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スレッド一覧

  1. パソコンクラッシュ(>_<)(6)
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ご質問、ごもっともです。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月24日(木)20時05分38秒
編集済
      下のご投稿は、ごもっともなご疑問を理路整然綴っておられて、なるほど思いました。近代文学を野口氏の眼からだけ見ていくのはやはり、ムリがあるようです。これは他の文学研究者・批評家にもいえることですが、すべてを満遍なく触れるというのはムリなことだし、意味がないことでしょう。文学研究者には、おのずから、作家・詩人の選択にそれぞれ傾向があり、それがまた個性というものでしょう。
    そういう観点から野口文学を見渡してみると、そこにはやはり傾向があり、野口さんらしさがあります。なるほど、漱石・鴎外、芥川といった定評ある重要作家は、野口さんも群系の特集などに応じて書いておられます。それらの論考にも野口さんらしさがうかがえますが、やはり、その個性が際立っているのは、単行本に掲出された、以下の文学者群でしょう。
    児玉花外、上田敏、中村有楽、中里介山、沖野岩三郎、内村鑑三、加藤一夫、国木田独歩、
島崎藤村、永井荷風、佐藤春夫、野口雨情ー。
    ご著の目次から散見される文学者他を、摘記しました。ここにあげたのは、明治大正期に活動されたとみなされる人たちで、昭和期の作家たちは、また別にあります(梶井基次郎や宮澤賢治などは大正期から活躍していますが、特に代表作などから、昭和前期になりましょうか)。ーー
   荻野さんは、次のように書いています。

「日本近代文学の始源」から発展…と4つの段階テーマとすると承知していましたがー。
  確かにこれは、以前に提起した、特集の名前であり、時代区分です。今回、野口存彌文学者どのように扱うか、目下の課題ですが、私見をいえば、先の時代区分の特集に野口文学も織り込む、ということでどうでしょうか。多くの論考のうち、おそらく半分くらいは、「野口文学と夏目漱石」といった冠をつける形になるのではと思っていま))。

    この際、大事なのは、特集の時代区分ですね。これは、先に提起したものを生かしたいと思います。すなわち、「日本近代文学の始源」から「日本近代文学の展開」、「日本近代文学の転換」、そして、「日本近代文学の崩壊」と4つの段階に、日本近代文学は分けられるだろう、という認識です(「崩壊」とあるように、これは、1945年までを指しています)。
     元号で区切るのは、文学史のならいですが、第1期は、明治期を指していますが、「展開」と謳った第2期は、明治から大正の11年頃までを指しています。自然主義から、白樺派、耽美派などを包摂していっています。第3期に、「展開」とするのは、関東大震災をきっかけに、都市化がすすみ、文学芸術にも新しい動きがでてきたことをいいます。すなわち、横光・川端らの「文芸時代」の創刊ですね。それに、前代から勃興してきたプロレタリア運動がこの時期、隆盛をむかえようとしていました。モダニズムと労働運動、転換期でした。そして、次の第4期は、昭和8年からはじまります。これは共産党佐野・鍋山の転向と多喜二の虐殺、また満州国を打ち立てた日本の行動が侵略だとされ、国際連盟から脱退しますね。これ以降、文学復興だとか、保田與重郎らの新浪漫派の運動がありましたg、戦争の展開とともに、戦争文学が流行し、論壇でも「近代の超克」の論議がされたことは、同人の各位には周知のことですね。

   いま出先ですが、追って野口さんのなしたこととを詳しく開示するととに、この特集に、同人各位はどちらの立場から、何を論じる予定か、個別にめーるなどでおうかがいする予定です。
 
 

「群系」№39編集方針への質問

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 8月24日(木)09時12分11秒
編集済
  ◆№38から始まった「日本近代文学の始源」から発展…と4つの段階テーマとすると承知していましたが、それはいったんチャラにするということでしょうか? 今月20日の野口さんの集いにより、野口文学と日本近代文学とのセットアップから、永野さんから新たに特集テーマが提示されていますね。

◆正直言いますと「野口文学から見た明治大正昭和文学」の意味が今ひとつ判らない。たとえ野口さんの著作からその文学者の批評を読み、野口さんから見た日本近代文学史の地平をもとに論考を書いてもらいたいとするならば、わたしにはちょっと無理です。当初の「日本近代文学の発展」という第二段階を頭に浮かべて或る文豪の作品論を書こうかなと思い、だいぶ前から準備してきました。だからこの構想と批評的感想の整備をいまさら反故にはできません。ましてわたしはそんなに野口文学に詳しくないのです。

◆野口文学と切り離したうえでの特集もあるというのであれば、その区分けの意味と言うのか意義はどういう風に理解すればよろしいのでしょうか。「群系」と野口さんとの関わり合いは承知しつつも「群系」誌は野口文学研究誌という性格を、今後付け加えるということなのですか。

 

遠い道のり

 投稿者:佐藤文行  投稿日:2017年 8月24日(木)03時05分55秒
  8月23日(水)本日開催の「武蔵野現市長と次期市長候補者の立ち会い演説会」
にはゆけませんでした。お目にかかって少しでも訴えたかったのですが・・・。

東道人さんと長電話して8月20日(日)の反省と今後の予測など意見交換しました。
力も金も時間もない年寄り達が集まって「文学館を作ろう!」と言ったのですが、
まずはなんと言っても「ご親族の強い熱意」がなければ、まず無理でしょう。
現況では全く期待できません。

ご高齢の親族(女性3名)には資料整理さえままならず、甥御さん達はさらに
消極的です。1950年発足の磯原雨情会(会員60名あまり)は生家資料館/野口
不二子氏に遠慮するばかりで、地縛から逃れられないようです。もう一つ、東京
で中山晋平を初代会長として発足した「雨情会」は、現在ほぼ崩壊状態です。
10年余り前に始まった武蔵野雨情会は、雨情詩曲(歌曲/童謡/(民謡)」の
顕彰を続けてきましたが、文学研究者の集まりではないのです。(佐藤は声楽家)

文学者は拠点となる「場所」が生き続けなくては、次第に忘れ去られてゆきます。
武蔵野市内に何かしらの記念館(記念室でも)が必要です。
佐藤文行の35年あまりにわたる研究資料も、佐藤が死ねば捨てられてしまいます。
武蔵野市の公共図書館は第三セクターの運営です。野口雨情を重要視していません。
市報に「雨情」を取りあげたのは世田谷の村松剛で、市内に研究者は居ません。

「群系」が野口存彌文学を追求する事は大賛成ですが、なんと言っても野口雨情
は「全国区」です。社会に広く訴えてゆくには、野口雨情業績顕彰の中で「最大
の研究者・野口存彌」として位置づけ、バランスを取ってゆくことが大切です。

東道人さんは退職後岐阜にとどまり、彼の文学研究を進めるそうです。
佐藤文行はクラシックの声楽科です。野口雨情は研究対象の一端ですが、
身を賭して「記念館創設の実現に邁進する」立場ではありません。
政治家や商工業者、地域の実力者たちに頭を下げて回ることの空しさは
すでに十余年経験してきましたが、成果はありませんでした。

今後はご遺族の説得を続けるつもりです。

群系の皆さんには音楽好きの方が多いようですね。
いちど僕らのコンサートにもお出かけください。
またあらためてご案内します。

http://snow-man.com/

 

ご賛同、嬉しく。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月23日(水)21時14分49秒
編集済
     早速のご賛意、ありがたく。
   とりあえず、そのロードマップをつくるべく、野口文学が対象にしてきた作家・詩人の一覧を早急に作る必要がありますね。iPadのお遊びはちょっと横において、デスクトップに向かいますか。

    各位のご意見をぜひ。

                     ○

【追記】
  次号(39号)のメインの特集については、投稿予定の方はすでに作品、作家に着手、論を考究されつつある方もおいでのことと思います。これはやはり特集の枠の中に入ると思います。例えば、島崎藤村について論じようとするとき、野口さんの当該の論文にあたらなくとも、ご論稿はぜひ、そのまますすめていただければ、ということです(要するに、明治大正文学であれば要件を満たしていることになります)。野口さん自身、生前藤村の偉大さを口にされていましたが、管見によれば藤村についてまとまったご論稿はなかったかに存じます。
    これによって、特集は、二つになるかと思います。すなわち、「野口文学みる明治大正文学」と、そうでない「明治大正文学」特集、ですね。この二つは、同じフレームに、○印などつけて、分かとうと思います。ま、特集のタイトルには、やはり、野口存彌の名前は冠したいとは思いますが。

    とにかく、まず編集部で、野口氏が論じた作家・詩人の一覧を早急に作成し、それを、同人・会員に見ていただいて、ご担当の文学者を決めていただく、ということになりますね。
 

コンセプト

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 8月23日(水)20時37分47秒
  ■編集長のご提案ですが、
タイトルそのものは"一考を要する"とは思いますが、
そのコンセプトは面白いんじゃないでしょうか。
司馬史観ならぬ、野口文学史観。
今後の「群系」ならではの路線、
および、野口存彌文学継承のロードマップは、できると思います。

 

次号特集は「野口存彌と明治大正文学」はいkが?

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月23日(水)19時26分25秒
編集済
     夏が、思い返したように酷暑を突きつけたような暑さでしたね。皆さんはどのようにやり過ごされましたか。当職はクーラー付けてひたすらiPadを見て、午前午後を過ごしました。今回はいつもの東京近郊を腫れて、関西の電車の前面展望を楽しみました。
   まず湖西線。京都から山科に出て、以下大津京だの、唐崎、坂本といった、万葉集に名前のある駅名をゆかしく思いながら、近江舞子まで行きました(なんと運転手は女性だった)。
   次に乗ったのは、大好きな近鉄の奈良線。大阪・難波などから出ていますが、ゆかしいのは、奈良県との境の生駒山地を越えるところ。枚方とか石切とか東京在地の人には馴染みない駅を飛ばして走る快速電車。生駒の長いトンネルを越えると、大和西大寺も近い。ここで乗り換えれば、唐招提寺や薬師寺へも行けるが、ぐっと我慢して、そのまま前方を見つめる。大宮前駅に着いてしまう。あれ、平城京の旧址は?次は終点近鉄奈良だ。急遽、難波行き上りに乗って、目をこらすがやはりわからない。前面展望でなく、横面展望でなけりゃ見られないか、とあらためて、Google earthで確認。近頃は大極殿前で大宮人が練りあるく、そんな行事もyou tube で見ていたのに。こりゃ、直接現地へ行くしかないか、とまず履行しそうもないことを認識して、この一件は落着、かな?

                              ○

    さて、夢から覚めて現実にかえると、そろそろ「群系」次号(39号)の募集案内を掲示、同人・会員にはできるだけ、個別に投稿の有無のお伺いをお出さねばなりません。原稿締切は10月20日(春は、4月20日)。これは定期刊行とするなら守らねばならない基本です、ね。
    なかなか遅滞していたのは、他でもありません、特集の輪郭がはっきりしなかったからです。
    とりあえず、特集1は、前号に続く、「明治文学」と、前号編集後記にも書いておきましたが、はっきりした焦点、ここぞという特徴を出せずにいました。とりあえず、前号に続いて、言文一致の実際、浪漫主義や自然主義の実際、さらに社会文学(「最暗黒の東京」や「日本之下層社会」)のありようを探る、など提起しましたが、こうしたことは、格別本誌でなくても組めるもの、さらに、この調子で、以下、「大正文学」とか、「昭和戦前・戦中の文学」、「昭和戦後の文学」とすれば、以前に行った特集とまったく同じになってしまう。何か、いい案、方途はないか、一夏をこの思案で過ごしました(これは嘘です)。編集部でもこれで会議を開きたいところでした。

    ところが、本夕、この暑さの汗を流しに、行き着けの銭湯で湯舟につかっていると、まるで一閃のように脳裏をよぎることがありました。「そうだ、野口さん、野口存彌氏の文学を軸にすればいい!」、これまで氏の書いてきたものを眺めてきたものですが、これは全くすごい思いつき、でした。
    あらためて、群系既刊号の執筆者リスト、そのうちの野口氏のところを見ると、あるわあるわ、これという重要作家がめじろ押しなのです。漱石・鴎外、芥川というキーとなる作家はむろんのこと、韻文においても、父君雨情の関係から、児玉花外や、蒲原有明、上田敏などの論考があり(「群系」誌以外)、そしてなにより、明治の社会主義運動との絡みでは、畢生の大著『沖野岩三郎』があり、当然、周辺の幸徳秋水、石川啄木、平出修の論考もあり、佐藤春夫なども、「大逆事件から遠く離れて」という独自の論稿もあります。(昭和文学になると、これに倍する以上の作家論・作品論があります)。

    ここで異論というか、素朴な疑問がわくでしょう、曰く、「そんな一人の同人、それも物故された故人を、特集のタイトルに掲げていいものか」「そんな大げさなことは適切だろうか」ー。御意、そうしたご意見は当然で、当職も初めはその考えに無意識に縛られ、同人の名前を冠する特集は(第二特集以外)思いもしなかったのでした。この第二特集は、先日の20日の協議の実践という意味でしたが、今回この協議の内実も、第一特集に格上げ、包摂できるものか、と思います。
    問題は、そうまでするに値するか、またこうした同人の仲間褒め、にならないか、などの疑問に対してですが、きれは正面切って言い切れます、「全て、YES、だ」と。
    まず、野口存彌のぶんがくは、後塵?がいろいろ議論するに値する深みと広さをもっているということ、また文学論議において絶対はないので、後で出た議論も十分、相対化されて、一緒に並置されうること、そしてそのことで、文学的な中身の深化が図れる、ということがあります。
    また身内褒めになるのではないか、というのは如上の議論の深化が霧消してくれることでしょう。いや、それ以上に、一人の文学研究者、文芸批評家の魂と名が、後世に残ることになります。作家に比べ、研究者・批評家の名前があまり伝わらないのはしかたのないことですが、それでも、こうした内輪の、同人誌のなかで、大きく、また繰り返し、名前が出るならば、それは自然、名前が残るということになりましょう。戦後の「近代文学」誌の批評家たちも、お互いの名前をあげることで、議論を深め、その名を残したのではないでしょうか。
 

釘一本

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 8月23日(水)06時29分32秒
編集済
  ■そうですか。
それは良かったですね。
くれぐれも、エネルギー配分において、


            記念館設立に奔走  >  執筆



などと、なりませぬように…(笑)



 

管理人さん、狐の孫娘さん「雨情、存彌研究会?」の設立に関して

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2017年 8月23日(水)06時17分2秒
   先日の吉祥寺での会、御出席のみなさまお疲れ様でした。存彌さんのお身内の方もご出席なさったとのこと。良い方向に進んでゆきますようにお祈りをしております。

 野口先生の「評伝」のスタイルは独特のものがありました。それは創造的評伝とも言えるかと思っております。綿密な実証の上にたたれたうえの創造。これは、存彌さんが小説家の視点を持たれていたからだと思います。それは、結果として「研究・作家論」の幅を広げたことになるかと思うのですが。「群系」同人も、そのスタイルの栄養素を頂き精進したいものです。
 

荒野も歩めば道となる。

 投稿者:狐の孫娘  投稿日:2017年 8月23日(水)03時04分29秒
  井の頭公園には、雨情の生前の庵「童心居」が移築されていて、現に「句会、歌会、茶会など」に使われているよう。また池畔には「詩碑」が建っている。雨情は吉祥寺の「今権現」になっています。
武蔵野・三鷹・杉並(あるいは荻窪)文学館実現に向かって拍手。雑踏だけがあって人間関係が失われている社会を見直し、再生するに持って来いの「トポス・場所」となろう。
ストラテジイ・(戦略)が、これから大切になりましょう。

話変わって、新設された国立金沢大学の学長に731部隊の戸田某がついている。同類の石川太刀雄丸は同大医学部教授に。わらわは、若き日、右腕・肩が動かなくなり、黒板にチョークで書けなくなり、この教授が発案・発明した「皮電計?」とか言った機械でもって診療をうけた。わらわはすでに、この人は「731部隊帰り」だということを知っていたので「身を固くして」いた次第。「にこやかだが、食えない人」という印象だった。ちなみに「四十肩」は治癒しました。
「731部隊旧跡」に、わらわは30年ほども昔尾崎秀樹(元日本ペンクラブ会長)に率いられて「大衆文学研究会」一同で訪れた。個人的には、ハルビンの東方、牡丹江にわらわの叔母一家が入植していて、終戦直後に全滅した。その供養を「一行との旅の途中ながらも」ひそかに片手拝みにも果たした。葉山嘉樹は、やはりハルビン近郊からの脱出行の途中、同行していた娘に看取られて貨車の中で死亡。遺骸は鉄道線路沿いの「荒野」に埋められた。

アーチストの「死」を後世の人が見守らないで誰がしようと思う。

亀井俊介『日本近代詩の成立』(南雲堂)が出た。野口存弥さんと同じで、上田敏をパイオニアとして扱っており、存弥さんの不在が甚だ惜しい。
 

「野口文学を研究・継承する会」(仮称)について

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月22日(火)19時59分51秒
編集済
     おとつい行われた野口さんの会(野口文学を研究・継承する会)について、ご出席の一人、佐藤文行さんから、簡潔、要を得た報告がありました。これに追補する形で、申し述べておきますね。
    会は、もとより、方向の定まったものではなく、ご出席の方々も、それぞれの立場の方々なので、もとよりまとまった見解なり、方向性が出るなどは思っていなくて、いわば顔あわせで、お互いの立場が認識できればいいくらいのきもちでしたが、会合が始まってみると、徐々に方向性みたいなものが見えてきて、結論として、「群系」次号にそれそれの立場がらこれまでの要約と当面の課題を出し、やっていくことの目標を練り出していこうとなりました。
    佐藤さんの1)~6)の箇条にまとめられたことが、今回の成果といえましょう。これは予期していなかったご遺族、野口さんの妹さんお二人が、朝から電話連絡あって、おいでになることになったのが、よかったといえましょう。一つの目標であった「野口雨情・存彌記念館」(仮称)のようなものは、ご親族の了解がなくては一歩も進みませんし、実際、その話をどう切り出すか問題だったのですから。じっさいおいでになって、お話を進めて行くと、われわれが耳にしていた、野口さん居宅の蔵書はほとんど売り払ってしまった、ということはなく、生前そのまま残っているということでしたし、土地・家産は、三人ごきょうだいで相続はしたものの、これらはこれからも売りに出すことはないとのことでした。これは、ご遺族の兄思いとともに、文化的遺産に対するしっかりしたご認識として、承ったものでした(むろん、記念館のことはわれわれの方で話を切り出し、現在の武蔵野市市長が出席者の一人と懇意の関係だという話もでましたが、ご親族の方からは特にこのことについてのご発言はなかったようです)。

    さて、会合自体は、それぞれの出席者の自己紹介(研究実績もご披露)とともに、この会に望むことなども言っていただきました。今回お集まりの方々は、雨情研究や、その歌唱活動の方、雨情を含めた、野口さんのご著を上梓されてきた出版社の方、群系からは、野口さんと長い付き合いのある、安宅夏夫氏、永野が出席しました。昨年の「偲ぶ会」とは違って、研究的な内容になるということから、おいでいただいたのでした。

  前にも書きましたが、野口文学の内容とそのめざす方向は、われわれ群系同人の多くとかさなるところがあり、これまでの特集にも野口氏が最も積極的にかかわり、ページ数も他の同人の三倍、四倍という量で、いわば、群系のめざす方向を、率先垂範示してくれてきたかとも思われます。
   父上雨情の評伝を描く中で、明治の社会主義にもふれ、明治期の詩壇の成立を、当時最先の象徴主義詩人上田敏に深い傾倒をしめすなど、単に身内の伝記を描くだけでない、懐の深さがありました。そうした明治期のことの研究から、あの大逆事件に九死に一生を得た、沖野岩三郎の畢生の評伝が生まれたのでしょう。
   その目は大正から昭和の作家に注がれ、芥川や堀辰雄、坂口安吾、太宰治に注がれ、それぞれ一徹した論理の元、作家論が紡がれました。
   普通の大学の研究者ならそこまでで、みずから評価の定まっていない戦後作家には手を出さない風がありましたが、野口さんは、早くから、野間宏、武田泰淳、あるいは藤枝静男に注目し、論考を書いてきました。
    むろん、漱石、鴎外にも注目、その鴎外論は、『文芸思潮』誌に、同人誌優秀論文として、転載掲出されることにもなりました。
     晩年の新境地ともいえる、『昭和の三人の女性作家ー大田洋子・森茉莉・佐多稲子』は、版元の事情から、当初六月刊行が遅れていますが、これらが眼前にされるや、野口氏の慧眼、巨大さが
わかってこようものです。
   不肖われら同人は、そのことのために出来うる限りのことをして、この野口文学の総体に近づかんとするものであります。こういう人は、めったにいない、文学的にも人物的にも。この想いや切なのあでsります。


 

滑床渓谷について~荻野さんへ

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 8月21日(月)15時49分40秒
編集済
  四万十川の支流、目黒川の源流で、自宅から車で一時間くらいです。
登山道を鹿ノコルに出ると、宇和島と宇和海を一望となりますが、司馬遼太郎さんお気に入りの眺めだったとか。
山の向こう側ですが、峠道を目黒川に出て、遡っていくと滑床渓谷、お猿さんが遊びにやってきます。

 

“滑床渓谷”~鎌田さんへ

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 8月21日(月)13時03分11秒
編集済
  いつものように昼食をとりながらNHKの「昼ブラ」を視てますと、鎌田さんのお住まいの四国・宇和島とあって、滑床渓谷の水遊びが放映されてました。
綺麗なところですね。河が青緑というのか透明でしかもエメラルドグリーン。素晴らしい。
記者もゲストもガイドさんたちも、子供のように遊んでいました。

鎌田さんは良い場所にお住まいだ。
ご自宅から近いんですか??
 

武蔵野三鷹杉並文学館

 投稿者:佐藤文行  投稿日:2017年 8月21日(月)11時30分42秒
  昨日8月20日(日)午後2時ー5時近くまで、武蔵野公会堂第一和室に、
故野口存彌氏のご遺族妹さんお二人、野口雨情研究関係者三名(東
道人さん、日比野悌明さん、佐藤文行)そして踏青社斎藤熙さん、
武蔵野書房の福田信夫さん、群系の永野さん安宅夏夫さん、の参加
を得て、こんごの「雨情研究と存彌文学の研究と顕彰」の方向性に
ついて話し合いました。(詳細略)

当初この会合はご遺族抜きで行われる予定でしたが、当日末の妹さ
ん(荒木恵代さん)から出席の通達が来たとのこと。(永野氏)
これにより、話し合いの内容が大幅に(望外に)進展しました。

いくつかの成果がありました:
1)妹さん達のお話では、存彌宅の「重要資料」は健在で「倉庫屋」
 に未整理で保管してあるとのこと。
2)野口存彌さんの履歴作製にご親族の協力が得られるとのこと。
3)存彌さん宅は売却せずに残す方針。
4)10年にわたり武蔵野雨情会を見守ってきた邑上守正武蔵野市長
 が、この10月で退任するがその後の方針を決めていない(60歳)。
 8月23日(水)に次期市長候補と伴に演説会を開催するので、佐藤が
 参加。その場で「今後の協力要請」を伝え、9月上旬にでも「表敬
 訪門希望」をお願いする。
5)福田さんのアドバイスから「武蔵野、三鷹、杉並文学館」の提
 案をしてゆくことで、「野口家」単独の記念館設立よりも実現の
 可能性が大きくなるのではないか?と考えました。
 問題は、「いったい誰が運動の魁けとなるのか」で、武蔵野雨情
 会を運営してきた佐藤からは、実働協力者が得られないとの声が。
6)「群系」としては、今後「野口存彌文学」について特集を組む
 などして行きたいとのこと。早速 次号に「これまでの取り組み
 と今後の方向・希望・提案など」を各人がそれぞれ投稿するよう
 に永野さんから求められた。

以上の雑ぱくな報告に、追って永野さんが詳しい報告をなさるのこ
と思います。

http://snow-man.com/

 

感情論を超えて

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 8月21日(月)05時32分18秒
編集済
  >わたくしは今回WGIPについては触れておりません。

■「大堀さんが繰り返し出される話題は、WGIPに集約されそうです。」
という鎌田さんのコメントが出たので、それを受けたまでです。
実際、貴兄は毎回、WGIPに言及しているではありませんか。

それに、こういう問題は、感情論や、祖国愛という
ほんらい、その国に住む国民が執着する情緒を超えて考えなければなりません。
大堀さんの言っていることは、多くの場合が、感情論に終始しているように思えます。

                *

■河野さんの冤罪問題は、ジャーリストがどうのこうの以前に、
検察や警察の問題ではないのですか。
マスコミごときがなんぼ騒ごうが、
犯罪取り締まりのプロがしっかりしていたら、あんな問題は起らないでしょう。

それに、ジャーナリスト、ライターが共産党員やその影響下にある者かどうかということよりも、
事実の検証が問題でしょう。
「731証言者」は複数いますが、彼らはすべて、中国やソ連の工作員なんですか?

わたしは、日本人を貶めるために、
こういうコメントを書いているわけではありません。
(むしろ安倍晋三や、日本会議が、日本国を恥ずかしい存在にしている!)
人間を、客体化・物量化することに対して、
毎回この板で、当たり前のように批判しているだけです。


■日本人は、ある意味では有能だからこそ、
戦艦大和も、ゼロ戦も、731部隊も創り上げてしまったのでしょう。
アジアのどこの国が、そんなことができましたか。
しかし、それを……隣国に言ってはいけないでしょう(笑)

               *


■そして、この優秀性と倫理性が結び付けば、
日本はほんとうに、大堀さんが言うように、素晴らしい國になるはずです。
だから、過去の検証と現実の直視が必要なのです。

反対に、民族的な自己欺瞞は、いつしか民族的な自己破壊に結びつきます。
お隣の国が、いいサンプルです。


「群系」誌が、大逆事件などの過去の問題を文学史の汚点として無視せず
きちんと論じようとする姿勢も、そこにあると私は思います。
これは、野口存彌さんの話の文脈ともつながってきます。
『沖野岩三郎』という著作は、あの時代を、
感情論やナショナリズムを超えて、多角的に把握しようとしていますからね。

 

どうしてそこまで…

 投稿者:大堀敏靖  投稿日:2017年 8月21日(月)00時13分52秒
   どうしても日本軍は生体事件や残虐行為をしたとおっしゃりたいようです。

 わたくしの生まれる以前の話で現場に居合わせなかったのですから、本当かウソか断ずることはできません。

 証言、状況証拠を元に推測するしかないのですが、わたくしはまず、そんな事実があったとは信じたくないですし、仮にあったとしても70年以上前のそんなことをゴールデンタイムに放送するような人間が信じられません。

 それはウソだという説に飛びつきたいという気持ちが基本的にあり、草原さんは本当だという主張に飛びつかれたいようです。

 ご紹介くださった青木富貴子女史は青木書店のご令嬢でその青木書店というのはもっぱらマルクス主義などの本を扱う共産党シンパの書店であったこと、常石敬一という学者先生は松本サリン事件で河野義行さんの冤罪を助長する発言をしてしまった人ですが(わたくしは河野さんの講演を聴きました)きちんと謝罪はしたのでしょうか。
 どうもお2人とも眉唾のような気がします。

 アメリカとの取引があったではないかということについては、以下の反論を引用しておきます。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2634.html

「米国立公文書館が731部隊(関東軍防疫給水部)に関する機密文書10万頁分を公開 《731部隊の人体実験・細菌戦の嘘が改めて明らかに》

今まで反日勢力に散々あげつらわれ日本の残虐性の一例として利用されてきた、悍ましい〈人体実験〉をしていたと言われる〈731部隊の作り話〉が、米公文書の公開で明らかになった。
こうして冤罪はひとつづつ晴らされて行く。

731部隊(関東軍防疫給水部)は細菌戦研究はしていたものの、細菌戦を行った証拠は全く見つからなかった。
米国立公文書館は、石井四郎中将を始めとする731部隊関係者の個別尋問記録や、石井中将が細菌戦研究の成果を1947年6月ごろ執筆し米軍に引き渡した事を裏付ける最高機密文書も明らかにした。

ナチス・ドイツと日本の「戦争犯罪」を調査する為、クリントン政権当時の1999年に編成された記録作業部会(IWG)は「人体実験」に留まらず「慰安婦問題」などの悪事を裏付ける文書も必死に探したが、それらを裏付ける証拠は何ひとつ見つからなかった。(つまり1999年以降の調査で「性奴隷」が言いがかりである事はクリントン政権時には既に判明していたという事だ。併し、同盟国 米国は口を噤んでいた)」

 戦勝国であったアメリカはいかようにもして日本を裁くことができたはずです。

 原爆投下に後ろめたさがあるなら、生体実験などは恰好の攻撃材料ですから、データはちゃっかりいただいて日本人の残虐性をあぶりだすためにいかようにも罪状を問えたはずです。
 しかし、731部隊の人は裁かれませんでした。

 自国の歴史の汚点をあくまでも強調されるその科学的というか冷酷な史観はいったいどこからくるのでしょうか?
 しかし、そういう個人レベルの問題ではなく、中国共産党政府の思うツボでかの国の現在進行形の侵略を有利に導くことにつながることをお考えいただきたいと思います。

 わたくしは今回WGIPについては触れておりません。
 それよりも膨張を目論む中国の工作活動とそれに同調する反日勢力の方に注意しなければならないといいたいのです。

 
 

これも洗脳された捕虜のなれの果てのニセ証言、なんですかね?

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 8月20日(日)22時28分32秒
編集済
  もしくは、日本を貶めたい中国人の演技?

【731部隊・元部隊員の証言 1 】
元関東軍憲兵隊 三尾豊
https://www.youtube.com/watch?v=BwubLmSqO7c&list=PL64ADD6CBDE01AD9E&index=1




 

731石井細菌部隊の問題は、大堀さんの大好きなWGIPで、説明できるのか?

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 8月20日(日)18時33分39秒
編集済
  ■森村誠一『悪魔の飽食』に誤情報や、検証されていない写真が含まれているのは、
今日、誰も否定しないことでしょう。
もちろん、NHKスぺシャルの制作スタッフは、その程度のことはふまえて作っているでしょうね。
あの公共放送が、あえて関係者の実名を挙げているからには、
訴訟問題の可能性まで想定して作るはず、でしょうから。

森村のかなり古いベストセラー本は批判していますが、
常石敬一や、青木冨貴子らの著作は出てこないんですか。
(これはオウム・サリン事件の当時、常石が物議を醸した推測コメントとは、また別の問題の事実検証です)

               *


>アメリカの国立公文書館が一昨年、731部隊の機密文書公開しました。
日本軍の所業のアラを探し回っていたアメリカでさえ、731部隊のそんな悪魔の所業は見つけられなかっ たということです。

■米軍が日本の軍事的な細菌実験による情報を得たならば、
出てこないのは当然ではないですかね。
二つの原爆を落としてまで、自国と敵国の犠牲者の増大をストップさせたという、
うるわしい「自由と平和と民主主義」の啓蒙者が、
敵国の機密情報を軍事的に活用することを目論んで、共犯者になっていた―――
という、薮蛇的ストーリーに導かれてしまうわけですから。

その日本では、単なる腐敗汚職の資料となる行政文書ですら、真っ黒けの海苔弁当として出てくる。
もっと老獪で賢い宗主国のアメリカが、軍事関係の機密文書など、出すわけがない。


               ▼

>青木冨貴子によれば、
米国が731部隊員に提示した条件は、以下の9項目からなっていた。

--- 鎌倉会議で取り交わされた9ヵ条の密約 ---
https://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A

1.この秘密調査報告書の閲覧はフェル博士、マックェール中佐、および吉橋通訳とGHQのアメリカ人、
そして石井と約20名の研究者のみに限定されている。
2.日本人研究者は戦犯の訴追から絶対的な保護を受けることになる。
3.報告はロシア人に対しては全く秘密にされ、アメリカ人のみに提供される。
4.ソ連の訴追及びそのような(戦犯を問う)行動に対しては、絶対的な保護を受けるものである。
5.報告書は一般に公表されない。
6.研究者はアメリカ合衆国の保護下にあるという事実が明らかにされないよう注意が払われる。
7.主要な研究者は米国へ行くことを許可される。
8.細菌戦実験室が作られ、必要な経費が支給される。しかし、アメリカ人実験室長の下に行われる
日本人研究者との共同研究はさらに考慮される。研究に基づく特別実験が予定される。
9.アメリカ人だけによる全面的な共同研究は日本の問題に良い影響を与える。アメリカ人とこれらの条件を
決定するに当たり、8以外はすべてアメリカ人の一般的意図に基づく。

さらにフェル博士が発見し、石川太刀雄丸(※)が解説をつけた病理標本8000枚が、
アメリカ陸軍のメリーランド州フレデリックのキャンプ・デトリックに送られた。

アメリカ政府は次のように結論した。

a. 日本の生物戦研究の情報はアメリカの生物戦研究プログラムにとって大きな価値があるだろう。
b.【略】
c. アメリカにとって日本の生物戦データの価値は国家の安全にとって非常に重要で、「戦犯」訴追よりはるかに重要である。
d. 国家の安全のためには、日本の生物戦専門家を「戦犯」裁判にかけて、その情報を他国が入手できるようにすることは、得策ではない。
e. 日本人から得られた生物戦の情報は情報チャンネルに留め置くべきであり「戦犯」の証拠として使用すべきではない。



■大堀氏の見解では、これらの話も「中国人工作員」によるフィクション……ということでよろしいか?
あるいは、ジャーナリスト青木冨貴子とやらは、
"反日中国人が、帰化している"……というお話になるのかな。


>(※)石川太刀雄丸
  (面白い名前ですね)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E5%A4%AA%E5%88%80%E9%9B%84



               *


■また、江藤淳『閉された言語空間』の検閲・情報管制の問題があったことも確かでしょう。
ずいぶん以前に、この板でも、江藤とWGIPの話題は、さんざんやったと思います。
江藤の問題提起は今日でも生きているし、
いまメディアを賑わしている青山や、百田あたりの右派の論客あたりの感情論よりは、よほど上等だ。

ただ、そういう包括的な問題と、個別的な事実の検証は別問題でしょう。
以下の番組が、
「NHKに入り込んだ中国人工作員」による「空想と論理の飛躍が続くばかりの怪奇空想小説」
であるならば、もちろん、NHK批判・解体という問題も出てくると思います。


               *


NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」20170813】
https://www.youtube.com/watch?v=CjYC-yoJAeg

■ここに録音された日本の医学者たちの肉声は、
ソ連兵に拷問されたあげくの「嘘」――とでも?
あるいは、共産党に育成された日系の声優さんたちの「熱演」――とでも?

当時の関東軍の「少年兵」が80~90代の老人となり、顔を晒して"人体実験"について語っていますが、
これは、クライシス・アクターの歴史部門担当役者――、なんですかね?


https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586959/index.html


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【731部隊】wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A
■もちろん、ウィキペディアを持ちだすなんて、
と呆れ返られるのも自由です。


 

WGIP

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 8月20日(日)16時47分25秒
編集済
  ブルース・リー。懐かしいですね。中学・高校の頃、大流行でした。
若い頃の桂文枝(当時は桂三枝)にそっくり。三枝がギャグをやっているのかと思ったりもしましたが、別人でした。『北斗の拳』の魁?なのでしょうか。

それはともあれ。大堀さんが繰り返し出される話題は、WGIPに集約されそうです。米国の資料をもとにまとめられたのが、江藤淳『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』でしょう。国立国会図書館デジタルコレクションで、日本占領関係資料が公開されていますが、膨大で、取り組むのも読み解くのもなかなかです。

国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/

本多勝一『中国の旅』にせよ、森村誠一『悪魔の飽食』にせよ、検証することなく、空想と論理の飛躍が続くばかり、怪奇空想小説として楽しむのであればともかく、ルポルタージュなどとは言えない代物、こういうのを好む人は少なくない、ということなのでしょう。

追記(08/21)
よく見ると、日常の多くは、空想と不可分になっていますね。空想が過ぎると怪奇なことになってきますから、気がついた時々に(少しだけでも)検証してみることでしょうか。空想が出てくる背景を考えてみるのも面白いものですが、別の話題になりますから、この辺で。
 

fighting without fighting

 投稿者:大堀敏靖  投稿日:2017年 8月20日(日)11時08分50秒
編集済
  わたしの好きな中国人俳優ブルース・リーが〝Enter the Dragon”(邦題「燃えよドラゴン」)の中で言っています。

https://www.youtube.com/watch?v=o_Ycw0d_Uow

 要するに孫氏の『兵法』の「戦わずして勝つ」ことが善の善なる戦法で百戦百勝よりもまさるということです。

 感情の韓国とは異なり、賢い中国は冷静にこの戦法を取って、情報戦によって敵(東洋鬼日本)を撹乱、二分して敵の戦力を弱め、土地の買収や尖閣への漁船団の派遣を通じて気づかれぬ間に日本を中国の自治区にしてしまうのではないかと危惧されます。

 NHKで放映された「731部隊の真実」という番組も中国外交部報道官は大歓迎で、その「勇気」を褒めたたえています。
 こういう番組の影響や効果を考えた場合、制作スタッフの中に工作員が紛れ込んでいるのではないかと疑われます。
 マスコミのフェイク報道は国民も徐々に気づきつつありますが、ネットの普及に期待しているという人が、こういう日本の歴史を貶める番組は諸手を挙げて歓迎し、中国の撹乱工作にまんまと手を貸してしまっていることに気づくべきだと思います。

 これが「真実」ならばまだしも、そもそも今を遡ること35年くらい前に森村誠一氏が「赤旗」に連載し、光文社から出版された「悪魔の飽食」によって731部隊は生体実験をして、細菌戦の研究をしていたという「真実」が世に知られることになったのでありますが、使われた写真の大半が関係ない写真の転用で内容の真偽も怪しくなり絶版となったものです。
 森村氏は「赤旗」記者の「取材」を元に書いたのですが、共産党のプロパガンダ的作品であることはこういう経緯をみても想像できます。
 祖国を憎悪するように青少年に仕向け革命へとつなげようというマルクスの戦略に乗っ取った方法の一環と見られます。

 731部隊の任務である防疫、給水は、緑のない、川に汚物を流していた大陸においては喫緊の課題でありました。
 日本の頭脳を結集してこれに当たったものを、生体実験をして細菌戦を研究していたという濡れ衣を着せて、祖国憎悪につなげ、敵の国論を二分して弱体化を図ろうという意図の下に番組が制作されたのではないかと疑われます。

 アメリカの国立公文書館が一昨年、731部隊の機密文書公開しました。
日本軍の所業のアラを探し回っていたアメリカでさえ、731部隊のそんな悪魔の所業は見つけられなかったということです。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2634.html

「奉天(現・瀋陽)の収容施設で、連合軍の捕虜に細菌実験が行われなかったかを調べたり、日本からの風船爆弾が細菌戦に使われないかを調べたりしたが『当面は細菌戦を想定していない』と結論づけた文書も発見された。
つまり米国が持っていた731部隊に関する10万ページの機密文書には、731部隊が人体実験を行ったり細菌戦を行った証拠は全くなく、戦後に言われた事は全て根拠なき捏造であったと証明されたのだ。」

 731部隊が裁かれたハバロフスク裁判というものはソ連の行った東京裁判のような、勝者が一方的に敗者を裁くショーのようなもので、番組では終戦直後と言っていましたが、正確には1949年12月25日から30日までの6日間行われたもので、終戦から4年以上経過しております。

 捕虜たちにその間「洗脳」教育が行われていたことは容易に想像がつきますが、そんな裁判の証言をNHKは疑いも入れず、決定的証拠として放映しました。

 そしてそれを称える中国外交部報道官、徳島のヘンな夫婦による夫婦漫才ふう市民メディア、掲示板板亭さま…。

 わたしは先人たちが生命を賭して戦った戦争の真実は恥ずべきものではないと信じております。

 しかし、殊更に美化してはいけないと思いますが、しかし、逆に殊更に「醜化」してそれが「真実」の歴史だとしてまかり通るのはどうかと思いますし、戦後72年を経過して機密公文書の公開など本当の「真実」が明るみに出つつあります。

 目的のためなら手段を選ばず、捏造、ゴマカシ、ウソ八百を平気で並べて全く恥じない周辺国があるのも事実で、それを意図的に撹乱手段として使っていることも、お人よしの日本人はそろそろ気づかなければいけないと思います。

 気づいた時にはチベット、ウィグルのような中国の日本自治区となって、漢人に差別、支配され、労役を課され、逆らえば殺されるような悪夢も否定できないことを肝に銘ずるべきだと思います。

 彼らは冷静に、賢く、水のようにヒタヒタと、戦わずして勝つ、fighting without fightingで世界を自分のものにしようと膨張を目論んでいるのであります。


 

お早う御座います。

 投稿者:齋藤康夫  投稿日:2017年 8月20日(日)10時24分44秒
  ★ご無沙汰してます。私は歳をとるごとに年々多忙になるらしいという事に最近気づいてきました。


過日北海道の利尻島へ出かけました。フェリー乗り場のすぐ前に昔からある佐藤食堂に
其処のおばあちゃんが綴った昔の出来事の冊子があります。
何度も此処へは行っていてこのおばあちゃんには何度もお会いしているのですが
今年は店には出ていませんでした。聞くとまだお元気だそうです。
この冊子には 11の項目があります。中でも興味を引いたのは昭和初年頃の『だっちゃ政』
という話です。変わった体質で砂を食べるというのです。頭は逆三角形で目は
細く眼尻が狐のように吊り上がりミミは小さく腕は肩から吊り下げられている
ようでした。やませが来る前に予知能力があったのか『あんぶねぇあんぶねぇ』
と言いながら村中を歩き回ったそうです。おっかあが居ましたが小樽から運ばれるお盆用の果物が
痛むと海に投げ捨てるのを見てだっちゃに食べさせたいと思ったのか海に落ちて死んだという事です。
みる者のいなくなった政は おそらく研究のためか北大病院に行くことになりそこで死んだという事です。
このだっちゃ政の死んだあと北海道大学で解剖したと当時の北海道新聞に載ったという事です。
私も関連を北大の関係者に頼み調べてもらったのですが標本もなにも今は無くなっているようでした。
奇妙な事が世の中にはあるものです。この冊子は今でも佐藤食堂さんには300円で販売していました。
生前の野口さんにこの話をしたところ是非見てみたいと言われたので贈らせて頂きましたが
まもなく病気になられてしまいました。北海道の話になると時雨音羽とか楽しい話題で盛り上がったのが
なつかしいですね。
 

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