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  1. パソコンクラッシュ(>_<)(6)
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与重郎ではなく與重郎です

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月 7日(金)15時44分52秒
編集済
  ・あ、ご指摘どうも。直そうと思っていた矢先でした。
直しときました。
若い頃、森鷗外を森鴎外と書いて、先輩からえらく叱責を受けたことがありました。
「人の名前は新漢字で表記してはダメだ」と。

・なにせ、ばたばたと即興で書き込んでますので。
アイム・ソリーです。
あなたの<与重郎>論読みたいです・・。
 
 

やすだ与重郎ですよ。

 投稿者:瞥見者  投稿日:2017年 4月 7日(金)14時23分27秒
  「日本浪漫派」の中心人物・保田与重郎は「やすだ」です。
「保田」を、「堀田」と書いている人は、「保田」を、「ほった」と、思い込みで、これまで来られたのじゃありませんか。

「群系」掲示板であるので、申し上げます。
 

絵画技法の開拓は理論物理学の影響

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月 7日(金)13時01分45秒
編集済
  ・二十世紀絵画の新しい試みの流れは、
最先端の理論物理学の新説を遊び心でキャンバスにいたずら描きで試みたものに過ぎない。
光が粒子であるという物理学の新説が出ると、若い画家たちの間で点描絵画が流行したし、
光と影の試み、空間と時間の物理学の新説である時空の概念、
空間と次元の関係の新説である多次元同時存在理論から
二次元のキャンバスに三次元、四次元、多次元の同時存在というキュビズムが着想され
トリック絵画、幻想絵画、スーパーリアリズム手法が流行した、
というようなものですね。

・ま、理論物理学の新説が新聞を賑わすごとに、
若い画家たちは遊び心でキャンバスに
当時の理論物理学の新説を絵画として実践的に描いて行った、ということでしょう。

・小説におけるタイムマシン、宇宙旅行などのSF・・サイエンス・フィクションの流行も
理論物理学の新説を取り込んだもので、
若者の読者を夢中にさせたわけですが・・。

・昭和三十年代の初めに早川書房の「月間SF」が創刊されて、
欧米のサイエンスフィクションの翻訳物が洪水のごとく紹介され
漫画の世界でも手塚治虫、石ノ森章太郎なんかが人気者になる・・というわけでした。
 

夢という営み

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 4月 7日(金)08時32分31秒
  分析を試みようとすると、「このように分析したい」といったラインに
沿った夢が続く傾向があります。

分析の手法はいろいろあるみたいですが、分析の結果はまちまちで、仮説と
銘打っていてもほとんど空想に近いのが実際ですから、夢の内容に立ち入る
のは難しいでしょう。

根保さんがおっしゃっている夢についての見解は、その通りだと思います。
夢という営みに日常の意識とは違った自律性があるのは、確かではないかと
思われます。

大雑把な個人的感想ですが、夢という営みのため居場所を空けておくことは、
大切ではないかと夢想していたりします。
 

入眠幻覚

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 4月 7日(金)01時02分11秒
編集済
  ■入眠幻覚については、
吉本隆明が『心的現象論序説』『心的現象論 本論』でいろいろ書いてますね。

~ときどき見る夢――海辺に面した大きな洞窟。
褐色の岩肌。波の光。
多分、地中海とか、エーゲ海じゃないかと勝手に思っている。
なんだか、その昔、変な共同体で、
良からぬことをやっていたような…(笑)
まあ、どっかでインプットされたつまらない映像かも知れませんが。

【Vangelis   12 o'clock 1975 】
https://www.youtube.com/watch?v=T5GwhQkANIA

~根保さんのは明晰夢とかいわれる夢でしょうか。
色彩、光、触覚、味覚、音響あり。
夢の中で、いぶかしげに目前の映像の細部を確認して、眼球を動かしている行為まで覚えていたりします。
緑色のなめらかな葉っぱを握ったまま、ふと目覚めると、シーツだったりする(笑)
 

もっと幼稚園

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 4月 7日(金)00時48分56秒
編集済
  太陽系の外縁をオールトの雲という天体群が包んでいて、
そこにある天体の主成分は水を含む氷が主成分であると
考えられていますが、その水がどのように生成されたのか、
よくわかっていないのでした。

細かな検討はしていませんが、メタファーというのは、
少し違うかもしれませんね。

ということで、もっと幼稚園ではありませんが、素朴な疑問を
大切にしていきたいところです。
 

夢のなかの風景・・街並み 夢の連続性の意味は・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月 7日(金)00時48分40秒
編集済
  ・記者時代の昔から、睡眠をとる時間が一定ではなくて、時間があるとき睡眠をとる・・という習慣になっていまして、その睡眠時間の起き際に決まって夢をみるのですが、その夢に出てくる街並みは、区画整理が完了していて、街造りが盛んに行われているのです。夢はその街で色々な物語かドラマの形で出てくるのですが、大体パターンが三つあって、夢を見るたびに街並みが少しずつ形を変えて大きく変貌していくのですね。で、その街には、昔付き合っていた女性が昔のままに三人ほど別々の場所に住んでいて、私は、夢の中で女性たちがかち合わないようにいつも気を使って付き合うんですね。若い頃、そんな体験が一時期あったことがあり、そのために夢に現れるのでしょうが。

・喫茶店とかパブとか、昔馴染みの場所も出てくるのですが、時として、その場所へ行くと、思いもかけず見知らぬ新しい店があったりして戸惑ったりもするのですが、大体は昔知っていた様子で出てくるのですね。飲み屋街とかも、実際にあった場所ではなく、夢の中でしかない店構えも時折出て来て、はて、こんなところがあったっけなんて考えたりしているのです。で、色々自己分析したりするのですが、夢の風景は、その時々で少しずれて違っていて、はて、おかしいな、これは夢だからか、なんて夢の中で思うこともあるのです。

・つまり、夢の中で架空の街並みが出来上がっていて、その街で四角関係、三角関係の物語が展開されるわけです。夢の意識の連続性ですね。数日前に夢で見たパターンが実際に体験したように記憶に残っていて、次の日の夢の中に続きとして展開されるのですが、数日後にまたその続きが繰り返されて、話が先に進んでいくという具合なんですね。

・要するに、小説のようにストーリー性がある夢なんですね。これは、多分、私が小説を書くので、夢の中で小説的に夢が進行するのかもしれませんが、色々な方にお聞きしても、珍しい夢のパターンのようです。私の夢の特色は、非常にはっきりしていることです。風景、店の配置から壁紙まで色彩豊かで、匂い、音まで現実と同じ手触りで立ち現れます。他人に夢のことを聞いてみると、曖昧模糊としたのが多いらしいのですが、私の夢は、くっきりしていることです。私は若い頃から、寝言を言うので有名のようで、時には夢の中で原稿を読み上げたり、詩の朗読をしたり、領収書の足し算なんかもしているという具合・・・なのですね。

・それで、夢の続きを見たくなって、最近では床に入るのが楽しみで・・というわけです。
 

小学生的

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 4月 7日(金)00時33分50秒
  その水惑星アクエリアス(小惑星・彗星)の水は
どこから来たのでしょう(…笑

どことなく、
「水」が意識のメタファーみたいになってきますね。
 

死と再生

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 4月 7日(金)00時11分4秒
編集済
  腐敗も発酵も同じ過程ですね。
共通するキーポイントは目に見えない微生物。
変で大雑把な言い方になりますが、第三者。

脈絡なく話が飛びますが・・・(苦笑)

宇宙戦艦ヤマト・完結編
https://www.youtube.com/watch?v=-HmgbAVuyW8&list=PL443416650E83605F

地球に水をもたらしたのは水惑星アクエリアス、という設定ですが、

最近の天文学の研究成果では、地球に水をもたらしたのは彗星あるいは
小惑星ではないか、いうのが定説(となっている仮説)のようです。
 

意識とはなんぞや?

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 4月 6日(木)23時39分13秒
編集済
  そうですね。
意識が最大の謎、ですね。
なにしろ、
観測対象にまで影響を与えてしまうという"観測者"(←なんなんだよ、じぶん)なんですから。
「意識下」「無意識」というのも、
空間配置になぞらえた比喩や、無でもないのを無といってしまう極端な比喩で、
ほんとうは正確ではないのかもしれません。
腐敗ではなく、発酵にしたのは、ウンコにしないためだったのですが、
多少、香ばしい話になってしまったかも。

 

イメージの変容

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 4月 6日(木)22時49分36秒
  草原さんがおっしゃっている発酵現象になぞらえた過程は、その通り
ではないかと思いますが、その過程がどういうことなのかは、やはり
よくわかりません。

単なる思い付きですが・・・
発酵だけでは腐ったウンコをつくるのと変わりませんから、発酵後の
精製過程も重要ですね。

意識下なのか無意識なのかはフロイトの時代から大きな議論でしたが、
意識をどうみるかという問題と不可分ですから、悩ましいところです。
 

追記

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 4月 6日(木)19時56分27秒
編集済
  ~などと書いてから、あれこれ検索したところ、こんな情報がありました。
ブログ主は、パリの美大に留学している女性のようです。
http://ameblo.jp/yutoriaru87seikatu/entry-11722782890.html

>たとえば、日本ではジョルジュ・ブラックがピカソの弟子という語り方ですが
実際にフランスで話されているのは、キュビズムはジョルジュ・ブラックが新しく始めたスタイルで
技法として形になってきた所、最終的にピカソが自分が作り出したと、
おいしいところを持って行ってしまったと語られています。

■確かに、日本で触れてきた情報では、
弟子とまでいかなくても、対等、もしくはブラックの方がピカソに受動的に影響されていたという印象。
フランス人の解釈では、これは違うらしい。
もっとも、パブロ・ピカソって、"在仏スペイン人"
ブラックの方は、ノルマンディー生まれの、れっきとしたフランス人。
その辺も、考慮すべきかも。

あるいは、終始、人前でパフォーマーとして振る舞ってきたピカソと、
職人タイプのブラックらしい逸話、というところでしょうか。

ちなみに、ピカソの本名は、
「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・シプリアノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード
(Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno María de los Remedios Cipriano de la Santísima Trinidad) 」
なんだとか。
~まるで、ガルシア=マルケスの小説の得体の知れない登場人物みたいだ。

下はピカソの「泣く女」
 

イマージュの窯変現象

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 4月 6日(木)18時42分12秒
編集済
  ■統一理論ではないけれど、
わたしは、芸術一般、詩、小説、絵画でも、
ひとつの表象・イメージが、どうして変容していくか、ということが気になります。
デフォルメ、カリカチュア、誇張、そして、ある種の詩的変容……。
通常のリアリズムから離れて、
人間の想像力が、ひとつの輪郭ある表象をゆっくりと意識下で熟成させていく過程ですね。
それが逆に、新たな"リアリティ"を獲得してしまう不思議。

一個の洋梨を、写真で正確に撮影した時点では、単なるモノなのに、
それを加工したり、ライティングしたり、何年もかけて記憶の中で発酵させたりすると、
特別の置き換え難いイメージになる。
これはつまり、芸術になる、詩的なオブジェになる、ということですね。


■中村光夫などが小説論でいう「人間典型」なども、
いそうでいなさそうな人物、しかし可能性としてはありえる人物像が、時代を覆う象徴的普遍性を獲得する。
こういう一粒のイメージやヒントから"真珠"を育てていく仕事は、
芸術や、創造ぜんぱんに共通する、作家の想像力の発酵現象だと思います。
いわば、精神の曜変天目(窯変天目)現象……(笑。
これは、通常の合理的思考を超えている。
われわれの睡眠中に、なぜ"夢見"という現象が起るのか、
その辺の意識下の作用力ともつながっているような。


下は、セザンヌと、ジョルジュ・ブラック(2点)の静物画。
いわばキュビズムの母体と、その進行形。
ブラックは、ピカソのような派手な部分がない分、室内楽的な静謐さが漂っていて好きな画家です。

 

外来化学治療室

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 4月 6日(木)01時07分38秒
編集済
  当時のメモを少し編集。

不思議なところでした。天国に最も近いところ?錯覚でしょう。

静かで明るい環境。入院中はわがままで、多くの人を困らせていた
ことに、自然と気付いてしまうのがよかったですね。

六時間半の治療を終えて受付へ。

会計窓口のオネエサンの表情がいつもより疲れていて渋いな?
しかし、なぜか暖かい。これはなぜ?

天国に最も近いところで、いつとはなく浮かんでいたこと。

私はなぜ、今も生きているのでしょう?

追記:ゆっくり眠った後の午後(2017/4/6)

実存へのスピリチュアルな問いかけであるかのように見えますが、
さにあらず。自分で自分を迷わそうとする(迷わせたい、そして
迷っていたい)憂愁(なのかな?)が紡ぎ出した幻なのでした。
手を変え品を変え、繰り返しやってきてしつこいのが特徴(笑い)
正体を見極め、流されないこと。流されてしまうと、生き生きして
いるはずの情感が干からびていきますから、ご用心。ご用心。

その時に感じることは、日常と何も変わりありませんでした。
明るく静かで治療に専念できる環境は良かったですね。十六人の
患者と家族が同じ場にいましたが、いつも静かで、他の人がいて
迷惑だと感じさせる状況は何もありませんでした(病棟での経過
を診た上で、患者を選別しているのかもしれません)。
懇切丁寧な看護は安心そのものでした。スタッフは大変だろうな?
過ぎたことは仕方ありませんし、お互いさまでしょう。

それはともあれ少し疲れました。風邪も良くなってきましたから、
まあいいでしょう。
 

懐かしい眺め

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 4月 6日(木)00時41分48秒
  疲れが出たのか、風邪をひいてしまい、ゆっくり休んでいました。

一年前だったら即入院となるところでしたが、今は大丈夫。
懐かしい風邪の味わい。回復の味わいがいい。何年振りのことかな?

ぼけっとしていたら、一年一ヶ月前の写真が出てきました。

治療の最終回は外来化学治療室。

当日未明。準備万端。星空の下、JRの始発列車に乗り込みました。
念のため確認したら、なぜか診察券と保険証が見当たりません。
慌てて汽車から飛び降りて帰宅。あれ?こんなところに置いていた。
自分で車を運転して出かけるしかなかろう。やむをえん。

まずは出発。そうするしかないでしょう。

大丈夫だろうと感じ始めた頃に朝日。途中のサービスエリアで休憩。
その時の眺め。目的地は右手奥。大丈夫でしょう。

 

保田與重郎「なぜ文学を始めたか・・」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月 5日(水)16時45分55秒
編集済
  ・マルクス主義者は、かつて「何を文学するか」を己に問いかけた。
・モダニストは「どのように文学するか」を己に問いかけたものである。
・これに対して、保田與重郎は「なぜ文学を始めたか」を自分に問いかけて「コギト」を始めたのである。

・私は、保田の政治的対処の仕方を少しも参考にせず、むしろ嫌悪していた立場であったが、「なぜ文学を始めたか」を己自身にいつも懐かしい古里を恋うように問いかけて来たものだ。
 

描写とは何か、表現とは何か 人間表現の芸術性における批評の統一理論は可能か・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月 5日(水)10時38分21秒
編集済
  ・常常・・批評の真似事をしていると、<批評の統一理論>みたいなことを夢想するときがあります。
「文学は専門だが、絵画は素人で」とか「絵画は専門だが文学は素人で」ということが、<業界言葉>で使われますが、もし、人間の表現・・言葉、音感、視覚に訴える人間の芸術的営為の価値観について、統一した感受性があるとしたら、批評においても、芸術作品すべての分野において、<統一理論>があるのではないか・・そんな夢想をしたことがあります。文学表現、絵画表現、音楽表現、立体建築物・彫刻・・・すべての人間表現の芸術性を解明する統一理論・・・はたしてそれは可能か・・妄想か・・・単なる思い付きか冗談話の戯言か・・・

・小林秀雄なんかは、ジャンルを超越した批評の統一理論を夢想していたフシがある。もちろん、吉本隆明は批評の統一理論を頭に置いてジャンルを超えた文学作品に当たりをつけて考えていた男ではあったが、しかし、隆明は文学作品に限っての統一理論であった。これを、宇宙的に広げて、人間の美的営為である芸術作品すべてを包括する統一理論があるか可能か・・・妄想か・・・統一理論となれば、数学的解析にゆだねていく以外に、いかなるコアを見出せるか・・

・むしろ、この問題は、芸術全般の批評の問題というよりも、コンピューター解析みたいな数学的な課題に収斂していきがちですが・・そうではなく、生きた言葉で対象を観る統一理論・・ですね。これを何とか・・それは、ある程度書ける小説家は、程度の差こそあっても小説作り、表現技術の統一理論を身につけているものです。批評においても、批評家は批評の統一理論を自分なりに持っているものです。その統一理論も色合いをいかにするか、色調をいかにするか作品によって使い分けはするでしょうが・・・それを、大きく括弧で括る統一した価値観・・統一理論は・・・可能か否か・・・
 

フェルメール

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 4月 5日(水)06時21分42秒
編集済
  >果たして、画家の世界では一般に好まれそうなフェルメール的、ワイエス的作品を描くと<売り絵>と軽蔑されるものである。

■いや、ワイエスは情緒的なところがあるが、
フェルメールは純文学(この「純」の言い方がいいかどうか)、というか、ファインアートというか、
完全に視覚芸術としてかなり細部が繊細に創り込まれた自立した小宇宙でしょう。
それに、フェルメールは、つい最近まで一般のブームになどなっていなかった。
こんなに複製画が商品化されてきたのも、ほんの二三十年前くらいからでは。

ある部分だけを極端にクローズアップしてしまえば、
街中の平凡な壁の染みに、ジャクソン・ポロックや、マーク・ロスコを感じるように(笑)、
そこに何が描かれているかという問いを離れて、それだけで鑑賞に値する色彩と、線と、光の感受性の表現的ディテールが確認できる。
確かに一種の物語性や寓話性、シンボリズム、もの思わし気な気配はあるが。
むしろ技法的に、構図や、人物配置、微妙なライティング効果などは、
近代の写真芸術や、映画の方が、フェルメールを"再発見"し、模倣している。

■要するに、われわれは、
二十世紀以降に確立された近代絵画、視覚的要素だけで自立した絵画を、
「純粋絵画」「純文学」の方向性だと思っているわけで。

また、もともと数少ないフェルメールの作品の一部は、
その時代において、むしろ異様に、即物的で、非宗教的でもある。
たとえば、下の作品のモチーフなどは、点在している人間などよりも、
建物の構成や、煉瓦や石畳のマテリアルな視覚の味わいのように思われます。
これは「描写」とは何か、という問題にもつきあたりますね。

               *


>教育勅語が復古調の純粋政策と言えるか・・なんて考える面白さもあります。

■話を、そこまで、飛ばしますか(笑)
むしろ、教育勅語の後半には、〈死〉の通俗化・大衆化が、隠されているのではないですか。
それは、当時の富国強兵の一等国をめざす明治国家の設計者たちのマインドコントロールとして、
"実用的"でもあります。


すぐ下のつまんないコメントよりも、
根保さんの絵画論の方が面白いので~。
 

(無題)

 投稿者:こすから敏靖  投稿日:2017年 4月 5日(水)02時30分5秒
編集済
  下の

【自主避難は「自己責任」~復興大臣明言】

は、

「ニュートラルな作用力」である権力に対して、

「国民がしっかり監視し、さらに新聞、テレビがジャーナリズムとして適切に機能することにより、その暴走や腐敗をチェック」している模範例として引用されているのか、

「現在、その批評・批判機能を果たしていない」好例なのか、

単なるエンターテイメントなのか、

いずれなのでしようか?

はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああァ~。


 

フェルメールやアンドリュー・ワイエスのような・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月 5日(水)01時55分14秒
編集済
  ・例えば、アメリカの国民的人気画家のアンドリュー・ワイエスやフェルメールのような世界的に人気がある画家の作品・・これを文学的仕分けの地平で観ると、誰にでも好まれ理解できる絵画という意味で、通俗的であると観るとすると、純文学的絵画とは何かが透けて見える。純文学に対応した純絵画とはどのようなものかに想いをいたすと、絵画の観方が少しばかり深まりそうです。それは、音楽にも言えることでありますが、絵画でも音楽でも、純粋絵画と通俗絵画、純粋音楽と通俗音楽という仕分けは成り立つのか、あるいは、理論的には成り立つが、その仕分けはそぐわない・・とも言われそう。

・果たして、画家の世界では一般に好まれそうなフェルメール的、ワイエス的作品を描くと<売り絵>と軽蔑されるものである。政治の世界でも、一般に喜ばれそうな政策は、通俗政策と言われて軽蔑されるものなのだが・・・。それでは、アベノミクスの政策は、通俗政策か・・・教育勅語が復古調の純粋政策と言えるか・・なんて考える面白さもあります。
 

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