後の文学作品を再録し、小説家の奥泉光がほかの小説家や翻訳家とともに合評を行う。若手の小説家も毎回合評に参加している。

   この企画は2009年8月号に掲載された対談「戦後文学2009」(高橋源一郎、奥泉光)をきっかけに開始された。〉

    ※ 「戦後文学を読む」で検索すると、Amazonや講談社のサイト、そしてウィキペディアの解説が出てきます。

     ここに紹介されている戦後作家は、次号特集の《終戦・戦後文学》(仮題)のターゲットになる文学者たちでしょう。
そこの目次を見るだけでも、今の若い作家たちが、決して戦後文学と無縁でないことにうれしさを感じます。
 

あけましておめでとうございます

 投稿者:大堀敏靖  投稿日:2019年 1月 1日(火)23時55分54秒
   わたくしも仕事の帰りの車の中で一部を聞いてました。
 3.11は、自分でも知らなかった未知の自分を表出させ、気づかせてくれた点で文学を変えた、
というようなことを平野啓一郎の前のゲストが高橋源一郎に語っている部分を聞きました。

 平成はきっちりと30年でまとまって、後世から転換点だったと批評される時代になると言われることを考えればしっかり振り返って考え、論じてみるべきだとわたくしも思います。

 「災」などという漢字が選ばれる昨年でしたから、

 今年は明るい、展望の開ける年にしたいという願いをこめまして、

ベタに

「ハレルヤ」

https://www.youtube.com/watch?v=1NNy289k6Oc

 四季「春」

https://www.youtube.com/watch?v=Gwvrg4ym7BU

 定番の「春の海」貼り付けまして新春のご挨拶とさせていただきます。

https://www.youtube.com/watch?v=M0qM5zrWock

       平成31年元旦
 

2019年元旦に聞く、「平成文学論」

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2019年 1月 1日(火)19時46分48秒
   今朝、NHK第一放送で高橋源一郎による「平成文学論」が放送された。ゲスト作家は、平野啓一郎、赤坂真理、古川日出夫であった。
 まずは、明けましておめでとうございます。

 テーマ
1、戦後の終わり、成長の終わり。2、ジェンダー、3 3・11と文学だったか?
 ゲスト作家に、この平成30年に書かれた作品で特にあげたいものを聞いている。
 *平野啓一郎(綿矢りさの「インストール」、朝井リョウ「何者」
 平成の30年間もおびただしい文学が生み出されが、どれだけの作品が後世に残されてゆくのか。それでも、作家たちは時代に向き合ってそれぞれ書いている。
 ベルリンの壁が崩れ、冷戦が終わりをつげ、再び世界は各所で戦争、紛争がおこり、世界の終わりも予感させる事態が起きている。文学の衰退がいわれ、言葉が力を持たなくなっているときに文学に関わるものたちは、どう言葉に向かい合ってゆくのか・・・
 放送に耳を傾けながら様々考えた。といっても酒を飲みながらなので軽く楽しみながらの時間ではあった。平成も終わりになるので、これから、多分いくつかの「平成文学論」が書かれることだろう。斎藤美奈子はすでに書き、新書版で出版されている。
 *赤坂真理「箱の中の天皇」ー天皇の女性性ーについて

 ほろ酔いで話がまとまらなくてごめんなさい。

 みなさま、今年もよろしくお願いいたします

 

「作品」化された直観的思索

 投稿者:草原克芳  投稿日:2018年12月30日(日)13時40分27秒
編集済
  「群系」41号
「焼き鳥とホロコースト」――俳句と無意識  井口時男


■井口時男氏の密度高い文章をこんなところで云々するのは、いまさらのような感もありますが、
緊迫感のある短い文の中に「批評とは何か」「俳句とは何か」という問いが凝縮されていて、
短詩型文学としての俳句創作の楽屋裏を、垣間見る思いがいたします。

一つの俳句の逸話から、旧約聖書、ユダヤ問題、芭蕉「おくの細道」、「神」「終末」へと
目まぐるしく展開していく、この「焼き鳥とホロコースト」の文章の面白さ、鋭さ、
自在さ、解析の深さは、一体、何なのだろう。
これは「研究」というものでもないし、勢いに任せた「創作」というものでもない。
しいて言えば、批評文と俳句の創作体験を比較考量したエッセイで、
創作過程の自己分析、自意識の動きの検証であり、インスピレーションと構想力それ自体の吟味、
でしょうか。
しかし、これこそが、ポオ、ボードレール(なんとまた大時代な!)、
あるいは小林秀雄から継承される「批評」、あるいは「批評の批評」
――としか言いえない、自在な"思索のコトバ芸"ではないかと思われます。


~例えば

>「批評文ではそんなことはなかった。批評の「私」は、いわば点検済みの「私」である。
だから、他者が私の批評文に発見する「私」など、あらかじめ「私」自身によって
自覚されている「私」に過ぎない。しかし、俳句ではそうはいかない」

>「批評と俳句の表現性の違いは、どうやら、無意識過程の参与の多寡にあるらしい」

>「あらゆる読みは創造的であり得るし、創造的でなければならない」


               *


■こういった直観的思索の鋭い掘削的一行が、随所にちりばめられていれば、
それが大学の紀要であろうが、学会誌であろうが、評論誌であろうが、
エッセイ、随想であろうが、
あまり関係ないように思います。
というか、こういう発想こそ、「批評」の自在性であり、醍醐味であり、エッセンスではないか。
散文による独自の簡潔な「文学作品」ではないか。
(三島由紀夫はまとまった評論は「小説とは何か」以外、あまり書いていないが、
さりげなく書かれた解説文や鑑賞文の随所に、直観的批評眼から発せられた鋭い一句が散見できる)

むしろ実証的な文学研究の分野は、その二次元的、整合的、平面的な論文空間から、
この種のナマモノとしての鋭角的な直観や、生そのものから抽出された思索は、
排除されがちなのでは――とも思います。
~やはりここでも、
 吉村萬壱氏の「批評が作品になっている」という言葉が連想されます。



 

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