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合評会は、やっぱり楽しい!!

 投稿者:荻野央  投稿日:2018年 2月26日(月)14時41分51秒
編集済
  ◆自作を批評される、同人の作品の感想を述べるという会合はとても楽しい、いつものことながら。無いものねだりを言うのではなくて、同人その人の今後の文学世界を高度に補助しあう合評会は、また、とても有意義な場だと思う、いつものことながら。だから「群系」同人の高いレベルの批評言は、真摯に受け止められるという具合だ。「さて次をどうするか?」てな気持ちになる。

◆文学の会合は「利権がからまない純粋な場」であるから、なにか純化されたような気持ちになる。不思議だなぁ…。

◆後のお疲れさん会では、わたしは久しぶりに土倉さん、小野さん、安宅さんとお喋りしたのでとっても満足。安宅さんと話をしたのは何カ月ぶりか、お互い話しているとエキサイトしてきて色々と"主題的な"会話となり、むくむくとやる気が出て来た。安宅さんの魔術に乗せられたかな…。
あ…それから風邪がなかなか治らずビールのせいもあってcoffee timeを欠席しました。すまんことです。途中で土倉さんに追いついて一緒に駅に向かうことができました。

◆皆さん、お疲れさま!!
 
 

寒さも何の、の充実の集い

 投稿者:管理人 iPad 152  投稿日:2018年 2月26日(月)07時04分42秒
編集済
      合評会の開始は一時半であったから、四時半の退出時間まで正味3時間だったが、そのくらいが出席者9人の作品を論じるのにちょうどいいのだと今回わかった。もう来た時には茶菓が配られ、後から来た人はみかんの差し入れ、また読んでもらいたい新聞記事のコピー(木更津在住の芥川賞作家・若竹千佐子さんのインタビュー)、身内のご本の表紙コピー、次号の投稿予定のコピー(私)など、が配られ、文芸同人誌の会らしい誂えであった。
   本誌のこの数年は今回ご出席の同人らを核として、かなりレベルの高いものになって来ている。編集部としては、この作家にはあの大学教授にお頼みしようか、など差配しようとするが、どうして、もうこうした有力な同人同士で次号のあらかたの分担は、後の飲み会の話で固まった。
   土倉姉の言うように、ほんとに文学の話の好きな人の集まりで、今回は人数が少ないな、という気遣いは全く無用のことであった。実に次号40号の記念号の出来が待たれることになった。
 

合評会

 投稿者:間島康子  投稿日:2018年 2月25日(日)22時54分16秒
  土倉さん、一足先にお帰りになりましたが、無事ご帰宅なされたのですね。
掲示板を開けてみましたら、土倉さんからのコメントがあり、そのスピードに
びっくりです。
今日は出席者9名でしたが、程よい時間でそれぞれの作品評が出されました。
自分の足りないところ、また他の方の作品から新しい事を知ることができ、
大いに勉強になりました。
二次会も楽しい話題が出て盛り上がりました。

さあ、次号に向けて進まねば。

土倉さん、お大事になさってください。
 

やっぱり、文学はいい!!

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2018年 2月25日(日)21時36分4秒
   本日は『群系』の合評会。息子の死、私の怪我などで、もう、同人のみなさまには一年以上もお会いしていないなかった。前日からワクワクどきどき。でも、用心しなければ。こういう時に事故が起きてしまうのだから。
 間島さん、荻野さんが一番乗り。永野さん情報では、今日は欠席が多いとのこと。編集委員プラス数名でスタート。それぞれの論考をたっぷりと批評して、批評の醍醐味を味わった。一つの作品は皆の意見を受けて、違う面も輝きだした。

 3月7日に検査入院するので、特別の思いもあった。今日、お会いできなかった同人の方々、お元気で、またお会いできる日を楽しみにしております。
 

明日、どなたでも。

 投稿者:管理人 iPad 905  投稿日:2018年 2月24日(土)17時33分9秒
編集済
      硯友社の講演、和洋九段に行って来ました。同人一人もおいででした。中島国彦先生他のおはなしは為になり、いろいろ資料もいただきました。会場で深澤晴美さんと挨拶できました。最後に懇親会があったのですが、あすは合評会なので、今日はお暇しました(残念)。

   和洋九段高校・中学校の講堂にて
 

39号の合評会は、明日です。

 投稿者:管理人 iPad 905  投稿日:2018年 2月23日(金)17時27分45秒
編集済
     明日、25日に「群系」39号の合評会があります。オブザーバーとしてのご出席も歓迎です。どうぞよろしく。

   本誌は、全国でもまれと言われる、批評・研究と創作の文芸誌です。2016年には、富士正晴全国同人雑誌大賞を受賞、読書人紙や図書新聞でもよく紹介され、東京新聞「大波小波」のコラムでも好意的に取り扱われました。そして、この度は、あの「季刊文科」誌から、「文学の動向」というテーマで、年間連載の依頼を受けました。まさに、近代文学・現代文学の指標となるべく刊行されているものです。

    次号40号の記念号も、特集の輪郭が出来つつあるように投稿予定もきております。文学と社会、個人の生と時代を見据えた本誌にご期待下さい。

    現在までのご投稿予定は、特集Ⅰ については、2月19日付け、特集Ⅱ  については、同15日付けで、掲出しております(投稿者が付くたびに、内定の文字を入れています)。

  ※ 赤字についてのお訴えにも、多くの方がお応えになって下さって、本日も入金がありました。多くの方の期待の現れと存じます。
 

再掲出 「硯友社を中心と する「近代文学アーカイブ講演会」のお知らせ

 投稿者:管理人 iPad 883  投稿日:2018年 2月23日(金)12時03分42秒
編集済
   和洋九段の深澤さんの投稿を再度アップしておきますね。ご都合のつく方はぜひどうぞ。

             〇

講演会お知らせ   投稿者:深澤晴美   投稿日:2018年 2月 5日(月)14時02分

   「硯友社を中心とする近代文学アーカイブ講演会」のお知らせ

   日時、2月24日(土)15時~17時
   会場、和洋九段女子中学校高等学校講堂

 中島国彦「近代文学の輝きー硯友社から漱石へ」
 梅山聡「硯友社の女性作家たち」

 ご希望の方は、17時から硯友社資料室もご覧いただけます。
 参加費・申し込みは不要。
 最寄駅は地下鉄九段下(徒歩3分)、JR/地下鉄飯田橋(徒歩8分)です。

 お気軽にお越しくださいませ。お待ちしております。

     http://www.wayokudan.ed.jp
 

詩人、田村隆一のこと

 投稿者:荻野央  投稿日:2018年 2月22日(木)14時47分1秒
編集済
  初めて田村隆一の詩集に触れたのは1992年なのでもう四半世紀も前ということになる。『ハミングバード』というページ数110くらいの、やや小柄な詩集だった。この詩集から一気にわたしはこの戦後最大の詩人にのめりこんでいったのだが、とにかく、終始「絶句してしまう」詩ばかりで、ささやかに詩を書いて来たわたしは(当たり前だが)「もうだめ」、お手上げという状態。詩人が亡くなられたころに全詩集1冊が出たが、酒代は惜しまないくせに27000円を惜しんで買わなかった。でも後に河出書房新社から全6巻がでたので買いそろえた。(好きな作家の作品集とオカネを天秤にかけてはいかんな、と反省した。)
それはそうと『ハミングバード』(ハチドリの意)は最初からびっくりする。特に好きな作品を掲示しようと思う。タイトルは「砂上にて」。

“まず白紙をひろげる/そして言葉があらわれるのを待つ
言葉があるから詩が生まれるのではない/言葉を探す旅が詩だとしたら
小さな海の家にいってみよう/半裸の人間たちが出入りしているが
水着だけでは職業も分からない/人間という種族は醜いものだ
それだけ分かれば人間もすこしは美しくなる/泣いても喚めいてもいいが
喋ることだけはやめてくれ/言葉を書くなら砂の上に描いてくれ
寝たり食べたりする空間は砂上に/波という神の手が
たえず洗っては消し去ってくれて/白紙だけがひろがっている”

田村隆一の詩を読むと印象として「詩論を詩で語る詩人」だなあ、とボンヤリ思っていたけども、それもそうだけど、いつも「人間ってなに?」が、詩が動き出すとき心の一か所にいつもうずくまっているような人なんだという感想も持った。

文学も哲学も畢竟、双子みたいなもので「世界ってなに?」「人間ってなに?」という質問を内的にあるいは必然的に備えているのじゃないか。(むろん文学には「言葉ってなに?」があるわけですが。)

わたしが『群系』に書いているのは若い頃からの強烈に印象を受けた作家と作品を語りたいので、言ってみれば「宿題」をひとつひとつと片付けているようなもの。田村隆一について、いつか『群系』に書いてみたいと思う。(現在、再読中デス)

 

会費を多少値上げするという案

 投稿者:管理人 iPad 783  投稿日:2018年 2月22日(木)13時53分3秒
編集済
      編集部同人から、今回のことについて、一つ、会費が二千円なのは安すぎるのではないでしょうか、と提起がありました。他と同じように、六千円にしてもいいのではないか、とのご意見でした。確かに、創刊以来、本誌の会費は二千円で変わりありません。20号から年一回の刊行が、年2回になって、二千円も半期分で、年にすると、四千円ではありましたが。
    掲載料については、ずっと3千円/1ページ、でしたが、数年前からでしたか、ついに一割値上げさせていただいて、今は、3,300円/1p、で計算させていただいています。これを三千円/1pに戻して、その分、会費で賄うという手はありますね。仮に、250ページだとすると、掲載費を300円/1p安くすると、75,000円の欠損が生じます。これを会費値上げで補填するとなると、会員は執筆者も含めて70人くらいですので、一人千円上げて、70,000円になり、だいたい釣り合います。
    ただ、千円上げた分だけ、購読会員の方に、何らかの見返りがないといけないのでは、ということが生じます。
    本誌は一冊、1,500円の定価が付いていますが、250ページだとすると、3,300円を掛けて、82万5千円、印刷費がかかります。それに、発送費が7万5千円として、合計90万円、になります。これを発行部数でわると、一冊あたりの価格が出るわけで、500部刊行とすると、1,800円になりますね。それに、群系会報の発行・送料を入れると、二千円でとんとんではあります。

    以上の計算はあくまでも、今までのことで、ページ数を200pに落として、発行部数も、420部にすると、数字が変わってきます。それでも、やはり、購読だけの会員に、千円値上げするという根拠にはなりません。もし、3千円/1p、にするなら、今までにない、べんえきを考えないといけないのでは、と思ってしまいます。

    いかがお考えでしょうか。この際、この経理問題は、25日の合評会の際に、ご報告だけでもしたいと思っています。
 

合評会お出での方はー。

 投稿者:管理人 iPad 729  投稿日:2018年 2月22日(木)03時38分14秒
編集済
     合評会、ご出席の方は一度当方にご連絡下さい。ご出席予定の方をお知らせします。
                                                      →  uf2gmpzkmt@i.softbank.jp

    場所はいつも通り、都営新宿線・船堀駅前の、タワーホール船堀の4階和室です。一時から四時半のあいだに、39号を始めから順番にやっていきます。出席者のものを中心にやります。途中15分の休憩の予定。

    今回は常連の同人よりも、新人、外部の方もおいでかもしれません。

    本誌は今年、創刊三〇周年を迎えるので、次号・四〇号には、文芸評論家の方を含め、かつてご投稿の方にも何かお寄せいただく予定です。編集部には、商業誌からの原稿依頼が来ていて、まず最初の締切がこの二月末なので、当方はそちらにもアタマがいっぱいです(そのくせ、家系図作りなど書いていますが)。でも、最近は体調がいいので、透析中も本が読めるようになっています(目もよくなったし)。小林秀雄が、ベッドサイドで読めるなんて!

    オリンピックは多少関心がありましたが、当方含め、同人は世間一般と関心が違いすぎますね。テレビはもう、いいニュースがなければスイッチを切って、本やiPadに向かいます。先日の編集会議には六人全員が集まって、文学談義、楽しかったなあ(最後には、同人二人が残って、小林秀雄を論じ合いました。居場所はここなんですねえ)。

   ぜひ本誌にご期待下さい。
 

家系図作成しています。

 投稿者:管理人 iPad 691  投稿日:2018年 2月21日(水)19時09分51秒
編集済
     このところ、家系図を書いている。Excelで名前を縦書きにし、横に生没年を書く。そしてそれぞれを棒線で繋ぐ。親戚にこのことで、二、三回、十人近くにご家族の消息をお願いした。なかには、それこそ半世紀ぶりに通信した人もいる(初めは躊躇いもあったが)。何度も何度も書き足し、訂正する。Excelの箱のタテヨコを変えたり、工夫する。だが、これが面白い。このところ、iPad中心の生活だったが、家に帰ってデスクトップを開けるのが面白くなった。

    父方のは案外、ご先祖も遡求出来て、四代も前は江戸時代の生まれだ。
    当方、生没年を確認するのが楽しいのは、いま企画の作家の生年と比較するからで、祖父は芥川の1992年と同じだな、この人が亡くなったのは、野口さんの生まれた昭和6年だったのか、など想像を逞しく出来る。
     しかし、逆に切なく思うのは、若くして亡くなったいとこもいることで、写真を見て、思い春秋である。

     写真といえば、幼少期の思い出のアルバムはスキャンしてパソコンに取り込み、今回いくつかは従姉妹たちへの手紙に同封した(ま、スキャン自体は前からしていたが)。多少恥ずかしくもあったが、彼ら彼女らとの接点はこの幼年時代だからだ。こうした白黒写真には、むかしの家屋、市川市菅野の僕らの家が映っていて(そこは10歳まで住んでいた)、妙に感慨がかきむしられた。

     父母や弟の当時の写真もむろん、たくさんある。決して豊かではなかった我が家に、当方を含め写真が多いのは、どうしてか。あまり考えたことがなかったが、ある写真を見てふと思い当たった。それは父ともう一人伯父にあたるひとが海岸にしゃがんでいる写真であった。父の手にはライカ?であろうか、カメラがあった。あ、そうか、父は写真を撮るのが好きだったのか。それで、当方の幼児期からのを含め、こんなに写真があるのか。そういえば、撮られた人はそこにのこるが、撮ったひのことは残らない。昔から写真はあるなあと思っていても、カメラマンのことは想到しなかったが、いま思い当たった(ま、当方の写真好きも、父譲りだったのか)。だが、こちらが物心ついた中学校以降、あまり父がカメラを手にした姿は見なかった。ま、その頃から家計が大変だったのか。

    父母や、その兄妹を思うと、その人生があまり長く無かったことに思いがいく。父など65であった。当方はその年をとうに越した。生活は厳しく、経済だけでなく、家電やクルマもなかったから、日常の生活自体、タイヘンだった。小生があの頃、暮らしていたら、とっくに死んでいただろう。
    当方は皆のおかげで生きている。だから、食べるものにも注意し、生活を律して行こうと思う。
(病院処方の薬は最低限にしてもらい、それを確実にのむ。サプリもセサミンに加えて、リベリコも飲み始めた。目が良くなっていらい、気のせいか腰痛もだいぶ寛解し、日々元気ではある)。

                                    ○

     きょうも、振込のカンパが来ていた。思いもかけない人からもあって、今日だけで3万5千円、追加になった。また、投稿予定も来ていた。感謝である。(_ _).。o○  (寝ているのではなく、お辞儀しているのだ。でも、やはりこれは、居眠りか)。

                                    ◯

     あ、こんなことより、 合評会が間近ですね。十人くらいでしょうが、読んで感想を書くのでしたね。皆さんもよろしく。皆と会えるのが嬉しいし、文学の話ができるのが楽しい。
 

《転換期の文学者》とは。

 投稿者:管理人 iPad 475  投稿日:2018年 2月19日(月)20時50分5秒
編集済
    繰り返し、特集のご案内、お誘いの文を草しますね。《転換期の文学者》の例を挙げているところまでは前の投稿のコピペ、それ以降は、今回新たに書いたものです。

次号(四〇号)の特集企画
    Ⅰ 日本近代文学の転換 ー大正・昭和の文学ー
    Ⅱ 野口存彌と日本近代文学 ーその二ー
   Ⅲ 創刊三〇周年 ー同人誌の思い出―(仮題)

  ここでは、Ⅰについて、投稿のご案内。日本近代文学の始原(Ⅰ期)、同展開(Ⅱ期)と続いて、 次号は同転換(Ⅲ期)となります。時期的には、関東大震災の大正一二年の直後から、昭和八年の国際連盟脱退のあいだ、たった十年ですが、この時期は都市化・近代化が進んで、文学・芸術にも大きな変動が起こり、 いろいろな運動、作品が生まれました。名付けて、日本近代文学の転換、としましたが、実際、下欄に示した ような作家・詩人がこの頃、活動しています。これらは例ですが、どうぞこの時期の作家・作品、文芸運動に ついて、ご論考をお寄せ下さい。
もちろん、その他、自由論考、創作、ノート類も募集しています。
締切は来年四月末、刊行は同六月を予定しています

《転換期の文学者》 例

 有島武郎      1878年3月4日 - 1923年6月9日
 志賀直哉      1883年2月20日 - 1971年10月21日
 武者小路実篤 1885年5月12日 - 1976年4月9日
 谷崎潤一郎  1886年7月24日 - 1965年7月30日
 萩原朔太郎  1886年11月1日 - 1942年5月11日
 室生犀星     1889年8月1日 - 1962年3月26日
 芥川龍之介  1892年3月1日 - 1927年7月24日
 佐藤春夫     1892年4月9日 - 1964年5月6日
 宮澤賢治     1896年8月27日 - 1933年9月21日     担当者内定
 横光利一  1898年3月17日 - 1947年12月30日
 川端康成   1899年6月14日 - 1972年4月16日
 梶井基次郎  1901年2月17日 - 1932年3月24日     担当者内定
 中野重治     1902年1月25日 - 1979年8月24 日    担当者内定
 小林秀雄   1902年4月11日 - 1983年3月1日       担当者内定
 小林多喜二    1903年12月1日 - 1933年2月20日
 中原中也       1907年4月29日 - 1937年10月22日
 宮本顕治       1908年10月17日 - 2007年7月18日    担当者内定
    中島 敦          1909年 5月 5日 -1942年12月 4日     担当者内定

    以下の文学者などについては、おもに昭和期の活動ですので、次の第Ⅳ期(「日本近代文学の崩壊」ー仮題)、次次号41号に回したいとおもいます。
        太宰治、堀辰雄、伊藤整、大岡昇平・中原中也、坂口安吾、石川淳、火野葦平、石川達三、
        高見順、保田與重郎、蓮見善明、三島由紀夫、林芙美子、円地文子、大田洋子、佐多稲子、
        森茉莉、 藤枝静男、平野謙、小林秀雄(戦前~戦中・戦後に渡る)、など。

        野間宏、武田泰淳、梅崎春生など、戦後作家は、この特集がそこまでやれるか、現在未定。

                                 ◯

    どうして、どういう点で、これらの上記の作家・詩人・批評家が《転換期の文学者》と言われるのだろう。文学史の示すところに、投稿子の見解を入れて考えてみたい。
    最初の三人は、いわゆる白樺派だが、これはその人道主義を大っぴらに表明したところに、従来にない新しさ、がうかがえよう。そこには文字通り「道」がうかがえるが、これは藤村のように、「こんなわたしでも生きていきたい」といった悔悟の上での生ではない。もっとアプリオリな、先験的な生き方だ。武者小路実篤の天性のおおらかさがその典型といえようが、「お坊ちゃん」「おめでたき人」と周りが言うより、「思想の科学」の連中が評価したように、こう言う生き方は日本近代のジメジメしたものと質的に違うものとしてこの際再評価してもいいのでは。
   志賀直哉は、戦後左派からは疎んじられたむきもあるが、「小説の神様」はなまじっかな評価ではあるまい。あの小林秀雄さえ惚れた文学者だった(「作家Ⅱ」)。「城の崎にて」「邦子」「痴情」「山科の記憶」に見られる、湯治場で観察した小動物たちの生死を見凝めるこの作家の「神のような無慈悲」(平野謙『芸術と実生活』)は、やはり従来の緩んだ文体には見られなかったものだ。実生活の危機をいかに芸術的に昇華したか、平野謙のモチーフだが、この視点だけでも論じる価値があろう。
    有島武郎は、先の二人とも全く違った出自と生き方、そして文学であった。同じような上流階級といっても、この人はその実践において余人のなす能わざることを為した。すなわち、自己の土地を小作人に無料で解放したことだ。有島農場を、新しきひとびとに贈ったのであった。出来ることではない。また米国留学もして基督教の洗礼を受けたが後、棄教している。このことは、植村正久や内村鑑三などと違うが、日本の風土ではむしろ有島武郎の悩みの方がリアリティがあったのでは。そして、その作品。「或る女」では奔放に生きるヒロインを描いているが、こういう人物造形も従来になかったのでは(むろん、これは独歩の愛人であった佐々木信子がモデルだが、有島の造型がある)。そしてその最期だ。軽井沢で婦人公論の女性記者と心中したことは、彼の誠実さの限りだろう。自己の限界を知って過去、自殺した作家もいるが、有島は生の中の死であった。

    谷崎潤一郎は、これはもう彼の生き方そのものが芸術的、耽美派であった。「刺青」「痴人の愛」など、自ら退廃的・官能的な境地を書いた。また「春琴抄」や「蓼食う虫」「細雪」など、人生を問うものに傑作がある。あるいは「黄金の死」などは谷崎ならではの桃源郷の創生だろう。また、源氏物語など王朝の美的様式を現代に再生させたことも大事だ。耽美派作家と言われるが、他にこの言葉に似合う作家はいようか。それこそ、「異端者の悲しみ」を抱えてでもあった。

    萩原朔太郎ー。日本のボードレールともいわれるが、この人の前には、真の近代詩人はいなかった。近代の哀傷と虚無を体現した詩人。いや詩人というのも至高のオマージュではないかもしれぬ。近代の一切を表現した人であった。有名な話だが、ある晩、あの芥川が着るものもとりあえず、朔太郎の元に行って、「君は僕だ、君は僕だ」と叫んだのは、芸術家同士ならではの逸話だ。

   さてその芥川龍之介だが、彼の自殺、その個的なものがこうも時代を表現したものはないであろう。しかし、この近代において、自殺はまさに当為といってもよい。先の朔太郎もふくめ、その内実に死の契機を内包したものはどれほどいたことだろう。吉本隆明に、『悲劇の解読』という著作があるが、そこに挙げられる人間は、朔太郎、芥川だけではない。その中には、実際に自裁した太宰治だけでなく、小林秀雄も、横光利一も、宮澤賢治も挙げられていた。そう、「死の契機を内包し」た悲劇の人の、その内面を解読したものであった。それこそ、文学の、真の中核の問題であった。

   次に佐藤春夫。さきの谷崎との交友のなかで、妻の売買をしたことが文壇の話になるが、それはともかく、「田園の憂鬱」、この周縁の地でのメランコリーを描き切った点で、従来になかった作家といえよう。個人的には「のんしゃらん記録」や「美しい町」など、一種ファンタジックで、無有に帰す感じの作品も好きだが、39号の山中千春氏が論じるように、大逆事件が、作家・佐藤春夫を生んだとするなら、これは従来の旧態を脱した、文字通り転換期の作家といえよう。春夫論は幾人かが論じてきたが、ここで決定打となるのではないか。

   宮澤賢治。これはもう、日本近代文学の奇跡とも言える存在だ。都会ではやれプロレタリア文学だ、新興芸術派だ、新感覚派だ、と喧しい議論がなされている時に、岩手という辺縁の地で(賢治の言う《イーハトーブ》の地で)、生活に根ざしながらも、科学と信仰に基づいた芸術が創造されていた。何よりもその意匠は、心象スケッチと副題された、「春と修羅」の冒頭に説かれている。いわく、「わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)風景やみんなといつしよにせはしくせはしく明滅しながらいかにもたしかにともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明です(ひかりはたもち その電燈は失はれ)」…。

   川端康成。小誌には、芸至(芸術至上主義文芸学会)の人も、川端学会のひともいるので、素人が今更に諭すのも恥ずかしいかぎりだが、それでも本誌の川端特集で取り上げた「反橋」「しぐれ」「住吉」、そして「隅田川」を加えたいわゆる『住吉』連作をとっても、その古典に架橋した、あわれな儚い美は伺われることであった。「あなたはどこにおいでなのでせうか」ーこの冒頭に掲げられた不思議な呼びかけのごとく、ひとの生の哀しみを描いた川端文学の魅力は、日本文学の永遠に根ざしたものでもあろうか。この作家の《転換期》の意義を論じていただける人をぜひお願いしたい。

    梶井基次郎。この作家も、先の川端の次に本誌で特集を組んだものであって、その珠玉の作品に多くの同人がその論考を寄せたものであった。その文学の特質を一言でいうなら、感覚の表現者、ともいうべきか。小林秀雄がその自意識の内面を批評というかたちで告白したとするなら、梶井はそれを小説(というより、小品)というかたちで昇華したのであった。しかし両者のそれは対照的であった。80歳まで生きた小林のそれが悲観的な陰りが多かったのに対し、31歳で夭折した梶井のそれが、(病いを描いているにもかかわらず)健康的な印象があることだ。これは文学の魔力でもあろう。梶井の魅力には、多くの作家が魅せられている。Wikipediaに掲出されているそれら文学者を(長くなるがあえて)引用すると、以下のようになる。ー梶井の残した短編群は珠玉の名品と称され、世代や個性の違う数多くの作家たち(井伏鱒二、埴谷雄高、吉行淳之介、伊藤整、武田泰淳、中村光夫、川端康成、吉田健一、三島由紀夫、中村真一郎、福永武彦、安岡章太郎、小島信夫、庄野潤三、開高健など)から、その魅力を語られ賞讃されている[1][5]。
   これら作家は多くの文芸流派にくくられるが、ちなみに梶井自身は、どの文芸流派にも整理されていない。

    中野重治。このプロレタリア文学の闘士を凡百の闘士から分かつものはそのみずみずしいリリシズムにあろう。初期の詩篇にそれがうかがわれるが、「歌」と題された詩に時代の接線に立つ彼の立場が表れている。あえて全部を示す。
    おまえは歌うな
    おまえは赤まんまの花やとんぼの羽根を歌うな
    風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
    すべてのひよわなもの
    すべてのうそうそとしたもの
    すべての物憂げなものを撥(はじ)き去れ
    すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ
    もっぱら正直のところを
    腹の足しになるところを
    胸元を突き上げて来るぎりぎりのところを歌え
    たたかれることによって弾(は)ねかえる歌を
    恥辱の底から勇気をくみ来る歌を
    それらの歌々を
    咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌い上げよ
    それらの歌々を
    行く行く人々の胸郭にたたきこめ

    自らのうちのリリシズム、抒情を抑制してまで、自らの思想上の、人道上の闘いに邁進しようという姿勢がうかがわれる。
     そしてもう一つ、中野の面目躍如を示したものが、戦後の政治と文学の論争の端緒となる、平野謙や荒正人らとの対立である。「一つの反措定」と題された論考で、平野謙は「小林多喜二と火野葦平をいっしょにみる文学的複眼」を提起したが、そうした〈反革命〉に中野は我慢ならなかった。むろん、文学の自立の観点からすれば、平野・荒の立論が当然であるのだが、 虐殺された闘士を戦争作家と併称させることに、中野の正義感はガマンならなかったのである。

    小林秀雄。ここにあげる文学者の中で、唯一の批評家だ。実はこの人のおかげで文学とは何かを知り、どう感じたらいいのか、何を読んだらいいのか教わった同人も多いのではないか。社会とは何か、世間とは、人間とは、芸術とは、つまるところ、それを受け入れる自我とはなにか、自意識のありようを我が事のように感じた人も多いのでは。しかし、逆にこの小林を毛嫌いする人も多いことも認識している。彼の文体から、戦争への姿勢、戦後の美への沈潜にも、不満を感じ入る人も少なからずいよう。そのことも含めても小林秀雄は、いまも読むべき対象として我々の前にある。
    また、彼を受け入れる批評家、文学者の存在も同時に気になる。小林秀雄に、自らの自画像をみたひともいるのでは。江藤淳、吉本隆明、高橋英夫、秋山駿、さらには井口時男など。およそ、文芸研究、批評を試みようとする者にとって、彼は避けて通ることはできないのでは?個人的には、「一つの脳髄」などの抽象小説から始まった小林がなぜ小説を断念し、批評の道を辿ったのか、また、志賀直哉などをどうして敬していたのか、その内面のからくりを、まず知りたい。

    小林多喜二。同姓の小林でも、秀雄と多喜二は全く対照的だ。ただここでもし対照するのなら、小林秀雄ではなく、火野葦平と対比する方がむしろ時代状況と併せて意義があるのではないか。これは、先にも掲出したように、戦後すぐに、平野謙が「一つの反措定」というのが論文を出して、いわゆる《文学的複眼》を提起したことで、意義深い。 すなわち一人は、民衆のために革命運動をしていて官憲に目をつけられ最後に虐殺されたのであり、もう一人は従軍して、「麦と兵隊」など三部作が三〇〇万部のヒットを出した“国民作家”であった。だが、平野はあえて、文学とはそういう時代に生きた者の両者の立場を超えて、文学の眼で評価すべきだと主張した(文字通り〈一つの反措定〉を提起 したのであった)。だが、このことに、当時の共産党指導部にいた、中野重治が烈火のごとく怒った。
「平野やその追随者荒正人は誤っている。この民主主義革命が胎動しようという中に、なんたる反革命か」ー。これにたいし、もとより左翼活動に共感し、中野重治を尊敬していた平野は、涙ながらに弁明していた。要するに、平野は時代が新しくなって、往時を回顧し、日本のプロレタリア運動の過ちを指摘したのだ。すなわち、当時の党にあったハウスキーパー制度を取り上げ、あの女性を踏み台にして、党の目的を達成しようとするのは、政治の優位性における人間蔑視ではないか、と訴えのであった。当時党の内部にいた者はとても気がつかない問題であったが、同じ左翼のシンパシーの中にあって、党の外にいた平野たちだから言えることであった。
   小林多喜二はむろんエライ。黙祷するしかない。がここではあえて火野葦平(1907-1960)のことに眼を向けたい。当時たいへんなヒットをしたこの国民作家は、戦後戦犯として公職追放され、ほぼ戦後の十年間は謹慎の身となった。彼はそして安保闘争の最中に、心臓発作で亡くなったとされた。しかし、後にそれが、戦争責任をとった自殺と分かると、大きな反響があった。遺作となった「革命前夜」には、戦争当時の自らの姿勢に反省して、自分も中国人を殺した、と告白し、兵隊三部作の中身を訂正した(作品には、軍の憲兵たちが、中国人を処刑するシーンに、「私は目を背けた」とあるが、それ自体も粉飾であるとしたら)。
    火野葦平は、その次の号で取り上げる作家であるが、、ぜひ論じるべき作家であろう。

     宮本顕治。昭和四年の「改造」の懸賞論文に、見事小林秀雄を二席にし、ミヤケンの「敗北の文学」が一席に入選した。芥川龍之介を論じたこの作品は文庫本で40ページ程度のものだが、今日顧みられることはない。文学史的事件として、これほど時代を象徴したものはあるまい。小林の二席当選の『様々なる意匠』とともに、精緻なテキストクリックでいま一度論ずるべきであろう。

     最後に残る、中原中也と、中島敦は、いま当職には、簡単な紹介すらもその用意がない。然るべき研究者・愛好家の論を待ちたい。
     その他、ここに取り上げられていない、《転換期》の文学者のついても、ぜひ然るべき同人が取り上げ、論考をお寄せになることを期待したい。


    このように綴っていくとキリがないですね。長くなりましたが、とりあえず、筆をおきます。お読みいただいて、感謝です。(^_^)v
 

合評会には、ぜひおいで下さい。

 投稿者:管理人 iPad 453  投稿日:2018年 2月19日(月)17時22分37秒
編集済
      本日、龍書房様へ、残りの残金、298,762円を振り込みました。まだ、少しプールがあります。
    これからは、経理の健全化を図るとともに、いつも一定の金額をプールしておき、不測の事態に備えます。
   皆様にはご心配をおかけしましたことをお詫びするとともに、お振り込みいただいた方には感謝いたします。
(帰宅してみると、振替票が3通着いていました。そこにはメール通知はなかった、別の一人の方の一万円が振り込まれていました。当方はゆうちょ銀行のインターネット、いわゆるゆうちょダイレクトの閲覧口座を持っていますが、電子振替の方はお名前がそこでわかるのですが、郵便振替の方は、この振込扱い通知票が届けられて、初めてどなたかとわかるのです)。

                                  ◯
    先ほど、2月25日の合評会の出欠のご意向と、次号の投稿予定を一緒にしたアンケートをお出ししました。特集のⅠ とⅡ については、予定の3分のⅠが出されていますが、後ほど編集部から個人的にお願いするかもしれません。その時は、またよろしく。

                                 ◯

    批評・研究系の文芸同人誌として評価のある本誌は、今年、創刊三〇周年を迎えます。今年は、また《童謡100年》を迎えます。雨情をはじめ、本誌は童謡や子供のための作品についても考えてゆきたいとおもいます。こちらについては、今年の後期号に、特集を組みたいと考えています。
   より充実した誌面作りのため、皆さまのご協力をぜひ、お願いします。
 

野口存彌さんの資料

 投稿者:佐藤文行  投稿日:2018年 2月18日(日)13時14分54秒
 
以下は永野さんに送ったメールとほぼ同じ内容です。
お知らせするために書き込み致します。

荒木さん(吉祥寺にお住まいの妹さん)と電話で話しました。
そして近代文学館に連絡したところ、資料の量が思ったより少なく、
OKが出ました。存彌さんの生原稿がほとんどらしいのです。
<wbr>
荒木恵代さんのご了承に基づき、存彌さんの原稿は近代文学館に
納められそうです。今後、既存家屋解体の時期が決まり次第に
近代文学館に連絡して運び出して戴く段取りになりました。
 
しかし、荒木さんは積極的に進めたいご様子ではありません。
<wbr>
わたしは「とりあえず方向性だけが承認された」と考えております。
「文学者のご遺族」として、野口雨情・存彌の業績を自ら積極的に
<wbr>保管・研究したり顕彰活動なさるご意志はまったくない様子です。</wbr>
<wbr><wbr><wbr><wbr>

市長も替わり、もともと文学には価値を見いだしてこなかった武蔵野市は
「野口雨情・存彌記念館」を建てるような気配はまったくありません。
これでもう野口雨情は武蔵野という土地から遊離してゆくことでしょう。
残されるのは磯原の雨情記念館・生家資料館・さくら市の資料だけです。
野口存彌さんの足跡が顕彰されてゆくかはさらに難しいですね。

「群系」の二巻に亘る野口存彌特集はこんごの貴重な案内になるでしょう。
東道人さんは伊奈葉神社宮司を退職され出身地の伊勢に戻られました。
今後は学生時代から念願だった「アイヌ」<wbr>を現地調査研究なさるとのこと。

野口雨情研究自体も今節目を迎えようとしています。
生地磯原の雨情会は高齢化で衰退してきました。資料館は現状維持のまま。
生家資料館は、もともと資料がほとんどなかったことと、運営者が身びいきに
徹して「作り話」を振りまき続けるので「雨情の実像」が変化し続るでしょう。
東京で1952年に発足した雨情会も今はほとんど活動をしていません。

</wbr>
<wbr><wbr><wbr><wbr>
今年は童謡運動が始まってから100年目です。
ぼくは近日中に「野口雨情詩歌集」のピアノ伴奏を録音。
そのCDと再生用PAセットをリュックに詰めて唄う旅に出ます。
<wbr>
「歌とおはなし」<wbr>で雨情さんを細々と取りあげてゆくつもりなのです。
「群系」の皆さんにも聴いていただける機会を戴きたく存じます。

</wbr>
<wbr><wbr><wbr><wbr>
 
</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr>

http://snow-man.com/

 

振込用紙がきょう、いろいろ着きました。

 投稿者:管理人 iPad 249  投稿日:2018年 2月17日(土)20時35分17秒
編集済
      本日、振込みの用紙が郵便できました(今日は4通)。メールでカンパする、と仰せの方々からでした。
   今回、大口の方もいらっしゃり、ほんとにこんなに短期間で30万円もの金額が集まろうとは、期待以上でした。
  (明細を言っておいた方がいいですね。10万円が二口、5万円が一口、一万円が五口、ですが、これからもまだ振込みが続く見通しです)。

    赤字になったのは、39号の特殊な事情によるものでしたが、ある同人が仰せのように、編集部で一定の内部留保をしておくべきですね。これからも、まだ振込みが続きましたら、内部留保にむけることができる金額も、この板で公表するつもりです。

                             ◯

    さて、合評会まで、あと一週間となりました。39号執筆の皆様には、ご出欠のアンケートメールを送らせていただく予定です。同人誌は活字の抽象の世界だけでなく、リアルにひとと対面出来てこそ、意味があるとおもいます。
    どうぞ、遅れてお出ででも結構ですので、ぜひよろしく!

    何よりも、群系誌の今後を話し合えます。またいろいろな活動企画のご意見もぜひ、提案下さい。

 

赤字補填出来ました!

 投稿者:管理人 iPad 144  投稿日:2018年 2月17日(土)00時12分25秒
編集済
      おかげさまで、同人の皆様のご協力で今回の赤字補填が出来ました。月曜にも不足額を振り込む予定です。お名前などはあげられませんが、ほんとうにありがとうございました。

   同人の方から、次号以降は、財政を第一にした発行体制にすべきではということがありましたので、発行部数を従来よりも50部減らす他、ページ数も一定以下にしたいと思います(財政の見通しがたつまでは200ページをとりあえず、目標としたく存じます)。

    まだ、次号の内容のフレームもはっきりとしていないので、ご投稿アンケートをもとに、ページ数、発行部数をきちんと算出していきたいと思います。これからも、原稿入稿の状況と、その内容を逐一報告していきます。
    
 

「硯友社を中心とする近代文学アーカイブ講演会」のお知らせ

 投稿者:管理人 デスクトップ080  投稿日:2018年 2月16日(金)10時49分35秒
編集済
   和洋九段の深澤さんの投稿を再アップしておきますね。ご都合のつく方はぜひどうぞ。

         〇

講演会お知らせ   投稿者:深澤晴美   投稿日:2018年 2月 5日(月)14時02分


   「硯友社を中心とする近代文学アーカイブ講演会」のお知らせ

   日時、2月24日(土)15時~17時
   会場、和洋九段女子中学校高等学校講堂

 中島国彦「近代文学の輝きー硯友社から漱石へ」
 梅山聡「硯友社の女性作家たち」

 ご希望の方は、17時から硯友社資料室もご覧いただけます。
 参加費・申し込みは不要。
 最寄駅は地下鉄九段下(徒歩3分)、JR/地下鉄飯田橋(徒歩8分)です。

 お気軽にお越しくださいませ。お待ちしております。

http://www.wayokudan.ed.jp

 

合評会に参加されない方へ

 投稿者:荻野央  投稿日:2018年 2月15日(木)20時01分36秒
編集済
  もうすぐ合評会ですね。前回は少ない人数でしたので、寂しい思いをしました。私が初めて参加した当時は、会合も懇親会も、それは賑やかでした。
なぜ、参加なさらないのでしょうか。大阪から、金沢から…遠距離なのに駆けつけておられる方もいます。近距離の人々はどうして来ないでしょうか?

わたしは不思議でたまりません。文芸誌「群系」に投稿すればこと足れりとでも思っておられるのか、よほどに自作に自信があるのか、そんなに他者から批評が困るのか、嫌なのか。だったらどうして掲載しようとしたのだろうと素朴に疑問を持ちます。(わたしなんか"???"とされていますよ(涙))

いろいろと個人的な事情があるとは思いますが、そこをおして頑張って参加してほしいな、と思います。

 

「群系」次号(40号)の特集、そのⅠ について(再掲出)

 投稿者:管理人 iPad 960  投稿日:2018年 2月15日(木)12時58分6秒
編集済
  「群系会報」に既掲出ですが、もう一度、アップしておきますね。

次号(四〇号)の特集企画
  Ⅰ  日本近代文学の転換  ー大正・昭和の文学ー
Ⅱ  野口存彌と日本近代文学  ーその二ー
Ⅲ  創刊三〇周年 ー同人誌の思い出―(仮題)

  ここでは、Ⅰについて、投稿のご案内をしますね。日本近代文学の始原(Ⅰ期)、同展開(Ⅱ期)と続いて、
次号は同転換(Ⅲ期)となります。時期的には、関東大震災の大正一二年の直後から、昭和八年の国際連盟脱退のあいだ、たった十年ですが、この時期は都市化・近代化が進んで、文学・芸術にも大きな変動が起こり、
いろいろな運動、作品が生まれました。名付けて、日本近代文学の転換、としましたが、実際、下欄に示した
ような作家・詩人がこの頃、活動しています。これらは例ですが、どうぞこの時期の作家・作品、文芸運動に
ついて、ご論考をお寄せ下さい。

もちろん、その他、自由論考、創作、ノート類も募集しています。
締切は来年四月末、刊行は同六月を予定しています

《転換期の文学者》 例

 有島武郎      1878年3月4日 - 1923年6月9日
 志賀直哉      1883年2月20日 - 1971年10月21日
 武者小路実篤  1885年5月12日 - 1976年4月9日
 谷崎潤一郎   1886年7月24日 - 1965年7月30日
 萩原朔太郎   1886年11月1日 - 1942年5月11日
 室生犀星      1889年8月1日 - 1962年3月26日
 芥川龍之介   1892年3月1日 - 1927年7月24日
 佐藤春夫      1892年4月9日 - 1964年5月6日
 宮澤賢治、   1896年8月27日 - 1933年9月21日       担当者内定
 横光利一    1898年3月17日 - 1947年12月30日
 川端康成    1899年6月14日 - 1972年4月16日
 梶井基次郎   1901年2月17日 - 1932年3月24日       担当者内定
 中野重治      1902年1月25日 - 1979年8月24 日
 小林秀雄    1902年4月11日 - 1983年3月1日         担当者内定
 小林多喜二     1903年12月1日 - 1933年2月20日
 中原中也         1907年4月29日 - 1937年10月22日
 宮本顕治         1908年10月17日 - 2007年7月18日     担当者内定
    中島  敦          1909年  5月 5日 -1942年12月  4日     担当者内定
 

永野編集長のアピール (再掲出)

 投稿者:荻野央  投稿日:2018年 2月15日(木)12時51分19秒
編集済
  ◆ここ何年、『群系』運営に苦しい台所事情があるのは知っていました。ただ今回、永野さんから緊急アピールがあったことは運営にかなりの圧迫があると思いました。誰だって金銭的に余裕があるわけではない、みんなそれぞれ台所をなんとかしているわけですが、今回初めての苦境の訴えになんとか応えたいと思います。

◆龍書房も超零細企業、「儲けんかな」という会社でないし、永野さんという必死の存在と一緒に続けられている「群系」。

◆生意気ですが、みんなで盛り立てましょう。おカネないけどわたしもカンパします。みんな頑張りましょう!!。

(思うところがあって削除しましたが、またまた思うところがあって再掲出…)

 

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