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むしろ長距離戦で

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 8月26日(土)10時32分51秒
編集済
  野口さんの扱いは、冠をかぶせた第一特集というよりは、
有志が持続的に、第二特集、小特集、サブ特集として底流としてつなげていったらどうでしょう。
あまり力瘤を入れないで、
義務化・拘束化しないで、長距離走のつもりで、
新しい各人の「発見」を積み重ねつつ、
丁寧に落ち着いてやっていくほうがいいと思います。

もちろん、どなたかが、
「野口存彌から見た明治、大正文学」 という論考を書かれるのは大賛成です。
 
 

「野口存彌から見た明治、大正文学」

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2017年 8月26日(土)06時17分23秒
   第一特集として「野口存彌からみた明治、大正文学」としたらどうでしょうか。並列の特集として自由に「明治、大正文学」を取り上げてみる。

 永野さんのお気持ちはわかりますが、少し前のめりに成りすぎかと思えます。我々も高齢になってきてますから、先が短い。しかし、落ち着きましょう。
 野口さんは他の評論家、研究者が見ていなかったところを考えて来たかと思っております。

 その違いを見つけて論じるには、じっくりと御著書を読まなくてはなりません。多分『群系』同人は野口さんの、これぞ「野口存彌」ならではの作品!!をもっているかと思います。

 せっかく、「全国同人誌大賞」を取ったのです。じっくりと批評の醍醐味を書くひとも、読む人ひとも味わいたいものです。
 

野口存彌氏の文学ー扱ってきた作家・詩人など

 投稿者:管理人 永野悟  投稿日:2017年 8月26日(土)00時01分7秒
編集済
    野口存彌氏が書いてきたものは、どういうものか、「群系」既刊号と、文学研究の単行本からわかるかぎりで示してみようと思います。

「群系」既刊号 投稿内容  収載号
野口存彌 創作 顔蒼ざめて          1
野口存彌 創作 異形の男           2
野口存彌 創作 異形の男(承前)        3
野口存彌 創作 正午を過ぎて          4
野口存彌 創作 チューリップが咲いて     5
野口存彌 創作 夕日が沈んで         6
野口存彌 創作 真夏の前           7
野口存彌 創作 モノローグ旅行        8
野口存彌 創作 夜が明けてから        10
野口存彌 「風と光と二十の私と」について ―坂口安吾を読む・第一回―   11
野口存彌 「いずこへ」について ―坂口安吾を読む・第二回          12
野口存彌 創作 長い夕暮れ                               13
野口存彌 創作 (児玉)花外の悲しみ、母の悲しみ        14
野口存彌 「城のある町にて」 ―子供を見る青年―         15
野口存彌 堀辰雄―「麦藁帽子」の背景              16
野口存彌 特集芥川賞 二一回(一九四九上半期)由起しげ子「本の話」 17
野口存彌 堀辰雄 ―幼年時の問題―                  17
野口存彌 藤枝静男 その男性性 ―「ヤゴの分際」を読む―     18
野口存彌 特集「昭和文学」 武田泰淳・「審判」を原点にして    19
野口存彌 太宰治 健全な生活というアポリア-「黄金風景」から「津軽」「舌切雀」まで―  20
野口存彌 太宰治・罰せられるものとしての自己 ―「俗天使」から「斜陽」「人間失格」まで― 21
野口存彌 太宰治と菊田義孝 ―文学と宗教を問うー             22
野口存彌 「私」の好きな詩 蒲原有明・詩的完成という逆説         23
野口存彌 【新刊紹介】野口存彌著 『太宰治・現代文学の地平線』      23
野口存彌 大岡昇平―中原中也へのまなざし ―無垢と邪悪と          24
野口存彌 特集Ⅰ夏目漱石  家族という他者と漱石
          ―「道草」と『漱石の思ひ出』から浮かび上がるもの―   25
野口存彌 特集 大逆事件と文学 佐藤春夫 ―大逆事件から遠く離れて―      26
野口存彌 野間宏「顔の中の赤い月」の背後に ―戦争の経験をどう受けとめたのか  27
野口存彌 特集 『戦争×文学』を読む 川上宗薫「残存者」 穂田川洋山      28
野口存彌 大田洋子と原子爆弾 ―人間の不幸へ注ぐまなざし      28
野口存彌 森茉莉のいる部屋 -鴎外・山田珠樹・森類         29
野口存彌 佐多稲子・その生きるという経験             30
野口存彌 森鴎外・小説の問題 -「舞姫」まで、「舞姫」以後-    31
野口存彌 芥川龍之介・芸術の光、人生の闇             32
野口存彌 優美なものを求めて-軍歌のかげのひそやかな調べ     32
野口存彌 特集 昭和戦前・戦中の文学  坂口安吾・廃墟への意志   33

 第10号までは、本誌には創作が主な投稿ジャンルでしたが、11号からは、研究論文が中心になりました。ほとんど毎号欠かさずに投稿、それも20ページ以上のものが多かったです。中には、本誌特集の求めに
応じて、二つの原稿を出されているのも少なくないようです・



 ご著作については、その数が多いのと、そこからどういう作家・詩人を対象としているのかつかむのは難しいのですが、とりあえず、文学研究のご本から、その目次をあげてみました。ご本は、雨情全集など、編集・共著も含めるといろいろありますが(それらの【解題】は37号にあります)、とりあえず目につくものをあげてみました。

『父野口雨情 ー青春と詩への旅ー』筑波書林
「父 野口雨情と利根川」「父 野口雨情と童謡の時代」「初期作品・新資料について」
「初期おとぎ話群の発見」「明治四十年前後」「『沖の島根』の発見」「初期詩篇六編」
「父野口雨情点描」巻末に年表

『野口雨情 詩と人と時代』 未來社
   Ⅰ
1可憐なるものの死と孤児と―児玉花外と野口雨情 (『枯れすすき』第7号 昭和55年4月)
2同時代の知友たちの足跡―鷹見久太郎と鈴木善太郎と(『枯れすすき』 第8号 昭和55年10月)
3民謡・口語詩・象徴詩―野口雨情と上田敏のあいだ(『枯れすすき』第9号 昭和56年4月)
4山上の人―中村有楽の生涯をめぐって(『枯れすすき』第10号 昭和56年10月)
5明治の奔流のなかで―社会主義運動をめぐる一断(『枯れすすき』第11号 昭和57年4月)
6救済者としての子供―童謡への出発(『枯れすすき』第12号 昭和57年10月)
   Ⅱ
樹木の多い庭―父野口雨情の晩年小景 (『柿の葉』第37号 昭和56年4月)
父野口雨情について(『児童文芸』昭和57年9月臨時増刊号)
街路樹のある道(『早稲田大学仏文科クラス会記念文集』昭和55年7月)
樹々の音楽 (『眼』第8号 昭和55年9月)


『大正児童文学―近代日本の青い窓』踏青社
Ⅰ 編集サイドよりみた大正児童文学
鈴木三重吉と『赤い鳥』/「蜘蛛の糸」と「一房の葡萄」/宮沢賢治の童話/北原白秋の童謡/
宇野浩二の童話/沖野岩三郎/大正の終わり、昭和へー
Ⅱ 大正児童文学の探索
坪田譲治と加藤一夫/編集者小野浩についての覚書―「赤い鳥」の知られざる功労者/
内藤鋠策と童謡雑誌『たんぽぽ』
Ⅲ 野口雨情 検討と追憶
「七つの子」観賞/「シャボン玉」観賞/父の印象/父が用いた筆と眼鏡/言葉の背後にあるものー父雨情をめぐって/明治三十年代から四十年代へー証言と新資料による/『定本 野口雨情』に寄せて/<枯れすすき>への道程
あとがき

『文学の遠近法』  武蔵野書房
Ⅰ 中里介山・その文学の原点/森鷗外「大塩平八郎」を読む/平出修・英知の人の感性/
『太陽』・『文章世界』に見る平出修/沖野岩三郎と平出修/沖野岩三郎と大逆事件/
沖野岩三郎と内村鑑三/軽井沢と沖野岩三郎/沖野岩三郎と加藤一夫/
加藤一夫と独歩の『欺かざるの記』をめぐって/加藤一夫『トルストイ人道主義』について/
野口雨情と北方の海、大地/野口雨情の童謡/よみがえった短歌世界―『内藤鋠策 人と作品』を刊行して
Ⅱ 宮沢賢治を考える/梶井基次郎・子供を見る青年
―「城のある町にて」試解―/葛巻義敏と坂口安吾/坂口安吾・『言葉』創刊の前後/坂口安吾について/
坂口安吾著『白痴』/坂口安吾「いずこへ」を読む/堀辰雄―「麦藁帽子」の背景/
堀辰雄―幼年時の問題 あとがき 初出一覧

『詩的近代の生成 明治の詩と詩人たち』 踏青社
「花薔薇」からの始まり/『枯れすすき』第二三号(平成12年10月)
国木田独歩・「山林に自由存す」の成立/『枯れすすき』第二四号(平成13年10月)
島崎藤村・『若菜集』への道程/『武蔵野大学文学部紀要』第六号(平成17年3月)、
同七号(平成18年3月)
上田敏・その人間像を求めて/『平出修研究』第38集(平成18年6月)
永井荷風・言葉の音楽/『枯れすすき』第二二号(平成10年10月)
川路柳虹・最初の口語自由詩を書くまで/『武蔵野女子大学文学部紀要』第二号(平成13年2月)、
同三号(平成14年3月)、同四号(平成15年3月)、『武蔵野大学文学部紀要』第五号(平成16年3月)


 先の「群系」で論じた作家などには、漱石・鴎外、芥川や佐藤春夫など、有名な作家も目につきましたが、こちらご著では一見して、そうでない人たちも目立ち、野口氏の扱った文学者のある傾向性がみられることでありましょう。
 以上は、目次から、どういう作家・詩人が扱われているか、眼につくものをあげたまでで、むろん他のご著に扱われている文学者は、そうしたご本に直接あたるしかなないでしょう。畢生の大著『沖野岩三郎』には、それこそ明治大正期の思想群像が相当あげられたいましょう。でも現在編集部でそれをあげるのは手にあまることなので、各位のお力におまかせしたいです。、

 さて、これらを元に、次号で、野口存彌氏と明治大正文学、といった特集を組みたい。むろん、野口氏のこれらと関係なく、明治大正文学を扱うことになっているのは、この板で開陳してきた通りです。また。
 

すこし議論が必要では??

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 8月25日(金)20時31分44秒
編集済
  >野口文学の研究・継承はもはやゾルレンとしてわれわれ同人の前にあります。

その「われわれ」のなかに誰がいるのでしょう??

失速的な感じがします。

>いま、われわれがやらねば誰がやる、という使命感ももって、げんこうぼしゅうしたいと思います。ご協力願いします。

ちょっとちょっと、という感じがします。

じっくり議論を重ねませんか??
 

野口文学研究の端緒に着きます。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月25日(金)16時16分41秒
編集済
     本日、野口さんのご遺族、先日20日の会においでになった、妹さんお二人、吉嶺喜代子さんと、荒木惠代さんに宛てて、野口存彌さんの年譜作成のお願いを郵便でだしました。見本の例として、野口さんの畏友であった菊田義孝氏の年譜(18号収載)コピーを同封しました。37号の「野口存彌著作年譜」2ページを基本にそれに生活のことなどを追加補充してもらうべく、8ページにしたコピーを送ったのでした。

    野口文学の研究・継承はもはやゾルレンとしてわれわれ同人の前にあります。時間も差し迫っていますので、募集要項、特集アピールを各位に送って、ご投稿のお気持ち、また特集への参画の有無、さらに、その中で、野口文学への関わりのお気持ちなどを、今月末までに聞き出したいと思います。その結果については、回答のあるごとに、この板で掲出したいと思っています。いま、われわれがやらねば誰がやる、という使命感ももって、げんこうぼしゅうしたいと思います。ご協力お願いします。
8
 

いや…

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 8月25日(金)09時19分16秒
編集済
  私が言っているのは、鎌田氏の構造モデルではなくて、
より特集内容と直結し、書き手の各人に影響するはずの永野さんの文学史の方です。
言葉足らずですいません。
 

確かに・・・う~ん、判らない

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 8月25日(金)09時05分7秒
編集済
  鎌田さんのロジック。

ひとつひとつの段階に「螺旋的な構造」を見いだす、ということなのかしらん。

文学史は、まったくの不勉強なわたしですが、区分されたそれぞれに"時期"の特質がありますよということかな。???

朝から頭が煮詰まりましたので、最近のショットで弛緩するとします。
(或る朝に、咲いた朝顔にしがみついている甲虫を発見。よく見ますとそいつが齧ったのか、小さな穴が開いてました。可愛いですね。花を食べるのかなあ)
 

「四つの段階」説

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 8月25日(金)08時02分27秒
  >「四つの段階」のテーマについて

■うーん、
難解、深遠すぎて…わからない。

 

「四つの段階」のテーマについて

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月24日(木)21時34分9秒
編集済
     反応が早いのがこの板の特徴、かつ身上ですが、下のご投稿最後の「四つの段階のテーマ」について。

   文学史の時代区分は、「近代文学」に集った同人たちも、よく論じていたかのように思います。同人の批評家たちにはそれぞれのテーマがあった。本多秋五は、白樺派の研究から、「芸術・歴史・人間」というマニフェストを「近代文学」の創刊号に書いた。平野謙は、特に島崎藤村の研究から、日本の封建主義の問題、そこから自我の確立をいった。彼らは共産党シンパったが、いわゆるハウスキーパーの問題で、「一つの反措定」を書いた。すなわち、戦争小説で儲けたといわれる火野葦平と、戦争にすすむ官憲国家に殺された小林多喜二を、複眼的な目でみて、文学自体のあり方を問うた。これは、政治から独立した文学の主体性を主張したものだが、中野重治の怒りを買うことになる。平野に同調して文学の意味をいう荒正人とあわせて、「平野・荒は間違っている。この民主主義革命がなされるこの時に、二人は反革命だ」と断じた。いわゆる「政治と文学」の論争が始まったのだが、この論争が重要なのは原理論として、文学の独自性が言われたからばかりではない。明治期にもこのような論争はあった。だがここまで論壇そろっての議論となったのは、やはり占領下という特殊性を抜きには語れない。あの凛烈な詩を書いた中野重治がこうまで政治の原理に跼蹐してしまうとは。

    要するに、文学史は理屈や原理だけでは語れないのだ。その時の「場」の状況、ナマの歴史が問題なのである。明治期、「自然主義」を泰西の実態と離れて声高に論じた田山花袋を後代のわれわれは一笑できようか(「蒲団」のみならず、「少女病」を書いた、星菫派の花袋であった)。
    おなじように、武者小路実篤の天真爛漫な、真実一如を笑えようか。
    関東大震災を転換期としたのは、風説によるのではなく、われわれ自身が、3・11を体験し、そこから「震災」特集を編んで、その被害のまざまざを読んできたからである。その後に、新時代として、「新感覚」を訴えた「文芸時代」の作家にはやはり、新しいものがあったからいまも注目なのである。その後のモダニズムの中に、伊藤整の新心理主義(ジョイスの唱導)、や堀辰雄の都市化された作品があった。

  「四つの段階」の区分の意味、テーマを論じているのだが、要するに、それぞれの始まりとされる時期の文学的表明にわれわれは一顧すべきだと思うのである。悪名高い保田たちの新浪漫主義にしろ(その前後に「文芸復興」という表現もあった)。戦争文学といっても百人と色である。悪く言われる火野葦平とその文学は、明治百年のこの国の国民文学の達成ともいえるかもしれない。
   画期的、という言葉があるが、何が「画期」なのか見定める文学的複眼を、いまこそわれわれは持たねばなるまい。
 

4つの段階テーマ?

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 8月24日(木)21時06分8秒
編集済
  ■あえて「野口文学」などの冠をつけるのは、
特集にしても、拘束性が強すぎ、無理があると思います。
(そもそも「野口文学」と何の断り書きもなく書きつけるには、まだその独自性や本質が明らかになっていない。それはこれから探究されること)
執筆者個人としては、そういうアプローチで展開する方がいてもいいとは思いますが、
あくまでそれは、個人の自己判断ということで。

私が思うのは、むしろ生前の野口存彌さんの口癖だった
「日本文学ほど面白いものはない」という言葉や、
「社会主義とキリスト教がなければ、戦前は暗黒だった」
などの弱者や、孤立した個人に対する共感性、文学における社会批評などの精神的継承であります。

さらに、
個々の作家にとらわれない包括的な文学的興味と知的好奇心、
そういったものが、野口さんの書き物の底流となっている。
それらの精神を、結果的に継承していればいいのであって、
逆に言えば、反撥する者がいてもいい。(あえて、野口存彌文学批判もOK)


■「日本近代文学の始源」というテーマにしても、
もともと個々の執筆者が「文学とは何か」という本質的な問いかけと重ねて追究しなければ、
文学史の知識や概念、過去の論客が造語したキーワードの入れ替えに留まり、大して意味はないでしょう。

この文学衰弱、文学衰退、文学無意味化の時代、
文学の価値をアプリオリに自明とするような文学史への専門知識的・研究者的な問いかけではなく、
「文学とは何か」についての何らかの新鮮な切り口や、文学の魅力の提示ができなければ、
「国文学 解釈と鑑賞」などの過去の廃刊研究誌と同じ道を歩むでしょう。


               *

>すなわち、「日本近代文学の始源」から「日本近代文学の展開」、「日本近代文学の転換」、
そして、「日本近代文学の崩壊」と4つの段階テーマとすると承知していましたが

■この四段階テーマ、
特集編集上の作業仮説だとばかり思っていたのですが、
ちがうのですか。





 

ご質問、ごもっともです。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月24日(木)20時05分38秒
編集済
      下のご投稿は、ごもっともなご疑問を理路整然綴っておられて、なるほど思いました。近代文学を野口氏の眼からだけ見ていくのはやはり、ムリがあるようです。これは他の文学研究者・批評家にもいえることですが、すべてを満遍なく触れるというのはムリなことだし、意味がないことでしょう。文学研究者には、おのずから、作家・詩人の選択にそれぞれ傾向があり、それがまた個性というものでしょう。
    そういう観点から野口文学を見渡してみると、そこにはやはり傾向があり、野口さんらしさがあります。なるほど、漱石・鴎外、芥川といった定評ある重要作家は、野口さんも群系の特集などに応じて書いておられます。それらの論考にも野口さんらしさがうかがえますが、やはり、その個性が際立っているのは、単行本に掲出された、以下の文学者群でしょう。
    児玉花外、上田敏、中村有楽、中里介山、沖野岩三郎、内村鑑三、加藤一夫、国木田独歩、
島崎藤村、永井荷風、佐藤春夫、野口雨情ー。
    ご著の目次から散見される文学者他を、摘記しました。ここにあげたのは、明治大正期に活動されたとみなされる人たちで、昭和期の作家たちは、また別にあります(梶井基次郎や宮澤賢治などは大正期から活躍していますが、特に代表作などから、昭和前期になりましょうか)。ーー
   荻野さんは、次のように書いています。

「日本近代文学の始源」から発展…と4つの段階テーマとすると承知していましたがー。
  確かにこれは、以前に提起した、特集の名前であり、時代区分です。今回、野口存彌文学者どのように扱うか、目下の課題ですが、私見をいえば、先の時代区分の特集に野口文学も織り込む、ということでどうでしょうか。多くの論考のうち、おそらく半分くらいは、「野口文学と夏目漱石」といった冠をつける形になるのではと思っていま))。

    この際、大事なのは、特集の時代区分ですね。これは、先に提起したものを生かしたいと思います。すなわち、「日本近代文学の始源」から「日本近代文学の展開」、「日本近代文学の転換」、そして、「日本近代文学の崩壊」と4つの段階に、日本近代文学は分けられるだろう、という認識です(「崩壊」とあるように、これは、1945年までを指しています)。
     元号で区切るのは、文学史のならいですが、第1期は、明治期を指していますが、「展開」と謳った第2期は、明治から大正の11年頃までを指しています。自然主義から、白樺派、耽美派などを包摂していっています。第3期に、「展開」とするのは、関東大震災をきっかけに、都市化がすすみ、文学芸術にも新しい動きがでてきたことをいいます。すなわち、横光・川端らの「文芸時代」の創刊ですね。それに、前代から勃興してきたプロレタリア運動がこの時期、隆盛をむかえようとしていました。モダニズムと労働運動、転換期でした。そして、次の第4期は、昭和8年からはじまります。これは共産党佐野・鍋山の転向と多喜二の虐殺、また満州国を打ち立てた日本の行動が侵略だとされ、国際連盟から脱退しますね。これ以降、文学復興だとか、保田與重郎らの新浪漫派の運動がありましたg、戦争の展開とともに、戦争文学が流行し、論壇でも「近代の超克」の論議がされたことは、同人の各位には周知のことですね。

   いま出先ですが、追って野口さんのなしたこととを詳しく開示するととに、この特集に、同人各位はどちらの立場から、何を論じる予定か、個別にめーるなどでおうかがいする予定です。
 

「群系」№39編集方針への質問

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 8月24日(木)09時12分11秒
編集済
  ◆№38から始まった「日本近代文学の始源」から発展…と4つの段階テーマとすると承知していましたが、それはいったんチャラにするということでしょうか? 今月20日の野口さんの集いにより、野口文学と日本近代文学とのセットアップから、永野さんから新たに特集テーマが提示されていますね。

◆正直言いますと「野口文学から見た明治大正昭和文学」の意味が今ひとつ判らない。たとえ野口さんの著作からその文学者の批評を読み、野口さんから見た日本近代文学史の地平をもとに論考を書いてもらいたいとするならば、わたしにはちょっと無理です。当初の「日本近代文学の発展」という第二段階を頭に浮かべて或る文豪の作品論を書こうかなと思い、だいぶ前から準備してきました。だからこの構想と批評的感想の整備をいまさら反故にはできません。ましてわたしはそんなに野口文学に詳しくないのです。

◆野口文学と切り離したうえでの特集もあるというのであれば、その区分けの意味と言うのか意義はどういう風に理解すればよろしいのでしょうか。「群系」と野口さんとの関わり合いは承知しつつも「群系」誌は野口文学研究誌という性格を、今後付け加えるということなのですか。

 

遠い道のり

 投稿者:佐藤文行  投稿日:2017年 8月24日(木)03時05分55秒
  8月23日(水)本日開催の「武蔵野現市長と次期市長候補者の立ち会い演説会」
にはゆけませんでした。お目にかかって少しでも訴えたかったのですが・・・。

東道人さんと長電話して8月20日(日)の反省と今後の予測など意見交換しました。
力も金も時間もない年寄り達が集まって「文学館を作ろう!」と言ったのですが、
まずはなんと言っても「ご親族の強い熱意」がなければ、まず無理でしょう。
現況では全く期待できません。

ご高齢の親族(女性3名)には資料整理さえままならず、甥御さん達はさらに
消極的です。1950年発足の磯原雨情会(会員60名あまり)は生家資料館/野口
不二子氏に遠慮するばかりで、地縛から逃れられないようです。もう一つ、東京
で中山晋平を初代会長として発足した「雨情会」は、現在ほぼ崩壊状態です。
10年余り前に始まった武蔵野雨情会は、雨情詩曲(歌曲/童謡/(民謡)」の
顕彰を続けてきましたが、文学研究者の集まりではないのです。(佐藤は声楽家)

文学者は拠点となる「場所」が生き続けなくては、次第に忘れ去られてゆきます。
武蔵野市内に何かしらの記念館(記念室でも)が必要です。
佐藤文行の35年あまりにわたる研究資料も、佐藤が死ねば捨てられてしまいます。
武蔵野市の公共図書館は第三セクターの運営です。野口雨情を重要視していません。
市報に「雨情」を取りあげたのは世田谷の村松剛で、市内に研究者は居ません。

「群系」が野口存彌文学を追求する事は大賛成ですが、なんと言っても野口雨情
は「全国区」です。社会に広く訴えてゆくには、野口雨情業績顕彰の中で「最大
の研究者・野口存彌」として位置づけ、バランスを取ってゆくことが大切です。

東道人さんは退職後岐阜にとどまり、彼の文学研究を進めるそうです。
佐藤文行はクラシックの声楽科です。野口雨情は研究対象の一端ですが、
身を賭して「記念館創設の実現に邁進する」立場ではありません。
政治家や商工業者、地域の実力者たちに頭を下げて回ることの空しさは
すでに十余年経験してきましたが、成果はありませんでした。

今後はご遺族の説得を続けるつもりです。

群系の皆さんには音楽好きの方が多いようですね。
いちど僕らのコンサートにもお出かけください。
またあらためてご案内します。

http://snow-man.com/

 

ご賛同、嬉しく。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月23日(水)21時14分49秒
編集済
     早速のご賛意、ありがたく。
   とりあえず、そのロードマップをつくるべく、野口文学が対象にしてきた作家・詩人の一覧を早急に作る必要がありますね。iPadのお遊びはちょっと横において、デスクトップに向かいますか。

    各位のご意見をぜひ。

                     ○

【追記】
  次号(39号)のメインの特集については、投稿予定の方はすでに作品、作家に着手、論を考究されつつある方もおいでのことと思います。これはやはり特集の枠の中に入ると思います。例えば、島崎藤村について論じようとするとき、野口さんの当該の論文にあたらなくとも、ご論稿はぜひ、そのまますすめていただければ、ということです(要するに、明治大正文学であれば要件を満たしていることになります)。野口さん自身、生前藤村の偉大さを口にされていましたが、管見によれば藤村についてまとまったご論稿はなかったかに存じます。
    これによって、特集は、二つになるかと思います。すなわち、「野口文学みる明治大正文学」と、そうでない「明治大正文学」特集、ですね。この二つは、同じフレームに、○印などつけて、分かとうと思います。ま、特集のタイトルには、やはり、野口存彌の名前は冠したいとは思いますが。

    とにかく、まず編集部で、野口氏が論じた作家・詩人の一覧を早急に作成し、それを、同人・会員に見ていただいて、ご担当の文学者を決めていただく、ということになりますね。
 

コンセプト

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 8月23日(水)20時37分47秒
  ■編集長のご提案ですが、
タイトルそのものは"一考を要する"とは思いますが、
そのコンセプトは面白いんじゃないでしょうか。
司馬史観ならぬ、野口文学史観。
今後の「群系」ならではの路線、
および、野口存彌文学継承のロードマップは、できると思います。

 

次号特集は「野口存彌と明治大正文学」はいkが?

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月23日(水)19時26分25秒
編集済
     夏が、思い返したように酷暑を突きつけたような暑さでしたね。皆さんはどのようにやり過ごされましたか。当職はクーラー付けてひたすらiPadを見て、午前午後を過ごしました。今回はいつもの東京近郊を腫れて、関西の電車の前面展望を楽しみました。
   まず湖西線。京都から山科に出て、以下大津京だの、唐崎、坂本といった、万葉集に名前のある駅名をゆかしく思いながら、近江舞子まで行きました(なんと運転手は女性だった)。
   次に乗ったのは、大好きな近鉄の奈良線。大阪・難波などから出ていますが、ゆかしいのは、奈良県との境の生駒山地を越えるところ。枚方とか石切とか東京在地の人には馴染みない駅を飛ばして走る快速電車。生駒の長いトンネルを越えると、大和西大寺も近い。ここで乗り換えれば、唐招提寺や薬師寺へも行けるが、ぐっと我慢して、そのまま前方を見つめる。大宮前駅に着いてしまう。あれ、平城京の旧址は?次は終点近鉄奈良だ。急遽、難波行き上りに乗って、目をこらすがやはりわからない。前面展望でなく、横面展望でなけりゃ見られないか、とあらためて、Google earthで確認。近頃は大極殿前で大宮人が練りあるく、そんな行事もyou tube で見ていたのに。こりゃ、直接現地へ行くしかないか、とまず履行しそうもないことを認識して、この一件は落着、かな?

                              ○

    さて、夢から覚めて現実にかえると、そろそろ「群系」次号(39号)の募集案内を掲示、同人・会員にはできるだけ、個別に投稿の有無のお伺いをお出さねばなりません。原稿締切は10月20日(春は、4月20日)。これは定期刊行とするなら守らねばならない基本です、ね。
    なかなか遅滞していたのは、他でもありません、特集の輪郭がはっきりしなかったからです。
    とりあえず、特集1は、前号に続く、「明治文学」と、前号編集後記にも書いておきましたが、はっきりした焦点、ここぞという特徴を出せずにいました。とりあえず、前号に続いて、言文一致の実際、浪漫主義や自然主義の実際、さらに社会文学(「最暗黒の東京」や「日本之下層社会」)のありようを探る、など提起しましたが、こうしたことは、格別本誌でなくても組めるもの、さらに、この調子で、以下、「大正文学」とか、「昭和戦前・戦中の文学」、「昭和戦後の文学」とすれば、以前に行った特集とまったく同じになってしまう。何か、いい案、方途はないか、一夏をこの思案で過ごしました(これは嘘です)。編集部でもこれで会議を開きたいところでした。

    ところが、本夕、この暑さの汗を流しに、行き着けの銭湯で湯舟につかっていると、まるで一閃のように脳裏をよぎることがありました。「そうだ、野口さん、野口存彌氏の文学を軸にすればいい!」、これまで氏の書いてきたものを眺めてきたものですが、これは全くすごい思いつき、でした。
    あらためて、群系既刊号の執筆者リスト、そのうちの野口氏のところを見ると、あるわあるわ、これという重要作家がめじろ押しなのです。漱石・鴎外、芥川というキーとなる作家はむろんのこと、韻文においても、父君雨情の関係から、児玉花外や、蒲原有明、上田敏などの論考があり(「群系」誌以外)、そしてなにより、明治の社会主義運動との絡みでは、畢生の大著『沖野岩三郎』があり、当然、周辺の幸徳秋水、石川啄木、平出修の論考もあり、佐藤春夫なども、「大逆事件から遠く離れて」という独自の論稿もあります。(昭和文学になると、これに倍する以上の作家論・作品論があります)。

    ここで異論というか、素朴な疑問がわくでしょう、曰く、「そんな一人の同人、それも物故された故人を、特集のタイトルに掲げていいものか」「そんな大げさなことは適切だろうか」ー。御意、そうしたご意見は当然で、当職も初めはその考えに無意識に縛られ、同人の名前を冠する特集は(第二特集以外)思いもしなかったのでした。この第二特集は、先日の20日の協議の実践という意味でしたが、今回この協議の内実も、第一特集に格上げ、包摂できるものか、と思います。
    問題は、そうまでするに値するか、またこうした同人の仲間褒め、にならないか、などの疑問に対してですが、きれは正面切って言い切れます、「全て、YES、だ」と。
    まず、野口存彌のぶんがくは、後塵?がいろいろ議論するに値する深みと広さをもっているということ、また文学論議において絶対はないので、後で出た議論も十分、相対化されて、一緒に並置されうること、そしてそのことで、文学的な中身の深化が図れる、ということがあります。
    また身内褒めになるのではないか、というのは如上の議論の深化が霧消してくれることでしょう。いや、それ以上に、一人の文学研究者、文芸批評家の魂と名が、後世に残ることになります。作家に比べ、研究者・批評家の名前があまり伝わらないのはしかたのないことですが、それでも、こうした内輪の、同人誌のなかで、大きく、また繰り返し、名前が出るならば、それは自然、名前が残るということになりましょう。戦後の「近代文学」誌の批評家たちも、お互いの名前をあげることで、議論を深め、その名を残したのではないでしょうか。
 

釘一本

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 8月23日(水)06時29分32秒
編集済
  ■そうですか。
それは良かったですね。
くれぐれも、エネルギー配分において、


            記念館設立に奔走  >  執筆



などと、なりませぬように…(笑)



 

管理人さん、狐の孫娘さん「雨情、存彌研究会?」の設立に関して

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2017年 8月23日(水)06時17分2秒
   先日の吉祥寺での会、御出席のみなさまお疲れ様でした。存彌さんのお身内の方もご出席なさったとのこと。良い方向に進んでゆきますようにお祈りをしております。

 野口先生の「評伝」のスタイルは独特のものがありました。それは創造的評伝とも言えるかと思っております。綿密な実証の上にたたれたうえの創造。これは、存彌さんが小説家の視点を持たれていたからだと思います。それは、結果として「研究・作家論」の幅を広げたことになるかと思うのですが。「群系」同人も、そのスタイルの栄養素を頂き精進したいものです。
 

荒野も歩めば道となる。

 投稿者:狐の孫娘  投稿日:2017年 8月23日(水)03時04分29秒
  井の頭公園には、雨情の生前の庵「童心居」が移築されていて、現に「句会、歌会、茶会など」に使われているよう。また池畔には「詩碑」が建っている。雨情は吉祥寺の「今権現」になっています。
武蔵野・三鷹・杉並(あるいは荻窪)文学館実現に向かって拍手。雑踏だけがあって人間関係が失われている社会を見直し、再生するに持って来いの「トポス・場所」となろう。
ストラテジイ・(戦略)が、これから大切になりましょう。

話変わって、新設された国立金沢大学の学長に731部隊の戸田某がついている。同類の石川太刀雄丸は同大医学部教授に。わらわは、若き日、右腕・肩が動かなくなり、黒板にチョークで書けなくなり、この教授が発案・発明した「皮電計?」とか言った機械でもって診療をうけた。わらわはすでに、この人は「731部隊帰り」だということを知っていたので「身を固くして」いた次第。「にこやかだが、食えない人」という印象だった。ちなみに「四十肩」は治癒しました。
「731部隊旧跡」に、わらわは30年ほども昔尾崎秀樹(元日本ペンクラブ会長)に率いられて「大衆文学研究会」一同で訪れた。個人的には、ハルビンの東方、牡丹江にわらわの叔母一家が入植していて、終戦直後に全滅した。その供養を「一行との旅の途中ながらも」ひそかに片手拝みにも果たした。葉山嘉樹は、やはりハルビン近郊からの脱出行の途中、同行していた娘に看取られて貨車の中で死亡。遺骸は鉄道線路沿いの「荒野」に埋められた。

アーチストの「死」を後世の人が見守らないで誰がしようと思う。

亀井俊介『日本近代詩の成立』(南雲堂)が出た。野口存弥さんと同じで、上田敏をパイオニアとして扱っており、存弥さんの不在が甚だ惜しい。
 

「野口文学を研究・継承する会」(仮称)について

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月22日(火)19時59分51秒
編集済
     おとつい行われた野口さんの会(野口文学を研究・継承する会)について、ご出席の一人、佐藤文行さんから、簡潔、要を得た報告がありました。これに追補する形で、申し述べておきますね。
    会は、もとより、方向の定まったものではなく、ご出席の方々も、それぞれの立場の方々なので、もとよりまとまった見解なり、方向性が出るなどは思っていなくて、いわば顔あわせで、お互いの立場が認識できればいいくらいのきもちでしたが、会合が始まってみると、徐々に方向性みたいなものが見えてきて、結論として、「群系」次号にそれそれの立場がらこれまでの要約と当面の課題を出し、やっていくことの目標を練り出していこうとなりました。
    佐藤さんの1)~6)の箇条にまとめられたことが、今回の成果といえましょう。これは予期していなかったご遺族、野口さんの妹さんお二人が、朝から電話連絡あって、おいでになることになったのが、よかったといえましょう。一つの目標であった「野口雨情・存彌記念館」(仮称)のようなものは、ご親族の了解がなくては一歩も進みませんし、実際、その話をどう切り出すか問題だったのですから。じっさいおいでになって、お話を進めて行くと、われわれが耳にしていた、野口さん居宅の蔵書はほとんど売り払ってしまった、ということはなく、生前そのまま残っているということでしたし、土地・家産は、三人ごきょうだいで相続はしたものの、これらはこれからも売りに出すことはないとのことでした。これは、ご遺族の兄思いとともに、文化的遺産に対するしっかりしたご認識として、承ったものでした(むろん、記念館のことはわれわれの方で話を切り出し、現在の武蔵野市市長が出席者の一人と懇意の関係だという話もでましたが、ご親族の方からは特にこのことについてのご発言はなかったようです)。

    さて、会合自体は、それぞれの出席者の自己紹介(研究実績もご披露)とともに、この会に望むことなども言っていただきました。今回お集まりの方々は、雨情研究や、その歌唱活動の方、雨情を含めた、野口さんのご著を上梓されてきた出版社の方、群系からは、野口さんと長い付き合いのある、安宅夏夫氏、永野が出席しました。昨年の「偲ぶ会」とは違って、研究的な内容になるということから、おいでいただいたのでした。

  前にも書きましたが、野口文学の内容とそのめざす方向は、われわれ群系同人の多くとかさなるところがあり、これまでの特集にも野口氏が最も積極的にかかわり、ページ数も他の同人の三倍、四倍という量で、いわば、群系のめざす方向を、率先垂範示してくれてきたかとも思われます。
   父上雨情の評伝を描く中で、明治の社会主義にもふれ、明治期の詩壇の成立を、当時最先の象徴主義詩人上田敏に深い傾倒をしめすなど、単に身内の伝記を描くだけでない、懐の深さがありました。そうした明治期のことの研究から、あの大逆事件に九死に一生を得た、沖野岩三郎の畢生の評伝が生まれたのでしょう。
   その目は大正から昭和の作家に注がれ、芥川や堀辰雄、坂口安吾、太宰治に注がれ、それぞれ一徹した論理の元、作家論が紡がれました。
   普通の大学の研究者ならそこまでで、みずから評価の定まっていない戦後作家には手を出さない風がありましたが、野口さんは、早くから、野間宏、武田泰淳、あるいは藤枝静男に注目し、論考を書いてきました。
    むろん、漱石、鴎外にも注目、その鴎外論は、『文芸思潮』誌に、同人誌優秀論文として、転載掲出されることにもなりました。
     晩年の新境地ともいえる、『昭和の三人の女性作家ー大田洋子・森茉莉・佐多稲子』は、版元の事情から、当初六月刊行が遅れていますが、これらが眼前にされるや、野口氏の慧眼、巨大さが
わかってこようものです。
   不肖われら同人は、そのことのために出来うる限りのことをして、この野口文学の総体に近づかんとするものであります。こういう人は、めったにいない、文学的にも人物的にも。この想いや切なのあでsります。


 

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