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スレッド一覧

  1. パソコンクラッシュ(>_<)(6)
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次号40号のご投稿のアンケートについて

 投稿者:管理人 iPad 320  投稿日:2018年 2月 3日(土)09時29分21秒
編集済
     明日の編集会議の後、次号40号の投稿のご意向をメールアンケートでうかがいます。四月末締切、六月刊行予定ですが、どのジャンルに、何ページくらいかのご予定を伺いたく(予定ですから多少変わってもいいです)。
   ジャンルとしては、以下になります。
Ⅰ  特集《日本近代文学の転換》 大正12年-昭和8年の文学
Ⅱ 特集《野口存彌と日本近代文学》その2
Ⅲ特集《創刊三〇周年記念》同人誌の思い出(仮題)
Ⅳ自由論考
Ⅴ 創作
Ⅵ 【ノート】、コラムなど。

    なお、『季刊文科』にこの春から、一年間、「文学の動向」について連載することになりました。
   よろしく。
 
 

なんだ!

 投稿者:草原克芳  投稿日:2018年 2月 3日(土)08時36分25秒
編集済
  鎌田さん、東京に来ていたんですか。
数日、ココの板を見ていなかったら…。
なんてこった!

~それにしても、安宅さんは、やはりボルヘスに似ている気がする。
オペラ座の怪人ならぬ、図書館の怪人。
 

近況報告・京都行

 投稿者:狐の孫娘  投稿日:2018年 2月 2日(金)22時56分33秒
  小雪降る京都に行ってきました。
28日までの、便利堂創業130周年記念「至宝をうつす」-文化財寫眞とコロタイプ複製の歩みー展です。
場所は京都文化博物館。
地下鉄烏丸御池駅下車、三条通から館へと商家が並ぶ横道を行くと、北大路魯山人の伝説的な「柚味噌」の大看板が掛かっている店に遭遇、まったく予期していなかったので立ち止まり、つくづくと見上げました。
後に陶芸家、料理人となり大名を成す以前の、青年時からすでにモンスターであった魯山人の、「これこそ天賦の才能だ」とあらためて感動しました。

絵葉書で知られる便利堂の4人兄弟の末子・中村竹四郎は、魯山人とともに赤坂で料亭星が岡茶寮を経営、貴賓、作家等が通う有名店主でしたが、一方で京都の印刷屋便利堂社長として日本文化にまたとない功績を残しました。このことを、以下に書きましょう。

周知の如く昭和24年、法隆寺の金堂壁画(国宝)が模写作業中に電熱による「失火」ですべて焼損、まるやけ、真っ黒な壁・柱・堂内。政府・文化人、いや、国民全部が表現を大きく言えば、嘆き悲しみました。
ところが、便利堂は昭和10年にカラー写真を原寸大で撮影していました。
かいつまんで書くと、日本史の教科書で習うように、明治21年、岡倉天心は、フエノロサ、九鬼隆一を中心にして近畿宝物調査をした際に「レプリカ」を造るように文部省に言い残していました。そこで昭和10年に、便利堂が、当時日本で唯一可能だった制作技術をフルに発動、原寸大分割撮影されたガラス乾版から、原寸大コロタイプ複製を制作しました。
乾版を便利堂に納入したイギリスの写真材料会社は、当時では、あまりにも大きな注文を受けて、真偽を確認したそうです。

今度の展覧会では大壁(1・6・9・10号壁)で約40紙、小壁(2・3・4・5・7・8・11・12号壁)で約24枚に分割されてプリントされたモノクローム・コロタイプ複製が、見事な表具技術によって一枚の原寸大複製に仕上げられて展示されていました。
原寸大だからこそ再現可能であったその細部の表現と、それを狂いなくつなぎ合わせた繊細な表具技術のすべてをまじかに眼にして、ほとほと舌を巻きました。

更に驚くのは、中村竹四郎は、文部省が当時やっと進み始めたカラー印刷だと「色が褪せる」からモノクロームで、と注文したのとは別に、カラーでの乾版も「自費」で撮影していたのです。

戦中・戦後、便利堂が総力を尽くして京都郊外に疎開・秘匿しておいた、先記したところの「死蔵されていたカラー乾版」、この存在によって、金堂壁画はよみがえりました。今見る、再現金堂壁画は中村竹四郎の「先見の明」「社運を傾けてもの無辜の出費」がなければ実現しませんでした。安宅は、この時期、星が岡茶寮の莫大な「収益」を魯山人が鎌倉に建てた「窯場」に底なしにをつぎ込んで、便利堂自体の経営さえも「深刻」な状態ななっていたこととを考え合わせており、魯山人追放事件の「内実」を熟考する必要を覚えています。

戦後初のカラー・コロタイプ印刷の大型本は、東京国会図書館の特別保管室にあり、京都・奈良を護ったラングドン・ウオーナー、文部大臣天野貞祐らの「中村竹四郎へのオマージュ」を印刷した資料も読むことができます。
今度の会場の壁面には、時の総理吉田茂の「感謝状」が掲げてありましたが、中村竹四郎と言えば、魯山人とのかかわりで、今日、時に「魯山人の引き立て役」におわっています。これはとんでもないことでしょう。

?
 

安宅先生、永野さん、とのひと時

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2018年 1月31日(水)22時49分28秒
  ありがとうございました。
掲示板にあれこれ書くより、実物を見て頂くのが一番だろうと思いまして(苦笑)
三十年前と変わらない感じということは、あの頃とほぼ同じ感じに戻ったというこということなのでしょう(多分・・・本当かな?)

今夜は皆既月食。ホテルに戻る途中、七分ほど欠けたお月さまがきれいでした。
 

鎌田さんとのひと時

 投稿者:管理人 iPad 021  投稿日:2018年 1月31日(水)21時56分52秒
編集済
     下の投稿、もっと書いていたのですが、消えてしまいました。

    今日は、研修のため上京されていた鎌田さんと会ってきました。30年以上前、予備校で一緒にお仕事をしていた人です(彼は理数系、物理や数学担当でしたが)。九段下のロイヤルホストには、先に安宅先生もお見えで久闊を叙したあと、よもやまの話になりました。
    当時安宅先生も交えて何時間も喫茶店で時を過ごしました。それこそ、哲学や宗教、天文学など、学際領域を超えて、新鮮な話を伺いました。あれからだいぶ経つのに、話ぶりもお姿も変わらない感じでした。
    とりあえず、iPadで記念の写真を撮りました。
 

書く人間の率直な気持ち

 投稿者:管理人 iPad 997  投稿日:2018年 1月31日(水)17時26分7秒
     あ、小野さん、ご投稿ありがとうございました。ものを書く人の気持ち、心理を率直に書いていただいて、皆にもたいへん参考になったと思います。
「日記を出版の拘束から解きほぐされ、自由になった割には何の理由もなく、部屋に閉じこもって私は気が塞ぐようになりました。」ー
  こういうことって、あると思います。充実感の後の虚無感というか、気おち、気の塞ぎですね。
 

群系に連載した「会長ファイル」をまとめ一冊に

 投稿者:小野友貴枝  投稿日:2018年 1月31日(水)15時03分39秒
  日記の編集、発刊、その後の一連の広報活動が、昨年どうにか半ばおわりました。それに伴って私の日記「夢半ば」のブームも影が薄くなり始めました。そして私は、日記を出版の拘束から解きほぐされ、自由になった割には何の理由もなく、部屋に閉じこもって私は気が塞ぐようになりました。
  この気持ちってなんだろう、一定の習慣になっていた創作を止めてしまった自分への罪業感、体が遊びになれていない自分、何をしても満足しない。あんなに待っていた
  二時間もののドラマさえ見ても満足しない、こんなことしていていいかしらと思ってしまった。
日記に関わっていた、ものすごく忙しかった日々、追いかけられる編集、または企画しなければならない自分に慣らされて、もう元に戻れないのに、虚脱感ばかり体を犯していた。きっとあまりにも課題が多い生活を2年余もしてきたので体にこびりついた過大評価の眉薬、1年前に戻りたくなった。
  そして書かない自分は、何を手にしたらいいのか分からなくなって、そのあおりで、評価されないのを他人のせいにして、自分は不幸せだとネガテイブになって生き方まで否定し始めていた。
  私って本当に日記を編集して、出版までこぎつけた人なんだろうかと疑うようなってきた、おかしなジレンマ。どうすれば日記を世に出す前の自分に戻れるのか、分らない。
  日記「夢半ば」編集の時のように過酷な課題、原稿の選択、資料の探し、エッセイの追記などないフリーな生活を手にすると、私の存在さえ不確かになってきた。
  日記を世に出す闘い、むき出しの自己肯定、過去の記録への挑戦などという麻薬に毒されてしまって、その名残で、半年おかしくなっていた。いつの間に創作する自分まで、嘘っぽくなってきた。
  しかし、もう去年の今頃には戻れないと自分を納得させた。そして私の創作年齢も、最果てまで来ているのに、このまま朽ちていいだろうか、「日記『夢半ば』4巻」の編集などに酔っていていいだろうか、という自分への対抗心、本来の闘争心が湧いてきた。
  その月日を経た暮れごろから、そして年の明けた今年になって書きたいという意欲が日に日に高まってきた。ライフワークと謳ってきた創作や編集はもう限界だなどと甘ったれていていいわけがないと自分を叱咤激励する声が聞こえてきた。
  62年間の日記「夢半ば4巻」の出版が、多くの読者にとどかなかったとしても、自己満足しただけでもいいじゃないか、働く女性の歴史を残せただけでもいいじゃないかと、心の声が響き、いつの間にか、平常心に戻してくれた。評価されない自分を、人生を拗ねていたのでは、「日記を書き続けた実力」を捨て、世を斜めに見て、心を閉ざしてしまっていいわけがない、まだまだ、読者に届くもの、実力があるじゃないか、と自分を信じ、書き残そうと闘志がわいてきた。
  正月過ぎ、日が伸び始め、春の光を瞼の中に感じると、次の作品の構想が私の中に見えてきて、PCを打つ手が早くなり出した。この分では、4月には、新しい作品が形になりそうだと、今から胸がドキドキし始めた。
日記の編集とは全く違った社会派的な作品(もちろんフイックション)が動き出し、1冊の本になりそうだ、またまたへこたれていませんと、私はこの紙面を借りて読者にメッセージを送りたくなりました。
  私のあくなき作家魂・気迫が、春待たずに心に充満し始めて来ましたので、今年もよろしくお願いします。小野
 

もうひとつの三点セット

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2018年 1月30日(火)21時07分37秒
編集済
  東京と地方では少し違うのかもしれませんね。
こちらでは、お年寄りの三点セットというと、携帯電話・運動靴・手押し車(シルバーカー)といったところでしょうか。足が弱ると杖は危なく、手押し車と運動靴が安全・安心だそうです。そして、携帯電話があれば、すぐに連絡がつきます。

追記:病と老いは悩ましいですね。思うようにはいかないようです。
 

車内で、席譲られた!

 投稿者:管理人 iPad 877  投稿日:2018年 1月30日(火)19時25分29秒
編集済
     鎌田さんとは、明日会う予定です(多分、九段下で)。他に、おいでになる方は、どうぞ。

   ところで、今日(もまた)席を譲られました。やはり年相応に見られているんですかね(本人は若いつもりでいるんですがね)。しんどい時は嬉しくもありますが、残念でもあります。
   しかし、お年寄りの三点セットといえば、マスクに帽子、そして杖ですかね。当方の住む江東区大島は年寄りが多く、彼らは共通してその三点セットを身につけていますね。毛糸の帽子を深く被って、マスク(もう大分着用している)を付けて、完全防寒。さらにメガネをかけていれば、誰だかわからないくらい。そして杖。ああいやだ、ああいう年寄りにはなりたくないですね。そして歩き方もノロノロ。
   透析患者の爺さん、婆さんもそういう人がいて、看護師やヘルパーの助けを借りねば、移動も出来ないお年寄り。けっこう意外に若いのかもしれない人も。透析歴が長ければ相応にリスペクトは払いますが、当職の35年に近い人はどれだけいるのやら。
    当方はセサミン飲んで、DHAやEPAのサプリを飲んで、なるべく日常もこまめに動いています。iPadで確認した健康生活を過ごしています。皆さんもぜひ!!
 

永野さんへ

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2018年 1月30日(火)13時38分48秒
  永野さん、どうぞよろしくお願いいたします。
五年前は脳卒中後の混乱でボケていて、それとなく避けていたように思います。

1/31羽田着15:40の飛行機で出かけ、2/1羽田発19:30の飛行機で帰りますから、1/31(水)の午後六時以降でしたら。電話は大歩危にいらした時にお伝えした番号で変わりありません。携帯メールは kamada_uic@icloud.com に変更しました。

小林秀雄が出てきましたから、「無常という事」について、特に関係ない視点からの雑感。
無常というのは縁起であり無自性であり空であるということですから、無常を観じるということは縁を大切にするということ、しかし「つくべき縁あればともない、はなるべき縁あればはなる」(歎異抄, 第六条)ということで。いつもながら、意味不明ですね(苦笑)
 

鎌田さん、ようこそ。

 投稿者:管理人 iPad 822  投稿日:2018年 1月30日(火)11時59分55秒
編集済
     ああ、鎌田さん、上京されるのですね。お会いできればと思います。
   小生は、月水金と日曜日なら、終日都合つけられます。安宅先生も、この件で今朝メールいただきました。
小生の電話番号は、固定は03-3685-3981、携帯は070-5593-8062、
携帯メールは、snaganofy@softbank.ne.jp、です。
 

明日は東京へ

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2018年 1月30日(火)01時19分41秒
編集済
  五年振りになります。ある資格の更新研修会に参加するためです。

だいぶ前、掲示板でちょこっと触れた清沢満之については少しずつといったところでしょうか。文芸との接点はあるものの、アプローチの仕方が悩ましいですね。急いでも仕方ありませんから、ゆっくりぼけっと考えているところです。うまくいかないかもしれませんが・・・(苦笑)
 

『小林秀雄』の行く末 再度投稿

 投稿者:管理人 デスクトップ 623  投稿日:2018年 1月28日(日)18時48分18秒
編集済
   寒い日々が続きますね。自転車に乗っていると顔が痛いほどです。(+_+)

 さて、来月の39号の合評会まで一か月をきりました。少し群系の近代文学モードに移したいところです。近く編集会議(5人)を持ちますが、合評会のこと、次号の特集など話し合います。次号の特集、《日本近代文学の転換》での担当作家などアンケートをとりたいと思います。小生個人は、野口存彌さんの「芥川龍之介・芸術の光、人生の闇」の【解題】を担当するとともに、小林秀雄について何か書きたいと思っています。やはり旧投稿をみていると、数年前に以下のようなことを書いていたのですね。今更ですが、これも再アップさせていただきますね。

               〇

『小林秀雄』の行く末   投稿者:永野悟   投稿日:2013年 1月10日(木)03時57分   編集済


  江藤淳の『小林秀雄』の最終ページには、次のような一節がある。
「小林秀雄が、モオツアルトという「無垢」―「純潔」の「仮面」に自己を一致させ切ったとき、彼の肉体は完全に消え、逆に「モオツアルト」は彼の魂をひたした清い海と空のようなものになった。二十年間、彼が希求しつづけて来たのは、要するに、かつて若年の彼が企てて果たさなかった南海の断崖から紺碧の海に跳ぶことだった、ということも出来るのである。…」

 「無垢」―「純潔」とある言葉に注目される。大部の『小林秀雄』に多用されるキーワードである。いかに、人生の初期からこの言葉から遠い小林であったか、江藤の解説からみてとっておきたい。


 小林秀雄と中原中也との関係は、いわば「父と子」の関係のようだった。むろん、「子」とは「純粋」で「無垢」「自然」で社会に責任を持たないことをいうのであり、逆に「父」とは、そうした「純粋」を社会における「責任」と「自負」との板ばさみの中に失ってきたものをいい、これは当時二十歳前にして父を失い、家族を養わなければならない小林の立場(のち長谷川泰子も養う)を表していた。例えば、その病状を気にかけていた富永太郎(夭折した詩人)は、「暗夜行路」の「父子の確執と和解」を、感激をもって受け入れたと手紙でいうが、小林には、その父子との「確執と和解」もなかった。

 その富永を介して知り合う中原に、小林は、旅費の借金を申し込まれる。自称ダダイストという〝粗野で文体を持たない志賀直哉〟に無心されても用立ててやったのは、それだけ惹かれるものも多少あったということだが、この出会い自体の衝撃は小林にとって大きなものだったようだ。富永が恥じらって隠そうとした「無垢」を中原は臆面も無く主張する。「外界は、女といえどもこの「無垢」を「よごし」て、彼に「悲しみ」をあたえる」。何の検証もなしに志賀直哉になれるのは、小林のような意識家にとって錯乱のようなものだった。


 中原中也という格別の個性はいまはおいて、江藤淳のいう小林秀雄とは、要するに次のようなものだ。

「彼は反逆すべき「父」が実在しないように、帰るべき「故郷」もまたない。彼は日本近代がつくり出
した抽象的な都会生活者の一典型である。…このことは看過しがたい原因である」-。

 そうした宿命の近代人・小林秀雄が「Xへの手紙」や「オフェーリア遺文」で逸失への疑似体験を試み、さらに「ランボー体験」にあたって自らの健康調節を果たすというのは、この国の近代の自我のドラマとして象徴的といえよう。特に戦後すぐに発表された「モオツアルト」、小林秀雄のモーツアルト体験が、「かつて若年の彼が企てて果たさなかった南海の断崖から紺碧の海に跳ぶことだった」と言表することが正しいのか、やはり、小林の文章から、またそのように書く江藤淳の内面から検証することは、いま大事なのかもしれぬ。

        ○

 冒頭引用に対して、富岡幸一郎氏は、「私はこれまで『小林秀雄』の最後が、小林の「モオツアルト」で閉じられている事実にあまり注意を払わなかった。江藤淳によって描かれた、モオツアルトと言う無垢の「『仮面』に自己を一致させ切った」小林像は鮮烈であり、動かしがたい終結部をかたちづくっていると思っていたからである」(「『歴史』のデーモン」-「群像日本の作家 江藤淳」1997年小学館刊)とあるのに、注目したい。富岡氏は続ける。
 「しかし、いまは「モオツアルト」で『小林秀雄』の筆がおろされていることにある不自然さを覚える。ここでは戦後を生きた小林秀雄というものが、江藤淳の批評の刃でばっさりと切り落とされてしまっている。そんな印象が否めないからである。」

 むろん、『小林秀雄』が、まだ20代の終わりに書かれた(1961年)という事実があろうが、その前、『作家は行動する』(1959年)を書き終えた江藤自身が、「私は小林秀雄氏に対して不公正な態度をとっていたのではないかという疑いにとりつかれた」と書いたのは有名な話だが(当時江藤の「転向」か、などといわれた)、富岡氏によると、次のような江藤淳の文章に徴すると両著の小林秀雄観にそれほどの懸隔があるとも見られない、という。引用するのは、小林秀雄没後一年を経ての感想、「絶対的少数派」と題された文章(「文学界」1984年四月号)。

〈年譜を一見すれば明らかなように、この結果小林氏は昭和二十年代を通して、ほとんど言葉を奪われていた。人は、この時期の小林氏が、戦後の世相と文学に背を向けて、悠々と美の世界に遊んでいたという。いかにもかつて「黙って…事変に処」した氏は、占領下の現実に対しても同様に「黙って」身を「処」し続けた。しかし、この最も辛い試練の十年間に、「美の世界に遊」んでいたということばほど、この時期の小林氏が言葉を奪われ、言葉から遠ざかるを得なかったという事実を、如実に物語るものはない〉――。

 のちに江藤淳は一連の占領研究から、戦後日本の言語空間にたいする批判・追及をおこなうのだが、そこには、「『黙って』身を『処』し続けた」小林秀雄の存在の陰画があるように思われてならない、と富岡氏は続ける。
 すなわち、江藤淳は、ある時期から戦後の小林秀雄が「黙っていた」、いや「黙っていたい事」だったことをあえて語りはじめているように思える。〝戦後〟という歴史の劇(ドラマ)の背後にあるデーモンが、江藤淳という戦後日本から出発し歩き続けてきた一人の批評家にそうすることを強いている、といってもよい。


 富岡氏は、江藤淳に小林秀雄の代弁者(戦後の)をみているようだが、ここでいう小林秀雄の「黙っていたい事」とは何であるのか、江藤淳自身の言葉から証し立て、その真実を明らかにしたいものだ。
 

「日本の昔の女優さん」に追加。

 投稿者:管理人 iPad 463  投稿日:2018年 1月27日(土)09時25分9秒
編集済
     25日投稿の「昔の女優さん」に、何人かを追加しました。むろん当方が任意に入れたもので、同動画には出てきません(美人ばかりが女優ではない。味わいある脇役女優も大事)。しかし、三宅邦子と轟夕起子を混同していたと同時に、清川虹子と賀原夏子も混同していました。でも、杉山とく子と菅井きんは、しっかり弁別していましたよ。(笑)。

    でも今更ながら小津安二郎映画など、往年の映画をきちんと観てみたくなりました。ここには、カズオ・イシグロが言うように、美しき良き時代の日本、があるのかもしれませんね。(結構、You Tubeにアップされています。台湾版などには、全編も)。

  ※ 追加の追加
  やっと小津安二郎「晩春」を観ました。昭和24年作で、鎌倉から東京へ向かう電車が茶色い旧式のものでした(あ、画面は白黒ですが、当方はリアルタイムでその電車を知っています。のみならず、模型製作をしてもいた。6歳下の弟がある日、「兄貴、そういえば常磐線の電車、作っていたなあ」と言ってましたが、これは常磐線だけではないです。年齢により、微妙に経験が違うのですね)。
   肝心の内容ですが、嫁入り前の娘を気遣う父と、その父を愛しているから婚期を逸しても嫁がない娘の微妙なやりとりの、穏やかな映画でした。これをファザコンだとか不粋な批評はしたくないもの、ただ画面の展開を眺めるだけで、おっとりとした往時の日々を思うことですね。
    しかし、これがあの戦争からたった四年後に制作されたなんて、すごいですね。あの狂気のような空気から、穏やかな小津映画が出来たのは、奇跡ですね。
 

太宰治没後七〇周年展

 投稿者:管理人 デスクトップ 415  投稿日:2018年 1月26日(金)22時51分58秒
編集済
   今年は太宰治没後七〇年にあたり記念の展覧会をもよおすということで、太宰治文学サロンの三鷹市学芸員の吉永麻美さんに会ってきました。去年くらいから打診があって、太宰のお弟子だった菊田義孝さんのことも展覧したいということで、年が明けたら一度お会いしたいということできょう市ヶ谷で待ち合わせ、ご本や群系既刊号、そして菊田さんの写真などお渡ししたのでした。
 六月に一か月くらいに渡ってやるそうですが、今回の展覧は特に太宰のお弟子にも焦点を合わせたいということで、田中英光や小山清、桂英澄氏などと並んで、菊田義孝さんのことも、その文学・研究も展示されるそうです。全体の監修は、太宰治研究の安藤宏・東大教授で、太宰とその周辺、さらに昭和文学の新しい側面も見られるのでは、と期待です。展示には、群系同人・弘前の相馬明文さんも参画されるそうです(そのご著『太宰治の表現空間』はたいへん面白かったとのことです)。
(下は、三鷹駅前の文学サロンのパンフ、とその裏の案内で、このたびの展覧会のパンフ・ポスターは四月に出来上がるそうです。三つ目は、現在展覧会が行われている太宰と、林芙美子のもので、参考にいただきました。-クリックすると拡大します)。

         〇

 財政の赤字を訴えたせいか、このところ会費納入が続いています。感謝です。
のみならず、本誌の姿勢をほめてくださったお手紙もきています。札幌にお住いの福地順一さん(石川啄木の研究家・37号に寄稿)のお手紙、ついおとついだかに来たものですが小生が見ているだけでは意味がありませんので、その一部をご披露しておきますね。

 「群系」、さすが富士正晴賞受賞の雑誌だけあって素晴らしいと思います。日本近代文学系の雑誌が減少する中で、よくぞ、と思います。特に最近号の野口存彌氏にかんする評論・解題等見事なものと思っております。これも貴氏(ママ)の日本の近代文学に対する愛情と熱情、ご尽力によるものと思います。本当にご苦労様です。
 私は雨情・啄木大好き人間でありまして、野口存彌氏にもかつてたいへんお世話になりました。「枯れすすき」は創刊号から十数冊いただいたかと思います。また同氏著の『空からの視線』などもいただき、私の啄木・雨情研究にたいへん参考になりました。その存彌氏に応えることもできず、存彌氏には失礼ばかりしていました。その後悔の念が心の底に淀んでおります。
        (中略)
 …小生も八十二歳、腰痛をかかえ気力もなくなってきました。今は整理すべきものは整理して、…という心境ですので、文学研究も進まず、安易な作詞などをやっている状態です。しかし、体力、気力が回復し、もう少し研究を進めたいということになりましたら、ご連絡したいと思っておりますので、その節はよろしくお願いいたします。
 …右、お礼までに一筆認めました。
                    早々

 前にお電話くださった、秩父の武内優氏(雨情研究家)といい、ご両人とも80代ですが、これまでのご研究もあって、こうしたご評価をいただけるのか、と感謝の次第です(小生はそんな苦労もしていないのに)。
 でも改めて、菊田義孝、野口存彌という先輩、先達の生き方、研究にいま一度目を向けていきたいとおもいました。

        〇

 きょう、帰宅してみると、この関連でうれしい通知がきていました。『季刊文科』の編集部からで、当方に6~7枚の寄稿をお願いしたというお手紙と、最近号の二冊が同封されていました。テーマは「国文学の動向」とあって、これは今一つわからないので週明けに編集部に問い合わせしたいと思いますが、商業誌から(受験関係ではなく)依頼がくるのは初めてに近いので、私でいいのか、という戸惑い(恍惚と不安)の気持ちでおります。ま、商業紙誌で、同人誌を扱うことがだんだん減ってきたということをこの板で紹介しましたが、その最後の橋頭保である同誌に書けるのはうれしいことです(もう一つは、『三田文学』)。

 近く、同人の皆様には、次号40号へのご投稿の予定をうかがうとしていましたが、そのために一度編集会議を近くもちたいと思います。
 太宰治展には、同人皆さま、お誘いあわせで、ぜひ行きましょう。
(下の太宰の写真、実は裏に「菊田義孝へ」のサインがあって、青森に疎開中の太宰が、仙台の菊田さんに送ったもの)。
 

映画が熱気あふれていた頃

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2018年 1月26日(金)07時13分59秒
   永野さん、昔の映画女優の動画をありがとう。ほとんど知っているので、私も古くなったものです。東山千栄子は映画『東京物語』が有名ですけど舞台も良かったのですよ。『かもめ』『三人姉妹』『桜の園』。山根久子、山田五十鈴。そうそう新珠美千代?は男性フアンが多かったかと。ぎゅうぎゅう詰めの映画館で背伸びしてみた映画の数々。忘れられませんね。
 有楽町の『日劇』も無くなるとのこと。近々、幼馴染たちとクラス会をしますので、たっぷりと話しましょうか・・・
 

日本の昔の女優さん

 投稿者:管理人 iPad 218  投稿日:2018年 1月25日(木)01時18分38秒
編集済
    ステキな映画女優さんの紹介動画です。
   寒かった今日一日の締めくくりに、全部の女優さんをあげてみます。
下の動画、鮫島有美子の歌をバックに、いい時代を演出していますね。

    東山千栄子   1890-1980
    飯田蝶子       1897-1972  追加
    浦辺粂子       1902-1989  追加
    高橋とよ       1903-1981  追加
    笠  智衆         1904-1993  追加
    杉村春子       1906-1997
    浪花千栄子    1907-1973
    武智豊子       1908-1985   追加
    長岡輝子       1908-2010   追加
    沢村貞子       1908-1996
    田中絹代       1909-1977
    夏川静江       1909-1999
    三益愛子       1910-1982
    北林谷栄       1911-2010    追加
    入江たか子   1911-1995
    清川虹子       1912-2002
    三宅邦子       1916-1992
    谷よしの       1917-2006   追加
    轟夕起子       1917-1967
    望月優子       1917-1977
    山田五十鈴    1917-2012
    木暮実千代    1918-1990
    高峰三枝子    1918-1990
    水戸光子       1919-1981
    原  節子         1920-2015
    山口淑子       1920-2014
    賀原夏子       1921-1991   追加
    山根寿子       1921-1990
    桜むつ子       1921-2005  追加
    久慈あさみ   1922-1996
    千石規子       1922-2012
    月丘夢路       1922-2017
    淡島千景       1924-2012
    乙羽信子       1924-1994
    京マチ子       1924-
    越路吹雪       1924-1980
    高峰秀子       1924-2010
    津島恵子       1926-2012
    杉山とく子   1926- 2014   追加
    菅井きん       1926-            追加
    山岡久乃       1926-1999
    三條美紀       1928-2015
    杉   葉子        1928-
    奈良岡朋子    1929-
    若山セツ子    1929-1985
    新珠三千代    1930-2001
    岸田今日子    1930-2006
    左   幸子        1930-2001
    香川京子       1931-
    久我美子       1931-
    島崎雪子       1931-
    八千草薫       1931-
    山本富士子    1931-
    有馬稲子       1932-
    岸    恵子       1932-
    久保菜穂子   1932-
    高千穂ひずる 1932-2016
    淡路恵子       1933-2014
    池内淳子       1933-2010
    扇   千景        1933-
    岡田茉莉子   1933-
    北原三枝      1933-
    草笛光子      1933-
    南田洋子      1933-2009
    若尾文子      1933-
    司   葉子       1934-
    青山京子      1935-
    芦川いずみ   1935-
    丘さとみ      1935-
    小山明子      1935-
    嵯峨美智子   1935- 1992
    浜木綿子      1935-
    吉行和子      1935-
    白川由美      1936-2016
    中原ひとみ   1936-
    野添ひとみ   1937-1995
   水野久美        1937-
    佐久間良子   1939-
    中村玉緒      1939-
    藤村志保      1939-
    水谷八重子   1939-
    浅丘ルリ子   1940-
    岩下志麻      1941-
    倍賞千恵子   1941-
    江波杏子      1942-
    星由里子      1943-
    香山美子      1944-
    藤   純子      1945-
    松原智恵子  1945-
    宮本信子     1945-
    吉永小百合  1945-
    鰐淵晴子     1945-
    大原麗子     1946-2009

※  追加、とあるのは、1月27日に、管理人の追加です。参考までに。
「昔の女優さん」だなんて、今も現役の人もいますよね。
   しかし、こう上げてみると、銀幕の女性に愛慕の情を持っていたのかな。
   特に1931年生まれ、すなわち昭和6年生まれの方々がいまも存命で嬉しい。野口存彌さんと同い年ですね。

https://m.youtube.com/watch?v=kVj5EYdQhQk

 

新美守弘『葉山修平にみる文学世界』出版祝賀会 2014?年?7?月?26?日

 投稿者:管理人 デスクトップ 200  投稿日:2018年 1月24日(水)22時33分20秒
編集済
   新美守弘『葉山修平にみる文学世界』出版祝賀会 2014年7月26日
の様子です。写真はいっぱいあるのですが、動画はこれだけでした。
https://youtu.be/-XDVZzYnty0


 野口存彌さんの葬儀の後の食事会のひとこま。これも前後の写真は多いのですが、公開できる動画はせいぜいこれですね。(他のは短すぎる)
https://youtu.be/Ad5fxJiGd2o


 アップする動画に事欠いてきたので、私的なものもアップしますね。安宅夏夫先生との一コマです。
https://youtu.be/bb19FDisAok

 

群系35号パーティー 別アングルアップ

 投稿者:管理人 デスクトップ 176  投稿日:2018年 1月24日(水)20時11分31秒
編集済
   何度も同じパーティーのことをアップで恐縮ですが、今まで異なるアングルのものが見つかりましたので、ご披露しておきますね。2015年11月25日の、35号刊行記念のパーティーです。


五十嵐勉「文藝思潮」編集長挨拶、懇親会の模様。カメラアングルが下の方にいっている部分があります。ご容赦。<(_ _)>
https://youtu.be/QhODHBaMLNM


内田誠さん(ジャーナリスト)、山崎甲一さん(東洋大学教授の挨拶)
https://youtu.be/kkFfQ3j1yAY


表彰式 歌唱 皆で写真撮り
https://www.youtube.com/watch?v=fKifKRBrPVA&feature=youtu.be



http://

 

39号の請求がきました。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2018年 1月21日(日)02時44分23秒
編集済
      龍書房様から、39号の印刷・製本、発送費立て替え分の請求がきました。早く請求が来ないかな、決済をそろそろしたいと思っていたところでしたが、請求額を見て驚きました。当方の見積もりより、20万円近くも多かったからです。今回は、多少発行部数を抑えたし(470部)、ページ数も、268pで、前回の272pよりも少ないのに、どうしてと思い、いろいろ明細を見ましたが、計算はその通りでした(消費税込みで、全部で、898,762円です)。
    現在までの皆様からの振込総額は70万円ちょっとで、ここには掲載料はほぼ全員の方の振込が済んでいます。別途の、執筆者以外の会員、いわゆる会費納入は、35人くらいで、7万円くらいです。数万円の不足ならなんとかなりますが、20万円はちょっと大きいので、善後策のご意見をお願いしたいところです。

   ま、今回は、封筒を新規に500部作ったのもありますが、これは全部で15,000円で大きな金額ではありません(消費税が66,575円、とこれは毎度ながら大きいです)。

    やはり、赤字繰越で、次号の厚さを減らし、発行部数を減らす方法を取るしかありません。470部で、781,200円の印刷・製本代金ですが、これを400部にすると、664,851円になって、12万円安くなります。ページ数の方は、これは原稿がくるものですから減らす訳にはいきません(ま、次号は40号の記念号になりますし)。
   近く編集会議で方策を決めたいと思いますが、とりあえず今のところは、発行部数を減らすことでやるしかないと思います(前にも提起しましたが、評論家送付分30冊と、マスコミ送付分の一部減らし、そしてその他30部を減らして対処することになると思います)。
    実は、繰越赤字が、その他10万円あるので、台所事情、ついにご報告となりました(ただ、掲載料引き上げは、これは計算などが以前と変わると厄介になりますので、これは考えておりません)。
※   発行部数を減らすことは、送料も減ることになります。
 

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