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スレッド一覧

  1. パソコンクラッシュ(>_<)(6)
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*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


月曜、曇天。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月16日(月)08時10分22秒
編集済
     今日も雨。しかも最高気温が14度だとyahoo!の予報にはある。師走並みの寒さらしい。当方の病室は六人の、窓際。新宿の超高層ビルも見える空は、ここんところ、ずっとどんよりしている。

   昨日は日曜で検査もなく、のんびりと過ごせた。休みなのに初日に来た先生が見えて土曜のCTの中間報告をしてくれた。造影剤を入れた鮮明な画像でいろいろなことがわかってきたようだ。やはり腹部の動脈、三本のうち、一本に狭窄が見えるという。これのために下肢の血流も少し妨げもあるかもだが、まだ手術適応かどうかは、水曜のカテーテル検査を見てからだそうだ。

   きょう月曜は整形外科受診、明日は眼科も受診。その間を縫ってレントゲンやホルター心電図の装着もある。そして水曜に今回メインの検査、カテーテル導入がある。これが多少嫌なのは止血のために、四時間だか身体の拘束があるからだ。鼠径部の動脈から入れるので、その後は絶対安静が必要。以前も受けた検査だが、術中よりも、この止血時間がつらかった。

  だが、これらでたいていのことがわかるので、頑張るしかなかろう。

   入院生活は、まあ予想した通りで、悪くもない。食事は愉しみでほとんど食べる。夜の就眠もそれなりに眠れている。以前手放せなかった睡眠導入剤ハルシオンを、前の入院時に切られて以来、それなしでも就眠できるようになった(それ以前20年の服用は何だったのか、と思う).

   しかし入院のメリットはあるもので、他科受診は恩恵がありそう。特に整形外科は数年前に受診していたが、特に手術などの対応もないままに、腰痛というのは何の手立てもしないものなのか、と勝手に思い込んで行かずに、この数年痛みをこらえていた日常であった。先程のグループの先生によると、病名の診断がつけば手立てはありそう、ということだ。眼科も、白内障は手術しかない。

   透析の受持医によると、検査や手術は受けられるうちにやるのがいい、とのこと。ま、今回がチャンスと考えてやるしかないですねえ。それにしても、透析をふつうの街中のクリニックでやってなくてよかった。大学病院だから、こうした便宜もあるのであろう。当方の34年透析もここだから、ふつうに成し得ているのかもしれない(設備もそうだが、スタッフがいい。街中のクリニックの三倍の数がいる。そして彼ら彼女らがいい人ばかり。ドクターも受持のほか、毎回透析中に問診に来る。殆どだいじょうぶです、と言っているが、かように医療は人がメインで、 うまくいくのだと思う)。
 
 

民主的な党派

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月15日(日)08時34分44秒
編集済
     この国や世界がだんだん、保守や右翼、あるいは突発的暴力勢力の事件が続く中で、きちんとした民主主義、見識ある政治党派がなくては、と思っていたところ、立憲民主党はそうした願いにかなう久しぶりの党派だ。棚からぼた餅の誕生ではあるが、リベラル・護憲のしっかりした橋頭堡がないと、この国は戦争をやれる国家、軍事国家になってしまうだろう。
  そうした護憲のマスコミやジャーナリストのカンパニアとして、地味だが、活動を続けているものに、デモクラTVがある。元朝日新聞論説委員の山田厚史氏が、なんと創設者だというが、わが内田誠氏も、司会などでよく出演している。
   希望の党は、その出発のつまずき(小池氏の排除発言など)で、思うように党勢が伸びないようだが、与党自民党は過半数を伺う形勢だという。しっかりとしたチェック勢力として、こうしたリベラル党派には頑張ってもらいたい。
   下のリンクは、デモクラTV番組から。内田氏が司会をしています。(生放送のようです)

http://dmcr.tv/tv.html

https://www.youtube.com/watch?v=NOfFKZMDQus

https://www.youtube.com/watch?v=-u5QFQhXJic&t=111s

https://www.youtube.com/watch?v=ZEE2hrl8c00

https://www.youtube.com/watch?v=i49Wi1Q_opQ

https://www.youtube.com/watch?v=o4Twb63S1Ms
 

山田厚史が立憲民主党から立ちました。

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2017年10月15日(日)07時01分36秒
   千葉5区から山田あつし氏が立った。「群系」同人もあるデモクラの内田誠さんとデモクラテレビでご活躍の山田さんが立候補!!ウレシイニュースだ。浦安市、市川市の方は応援してください。このまま、自民圧勝では情けない。

ここ木更津市では、自民の浜田、共産党、社民党、希望の党から立っている。どうしたら自民浜田靖一をあわてさせることができるか。作戦中。かって、木更津中走り回った選挙もあったのに。残念無念。
 

タフに入院生活をやり過ごします!

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月14日(土)07時51分36秒
編集済
     お早うございます。
  土倉姉のお言葉、うれしく。
   ま、タフな病人の方が、無気力な健常者よりいいかもしれませんね。当節、全くの健常者というのも少ないかも。

   この一週間の入院中に、眼科も整形外科も外来予定を組んでいただいたので、白内障も、歩くのにも難儀な腰痛も、見通しがつくようになるかもしれません。今年中にそれらがよくなれば、こりゃ、生まれ変わったようなもんです。

   しかし、現代のテクノロジーは、この今打っているiPadがよく語っていますね(厚さは数ミリ程度です)、これで、掲示板も動画もニュースもいつでも見られるのですから。(それによると、選挙は与党圧勝のようですね。さもありなん)。龍書房さまからの添付書類も、そっくり見られるのですから。また。
 

永野さんはタフな病人ですね

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2017年10月13日(金)18時58分6秒
   透析歴34年ですか・・・その冷静な受け止め。退院したばかりで、病院恐怖症の身にとってたただただ、感嘆!永野さんにとっては栄養学上完璧な病院食だけでもうれしいことかしら。最近の病院食はおいしくなりました。

 わたしは夜が長いのが恐いのですよ。9時消灯なんて早すぎます。12時くらいまで明かりのある読書室があればいいのにと思います。

 私も20日にCTをとります。何事もなければいいと思っています。
 検査を充分にして心配のないお身体でお帰りになってください。
 

入院しました。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月13日(金)14時11分49秒
編集済
     今日は雨の中、女子医大まで来ました。大島駅まではいつもは自転車なのですが、一週間留守にするので徒歩で二五分かけてきました。(脚と腰が痛いので、歩くのはタイヘンでしたが)。
   すぐいろいろ事務手続きをして、病室へ着くと、薬剤師、続いて担当のグループの医師が来ていろいろ説明していただきました。当初は脚へのカテーテル挿入だけと思ってましたが、透析34年、の当方のからだはいろいろ問題がありそうなので(血管の硬化・狭窄など)、この際全体を調べましょうとのことでした。脚だけでなく、やはり胸部、腹部、そして脚と、水曜に全部やるそうです。その前、きょうから早速いろいろな検査が入っているようです。レントゲン、造影剤使ってのCT検査など。それに驚いたことは、医療者が当方のこと、よく知っていることでした。予備校のセンセやってたこと、入れ歯であること、父上は脳卒中だったこと。えーですが、要するに過去のデータが保存されているのですね。それも含めて、21世紀の、東京の真ん中にある大病院、まあ世界的にも一流の女子医大病院ですから、大船に乗った気持ちです。
   たしかに長期透析の問題はある。また加齢の問題もある。また食事も、ふだん健康に必ずしもいいと言えない食事ですから、まともな食事も摂りましょう(早速、さっき昼食を食べました。カラダにいいブロッコリーもあって、完食です)。

   お見舞いのメールもいただいています。気になるお二人からで、まだ返事してませんが、うれしい。
    また龍書房さまからも、お原稿のゲラが今日も来ていました。なんとこのiPadは、Wordのみならず、PDFの添付も見られるのです(iPad、ぜひ勧めたいのは小池さんと、取井さん。操作方法も教えるから、ぜひ購入して)、といっても、この掲示板、見ていないだろうなあ。
   今日、来がけに郵便局寄って、初校、再校など、送りました。石井さん、坂井さん、野口さんのご親族四人、にです。
    また、随時ご報告します。

    下のCiniiの載るようになったは、すごいこと、大学の紀要なみになったのでした。
   http://ci.nii.ac.jp/

   空欄に、群系(もしくは個人名)を入れて、検索、をクリックします。
 

うれしい!!

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月12日(木)20時08分22秒
編集済
    あ、名和くん、ありがと。
  ほんとう、Ciniiにも乗るようになりましたね。苦節?30年ではありませんが、ついに、お上を動かすことになったのですね。
   当方からの働きかけではないです(したってムダ)。これは、一つには、富士正晴全国同人雑誌大賞もあずかっているのでしょうかね。久々の?いいニュースでした。
   皆さん、日本一の文芸雑誌です。野口さん特集もやりきれば、一層輝くことでしょう。
 

菊田求のこと

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月12日(木)19時40分43秒
編集済
     三つ前の投稿、偲ぶ会の動画アップに、追記したことだけれど、小生が、野口さんや菊田義孝さんなどと、付き合うきっかけになったのは、大学時代の同じ国文科の友人、菊田求の死がきっかけだ。彼が留年二年目になって、病気で遅れた当方も含めもう皆が卒業してしまった時だった。学生運動で単位が足りないことよりも、皆いなくなってしまった寂寥感が、彼の自殺になかったともいえないだろう。
   菊田求~今更に彼を思うのはあまりにいい人だったし、人がしない、できない行動をとってきもしたからだ。時代があの全共闘運動の直後、その余波がさめやらぬ、東京から少し外れた千葉の地では、まさに運動の渦が残っていたようだ。菊田は、千葉大で圧倒的な威勢の民青ではなく、TL連合と呼んだ、工学部と文学部(当時は人文学部)の混成部隊の一員となり、活動を続けていた。食堂の前で、拡声器をもってアジテートしていた姿をよく見かけた。決してうまい演説ではなく、訥々とした感じで訴えていた。折もおり、成田闘争もまっさかりであったが、彼のアピールはそれだけでないテーマもあった。詳しくはわからないが、ひとを人格差別する心理テスト粉砕とか、があった。
   ときに、授業中に遅れてやってきて、教授にこの問題に回答してください、と詰め寄り、われわれをひやひやさせた。教授は怒って、「君はそもそも、授業に出ているのか」など大声を上げると、菊田はそのままでていった。

   実は菊田とは、当時の学寮でも一緒だった。それも一階の隣同士だった。一緒に朝の食を取ることもあった。ほとんど当方のおごりで呼びかけたのだったが、彼はそんな朝食時にも、もう早くも部屋を出ている時も多かった。政治活動家、には反してたいへん詩的なところがあって、寮の部屋にはボブ・ディランの詩句と彼の思いが刻まれてもいた。(彼が詩集を残していたのは、死後知ったことだ)。
   彼は、劇団にも所属していて、その「舞台裏」という劇団の公演を観たこともある。二年生くらいのときか、その時は、安部公房の「友達」をやり、菊田は主役の「僕」をやっていた。
    菊田の父君が太宰治の弟子に当たる文芸評論家だということを後輩からきいて、俄然興味をもって、ある時、寮の夕食時に一緒になったのでそことを聞いてみたりもした(寮の食堂といっても、学生は随時なので人はまばらだった)。「永野のお父さんは?」と逆に聞かれたが、「ウチの親父はサラリーマンさ。ただの中小企業の」。ふつうならあまりいいことでもない質問が、このふだんは寡黙な菊田くんから問われたことに、妙にうれしかったことを覚えている。
   彼の自殺の動機には、ある友人の死もあったが、いまはおく。

   後年、友人の星野光徳が、河出書房「文藝」賞になったとき、授賞式に友人の一人としていっしょに会場の霞が関ビルに行った時、菊田の遺稿集のオビに推薦文を書いてくれる人はいないかな、と思っていたところ、かっこうの作家が目の前にいた。井上光晴だった。結局ただで、オビ文を書いてもらった。それが、『反逆と愛のはざまに』(検索)という本である。
  好きだった友の通夜に出たこと、それが、菊田義孝、その畏友の野口存彌、との出会いであった。
  
 

Ciniiに群系が

 投稿者:名和哲夫  投稿日:2017年10月12日(木)19時32分39秒
編集済
  名和です。国立情報学研究所の学術論文検索システムのCINII で群系の評論がヒットするようになってますね。前はなかったので最近のことでしょうか。

http://ci.nii.ac.jp/

 

明後日から、秋の長雨のようです。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月11日(水)23時01分42秒
編集済
     天気予報を見ると、当方が入院する今週の金曜から、ずっと傘マークですね。金曜、土曜、日曜、月曜、火曜と、今年では初めてではない? (ま、今年夏も雨っぽかったですけどね)。当方はその間、病院の中なので、自転車通院で雨に濡れることがない、それだけはよかったかな。

   お原稿、入稿されたひとの、最近はこのiPadにもゲラが着いて、ページの入り具合が見られます。あと何行入るとか、何行、次ページにはみ出している、とか。龍書房さんは、最近は投稿者と編集部(私)に、ともにゲラを送っているようです。ま、当方のデスクトップPCが添付ファイル不具合なので、投稿者自ら、版元へ送っているので、こういう次第なのですね。

   20日以降、編集会議など開いて、原稿のページ数についても話し合う予定です。
   とりあえず、質問、ご相談の向きは、当方への場合は以下の、iPadのアドレスにお願いします。

   uf2gmpzkmt@i.softbank.jp    永野のiPadのメールアドレス、です。
 

文学にいそしんだ方々

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月11日(水)19時27分9秒
編集済
     動画のアップなどをしている際、過去の群系パーティー動画を見てはっと気づくことがあった。お祝いの挨拶の場で亡くなった方を紹介しているご発言があり、今更に感じ入ったからである。それは30号パーティーの時の、勝原晴希氏のご挨拶の中であったー。
    群系が文学を愛する人びとの雑誌としてこんなにも大きくなったことに感動しているとして、ご自身の過去の同人誌のことについて触れられたのだが、その際、何度も芥川賞候補になりながら、自ら命を落とした仲間の同人のことに言及されたのである。それは佐藤泰志という、当方もその名前とその由来を知ってはいる方だった。なかなか報いれられない創作の苦労、当方は作品鑑賞・研究の方で、小説の苦労はアタマでしかわからない。だが、そのひとの死をもって人はその作品に注目するものか。作品の再評価がそれから進み、作品に材を取った映画も作られた(「海炭市叙景」)。故郷の函館を舞台にしたリリカルな映画なのだろうと思ってはいたが、そのままそれを観ることも、作品を読むこともなく今日まできている(今は他の作品も映像化されているようだ)。
   ここまでのご発言は当時も一応理解していたが、勝原氏はもう一人、鬼籍に入られた方を紹介していた。それは堤玄太さんという、氏と同様、萩原朔太郎を研究していた学窓の研究会のお一人であ った。この方は病気で、44歳という若さであったそうだ。父君も同じ国文学徒の堤精ニ氏で、当方は、受験参考書などでそのお名前を知っていたので、なるほどと思った。
   実はこちらもご発言当時、わかっていたが、改めて、こういう場でのご発言、ご紹介があって、ひとは改めて、そういう人の存在を知るのだな、と思った。拙い動画撮影ではあったが、多くの人が見聞きし。いろいろの感触、感じを持たれたと思うが、一つのきっかけとして、これらもあるのだろうと思った次第である。
 

野口さんを偲ぶ会 別ヴァージョン

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月11日(水)14時38分50秒
編集済
     古典から心に残っている惜別の場面を掲出させていただきました。ま、こういう気持ちに誘われて、コピペに及んだのですね。

   その関連というわけではありませんが、デスクトップにうつしておいたビデオ、たまさか、パソコンの調子がよかったので、You tubeにアップさせていただきました。もう2年以上前なのですね。

   https://www.youtube.com/watch?v=8q3w1urZCRQ&t=167s


以下、11日深夜の追加です。
   リンク、偲ぶ会の冒頭で小生が言っていることの趣旨、ですが、要するに、昭和63年創刊の群系という雑誌は、その前昭和60年頃からの隔月の読書会(葦の会)が礎だったこと、あの頃はまだ小生らも30~40代だったけど、お一人50代で参加された方、それが野口さんだったわけで、それだけ勉強しようという姿勢だった。群系が創刊されても、毎回ほとんど欠かさず書いていたのが野口さんで(当方でも書けないときがあったのに)、それも毎号とびっきり長く、20~30ページ書かれていました。それが、269pにあるように、ご著書などになっていったわけですね。
   野口さんと群系の関わりでしたが、当方にとって、野口さんとの出逢いを作ったのは、千葉大の当時の友人の自殺でした。それが菊田求で、彼が亡くなった夜、お通夜の席に国立の菊田義孝さん(求の父)にお会いしたのですね。その席に野口さんがいらしたのです。それが今日まで続いたすべての淵源です。菊田求の自死、1975年6月20日のことでした(この日は奇しくも、太宰治の遺体が発見された日でもありました)。

※ 左翼運動と演劇をやっていた菊田求については、母校の立川高校の方が遺稿集をまとめています、
「菊田求」で検索すれば、出てきます。
 

源氏物語「桐壺」の巻

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月10日(火)18時47分52秒
編集済
      更衣が亡くなって、帝は、その母君のところに、靭負の命婦を弔問に遣わす。蓬の露を我が娘を失った更衣の母君の涙に例えるところは、ぐっとくるところである。

   野分(のわき)だちて俄(にはか)に膚寒き夕暮のほど、常よりもおぼしいづること多くて、靱負(ゆげひ)の命婦(みやうぶ)といふを遣はす。夕月夜(ゆふづくよ)のをかしき程にいだし立てさせ給うて、やがて眺めおはします。かうやうの折は、御遊びなどせさせ給ひしに、心ことなる物の音(ね)をかき鳴らし、はかなく聞えいづる言の葉も、人よりは殊なりしけはひかたちの、面影につと添ひておぼさるるも、闇の現(うつつ)にはなほ劣りけり。命婦かしこにまかでつきて、門(かど)引き入るるより、けはひあはれなり。やもめずみなれど、人一人の御かしづきに、とかくつくろひ立てて、目やすき程にて過ぐし給へるを、闇にくれて臥し沈み給へる程に、草も高くなり、野分にいとど荒れたる心地して、月影ばかりぞ八重葎(やへむぐら)にもさはらずさし入りたる。みんなみおもてにおろして。母君もとみにえ物も宣はず。「今までとまり侍るがいと憂きを、かかる御使の、蓬生(よもぎふ)の露分け入り給ふにつけても、恥かしうなむ」とて、げにえ堪ふまじく泣い給ふ
 

柿本人麿の長歌と反歌

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月 9日(月)22時35分15秒
編集済
  柿本朝臣人麻呂、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌二首 并に短歌

天飛ぶや 軽の道は 我妹子が 里にしあれば ねもころに 見まく欲しけど
あまとぶや かるのみちは わぎもこが さとにしあれば ねもころに みまくほしけど

やまず行かば 人目を多み 数多く行かば 人知りぬべみ
やまずゆかば ひとめをおほみ まねくゆかば ひとしりぬべみ

狭根葛 後も逢はむと 大船の 思ひ憑みて 玉かぎる 磐垣淵の 隠りのみ 恋ひつつあるに
さねかづら のちもあはむと おほぶねの おもひたのみて たまかぎる いはかきふちの こもりのみ こひつつあるに

渡る日の 暮れぬるが如 照る月の 雲隠る如 沖つ藻の 靡きし妹は
わたるひの くれぬるがごと てるつきの くもがくるごと おきつもの なびきしいもは

黄葉の 過ぎて去にきと 玉梓の 使の言へば
もみちばの すぎていにきと たまづさの つかひのいへば

梓弓 音に聞きて 言はむすべ 為むすべ知らに 聲のみを 聞きてあり得ねば
あづさゆみ おとにききて いはむすべ せむすべしらに おとのみを ききてありえねば

我が恋ふる 千重の一重も 慰もる 情もありやと 我妹子が 止まず出で見し 軽の市に 我が立ち聞けば
あがこふる ちへのひとへも なぐさもる こころもありやと わぎもこが やまずいでみし かるのいちに わがたちきけば

玉たすき 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉桙の 道行く人も ひとりだに 似てし行かねば
たまたすき うねびのやまに なくとりの こゑもきこえず たまほこの みちゆくひとも ひとりだに にてしゆかねば

すべをなみ 妹が名喚びて 袖ぞ振りつる
すべをなみ いもがなよびて そでぞふりつる

                                                              巻2 207

短歌二首

秋山の 黄葉を茂み 迷ひぬる
あきやまの もみちをしげみ まどひぬる

            妹を求めむ 山道知らずも
            いもをもとめむ やまぢしらずも

                  巻2 208

黄葉の 散りゆくなへに 玉梓の
もみちばの ちりゆくなへに たまづさの

            使を見れば 逢ひし日思ほゆ
            つかひをみれば あひしひおもほゆ

                   巻2 20

■大意
 軽の路は吾妹子の里であるから、よくよく見たいと思うけれど、いつも行ったら、人目が多いので人目につくし、しばしば行ったらきっと人が知るだろうからうるさいし、まあまあ後になってでも逢おうと、大船のように頼みにして、心の中でのみ恋しく思いつづけていたのに、空を渡る日が暮れて行くように、照る月が雲隠れてしまうように、靡き寄った妹は、亡くなってしまったと、使いの者が来て言うので、それを聞いて何と言ってよいやら、どうしてよいやら分らず、報せだけを聞いてじっとしてはいられないので、自分の恋しく思う心の千分の一でも、なぐさめられるだろうかと、吾妹子がいつも出て見ていた軽の市に、たたずんで耳をすましてみると、なつかしい人の声も聞こえず、道行く人も、一人も似た人が通らないので、何とも仕方がなく、妹の名を呼んで、袖を振ったことである。

短歌二首
秋の山の黄葉があまりに茂っているので、迷い入ってしまった恋しい妹を探し求める山道が分らないことだ。

黄葉の散って行くとともに使の者の来るのを見ると、ああこのようにして、懐しい便りが来たのだと、妹に逢った日が思い出される。(209)


■妹が名喚びて 袖ぞ振りつる
 柿本人麻呂、妻が亡くなった後、血の涙が出るほどに慟哭して作る歌という題詞の付いた歌です。

いつも逢いたくてしょうがない、でも逢えない。
逢いたい気持ちを押さえ、次の機会にはきっと・・・。
なぜか、人目をしのんで逢わなければならない妻なのです。

そんな愛する妻の突然の訃報。
自失呆然
いてもたってもいられず、人麻呂は妻の姿を求めて妻がよく出かけていた軽の市をさまよう・・・
人でにぎわう軽の市、物売りの声や笑い声、話し込む人々。
しかし妻に似た声は聞こえない、妻に似た人にさえあわない。
どうしょうもない悲しみ・・・
軽の市の喧騒の中に立ちつくし、思いあまり
人麻呂は愛する妻の名を呼び、何度も何度も袖を振る。


■秋山の 黄葉を茂み 迷ひぬる
 人麿はいとしい妻が死んで葬られることを「秋山の 黄葉を茂み 迷ひぬる」、黄葉が茂きがため秋山に迷い込んでしまったという風に表現しています。現世から黄泉国(よもつくに)へ通じる山道が秋山のどこかにあって、その山道の遠くにはいとしい妻がいる、その山道を探すが分からないというのです。
当時は、このような事が本当に信じられていたのでしょう。

http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/56.htm

 

ちょっと入院してきます。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月 9日(月)19時12分49秒
編集済
  各位へ
  小生、今週の金曜、13日から1週間入院します。脚のカテーテル挿入の結果、大動脈も見ておこうということでの、精密検査入院です。ま、二泊三日の予定が少し伸びたものですが、三年前の心臓弁置換の三ヶ月入院に比べれば、あっという間ですね。
   しかし、同時並行の白内障手術の方を先にすればよかったかなと、多少感じています。視力は日毎に落ちており、左目では活字は全く読めず、頼りの右目も目をそばめて活字を追っていますが、文字の識別に以前の三倍はかかり、自然、本や雑誌、つまり活字から離れていってます。パソコンの文字はバックライトなので、比較的よく見えるのですが(本を読まず、掲示板投稿になる理由ですね)。

   ま、いつも通院している女子医大なので、毎度お馴染みです。西病棟は以前にも入り、そこのデイルームなどは何か懐かしい感じです。場所への愛着、トポスの親和は、生きる慰め、喜びになりますね。

    というわけで、ご投稿は、20日以降にお願いします(ま、龍書房さんに留置でもいいのですが、ご迷惑なので)。
 

もっと、皆様もご投稿下さい。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月 9日(月)11時51分6秒
編集済
    さすが、土倉姉の投稿は、教養と品がありますね。当方のようなグチではない。

   今回のカズオ・イシグロについては、同人のなかでもだいぶ前からの読者がいらっしゃいました。メールでご本人に確認したのですが、浜松在住の名和哲夫さんです。どちらでも、次号に授賞ノートとでもして1ページ書いてくださるといいですね。

   さいきん、当掲示板は当方ばかり書いていて申し訳ないです。iPadは、ほんと書きやすいので、思いついたこと、打ってますが、どうぞ皆様も思いついたこと、よろしく。
   草原氏がホームグラウンドの、カプリチョ掲示板に書くようになり、当板にはそのぶん、手薄になりました。
  http://6910.teacup.com/capricciolitera/bbs

   ま、その他、いまは次号の原稿に勤しんでいる方が多いのでしょうね。
 

『日の名残り』カズオ・イシグロは名作です。

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2017年10月 9日(月)06時50分13秒
   この度の選挙は重要ですが、冷静に選ぶためにも、カズオ・イシグロの原作と映画もご覧になってみてください。我が家ではイシグロの評価は高く、代表作は読んでいます。特に『日の名残り』は文学的悦楽の最高のものでした。
 映画の方もアンソニーポプキンスの執事役と女中頭のエマ・トンプソンが最高の演技でした。今日の休みに是非「つたや」で借りてごらんにになってみて・・・深い感銘があるはずです。

 私もケガから一か月たち、左手を駆使しての生活です。今もこうしてキーボードを叩いていますが、左手です。右手が思うように上がらない。前、横の動きに痛みが走ります。

 今回の芥川賞に関心がるので(「影裏」)何とかかきたいのですが、どうなりますか・・・

 皆さまの作品に期待してます。
 

政治というものには進歩がない。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月 8日(日)17時13分27秒
編集済
     当方の前からの疑問は、政治というもんはどうして、こうも停滞、あるいは復古というものがあるのか、ということだ。今世紀になって、政治の世界は、前の時代に逆戻りしていないか。北朝鮮の旧時代的な、核ミサイル、はその最たるもんだが、それを迎える、米国も元の昔に戻ったかのようだ。マスコミも国民もみな、クリントン体制になると思っていた。それがリベラリズムの約束する平和と共存の歴史の筋道だと信じていたからである。だが、思わぬことで、歴史は逆戻りの舵を取り出した。プアホワイトの存在、それによって、アメリカ第一の保護政策がいきなり出てきたのである。この保護主義がアナクロニズムなのは、環境問題において確認された。地球の有限化の認識、そうして獲得したグローバリズムの視点を、トランプ政権はないものにした。前の政権が表明した段階的非核化のもないがしろにした。せっかくの達成を元に戻したのである。
   あるいは英国のEU離脱。欧州の一体化は、西洋近代の夢ではなかったのか。欧州石炭共同体から、EEC、そしてEU、へと。歴史はリニアに進むかと思えたのだったが。
   歴史に逆戻りはあるものなのか。例えば技術革新に後戻りはふつうはない。獲得したより優れた技術を捨てて、以前の非効率な、ムダな少生産に戻るか。だが、歴史にも、前進ということはあるはずだった。進歩主義の歴史観はそれだった。
   前世紀の前半、植民地争奪の帝国主義がその最終段階、帝国主義同士の衝突・殲滅戦を迎えその成り上がりの枢軸国の壊滅的破壊を経て、あの平和と民主主義を得たのある。植民地がそれぞれ独立し、大きな世界戦争はとりあえず打ち止めになった。これは歴史的にも空前のことではなかったか。民主主義的な復興は敗戦国にまで浸透し、国連は大きな世界的組織になり、食糧生産もはかられ、産業や民生の基礎となる技術革新もはかられ、豊かな社会を人類は所有することが出来たのである。特に我が国やドイツは有史以来ともいえる平和と繁栄をわがものにした。
    だが、唯物史観は足元(?)から揺らぎ出した。北朝鮮、金王朝の存在である。当初、抗日戦争に打ち勝って朝鮮民主主義共和国を建国したときは、ほんとうに幸福な共和社会が生まれた、と信じた人は多かろう。我が国でも、北をそのように見ていた人は、いわゆる民主勢力にいた(典型的にそれがうかがえるのは、映画「キューポラのある街」だ。あそこに見られる北朝鮮は、王道楽土のようだった)。
   ま、金王朝というのは歴史の外れコマ、いわば例外中の例外、歴史の鬼っ子なのかもしれない。だが、我が国、この日本は果たして歴史は進歩の道を進んでいるか。
  戦後の日本政治は、確かに一時、地方における革新派首長の誕生が続いた時があった。しかし、それも80年代になると、景気や世界的なうねりもあって、消滅していった。中央政治においても一時は細川政権など、非自民党政権が出来たが、短い時期でしかなかった。
   今世紀になって小泉政治は上からの改革そのものだった(そも郵政改革は何だったかわからない)。ましてや竹中経済改革は、戦後続いてきた雇用の伝統的温情を切り裂き、派遣を雇用契約の根底に据えるトンデモ改革だった。これで若者を中心に雇用の不安定、低所得が恒常化ぢた。これの余波は大きく、結婚が出来ない、いわゆる少子高齢化、という将来の国家的・民族的危機まで招来する危機をはらむことになったのである。
   わが身に寄せて感がてみればわかりやすかろう。年収300万円未満だと、住宅の所有も、結婚のための貯蓄も出来ない。これは好きな人と生涯一緒に生きる、という、ヒトの根本的な基礎を壊したと同然である。前世紀においては好景気もあったからまだよかった。しかし不景気が続いていた今世紀初頭以来、好況の恩恵もなかったのである。いまの若者が草食系になり、身近なゲームやアニメに夢(?)を託すのもわからないではない。たまさか、インターネットの普及、携帯でLINEを楽しむなどは、本質的な問題ではなかろう。本当の幸せのための政治は成り立ちうるのか。東京オリンピックを成功させよう、は国民のための政策なのかー。
 

政治の平板、文学の豊饒

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月 8日(日)16時15分13秒
編集済
     先ほど、記者クラブ主催の党首討論を、本の整理をしながら、二時間見ました。まあ、どういうのでしょうね、何かはっきりしない。その前のTVタックルの快刀乱麻の意見の飛び交いに対して、きれいごとで終わった感じ。
   いつも思うのですが、政治やその討論って、どこか面白くない。いつも情勢論に跼蹐した、いわば迎合的な現実論(それが本当に現実的かはおいて)ばかりが出てくる。もっと高邁な、高いレベルの政治議論ってないの、と思う。むかし、プラトンやロック、デカルトなどは高い理想郷をとうとうと説いたではないか。ー。憲法に関しても、北朝鮮の脅威論からのリアクションでしかないし、護憲勢力も、改憲を許すなの頑固一点張りで、そこにもう少し何か創造的な何かがないの、と言いたくなる。

   文学の方が、はるかに面白い。いま、特集しようとしている、明治大正期の文学にしたって、浪漫主義から自然主義、明星からスバル、そして白樺派といろいろある。過渡期の作家はもっと面白い。国木田独歩などは、「武蔵野」を書き、「源叔父」の死などの浪漫的な作品を書いているか、とおもうと、日露開戦争にあたっては、初のグラビア誌を刊行し、戦意を煽るし、また晩年などは、「窮死」を書いて、自然主義の橋渡しをしている。そも、浪漫的な資質の作家詩人だったのが、これほど時代にほんろうされたのか、とも思える。
   明治の疾風怒濤は、大逆事件でその頂点を迎えるが、体制の締め付けに、人々がどう反応したか、
メディアと文学者、そして法曹界と、それぞれみてゆくと、もっと面白い。今日のメディアの玉虫色と違って、新聞界などは征露一色であった(唯一反戦だった「萬朝報」も、参戦に切り替わった)。国民の目線で書いて、ナショナリズムを醸成した(ま、それの是非はおくが)。
   大逆事件一つとっても、それに文壇はどう反応したか、は興味深い。その事件の中心を覗く位置にいた森鴎外の反応、遠巻きに新聞論調から、幸徳秋水を見張る刑事や記者を書いていた漱石(「それから」など)。むろん、啄木の動向は日本近代文学の焦点の一つともいえる。対して知識人はどうだったか。検事や予審判事たちのように、法曹界はそんな時流に乗る迎合的なやからばかりだったのか。司法の独立なんてのは当時はなかったのか。ま、帝大七博士の日露開戦提言もあるくらいだから、当時の学問は、その独立もあったものではなかろう(だから逆に中江兆民らはエライj..

  翻っていまの政治、政局論議をみるに、彼らから日本近代史の事柄が口に出ることはまずない。むろん、明治憲法下と、いまの平和憲法下では、議論が違うということもあろうが、歴史的事項を取り入れた方が議論に深みが出るのではないか。
   皆、法学部や政経学部を出て、法律や政治の手続きの技術には長けているのかもしれない。しかしそれらをささえる、もっと根本的な知識・教養が足りないといわざるをえない。皆、文学部を一度は通って勉強して、といいたいが、そうでなくとも、読書によるロマティシズムの情勢は必要だった。
   今さら学生闘争の時代のことを言うのはためらいもあるが、当時の標語、「左手朝日ジャーナル、みぎてに少年マガジン」、は言いえて妙なことだった。それらを両手に知識と理想を醸成したのである。
   北朝鮮の核・ミサイル、に対抗して、我が国も軍事武装を、というのはあまりに情勢に跼蹐した前世紀的反応である(思考ではない)。

 

情けない現下の政治情勢

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年10月 7日(土)21時54分52秒
編集済
    リベラルや左派がいつの間に、マイナスイメージになってしまったのかー?

   新大久保あたりから始まった、ヘイトスピーチ、最近は多少、鳴りを潜めているが、こんなものは、戦後の風景の中では、以前ありえなかったことだ。我々日本人が過去の戦争の中で、朝鮮半島や大陸のひとにどんなことをしてきたか、その事実と反省を出発点とするなら、ヘイトスピーチや、リベラル・左派がマイナスなんてことはないはずだ。

   たしかに、愛国の心や伝統を重んじようするのは、大事だ。しかし、現下の政治情勢はうさんくさいの一言である。小池氏の党が、いみじくも希望の党といったが、このネイミングに、そこに蝟集する人々は違和を感じなかったのか。特に民進党からの元議員は、自分たちの「民主」党という、政治的なアジェンダを投げ捨て、何の意味の希望ににじり寄ったのか。民進党ではダメだから、都議選で人気だった新政党に相乗りする、政治家としてなさけなくないか。
   希望の党と維新の党は連帯するという。今日のニュースに、銀座で小池氏と、大阪の松井知事、名古屋の河村たかし市長がそろって演説したとある。ひとこと、うさんくさい。この大阪の維新の会、の松井一郎ってやつは、そのもったいぶった話し方、人品から、信用できない。大阪府民はよくあんあものを首長にいただいたな、と思う。
   この国の戦後は、戦争への反省、自由と民主主義を原点としてはじまったはずだ。戦後文学も安保闘争もその延長にあった。しかし時は流れ、衣食立って礼節を失う、ではないが、そうした戦後の原点も、戦後文学も知らない脇世代が増えてきた。マンガとげーむ、暴力とセックスがメインのそんな仮想世界に幼い頃から身を浸してきた世代に、本当の歴史、自由と民主主義のを教えてこなかったのも、その上の世代の責任であろう。
   北朝鮮の動向がやばいから、憲法を改正しよう、軍隊を増強しようでは、あまりに情勢論に跼蹐した姿勢である。そこには政治家としてのしっかりした信念も見識もない。もっと深く議論すべきである。

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