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  1. パソコンクラッシュ(>_<)(6)
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目の手術の実際

 投稿者:管理人 iPad 985  投稿日:2018年 1月14日(日)14時34分41秒
編集済
     いろいろお便りのご投稿、ありがとうございます。食事後、やはり書くことがあったのでさらにご披露しますね。当方ならではのことですので、どうぞご参考下さい。
    手術はいろいろ受けてきた身ですが、ほとんどは全身麻酔。手術中は意識がありません。でも、この目の手術は部分麻酔(点眼で)。意識はしっかりしているどころか、時折先生の言う、「上向いて下さい」「真ん中を見据えて」のオーダー通りにせねばなりません。ま、それ自体は嫌でありませんが、一番きついのは真ん中見て、強い光を当てられることですね。眩しいどころではありません。それに何度も注がれる水。ま、涙的な溶液でしょうが、痛くはないのですが、不快ではあります。
    実は、目の手術はこれで三回め。昨年5月に翼状片切除、というのをやったのでした。これは白目のところに、糸状のもの(翼状片という)が付いているもので、これを剥がし取らないと、白内障の手術は出来ないというので、先行的にその摘出術を受けていたのです。ま、今思えばこれが一番辛かったですね。

    で今回こそは、前回の左目の時に経験したことをもう一度しっかり味わって、後でレポートできるようにしたいという意気込みで、手術に応じたのでした。実際、手術などというものは決して楽しいものでも快楽があるものでもありませんが、当方はこう考えました。こういう手術の経験は昔の人はたとえ関白でも大将でもあじわうことが出来なかった。万葉の人も、平安王朝の人も(ともに小生が憧れる時代の人たちですが)体験しえなかった。格別ロマンなどもない現代ではありますが、今日だから、それも先進国・福祉国家日本にいたからこそ、経験出来ることなのだ、健康な不自由のない若い人には味わえない世界に自分はいま、先入できる、と。
    目は空いて意識はあるのですから、前回味わった、あの万華鏡のような光の世界を、手術の手順とともに確認したい、こういう意気込みでした。さて、まず車椅子から降りて、床屋のような手術台の椅子に深く腰掛けます。周りには医者、助手、看護師ら5人くらいがいます。今回手術しない左目には大きく布が被されます。手術する右目には、まず半面の顔にまるでぶっかけるかのように、消毒のイソジンが掛けられます。それを拭いたら、右目だけの穴がある布をやはり被せられます。同時並行的に、右手の甲に生理食塩水をつなぐ針を刺します。これは万が一、血圧低下など不具合が起こったら直ちに薬液をながせるようにするため。さらに上腕には血圧計の布が巻かれます。術中、一定の時刻ごとに測るため収縮します。そして、手術する右目は開いた状態に上下から固定されます。この状態はいわば拘束の極みで、逃れようもありません。ここでこれが嫌だという意識を持つと終わりですから、努めて平常心を保ちます。手術経験の多い小生はこういう場合、そのままそれを観察しようという意識ですから、脈も乱れません(血圧計が、脈も測っていて、その規則的な音が聞こえています)。どうしてこう平常心でいられるのかというと、一言、信頼しているからですね(だから不信の医療者には任せられない)。

    さて手術の手順ですが、術者のドクターは通常患者の頭部から手術をするそうです。ですから右目の虹彩に入れるメスは上部からとなります。現代では、ほんとに小さな切開で済むそうで、傷創が小さいから治りも早いそうです(だから、そのまま日帰りの患者も多い。小生は一泊入院)。そしてその次、中の水晶体を抜去するために超音波でそれを崩します。時にレーザーを使うこともiPadで調べるとありましたが、先生は超音波で崩せなかったら、メスで掻き出すと言ってました。 小生のは手術の難易度が最高クラスで、「白内障の極致」と言われていました。ま、このことは前のドクターも嫌味たっぷりに、「だから上手くいかなくてもこっちの責任じゃないからね」などと言ってたので、この先生は忌避したのでした(そのほか普段の態度も上から目線で最悪だった)。
    確かに加齢に加えて、透析35年だからさもありなん、とこっちも認識、構えて手術に向かったのですが、実際はこの抜去が思いのほか上手くいって(これは助手の先生も驚いたそう)、これも先生の腕の一つでしょう。そして、「レンズ下さい」の声で、工場で製造のアクリル製の水晶体をいれます。この時レンズには固定のための金具?みたいなものが両端に付いていて、また入れる際には小さく折り畳んで中で開くようにするそうです。
    これらは、iPadの検索で出て来る知識で、実際術中の動画もそれぞれのサイトでありますが、それらはむろん、外から映したもので、患者の被験者的な位置からの映像はむろん、ありません。
   ※ この文は途中です。この後、実際の手術の最中の視野の様子を実況中継したかったのですが、やはりその光の万華鏡の中身は時間軸とともには形容し難くて、そのままになってしまいました。失礼しました。
 
 

明るい世界

 投稿者:間島康子  投稿日:2018年 1月14日(日)12時20分39秒
  永野さん 目の手術が無事お済みでよかったですね。
すでにお書きのように、色々なことが晴れ晴れとしてきたことでしょう。
病気とまではいかなくても、人間の体は本当に微妙で、ちょっとした
かすり傷なようなものでもそれが治るまでは煩わしいものですね。
腰の痛みも何とかとれるといいですね。
 

人の生活で不可欠のこと

 投稿者:管理人 iPad 946  投稿日:2018年 1月14日(日)10時16分0秒
編集済
      裸眼で見えるというのはほんとうに重宝です。だいぶ以前、コンタクトを使っていた時がありましたが、目にレンズを着けるのも手間だったし、使用後は煮沸消毒をその都度しなければならなかった(今では使い捨てが主流かもしれませんが、80年代のことです)。で、やはりそのうち、消毒を手抜きしたかどうかで、使わなくてなってしまいました。
    近眼がひどい上に乱視も重なって、眼鏡はかなり度の強いレンズのものになっていました(小生の二重三重の渦まいたど近眼メガネ、覚えていますか)。それでも視力は0、3くらいで、だから映画も見ないし、テレビもわざわざその近くまで行かねばならないので、それほど見ることもなくなっていたのでした。
    ところが今回の施術で、視力は0、7まで回復。1、0まではいきませんが、これで十分日常生活はOKです。 目は一日起きている間使うのでこの恩恵ははかりしれません。

    この目の恩恵からちょっと考えてみたのですが、目以外で小生の日常、一日24時間で何を最も使用しているか、思いめぐらしてみると、一番はまず、いまこの文を綴って投稿も出来るiPadですね。この効用ははかりしれず、朝起きた直後から時刻を確認、天気予報も見て、Yahoo! でニュースを確認、さらにこの掲示板(と関東の掲示板)他を見て、一日が始まります。電車の中でも、病院のベッドの上でも、帰宅の時でも検索しています。iPadは欠かせませんね(ま、車内でスマホにむちゅうの人たちと同様ですが、あんなに小さな画面ではありませんし、使い勝手も、iPadの方がはるかに使いやすいです。ま、電話だけはできませんが)。若い人などは電話も不可欠だからでしょうが、料金から言っても、小生はスマホ不要論者です。当方のiPadは通常のWi-Fiだけでなく、4Gという電波も使える機種なので、外出先のWi-Fiのないところでも使えます(少し高くなりますが、ポケットWi-Fiを持ち歩かなかくて済みますし、充電忘れということもありません)。4GのあるセルラーモデルのiPad、これは小生のように、3台目にまでなっているへヴィーuserだから得た知見です(新たにタブレットご購入の人はぜひ、4G電波も使える機種を)。
    もちろんメールも自由で、word・画像の添付も、PDFも使えるので、群系の原稿受入・印刷所への転送もデスクトップでなく、iPadにしていただきましたね(デスクトップは、名前の通りデスクに向かわねばなりません。寝ながらや、外出先では使えません。唯一の利点はプリンターと繋がって印刷ができることですね。でも設定すれば、iPadからも印刷は出来ます)。ノートパソコンほど重くもないし、カバンにいつも入れて持ち歩いています(最近、ノートパソコンを購入したけれど、最薄の高級機種でもiPadの倍の重さはあるし、何よりも文字入力にキーボードを使う。iPadは入力の際それが出て来るので、不要もいいところ。またノートはパソコンなので指で画面入力は普通出来ない。また、パソコン初心者には使いづらい。iPadはほとんど感覚で使えるので、誰にでも便利)。さらに写真や動画も撮れる。それも精彩な画面で。これをそのままYou tubeにアップすることも出来ます。
    革命、というべきほど、当方の私生活に便益を与えています。考えてみれば、白内障の手術も、その手立てをiPadで検索したのだし、ドクターも女子医大の診療担当を検索して決めて、その診察日に伺ったのだし。その他、最近では、ちょっと思いついたものも検索、必要な物品があれば、Amazonで購入しています。
    この効用も大きいもので、必要な本も、日常品も購入しています。イヤフォンの無線版・bluetoothも、浄水器・三菱クリンスイも、ネット購入。健康な食生活のため、ダイエーはあまり売っていないオリーブオイル(extra. Vergin)も購入しました。 透析中はヒマなので、それこそ、昔のテレビや映画などの動画以外に、健康関係のサイトもよく見て、いまや食べ物には何がいいか、医者並み?の知識です。

    二番目に効用があるのは電動自転車です。杉並に住んでいた頃は、井の頭線・富士見ヶ丘まで五分でしたので、自転車など不要でしたが、いまの居宅は駅まで歩いて20分以上なので、自転車は大いに助かります。以前船橋に住んでいた頃はミニバイクを使っていた時もありましたが、あれは免許も必要、ヘルメットも着用義務、ガソリンもいるし、何より置き場所も不便で、いまは電動自電車が最適です。これは正しくは電動アシストというように、基本は自分で漕ぐことです。だから健康にもよく、坂道や長い距離の時は重宝です。これも、生活に取り入れると、活動範囲が広がりますよ。
 

眼が見えるって大事なこと

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2018年 1月14日(日)09時25分2秒
   永野さん、白内障の手術が無事に終わってよかったですね。歳をとると様々な身体のトラブルが発生してきますが、眼が悪くても歯が悪くても腰が痛くても辛いことです。
 脊柱管の手術は2、3週間はかかるとおもいますが、整形外科の先生ならよくやる手術のようですから安心して受けられたらよろしいかと思います。ただ、1週間くらいは動けないと思いますのでつらいかもしれません。

 では2月の合評会でお会いしましょう。ご自愛ください。
 

目がよく見える人生

 投稿者:管理人 iPad 933。  投稿日:2018年 1月14日(日)09時00分24秒
編集済
     両目とも視野が回復して、日々充実した時を過ごせている。自転車に乗っても前がよく見えるし、スマホを遺失して時間を見られなくとも駅の時計を見ることが出来る。本が読めるようになったし(前は、活字を推測しながらだったから、時間がだいぶかかった)。テレビも見るようになった(前は人の顔がはっきり見えず、下に出るキャプションの文字は画面に近づかなくては読めなかった)。
    メガネをかけなくて済むようになったことは大きい。朝起きて洗面に起き上がるとき、枕元のメガネを探さないで済むようになった。服を着るときメガネを外さずにすむ。汚い話だが、トイレで用を足したとき自分の便の状態を視認することが出来る(前はもちろん、すぐに流していた)。透析室の技師さんや看護師さんの顔が見えるようになった(前は声や全体の姿格好から誰と判断していた)。

   白内障の手術は、白濁した水晶体を抜去して、人工のレンズ(主にアクリル製)を入れるのだが、その際、焦点を遠くに据えるか、近くにするか事前に相談がある。大抵の人は近くの30センチくらいがよく見えるようにするらしく、小生もそれにしてもらった。水晶体は極度の近眼で膨らんでいたようだったが、新しい水晶体は焦点が計算されたレンズなので、近眼も(乱視も)解消されるのである。
    回春、という言葉はこういう時に使えるか分からないが、いわば青年時に戻ったわけで、この悦びは大きい。
    自転車が直って軽快になったことも併せて、遠い道のりも寒さもなんのこともない。先日、図書館へ行くのにバスも使わず、この電動自転車だけで往復できたのも嬉しかった。
    後は腰痛ですな。ロキソニンでごまかしているけど、それが効かない時の痛みは、苦しい。これがなおれば、本当の回春。
 

群系39号の作品評を!

 投稿者:管理人 iPad 698  投稿日:2018年 1月12日(金)12時19分47秒
編集済
      あ、佐藤文行さま、ありがとうございます。
    おかげで、右目も大成功で、今日の青空、裸眼でしみじみベランダから見渡せました。
とにかく、大事なのは医療にかかることですね。それも信頼できる、いいドクターを見つけて(荒川先生、どうもありがとうございました)。
    あとは、腰痛。整形外科ですね。こちらも、iPadで、診療担当調べ、いい先生を見つけています。

                                 ◯

     さて、個人的な投稿も歓迎ですが、そろそろ、39号の掲載作品についてご意見下さい。当方も目がよくなって、手術も終わった透析中に、三つほど読みました。2月25日の合評会目指して、議論いろいろあげましょう。



    ※  文芸評論家・井口時男氏の俳句について述べてみました。

http://9301.teacup.com/douzinnnzassi/bbs/2000

 

とかった!

 投稿者:佐藤文行  投稿日:2018年 1月11日(木)11時45分59秒
  僕も経験者ですが、旨くいって何よりですね。

http://snow-man.com/

 

無事、終了しました。

 投稿者:管理人 iPad 463  投稿日:2018年 1月10日(水)13時59分51秒
編集済
      今日は右目の手術。
    昨日からそわそわ。
じつは目のことよりも、腰痛の処置。
前回もそうだったが、同じ姿勢をずっとしていると、どうにも腰の痛さがたまらない。
30分ならまだ何とかなろうが、今回は難手術になりそうと先生の仰せだったので、一時間以上とみて、そのための準備を患者なりにしていたのだった。すなわち、痛みどめのロキソニンを事前に服用すること。これは市販のやつだが、
一日二錠まで。作用時間は七時間とあるので、朝九時に服用すれば、一時過ぎからの手術の間、効いているなと計らって。さらに、バンテリンという貼り薬も家で事前に貼って、さあ、出発、となった。
   さて、実際はとなると、手術はてきぱきすすみ、「レンズ下さい」の先生の声。え、もう水晶体は崩したの、超音波だけで取れたのかな、と思っていると、「永野さん、終わりましたよ」ーとの掛け声。
    結局、正味30分程度で、腰の痛みもこれから、という前に終わったのでした。
    問題は明日、このガーゼ包帯が取れた時ですね。
    以上、ご報告まで!
             写真はiPadでの自撮り。下は前回、12/13の時の。
            (今日の手術は、予定より一時間早めに始まりました)。
             ちなみに、スマホはまだ見つかりません。退院してから、善後策考えます。
 

スマホ紛失か?

 投稿者:管理人 iPad 251  投稿日:2018年 1月 8日(月)20時19分30秒
編集済
     まずい!どうやら携帯(スマホ)を紛失したらしい。

    てっきり、いつものカバンの中にあると思っていたがない。時折入れるズボンの後ろポケットにもない。部屋のどこかにあるはずだと思って、固定からかけてみたが、固定電話からの発信音はきこえるものの、携帯が鳴っている様子は、部屋からはない。ヤバイっ!
    ま、といっても日常の殆どがiPadなので、携帯がない不便は少ない。いますぐどうということはない。むしろこれを機に、スマホを辞めて、素のPHSか、ガラ携帯にしたいものだ。しかし、やはり紛失したままでいいわけないので、この雨のなか、錦糸町のヨドバシに出かけた。携帯売り場の、SoftBank に行ったはいいが、まず人が多くて待たされ、さらに、紛失の応対はここではない、という(専用の店へ行ってくれ、と)。実に埒のあかない対応で、行き損、ではあった。

    iPadで、「携帯を紛失した場合」を検索すると、なんとGPS で居場所を検索出来る、とあった。しかし、これはただではなく、登録が必要とある。面倒だがやっていくうちに、例のように、メルアドとパスワード、さらに、クレジットカードの情報まで聞いてくる。これらはiPadにinputしてあるので、そのまま入れて行くと、最後にエラーメッセージが出てしまった。今日はもうやる気がしなくて、おしまいとなりました。

    だいたいスマホは使い勝手が悪く、大きさも携帯とあるわりには大きく。重さもズシリ。iPadの方がはるかに使い勝手がよく、なくすこともない(一定の大きさがあるもん)。

    さて明後日は右目の手術。
    ちょうど今、若い女性から、頑張って下さい、と年賀状代わりメールがこのiPadに着信(スマホにではない)。
   イエィー、頑張りますとも。
 

『平成細雪」を観る

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2018年 1月 8日(月)19時33分6秒
   昨夜、午後10時「平成細雪」は放映された。わたしの心に刻まれているのは勿論、谷崎の原作なのだが、映画では市川崑監督の作品である。市川「細雪」は長女鶴子は岸恵子、次女は佐久間良子、三女は吉永小百合、四女は古手川裕子?だったか・・・
 市川崑は映像にこる監督だから、薪岡家本家の船場の旧家の陰影がよく表現されていたと思う。
 さて、「平成細雪」だ。あまり期待しないで観たのだが、けっこう楽しめた。時代を平成初期のバブル崩壊以降に移している。ストーリー展開はほぼ原作に忠実。問題は四人姉妹のキャスティングなにだ。長女は中山美穂、次女は高岡早紀三女は伊藤歩、四女は中村ゆり。
 中山美穂はかってのアイドル歌手。高岡はユニークな役柄もこなすひと。三女、四女は初めて観た。テレビ育ちの女優というのは上流社会の女性を演じるには無理がありそうな、そんな気がする。脚本は岸田國士戯曲賞などを受賞している蓬莱竜太。この脚本は良くできていた。彼は、どんどん良いホンを書くだろう。劇団「モダンスイマーズ」座付作家というから、劇の方も観てみたいと思う。全4回の連ドラですから、まだの方は来週日曜日10時にご覧になってみてください。新年に『細雪』について語るのは楽しい時間になるのでは・・・
 

永野氏の「野口存禰『家族と言う他者と漱石』」を読んで

 投稿者:荻野央  投稿日:2018年 1月 8日(月)07時36分52秒
編集済
  私は「道草」を読んでいないので感想を述べるには資格が無いのですが、永野さんの論考を読んでいて、2016.9月にNHKで放映された「漱石の妻」のことを思い浮かべました。漱石と妻の鏡子、義父の塩原との悲しいやり取り、英国帰りの漱石の半狂気、危うく死ぬところであった修善寺の大吐血、死からの生還と穏やかな漱石夫婦の結末はとても印象に残るドラマでした。

―あなたの「坊ちゃん」に出てくるキヨ、って私のことですよね?
―さあ、どうかな。
―そうじゃないんですか?
―君は変な人だねえ。そう思うのならそういう風にしておこう。
と穏やかな顔で言う漱石と、にこにこしている妻。最後のシーンはなかなか良かったです。

このドラマにはほかに見どころが幾つかありますが、途中で「坑夫」と「文鳥」が題材に登場するシーンがあって、「文鳥」(私は「永日小品」とこの小説が大好きです)の私の解釈が中っていたのでにんまりしました。
それはともかく、一連の、妻、鏡子とのやりとりでは「家族と言う他者性」はまるでドラマには無かったように感じられました。少し違って妻、境子が徹底して自分に”対抗してくる”存在として感じ受ける漱石の自画像があったように思いました。原作と映画では違うようです。
 

「アイスクリームの歌」

 投稿者:管理人 iPad 049  投稿日:2018年 1月 7日(日)14時22分2秒
編集済
     ごめんなさい。大人のこの板の読者には関係のうすい童謡ですが、言葉とメロディーが実によく出来ている、調和している、という大人の関心でアップさせていただきました、
    下のリンクでは、歌手の声もいいし、案外に、バックの絵も、子供のアイスクリームを堪能する姿がよく出ていました。
                          ◯

「アイスクリームの歌」   さとうよしみ作詞・服部公一作曲

おとぎ話の王子でも 昔(むかし)はとても食べられない
アイスクリーム アイスクリーム
ぼくは王子(おうじ)ではないけれど
アイスクリームを召(め)し上がる                       この敬語がいい
スプーンですくって ピチャ チャチャ              この擬音語がいい
舌にのせると トロン トロ
のどを音楽隊(おんがくたい)が通ります            この喩えが絶妙
プカプカ ドンドン 冷(つめ)たいね                  音楽隊の音!    「冷たいね」共感!
ルラ ルラ ルラ 甘(あま)いね                            この擬音語!   「甘いね」共感!
チータカタッタッタ おいしいね                      楽隊は進む!
アイスクリームは 楽しいね                           「楽しいね」 共感!

おとぎ話の王女でも 昔はとても食べられない      以下、女の子ヴァージョン
アイスクリーム アイスクリーム
わたしは王女ではないけれど
アイスクリームを召し上がる
スプーンですくって ピチャ チャチャ
舌にのせると トロン トロ
のどを音楽隊が通ります
プカプカ ドンドン 冷たいね
ルラ ルラ ルラ 甘いね
チータカタッタッタ おいしいね
アイスクリームは 楽しいね

おとぎ話の王子でも 昔はとても食べられない
アイスクリーム アイスクリーム

https://m.youtube.com/watch?v=IhpWVOEiJK8

 

現代文学と純文学

 投稿者:荻野央  投稿日:2018年 1月 7日(日)13時49分37秒
  文学が他の芸術分野に対して優位であるとかそうでないとかの議論は不毛のように思える。そうした比較自体、創作に携わる者に効果が得られるとは思えない。「皆、夫々が夫々において」、が妥当かなと思ったりする。要は個々の”興味”レベルの話であって、特段、本質的な議論に発展するとも考えられない・・・。

「群系」で現代文学のレビュウをしようということで私は「すばる」の掲載作とその批評文を整理して意見を加えてみた。対象は川上未映子氏だった。私の眼から見て、いまのところ彼女ひとり抜きん出ているように思える。川上氏は小説を構成の妙のみ、小手先の作為で持ちこたえようとしない。彼女の文体は平凡であるけれども、作家として当面している外部の事態の受け止め方に特異な感受性が働いていて、そのことは作品内の言葉の連関に現れている。(彼女が詩人であるから、ということではなく) となれば、小説全体の流れがあまりスムースにいかない時もあるのだが、でもそこが素敵だ。H・ミラーやメルヴィルみたいにギクシャクしたり躓きそうな文章が刺激的なんだと思う。川上氏について読者は同調するに困らないが読解においては「途方に暮れる」のではないだろうか。(カフカ的な言葉の連関を彷彿とさせる。)
スムースにひょいひょいと読みが進行するとつまらない。(難解が良いというのでは無論ないけれども。)

純文学が破綻しているとは思わないが、草原さんの指摘するように各大手出版社のメジャー文芸誌は大赤字だけど版元は休刊廃刊をしない。純文学のブランドを守っているつもりのようだが、読んでみると悪い意味で「途方に暮れる」から止めた方がいいようにも思う。
つまりこういうことなのか。各世代に見あった作品はその世代に受け入れられて読まれる。世代を越える作品は古典以外に見当たらないのかしら、ということ。
でも―私の場合は―今の所、川上氏は「やるなあ」という印象が強く、綿矢りさ氏が同人誌レベルに低迷していることを考えれば期待したいと思っている。(綿矢氏のファンの方、ごめんなさい)
メジャーも同人誌も、なにかしら女性が力を発揮しているな、と言う感じがします。

※”現代文学のレビュウ”の企画、会員のどなたかやってみてほしいな、と思います。
 

「たのしいショティッシュ」 スウェーデン民謡

 投稿者:管理人 iPad 986  投稿日:2018年 1月 7日(日)13時44分10秒
編集済
      iPadで、いろいろ音楽や童謡を見聞きしています。
   このフォークダンスの歌は、一瞬聞いたことがある感じで、さらにその歌詞に引き付けられました。
    冒頭の「 ララ まっかなぼうしに  リボンがゆれてる」は鮮やかな印象で、揺れているリボンには、小学生らしい愛らしさが感じられました。以下、歌詞は、ほとんど身にまとう衣服に関したことで、この世代らしい関心です。
    さらに、そのダンスにも目がいきました。皆が輪になって歌い踊るフォークダンス。女の子が得意で、男子は少し照れる感じ。小学生らしいぎこちなさが、目が肥えた視聴者には、むしろ共感しましょう。
    今年は「童謡百年」だそうですが、童謡や唱歌、こうした各国の民謡には、育ち盛りの子供たちの情感を育てる、ステキなメロディーと歌詞がありますね。

                              ◯

「たのしいショティッシュ」  スウェーデン民謡   小林幹治作詞
                                                   (「ショティッシュ」はフォークダンスの一種)。

    ララ まっかなぼうしに  リボンがゆれてる
    わかいかぜが  うたってる
    ララ   とんぼがとんでる   野原のまんなかで
    ようきにおどりましょうよ
    ララ   きいろいくつに  みどりのスカート
    あかいほっぺに  ネッカチーフ
    ララ  しろいくつに  ちゃいろのセーター
    とってもすてきな  ズボン
    こえはずむよ
    ラララ  ラン  ラ   ラン  ラン
    ラララ  ラン  ラ   ラン  ラン
    ラララ  ラン  ラ   ラン  ラン
     手をつないで
    ラララ  ラン  ラ   ラン  ラン
    いつまでも  ゆかいに  おどろう
    さあ  うたおうよ
    ラララ  ラン  ラ   ラン  ラン
    ラララ  ラン  ラ   ラン  ラン
    ラララ  ラン  ラ   ラン  ラン
    空 あおいで
    ラララ  ラン  ラ   ラン  ラン
    おなかのそこから  わっはっはっ

    ララ まっかなぼうしに  リボンがゆれてる
    わかいかぜが  うたってる
    ララ   とんぼがとんでる   野原のまんなかで
    ようきにおどりましょうよ
    

https://m.youtube.com/watch?v=EEB0xzT921M

 

(無題)

 投稿者:草原克芳  投稿日:2018年 1月 7日(日)12時02分23秒
  >小学生の子供たちの. 楽しい歌とダンス.
https://m.youtube.com/watch?v=EEB0xzT921M

■深遠な隠喩でも?
 

それでも、文学の特権とは。

 投稿者:管理人 iPad 986  投稿日:2018年 1月 7日(日)11時23分58秒
編集済
  〉映像メディア、音楽、デザイン、漫画、アニメーション等、多様なジャンルと文学というより文芸は競争しなければならないのです。これだけの選択肢が作品の受け手にある中で、読者を文芸に引きずり込むのは並大抵のことではない。
「文学」がどう考えても他のジャンルと比べて特権性があるとは思えません。
〉文学、文芸が、ジャンルとして他の分野と競争する必要があるのかどうか。"興行的"には、もう十分に、メタメタに、敗北しているんじゃないですか。少なくとも「純文学」は。

   「君の名は」などの大ヒットを受けて、アニメ、映像・音楽メディアに対して、昔からある文学に対する劣性、疑義が問われている。いわば「文学の特権性」がもはやあり得ないのではという疑義。それを受けて、文学が他ジャンルと競争する必要があるのか、もはや「興行的」的にはためたに敗北しているという指摘もあった。
   こういう認識は広くいまの世間にあることであろう、特に若者のあいだでは。さらにいうなら、本を読まなくなった新世代にあっては。
    何も皮肉交じりにいうのではない。21世紀になってのこの物質文明・情報時代においては、こうした流れのなかで、活字文化が劣性になるのは、文明論的にいわば不可避のことだろうからである。今日、われわれが目前にしている、アニメ・映像音楽メディアはその質の高さに讃嘆するが、一方でこういう媒体が進展すれば、もう一方の従来メディアが関わる人の数からも減衰するのは理の当然だからである。
    しかし、「興行的」にそう受けなくとも、従来芸術の真というものは普遍的にあるもので、こういう局面に至れば、われわれはそうした価値を多角的な視点から云々するべきであろう。確かに活字に嗜むことがなくなった世代に説くのは、難しいところがあろうが。
     ここで文学守旧派として、声高に言いたいのは、アニメなどと、文学との媒体としての基本的な、また決定的な差異のことである。確かにアニメなどは視覚的に訴えてくる。いつも日常目にしているヴィジョンがあるアングルと、なにかの既視感とでアピールすれば、人間の受容特性として、活字よりはるかに手っ取り早く脳裏に訴えられるであろう。そして、そのアングルの視野がアニメ映画としてのシークエンスとして持続すれば、それは居ながらにして感動的なものになるのである。
   対して文学は、まずその視覚、日常馴染んだヴィジョンが初めからない。あるのは活字、すなわち文字であって、そこからまず、そうしたものに馴染んでいない世代を遮断する、しかし人類文明・文化の歴史を振り返るまでもなく、この文字、すなわち言葉こそは、人間知の表象であって、文学はそうしたもののいわば積分であり、それはその時代と人びとの内面を反映している。
    映画など映像メディアと比較して、根本的に大事な点は、その受容において想像力を要することである。映像メディアは居ながらにして光景が現前するのに対して、活字メディアは「読む」という能動姿勢が要求される。そして読書過程において、それこそストーリーとともに場面、人物の内面への忖度、以降の展開への興味など、根元的に想像力が要求されるのである。これこそ人間にのみ付与された資質に対応するメディアではなかろうか。そしてこれがだいじなのであるが、その想像力は、読書という能動過程において、いや開発されることであろう。
    このことはミクロ的にみれば、言葉・語句の触発ということがまずあろう。言葉が挑発する観念・感情は、輪郭的な隈取り、すなわち印象となって、読み手の脳裏に刻まれる。これは映像メディアどころではない鋭利な認識となって読み手に受け止められる。例を持っていえば、梶井基次郎の各作品を思い浮かべればよい。あれらにうかがわれる、世界の、自然の、ひとびとの、幼児の追憶、などの描出は、文学の特質を典型的に語っていよう。

   マスとしての映像メディアと活字メディアとでは、規模的にも圧倒的にも前者が優勢である。しかしだからこそ制作にも大きな力が必要となる(そこにはだから興行的な配慮が不可欠である)。しかし、後者はいわば一人の出発である。弱さもあろうが、しかしそこには天分の差配ということもある。同人誌はそういう出現をも期待して運営される。

   ※ 「君の名は」は、従来からのアニメ映像作品とは少し違っていよう。そこには言葉(「結ぶ」など)を基盤とした伝統文化が底流しているのであって、いわば言葉(文学)と、映像(アニメ)とのミックステクチャーとなっている。映像メディアが言葉の伝統を無視できなくなったという新しい動きではないか。ちなみに言うと、深海誠監督は、村上春樹の圧倒的な影響を受けていたそうである。

https://m.youtube.com/watch?v=EEB0xzT921M

 

「戦略」と「創造」

 投稿者:草原克芳  投稿日:2018年 1月 7日(日)07時52分39秒
編集済
  ■文学、文芸が、ジャンルとして他の分野と競争する必要があるのかどうか。
"興行的"には、もう十分に、メタメタに、敗北しているんじゃないですか。
少なくとも「純文学」は。

小説としての文学は、宗教や哲学(絶対的真理というものがとりあえず信じられていた)を
脇目で眺めつつ、それを物語的に批判したり、諷刺したり、異化したり、相対化したりしつつ、
悪役や、道化や、ヒーローや、求道者や、トリックスターや、娼婦的聖女を、人物造型していた時期こそが、
いちばん豊饒で、創造的であったことは、歴史的にも否めない話。
(近代の始まりから、19世紀。市民の時代の勃興期、隆盛期)

いまは、その、「絶対的な観念・信念体系」の資産食い潰し作業も、すでに終了しつつある…。
というか、現実の世界の方が、「近代」の理念のパロディを、
醜悪にデフォルメ化し、グロテスクに実演じてしまっている。


■大手出版社の文芸雑誌は、もともと同人誌から出発したにもかかわらず、
現在は、出版企業のお荷物的存在。
(都市風景に喩えると、ハーフミラーの高層ビルの谷間に、赤レンガの「旧館」ビルが
ひっそりとたたずむように)

あとは、ジャンル間の競争というより、
それぞれの感性・知性のミクロコスモスを、小宇宙を、
個々の表現者の資質にいちばん適したジャンルで、創り上げるしかないのでは。

しかし、宮崎駿のアニメ『風立ちぬ』の背景には、
堀辰雄の文学のみならず、トーマス・マン『魔の山』も控えている……みたいな
マスメディア的クリエーターの時代における、地下からインスパイアする「黒幕としての文学」――めいた伏流水も感じられる。

               *

■とにかく、いま、文芸同人誌なんぞに携わっているのは、
いちばん鈍臭い、カッコ悪い、惨めったらしい、辛気くさい、時代遅れの行為をやっている
という覚悟でやるしかない。

~問題は、
 個々の表現者が、創造的であるかどうか、なのでは?

あとは、それぞれの書き手が、「壺中の天」の幻術を、見出すしかない。
http://8614.teacup.com/snagano/bbs/11234


                *



■坂井瑞穂さんの小説は、豊かな物語性に富んでいて面白かったです。
同人雑誌の小説は、あまり、従来の"同人雑誌的"な臭みがないほうが、いいと思いますね。
年末、実家が空き巣に入られたりして(笑)バタバタしていたので、
合評会前までには、今号の小説作品も、もう一度、分析的に読んでみようと思います。

~しかし何だか、
あまり最近、この掲示板では、
最新号の掲載作品については、以前みたいに、語られなくなってしまったのですね。





 

(無題)

 投稿者:土屋慶  投稿日:2018年 1月 7日(日)06時01分51秒
編集済
  映像メディア、音楽、デザイン、漫画、アニメーション等、多様なジャンルと文学というより文芸は競争しなければならないのです。これだけの選択肢が作品の受け手にある中で、読者を文芸に引きずり込むのは並大抵のことではない。

また、先に述べたほぼすべてのジャンルが、もし、その作品がすぐれているのならば、たとえばYOU TUBEにアップして、拡散されることを期待することができるが、言語芸術である文芸はそうもいかない。

「文学」が権威である時代も終わっていると思います。

メインカルチャー、サブカルチャーという区分けというよりも、ぼくはイイ、美しいと思った作品はいかなるジャンルであったとしても肯定します。「文学」がどう考えても他のジャンルと比べて特権性があるとは思えません。一部の専門家、批評家に正当化を期待したところで、もし仮に評価されたとしても一般読者にバカ受けするということもありません。したがってよい戦略は今のところ思いつかないですね。

ところで、坂井瑞穂さんの小説面白かったです。荻野さんの作品もかなりの水準だと思いました。ただ、坂井さんの作品はぼくの趣味に合いました。ほんとうに素敵な小説でした。お二方は新人賞に応募してみれば?とくに荻野さんは母校に三田文学があるのでそちらに投稿するとか新人賞にエントリーするとかしてみればいいと思います。

永野先生群系今季号ご送付していただいてありがとうございました。御礼遅れて失礼いたしました。
 

子供の頃の懐かしい番組

 投稿者:管理人 iPad 840  投稿日:2018年 1月 6日(土)09時17分14秒
編集済
     昔の作品も良かった。

「チロリン村とくるみの木 」195604~196404 主題歌
https://m.youtube.com/watch?v=z61AFsy9wI4


50年前のコメディ「お笑い三人組」
https://m.youtube.com/watch?v=rBIxxYs9Uvg


   ともに、半世紀以上も昔の作品なのに、出演者の大半が今も存命です。

チロリン村とくるみの木    黒柳徹子, 里見京子, 横山道代  ー三人とも今も元気

主題歌
ランランチロリンやさい村
うれしい村だよとぼけ村
みんなのむねに 夢の花
「みなさんトンペイです よろしくね!」
お空が青く晴れてます
いつもよい子をながめてる
フンワリ ニコニコ 白い雲

ランランチロリンやさい村
楽しい村だよとぼけ村
やさいくだもの 村作り
「みなさん くるくるクルコです!」
お空にチカチカ星の花
夢のお花のコンペイトウ
チカチカ ピカピカ 甘い夢

ランランチロリンやさい村
心のふる里とぼけ村
みんなのむねに 夢のうた
「みなさん プリプリピーコです!」
お空にぽっかりお月様
やさいの村の子守唄
にっこり わらって 聞いている


『お笑い三人組』(おわらいさんにんぐみ)とは、1955年11月から1960年3月までNHKでラジオ放送され、1956年11月から1966年3月までテレビ放送された公開バラエティコメディ番組。
酒屋の金ちゃん:三遊亭小金馬(現:4代目三遊亭金馬)  ー今も元気
保険外交員の今泉良夫さん:一龍齋貞鳳  ー今も元気
パン屋の六さん:3代目江戸家猫八
金ちゃんの妻:桜京美
良夫さんの妻:音羽美子 ー今も元気
六さんの妻:楠トシエ ー今も元気
 

「秒速5センチメートル」連作短編

 投稿者:管理人 iPad 794  投稿日:2018年 1月 5日(金)21時09分37秒
編集済
    2007年制作のこの映画は全編公開です。
このしめやかな動画をどう受け止めるべきか。
こんな作品が出来ていたことに、この国の情緒の在りようを思う。
ー(「君の名は」以上の感動があるかも)

https://m.youtube.com/watch?v=NAVMVZLpeE0

 

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