teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. パソコンクラッシュ(>_<)(6)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


再度、お応え

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月20日(日)10時17分24秒
編集済
     群系同人としては、全く仰せの通りです。

   ただ、目下は、関係者あわせての協議、というところなのです。小生個人としても、行政相手に、というより、おおせのように、野口存彌文学の全体に少しでも近付き、継承できるところ、さらに紐といて考究すべきところがあれば、と思っています。

   具体的には、これからの「群系」誌の方向と重なっていくところですが、近代文学の研究誌としてやってきた本誌のありようは、実は創刊同人・野口存彌氏がめざしていたところと充分重なるのではないか、と認識しています。野口氏のお仕事は、坂口安吾や太宰治、堀辰雄、さらには戦後文学など、われわれの既往の研究対象と同じうするものが多いのですが、もう一つ、ご父君・雨情に関係した明治・大正文学にも大きなお仕事があり、これは改めて考えてゆきたいところです。
   野口文学の出発点になった雨情研究は、思わぬ?萌芽があり、それは例えば沖野岩三郎の研究であったりで、究極、大逆事件の研究にもつながり、群系誌でも特集となりました。

    いま、ご親族から電話あり、きょうおいでとのことになりました。



  
 
 

(無題)

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 8月20日(日)10時05分23秒
編集済
  >雨情研究者の立場からすれば、これが喉から手が出るほど欲しい究極の目標のようです。

■そうですか。
私は、雨情研究者の究極の目標は、優れた研究書や評伝を書くことだとばかり、思っておりました。
野口雨情の記念館や、歌碑は、すでに全国にあります。
いまさら「顕彰」の必要はないでしょう。

われわれとしては、国民的な作詞家としてすでに十分に知られている野口雨情ではなく、
まず「野口存彌氏の文学の輪郭、本質」を明確化することが、
「群系」誌としては、基礎の基礎だと思います。


                        *

>現在、吉祥寺のある武蔵野市は、隣接する三鷹市と比べ、文化的な財産に劣るという事実があり、
商業都市としての性格が強いそうです。
その点でいかに文化的な財をなぢていくかは、目下の武蔵野市の焦眉の課題とにらんでの、この話でもあります。
具体的には現在の武蔵野市の邑上市長が革新系で、これまでも雨情関係の催しにも何度か参加出席され、
雨情関係者と面識があり、彼が現役の市長である今こそ、話を切り出していかねばんということです。
もちろん、ご遺族のご理解ご協力があってのことですが。


■こんなことに、エネルギーと時間を費やし、行政相手に、"期待と失望"を繰り返している間に、
(永野さんご自身も)充実した野口存彌論を書いたらどうなんでしょう。
文学の批評誌としては、それが始まりであり、「究極の目標」ではありませんか。
ハコモノ作りの夢などよりも。
まだ、野口存彌文学については、何もわかってないではありませんか。

>「もちろん、ご遺族のご理解ご協力があってのことですが。」
■ここは現実問題として、最初のハードルにすぎませんね。


 

ご質問にお応えして

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月20日(日)09時58分39秒
編集済
    まだこれから協議しようというところなので、ご質問に十全にお応えできるかというところですが、いま考えうるところを回答しておきますね。

>野口文学の研究、野口先生の顕彰をこれからどうやっていこうか、
■研究・批評はわかりますし、それは『群系』同人がやるべき文学的継承でしょうが、
それと「顕彰」はどう違うんですか。

「顕彰」という言葉を出したのは、こうした野口先生のお仕事、業績に対するわれわれの気持ちであって、どこが、 「研究」、どこが「顕彰」と、いま截然と分けられるものではないでしょう。これからの活動の中でそれは自ずと生まれて来るものかと思われます。
                          *


>行く行くは、野口雨情・存彌記念館のようなものの設立までもっていければと、存じているところです
■言葉で書くのは簡単ですが、具体的に「記念館」と言っても、何をどうやるイメージなんでしょう。これは要するに、吉祥寺の現・野口邸の話なんですか?

   先の「顕彰」の究極の具体化として、記念館の設立があると思います。群系同人の立場からは夢のような話ですが、雨情研究者の立場からすれば、これが喉から手が出るほど欲しい究極の目標のようです。具体的には、仰せのように、野口先生の居宅がその立地から候補になっています。雨情の生家は北茨城で、また一時は水戸や宇都宮にも疎開、居住していたことがありますが、先生の評伝にもありますように、大正期に東京郊外・吉祥寺に居宅を構えて以来、ここが雨情の終の住処であり、創作活動の場でした。生活の多くのエピソードもここでありますし、むろん野口先生自身の生まれついて、生育した現場であります。
    現在、吉祥寺のある武蔵野市は、隣接する三鷹市と比べ、文化的な財産に劣るという事実があり、商業都市としての性格が強いそうです。その点でいかに文化的な財をなして いくかは、目下の武蔵野市の焦眉の課題とにらんでの、この話でもあります。具体的には現在の武蔵野市の邑上市長が革新系で、これまでも雨情関係の催しにも何度か参加出席され、雨情関係者と面識があり、彼が現役の市長である今こそ、話を切り出していかねばということです。もちろん、ご遺族のご理解ご協力があってのことですが。


                          *


■野口先生の著作においては、確かに「雨情のご子息・雨情研究家」の側面は重要でしょうが、
それよりはるかに、雨情と切り離した〈個〉としての"野口存彌文学のコンテンツの本質や全体像"を、書き言葉のレベルで明確にすることこそ、
『群系』誌が、真っ先にやるべきことではないんですか?

   仰せの通りです。きょうの会合でも雨情関係者のほうが多く、野口存彌氏の文学に力点を置くのは群系の関係者となりますが、今回は安宅夏夫先生と小生だけの見込みです。

                *
   とにかくやってみなくてはの段階ですが、司会の切り盛りをして、なんとかかたちの出る活動方針を出せればと思っています。具体的には、野口先生の、まず顕彰なので、先生のお仕事の全体的輪郭を、出席の専門家のお立場から、とりあえず、各自のレポートのようなものを出せれば、と思っています。それは、具体的には、群系の次号にでも、誌面掲出できればと存じている次第です。


 

素朴な質問です

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 8月20日(日)06時27分20秒
編集済
  >野口文学の研究、野口先生の顕彰をこれからどうやっていこうか、

■研究・批評はわかりますし、それは『群系』同人がやるべき文学的継承でしょうが、
それと「顕彰」はどう違うんですか。


                          *


>行く行くは、野口雨情・存彌記念館のようなものの設立までもっていければと、存じているところです

■言葉で書くのは簡単ですが、具体的に「記念館」と言っても、何をどうやるイメージなんでしょう。
これは要するに、吉祥寺の現・野口邸の話なんですか?


                          *


■野口先生の著作においては、確かに「雨情のご子息・雨情研究家」の側面は重要でしょうが、
それよりはるかに、
雨情と切り離した〈個〉としての"野口存彌文学のコンテンツの本質や全体像"を、
書き言葉のレベルで明確にすることこそ、
『群系』誌が、真っ先にやるべきことではないんですか?


                *



 ~最後に


■私信、こんなところに出しちゃって、いいんですか?(笑)







 

真摯な人

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 8月20日(日)02時30分59秒
編集済
  野口先生に初めてお会いしたのは、昭和六十年だったと記憶しています。
永野さんからのお誘いで、ご自宅にお邪魔したのですが、リクエストは精神医学について講義してほしいとのことでした。

講義とかいう以前の未熟な話でしたが、真摯にメモを取られていた姿が、今も鮮やかに蘇ってきます。伝えるということは、あるいは、こういうことなのかもしれません。
 

野口さんの会

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月20日(日)00時35分20秒
編集済
     本日20日、野口存彌さんについて、これからどうやって、その文学のお仕事を継いでゆくべきか、話し合います。
一年前の「偲ぶ会」と会場は同じですが、まだ準備会のようなもので、多くの人には格別ご案内を出しておりません(特に会の幹事なども決めていなかったもので)。でも、関心のある方はどうぞおいで下さい。場所は吉祥寺駅南口徒歩5分、丸井の左手奥の、武蔵野公会堂、二階の第一和室です。午後二時から五時の予定です。おいでになる場合でも、特に 連絡は不要です。また会費などもないです。よろしく。
 

もうひとつのあの頃

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 8月20日(日)00時33分0秒
編集済
  昭和五十九年の春。予備校講師のアルバイトはないかな?

駅の売店で新聞を一部。求人欄を眺めていたら、これは良さそう。電話で問い合わせ。
履歴書を送ってください。履歴書はペン書きで楷書というもの。写真も貼付しないとね。

講師控室。なぜか国語の先生が話しかけてくる。いつとはなく長話。永野さんでした。

昭和が終わりに向かっていたあの頃、ある日の午後。
 

あの頃のこと

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月19日(土)13時40分29秒
編集済
     野口存彌さん、葉山修平さんを偲び、業績を顕彰しようとする集いが明日と来週と、引き続いて催される。去る者は日々に疎しというが、同じ同人だったひとを、このように思い起こす日があるのは、憂き世にあってせめてものことである。
                                   ○

    iPadが新しくなって、よく見るのは、you  tube。昔の風情、手振りを見るにつけ、いまのわれわれのそれと比較して、ああとため息である。昭和の生活の映像を見ると、確かにクーラーもなく、電子レンジもなく、ましてや携帯・スマホも、当方が重宝しているiPadもない生活ではあるが、此処にはそれ以上の何かがある。当方が念頭にしているのは、いくつかの小津映画であったり、吉永小百合や本間千代子の映画やドラマなどであるが、そうした情調が短くパックされたものが、先だって紹介した、「教育映画 六人姉妹」だろう。観てくれた同人からのコメントもいただいたが、私たちがこの半世紀で何をなくしたか、考えるためにもいま一度その動画を引用したい。
https://www.youtube.com/watch?v=DHMy6WJLyFE

  出演者や、監督など概要はこちら。
http://www.jmdb.ne.jp/1959/ci006510.htm


   むろん映画やドラマは理想主義で作る。女性は美しく、男はかっこいい。それは、観る側に好感を与える基本でもあろう。そしてストーリーも大事だ。観ていて飽きがくるのでは話にならない。
   だが、先ほどの「教育映画」は、まその冒頭だけだからか、一日の始まりを映しているにすぎない。それでも、これには何か共感というか、観ていて好もしい感覚を得る。それは何か。こうした小編にコメントは無粋であろうが、それは「生活」であろう。現代のわれわれからは見られなくなった、あるいは少なくなった生活のひとこま、ひとこまがあるからであろう。

    冒頭のトイレ待ち。家族と一緒の生活なら、多かれ少なかれこうした経験はあるだろう。待ちきれなくなって、隣家のそれを拝借、戦後しばらくの間はそれはごく普通のことだった(男の子の「毎度ありい」もよくあったろう)。出てきた四女は、鏡に向かって「あっちゃん、お早う」と自分にあいさつする(これは女の子ならであろう。男子は言わない)。
    そして発見する、きょうの出来事。なんとアイロンをそのままにして、衣服に焦げを作ってしまう。本間千代子演ずる三女、のむくれもよくあった。ここで感心したのは、よく朝からアイロンかけしているなであろう。やはり女の子、ピンとアイロンの入った制服を着て行きたかったのだろう。それが、この事態。「今日、もう学校行かない!」とむくれるのも、気持ち分かるである。
   アイロン事件は、そも長女に、末っ子を起こして、と依頼があったからだった。大家族の役割ゲーム、それぞれの分担を果たすところにも、生活が見える。
   その長女、母親と一緒に、朝御飯の支度(と妹たちのお弁当作り)。ちばてつやのマンガに出てきそうな理想的なお嫁さん候補(ほんとに美人で、好みのタイプ、と誰もが思おう)。お母さんも、最後にナレートがあるように、「みんなが大好きな」ステキなお母さんである。
    さて件の三女、制服を焦がしてどうしたかというと、次姉の申し出は一度は断ったのに、その一張羅を借りて降りてくる。そのときの笑顔、のちによく見た本間千代子の顔だった。機嫌良くなって、お弁当届けも 自ら申し出る。このとき、長女はこの三女の姿をまじまじ見るが、これも男にはない視点。
    最後に、長女「お父さん、待って」と靴を履くのももどかしげに、父を追いかける。これをエディプスコンプレックスだとバカなことは言わない。稲葉義男演ずる父も、優しく頼もしい父だった。

    肝心の朝餉の場面は省略したが、短いが、登場人物にむだはない。皆それぞれの役割分担がある。(イヌもしっかりそれを果たしている)。各場面に、製作者の意図がしっかり出ていた「教育映画」であった。





    
 

野口存彌先生ご遺族に

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月18日(金)20時12分11秒
 

野口存彌先生ご遺族に

 

  八月なのに長雨が続いていますね。いかがお過ごしですか?
   さて、野口先生がお倒れになって、二年半が過ぎました。このかん、先生を思い偲んだ日々でしたが、つくづく野口先生のお人柄と文学上のお仕事は、残ったわれわれ同人には、ぜひともこの業績を継いでいこうとの気持ちが強くなっていきました。
    とりあえず、雑誌「群系」では、36号で追悼特集、続く37号では、膨大なお仕事の全体を少しでもつかもうと、その著作の【解題】特集を編みました。これは同人始め、内外の研究者の方にもご協力いただいた、同人雑誌では空前の規模のものとなりました。われわれとしては、これを礎石に野口先生のお仕事、雨情のこと、ひいては日本近代文学の研究をさらに進めたいとおもっています。
    こうした状況のなかで、このたび、野口先生のさらなるご著作が、武蔵野書房から刊行されることになりました。  ご著は『昭和の三人の女性作家ー大田洋子・森茉莉・佐多稲子』というもので、この三人の作家については、「群系」誌28号~30号に初出がありますが、野口先生の晩年の新たな境地を開いたものでした。来たる8月20日に、同人参加の感想会を予定していましたが、出版元・武蔵野書房さんの事情で刊行が少し遅れることになりました。それで急遽、20日の日は、野口文学の研究、野口先生の顕彰をこれからどうやっていこうか、という相談・協議の場にしようと、なりました。この日はおもだった人、幹事になるべき人が集まり相談する予定です。
    幹事格の方には、野口雨情の研究者の方もおられます。雨情の童謡や民謡などを野口先生と同様に資料から初め膨大な研究実績のある東道人さん、武蔵野市を中心に三十年以上も歌唱活動を続けてきた武蔵野雨情会の佐藤文行さん、野口存彌さんのご著作を刊行されてきた踏青社の斎藤熙さんなどがいらっしゃいます(その他雨情研究では。北茨城で、野口雨情記念館の館長をされていた清水常光さん。詳細な雨情の年譜を作成された安部憲夫さんなどがいらっしゃいます)。

  野口存彌さんの研究、そこに含まれる、研究の先駆け・動機ともなった雨情研究、ぜひ、これらをいったいのものとして、研究を続けたいとの意思が私どもにはあります。このさい、ご遺族の方にはぜひ、私どものこの気持ちをご理解いただき、ご後援を願いたいと存じまして、とりあえず筆をとった次第です。
   行く行くは、野口雨情・存彌記念館のようなものの設立までもっていければと、存じているところです。
?

https://www.google.co.jp/webhp?sourceid=chrome-instant&rlz=1C1NDCM_jaJP700&ion=1&espv=2&ie=UTF-8#q=%E9%87%8E%E5%8F%A3%E5%AD%98%E5%BD%8C&tbm=vid

 

お二人の偉大な足跡を思いて。

 投稿者:管理人 永野悟 iPad  投稿日:2017年 8月18日(金)00時26分30秒
編集済
     長雨がつづく。おかげで酷暑などは免れているが、このまま夏も終わるのかと思うと少しさびしい。

    この夏の終わりに期せずして、大きな足跡を残した二人の文学の先達を偲ぶ催しが続いて行われ
る。一人は、一昨年亡くなった野口存彌氏(1931-2015)で、20日に、雨情研究者や群系同人などが集
まり、これからどのように、その顕彰をしていくか協議の予定。今一人は、この八月が一周忌になる
葉山修平氏(1930-2016)である。こちらは、生前のにぎにぎしさを表すかのように、発起人も名を連ね
て、大きな催しになる予定のようだ(27日)。
    人柄も、その文学も対照的なお二人であったが、残ったわれわれは、何を継いでいったらいいの
か、いろいろ思案するところである。

    特に小生は両方の先生の恩顧を賜った?関係にあるので、故人の足跡の評価はこういうところでは
あげづらい。ただ、葉山修平先生は、母校千葉大学の大先輩であり(国文科第一期卒業生・のち東大大
学院)、学生時代からよく母校に出向き、千葉大の国文研究の学会創設や、文芸誌の刊行などされてい
ろいろお世話になった。教育学部の国語科専修とはよく野球大会もやった。国文科の同窓雑誌編集の
際は、葉山氏の当時の勤務先であった開成高校へ後輩を連れて伺ったのも思い出である。
    が、周知のように、「群系」を創刊して以降は、その人柄と文学において、野口先生に傾いていっ
た。だいぶ前であるが、野口氏の文学研究のご本の出版祝賀会を、その母校である早大・大隈会館で
やったことがあった。父君雨情の文学・人生を論じたご本であったが、その直後に「群系」が創刊さ
れた際、その報告を編集後記に書いたところ、後日知ったのだが、葉山先輩はその記事にたいそうご
立腹だったという。
    なんでも、「早大大隈 会館で」と大学の名前を出したのが忌諱にふれたらしい。(ま当方もそれは
それとして理解できるが、いかんともしがたいことだった)。

   「葉山神話」というものがあると思う。実像はもっと違うものがあるにしろ、あの弁舌、威勢に萎
縮して、いろいろな話、文学の集いがあったのではないか。
    別の意味で「野口神話」も出来つつあるように思う。こちらは、事実と違う意味での神話でなく
て、やはり、人間的にほんとにすばらしい人だったという意味で、神話、というのである。

    勝手な言い草になったかもしれません。当方の僻目と御受け取りください。
 

懐かしのブリティッシュ・ロック

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 8月16日(水)20時05分13秒
編集済
  ビートルズに一緒に頑張ったThe Serchers。
地味でしたがとても良かった。
ヒットした曲のなかでわたしが一番好きだった""When you walk in the room"
1967と2009の二つのヴァージョンですが、音楽は時間を越えます。
https://youtu.be/4XWQCLqab4o

そして
https://youtu.be/GHVTx_MgvVA

楽しそうに歌っていますね。

【歌詞】

I can feel a new expression on my face
I can feel a glowing sensation taking place
I can hear the guitars playing lovely tunes
Every time that you walk in the room

I close my eyes for a second and pretend it's me you want
Meanwhile I try to act so nonchalant
I see a summer's night with a magic moon
Every time that you walk in the room

Maybe it's a dream come true
Walking right alongside of you
Wish I could tell you how much I care
But I only have the nerve to stare

I can feel a something pounding in my brain
Just any time that someone speaks your name
Trumpets sound and I hear thunder boom
Every time that you walk in the room
Every time that you walk in the room
 

合評会は午前11時から。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月16日(水)19時35分22秒
編集済
      土倉さんご提案の、合評会を午前中からということで会場に問い合わせたところ、幸い、空いているということで、午前も部屋どりしました。でも午前9時からでは長丁場、大変なので、午前11時開始はいかがでしょう。
     群系38号合評会
        日時   9月24日(日曜)   午前11時~午後4時半        途中午後1時~2時  休憩       5時からコンパ
        場所   タワーホール船堀     4F  和室1      都営新宿線船堀駅下車 目の前
   合評順序    今回は、最後の方の創作からやりましょうか。その後、特集の論考、最後に、富士正晴大賞の記事を扱うのはいかが?  例の通り、出席者のもの中心にやっていきますが、この板では、どの論稿でも自由に論じて下さい。

                    ○

    なお、来たる日曜日、8月20日は、同人だった故野口存彌さんのご著『昭和の三人の女性作家ー大田洋子・森茉莉・佐多稲子』の感想会をやる予定でしたが、肝心のご本の刊行が遅れていて、感想会自体は、延期となりました。いつやるかはご本が出た後、決める予定です(多分11月以降となりそうです)。
   20日の日は、雨情研究者などおもだった人で、これからの、野口存彌文学の研究、雨情の業績の顕彰をどのようにやっていくか、皆で話し合う予定です。ご著作を予約注文された方など、関係者の方には、世話役の当方(永野)から今日付けでご案内をだしましたが、関心のある方は、どなたでも、どうぞ。
     場所    武蔵野公会堂第一和室  (2階)        吉祥寺駅南口5分     (丸井  左後ろ)
     日時     8月20日  午後2時~5時
 

那珂川への思い

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 8月16日(水)18時52分54秒
編集済
  学生の頃、水戸出身の人と友だちになりましたが、那珂川への思いが基底にあるなと感じたことを思い出しました。

生活に根差した大きな川はありませんから、わからないところも多いのですが、海への思いと共通するところなのかもしれません。

水源に乏しいですから、昔から夏場の水不足は深刻で、どの家も貯水タンクを備えていました。昭和52年に須賀川ダムが完成、昭和57年に野村ダムが肱川中流域に完成し南予分水開始、生活用水に困らなくなった時は、ありがたかったですね。

何気なく使っている水の多くは肱川から。分けてもらった後は山間部を迂回して大洲。鵜飼。『おはなはん』の舞台となったところ。

小野さんが群系誌に連載の『会長のファイル』拝見しています。それぞれがそれぞれ、実物を特定できてしまいますね。保健師さんからの報告書を読んでいる、かのような錯覚を楽しませて頂いています。勝手な印象です。すみません。
 

紫禁城の黄昏

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 8月16日(水)17時04分22秒
編集済
  十二年前、渡部昇一さんの監修で『紫禁城の黄昏』の完訳が出版されましたが、ジョンストンの鋭い指摘があります。「支那と言われている地に国家が存在したことはなかった。あったのは王朝だけであった」。中華人民共和国は、歴史と伝統を制度として引き継いでいるだけ、ともいえますね。王朝の一部だった朝鮮半島も、昔ながらの伝統を制度として光復させただけなのかもしれません。百済と伽耶諸国は少し違う情勢だったみたいですが、今となってはわかりません。

伝統は大切ですが、制度は変わっていくもの。変わっていかないと、情勢にそぐわなくなり、滅びてしまいますから。

日の本は東にありて皇国(すめろぎのくに)。仁徳天皇と民の竈。隋に宣言されたのは聖徳太子。

大堀さんが指摘されていることを繰り返す国は中華人民共和国と大韓民国(と北朝鮮)だけでしょう。先人の労苦を今に。

いずれにせよ、メディアのフェイク性が周知のこととなったのは、悪くないように思われます。
 

坂井瑞穂様「那珂川慕情」の読後感ありがとうございます

 投稿者:小野友貴枝  投稿日:2017年 8月16日(水)16時13分15秒
  図らずも昨晩、日テレビB.S「スター感動秘話、我が心の師鳥羽一郎、船村徹」を見てまして、感慨深く、述懐していました。那珂川慕情は、船村先生が同じ同郷のよしみで大変気にいってくださって「歌にするから歌詞を作って来いと言われ」創って、パレスホテルまで持つて行きましたが、話し会いが成立せずダメになったという経緯があります。また、ドーバー海峡は私の友人が関わっていたので、日本の大きな貢献産業でしたので描き、残したかったのです。烏山の故郷、那珂川と一諸に全部取材して書いた内容です。また「東京ステーションホテル」も私の常宿したホテルですので書いておきたかった。「那珂川慕情」、作品を随分応募しましたが、どこにも引っ掛からない、陽の目に合わない、不遇というのか逆境の作品です。可哀相に。友貴枝泣いています。  

赤箱を

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 8月16日(水)16時06分9秒
編集済
  十二年熟成させると黒箱になります、と言いたいところですが、牛乳石鹸はジョニー・ウォーカーではなかったのでした。五十年以上熟成させると究極の青。究極の牛乳石鹸が青箱とならない不思議。

二十年前、シングルモルトを楽しんでいました。正月の贅沢にということで、一回だけグレンリベット二十五年もの。ストレートが美味かったですね。よく出ているのは十二年ものですが、少し青臭い(緑っぽい味わい)。

ウイスキーもいいのですが、いつの間にか日本の焼酎に回帰。こちらの気候と風土になじむのは焼酎なのかもしれません。お湯割りにするのであれば、二十五度もいいのですが、ストレートや氷を入れて楽しむのであれば、二十度がまろやかでおいしいですね。
 

やっぱ大恥かいた!鎌田先輩スイマセン。

 投稿者:坂井瑞穂  投稿日:2017年 8月16日(水)12時14分30秒
  あんまり、端末の操作に不慣れとか、弁解するつもりはありませんが、青箱の写真を送信できなかったようです。先輩はそのあたりをくんでくれたようでして、すべてを状況証拠のみで理解し、対応してくれたのですね。お詫びとともに感謝いたします。
ですけど牛乳石鹸はそんなめずらしいものなのでしょうか。
月のマークは花王、牛のマークは牛乳、ごく当たり前の存在に思えていましたけれども、これって私が墨田区の石鹸工場の近くに住んでいるせいなのかもしれません。

何とか青箱の写真を空欄に挿入したいものです。
 

赤箱と青箱の違い

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 8月16日(水)09時00分11秒
  坂井さん、こんにちは。
メーカーのホームページを見てもらえばわかりますが、スクワランという保湿剤が入っているのが赤箱、入っていないのが青箱になります。赤箱は柔らかめで溶けやすく、青箱は硬めで少し溶けにくくなっています。

病気等の影響で皮膚が弱くなっている場合は、保湿剤入りの赤箱でも皮膚が引きつります。手を洗うくらいであれば大丈夫なのですが、入浴用にはしんどいですね。
 

鎌田先輩、どうだぁあ?

 投稿者:坂井瑞穂  投稿日:2017年 8月16日(水)07時51分57秒
  ところで赤箱と青箱ってどうちがうの?教えて?







ところで赤箱と青箱ってどうちがうの?教えて?







 

陛下「深い反省」 安倍無反省

 投稿者:大堀敏靖  投稿日:2017年 8月15日(火)19時21分51秒
編集済
   明日の朝刊にはこういう対句的な見出しが躍るものと思われます。

 陛下は今月の六日、九日、十五日に加えて六月二十三日を日本人の記憶すべき日として挙げていらっしゃいます。
 それは沖縄戦の組織的戦闘が終結した日で、沖縄に対する陛下の思いは殊の外深いものがおありのようです。

 今上陛下御製(琉歌)

 ふさかいゆる木草めぐる戦跡 くり返しくり返し思いかけて
(生い茂っている千草の間を巡ったことよ 戦いの跡にくり返し思いをはせながら)

 花よおしゅげゆん人知らぬ魂 戦ないらぬ世肝に願て
(花を捧げます、人知れぬ御霊に。戦いのない世を心から願って)

 絶対無私と平和主義はご皇室の系譜と考えてよいと思いますが、明治陛下も日露開戦に臨んで「四方の海みな同胞と思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」とお詠みになり、これを昭和陛下はやはり大東亜戦争の開戦時に御前会議で引用されております。
 その道統を確かに受け継がれて絶対的平和主義者の陛下は火炎瓶を中核派活動家に投げつけられてもひるむことなく沖縄への思いを持続されました。

 かかる陛下でありますから、ひたすら平和を希求され過去のような惨禍が繰り返されることのないよう祈りを込めて戦没者の御霊に向かわれ、当時の元首であらせられた父君昭和陛下に代わって「苦しい思いをさせてしまった」という「深い反省」のお言葉を述べられたのだと解釈申し上げます。

 マスコミが言いたいのは「侵略戦争をした責任を自覚して反省せよアジアの人々に詫びよ」ということで、陛下が侵略戦争を「反省」せられているのに、安倍は戦争責任について5年連続で言及せぬ不届き千万な不忠の臣ではないかということだと思います。

400年に及ぶ侵略を行ってきたのは欧米であって、勝ったから免れるわけではなく、日本の立場も最近の歴史研究で次第に明らかになりつつあるときに臨んでもういいかげん責任とか謝罪はいいのではないかと思われます。

いつまでも日本人自らがこんなこと言っていては、中韓がつけ込んで謝罪、賠償をいってくるという構図があって、そろそろなんとかしないといけないと思います。
 韓国は「慰安婦像」に続いて「徴用工像」を除幕し、さらに荒唐無稽な映画まで作って反日をエスカレートさせております。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6250261

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170809-00000033-mai-kr

 陛下のお言葉と安倍首相のスピーチは事前に擦り合わせが行われ、全体として特定アジアも配慮し、もういいかげん謝罪やお詫びや責任は払拭しようということなのではないかとわたくしは思います。

 なんで、千鳥ヶ淵墓苑、武道館までいくことができて、目と鼻の先の靖国には首相が参拝できないのか、陛下のご親拝もかなわぬのか、そこが歯がゆくてしかたありません。
 「靖国で会おう」と笑顔を残して散華された英霊の方々がなんと思われているか、こんなねじけた状況を喜んでいられるとは到底思われません。

 

レンタル掲示板
/427