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スレッド一覧

  1. パソコンクラッシュ(>_<)(6)
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意識とはなんぞや?

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 4月 6日(木)23時39分13秒
編集済
  そうですね。
意識が最大の謎、ですね。
なにしろ、
観測対象にまで影響を与えてしまうという"観測者"(←なんなんだよ、じぶん)なんですから。
「意識下」「無意識」というのも、
空間配置になぞらえた比喩や、無でもないのを無といってしまう極端な比喩で、
ほんとうは正確ではないのかもしれません。
腐敗ではなく、発酵にしたのは、ウンコにしないためだったのですが、
多少、香ばしい話になってしまったかも。

 
 

イメージの変容

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 4月 6日(木)22時49分36秒
  草原さんがおっしゃっている発酵現象になぞらえた過程は、その通り
ではないかと思いますが、その過程がどういうことなのかは、やはり
よくわかりません。

単なる思い付きですが・・・
発酵だけでは腐ったウンコをつくるのと変わりませんから、発酵後の
精製過程も重要ですね。

意識下なのか無意識なのかはフロイトの時代から大きな議論でしたが、
意識をどうみるかという問題と不可分ですから、悩ましいところです。
 

追記

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 4月 6日(木)19時56分27秒
編集済
  ~などと書いてから、あれこれ検索したところ、こんな情報がありました。
ブログ主は、パリの美大に留学している女性のようです。
http://ameblo.jp/yutoriaru87seikatu/entry-11722782890.html

>たとえば、日本ではジョルジュ・ブラックがピカソの弟子という語り方ですが
実際にフランスで話されているのは、キュビズムはジョルジュ・ブラックが新しく始めたスタイルで
技法として形になってきた所、最終的にピカソが自分が作り出したと、
おいしいところを持って行ってしまったと語られています。

■確かに、日本で触れてきた情報では、
弟子とまでいかなくても、対等、もしくはブラックの方がピカソに受動的に影響されていたという印象。
フランス人の解釈では、これは違うらしい。
もっとも、パブロ・ピカソって、"在仏スペイン人"
ブラックの方は、ノルマンディー生まれの、れっきとしたフランス人。
その辺も、考慮すべきかも。

あるいは、終始、人前でパフォーマーとして振る舞ってきたピカソと、
職人タイプのブラックらしい逸話、というところでしょうか。

ちなみに、ピカソの本名は、
「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・シプリアノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード
(Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno María de los Remedios Cipriano de la Santísima Trinidad) 」
なんだとか。
~まるで、ガルシア=マルケスの小説の得体の知れない登場人物みたいだ。

下はピカソの「泣く女」
 

イマージュの窯変現象

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 4月 6日(木)18時42分12秒
編集済
  ■統一理論ではないけれど、
わたしは、芸術一般、詩、小説、絵画でも、
ひとつの表象・イメージが、どうして変容していくか、ということが気になります。
デフォルメ、カリカチュア、誇張、そして、ある種の詩的変容……。
通常のリアリズムから離れて、
人間の想像力が、ひとつの輪郭ある表象をゆっくりと意識下で熟成させていく過程ですね。
それが逆に、新たな"リアリティ"を獲得してしまう不思議。

一個の洋梨を、写真で正確に撮影した時点では、単なるモノなのに、
それを加工したり、ライティングしたり、何年もかけて記憶の中で発酵させたりすると、
特別の置き換え難いイメージになる。
これはつまり、芸術になる、詩的なオブジェになる、ということですね。


■中村光夫などが小説論でいう「人間典型」なども、
いそうでいなさそうな人物、しかし可能性としてはありえる人物像が、時代を覆う象徴的普遍性を獲得する。
こういう一粒のイメージやヒントから"真珠"を育てていく仕事は、
芸術や、創造ぜんぱんに共通する、作家の想像力の発酵現象だと思います。
いわば、精神の曜変天目(窯変天目)現象……(笑。
これは、通常の合理的思考を超えている。
われわれの睡眠中に、なぜ"夢見"という現象が起るのか、
その辺の意識下の作用力ともつながっているような。


下は、セザンヌと、ジョルジュ・ブラック(2点)の静物画。
いわばキュビズムの母体と、その進行形。
ブラックは、ピカソのような派手な部分がない分、室内楽的な静謐さが漂っていて好きな画家です。

 

外来化学治療室

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 4月 6日(木)01時07分38秒
編集済
  当時のメモを少し編集。

不思議なところでした。天国に最も近いところ?錯覚でしょう。

静かで明るい環境。入院中はわがままで、多くの人を困らせていた
ことに、自然と気付いてしまうのがよかったですね。

六時間半の治療を終えて受付へ。

会計窓口のオネエサンの表情がいつもより疲れていて渋いな?
しかし、なぜか暖かい。これはなぜ?

天国に最も近いところで、いつとはなく浮かんでいたこと。

私はなぜ、今も生きているのでしょう?

追記:ゆっくり眠った後の午後(2017/4/6)

実存へのスピリチュアルな問いかけであるかのように見えますが、
さにあらず。自分で自分を迷わそうとする(迷わせたい、そして
迷っていたい)憂愁(なのかな?)が紡ぎ出した幻なのでした。
手を変え品を変え、繰り返しやってきてしつこいのが特徴(笑い)
正体を見極め、流されないこと。流されてしまうと、生き生きして
いるはずの情感が干からびていきますから、ご用心。ご用心。

その時に感じることは、日常と何も変わりありませんでした。
明るく静かで治療に専念できる環境は良かったですね。十六人の
患者と家族が同じ場にいましたが、いつも静かで、他の人がいて
迷惑だと感じさせる状況は何もありませんでした(病棟での経過
を診た上で、患者を選別しているのかもしれません)。
懇切丁寧な看護は安心そのものでした。スタッフは大変だろうな?
過ぎたことは仕方ありませんし、お互いさまでしょう。

それはともあれ少し疲れました。風邪も良くなってきましたから、
まあいいでしょう。
 

懐かしい眺め

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 4月 6日(木)00時41分48秒
  疲れが出たのか、風邪をひいてしまい、ゆっくり休んでいました。

一年前だったら即入院となるところでしたが、今は大丈夫。
懐かしい風邪の味わい。回復の味わいがいい。何年振りのことかな?

ぼけっとしていたら、一年一ヶ月前の写真が出てきました。

治療の最終回は外来化学治療室。

当日未明。準備万端。星空の下、JRの始発列車に乗り込みました。
念のため確認したら、なぜか診察券と保険証が見当たりません。
慌てて汽車から飛び降りて帰宅。あれ?こんなところに置いていた。
自分で車を運転して出かけるしかなかろう。やむをえん。

まずは出発。そうするしかないでしょう。

大丈夫だろうと感じ始めた頃に朝日。途中のサービスエリアで休憩。
その時の眺め。目的地は右手奥。大丈夫でしょう。

 

保田與重郎「なぜ文学を始めたか・・」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月 5日(水)16時45分55秒
編集済
  ・マルクス主義者は、かつて「何を文学するか」を己に問いかけた。
・モダニストは「どのように文学するか」を己に問いかけたものである。
・これに対して、保田與重郎は「なぜ文学を始めたか」を自分に問いかけて「コギト」を始めたのである。

・私は、保田の政治的対処の仕方を少しも参考にせず、むしろ嫌悪していた立場であったが、「なぜ文学を始めたか」を己自身にいつも懐かしい古里を恋うように問いかけて来たものだ。
 

描写とは何か、表現とは何か 人間表現の芸術性における批評の統一理論は可能か・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月 5日(水)10時38分21秒
編集済
  ・常常・・批評の真似事をしていると、<批評の統一理論>みたいなことを夢想するときがあります。
「文学は専門だが、絵画は素人で」とか「絵画は専門だが文学は素人で」ということが、<業界言葉>で使われますが、もし、人間の表現・・言葉、音感、視覚に訴える人間の芸術的営為の価値観について、統一した感受性があるとしたら、批評においても、芸術作品すべての分野において、<統一理論>があるのではないか・・そんな夢想をしたことがあります。文学表現、絵画表現、音楽表現、立体建築物・彫刻・・・すべての人間表現の芸術性を解明する統一理論・・・はたしてそれは可能か・・妄想か・・・単なる思い付きか冗談話の戯言か・・・

・小林秀雄なんかは、ジャンルを超越した批評の統一理論を夢想していたフシがある。もちろん、吉本隆明は批評の統一理論を頭に置いてジャンルを超えた文学作品に当たりをつけて考えていた男ではあったが、しかし、隆明は文学作品に限っての統一理論であった。これを、宇宙的に広げて、人間の美的営為である芸術作品すべてを包括する統一理論があるか可能か・・・妄想か・・・統一理論となれば、数学的解析にゆだねていく以外に、いかなるコアを見出せるか・・

・むしろ、この問題は、芸術全般の批評の問題というよりも、コンピューター解析みたいな数学的な課題に収斂していきがちですが・・そうではなく、生きた言葉で対象を観る統一理論・・ですね。これを何とか・・それは、ある程度書ける小説家は、程度の差こそあっても小説作り、表現技術の統一理論を身につけているものです。批評においても、批評家は批評の統一理論を自分なりに持っているものです。その統一理論も色合いをいかにするか、色調をいかにするか作品によって使い分けはするでしょうが・・・それを、大きく括弧で括る統一した価値観・・統一理論は・・・可能か否か・・・
 

フェルメール

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 4月 5日(水)06時21分42秒
編集済
  >果たして、画家の世界では一般に好まれそうなフェルメール的、ワイエス的作品を描くと<売り絵>と軽蔑されるものである。

■いや、ワイエスは情緒的なところがあるが、
フェルメールは純文学(この「純」の言い方がいいかどうか)、というか、ファインアートというか、
完全に視覚芸術としてかなり細部が繊細に創り込まれた自立した小宇宙でしょう。
それに、フェルメールは、つい最近まで一般のブームになどなっていなかった。
こんなに複製画が商品化されてきたのも、ほんの二三十年前くらいからでは。

ある部分だけを極端にクローズアップしてしまえば、
街中の平凡な壁の染みに、ジャクソン・ポロックや、マーク・ロスコを感じるように(笑)、
そこに何が描かれているかという問いを離れて、それだけで鑑賞に値する色彩と、線と、光の感受性の表現的ディテールが確認できる。
確かに一種の物語性や寓話性、シンボリズム、もの思わし気な気配はあるが。
むしろ技法的に、構図や、人物配置、微妙なライティング効果などは、
近代の写真芸術や、映画の方が、フェルメールを"再発見"し、模倣している。

■要するに、われわれは、
二十世紀以降に確立された近代絵画、視覚的要素だけで自立した絵画を、
「純粋絵画」「純文学」の方向性だと思っているわけで。

また、もともと数少ないフェルメールの作品の一部は、
その時代において、むしろ異様に、即物的で、非宗教的でもある。
たとえば、下の作品のモチーフなどは、点在している人間などよりも、
建物の構成や、煉瓦や石畳のマテリアルな視覚の味わいのように思われます。
これは「描写」とは何か、という問題にもつきあたりますね。

               *


>教育勅語が復古調の純粋政策と言えるか・・なんて考える面白さもあります。

■話を、そこまで、飛ばしますか(笑)
むしろ、教育勅語の後半には、〈死〉の通俗化・大衆化が、隠されているのではないですか。
それは、当時の富国強兵の一等国をめざす明治国家の設計者たちのマインドコントロールとして、
"実用的"でもあります。


すぐ下のつまんないコメントよりも、
根保さんの絵画論の方が面白いので~。
 

(無題)

 投稿者:こすから敏靖  投稿日:2017年 4月 5日(水)02時30分5秒
編集済
  下の

【自主避難は「自己責任」~復興大臣明言】

は、

「ニュートラルな作用力」である権力に対して、

「国民がしっかり監視し、さらに新聞、テレビがジャーナリズムとして適切に機能することにより、その暴走や腐敗をチェック」している模範例として引用されているのか、

「現在、その批評・批判機能を果たしていない」好例なのか、

単なるエンターテイメントなのか、

いずれなのでしようか?

はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああァ~。


 

フェルメールやアンドリュー・ワイエスのような・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月 5日(水)01時55分14秒
編集済
  ・例えば、アメリカの国民的人気画家のアンドリュー・ワイエスやフェルメールのような世界的に人気がある画家の作品・・これを文学的仕分けの地平で観ると、誰にでも好まれ理解できる絵画という意味で、通俗的であると観るとすると、純文学的絵画とは何かが透けて見える。純文学に対応した純絵画とはどのようなものかに想いをいたすと、絵画の観方が少しばかり深まりそうです。それは、音楽にも言えることでありますが、絵画でも音楽でも、純粋絵画と通俗絵画、純粋音楽と通俗音楽という仕分けは成り立つのか、あるいは、理論的には成り立つが、その仕分けはそぐわない・・とも言われそう。

・果たして、画家の世界では一般に好まれそうなフェルメール的、ワイエス的作品を描くと<売り絵>と軽蔑されるものである。政治の世界でも、一般に喜ばれそうな政策は、通俗政策と言われて軽蔑されるものなのだが・・・。それでは、アベノミクスの政策は、通俗政策か・・・教育勅語が復古調の純粋政策と言えるか・・なんて考える面白さもあります。
 

(無題)

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 4月 4日(火)22時40分50秒
  【自主避難は「自己責任」~復興大臣明言】
https://www.youtube.com/watch?v=mOUSSJmg_dE

この、こすからい顔見てると、
アベノミクスとやらで刷った札束は、一体、どこにやったんだよ、
とか、言いたくなります。
 

青いアネモネくんたち

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 4月 4日(火)08時40分39秒
編集済
  アンドロメダ星雲。凄いな。鎌田さんの写真は美しいですね。
そして、フェルメールの「見返り」美少女。むむむ、素晴らしい。

今年になって近所のスーパーで見つけたアネモネ。しかも真っ青な一輪。躊躇なく購入しました。球根のものなんですが、種から栽培するのはとても難しいそうです。

「海から風が墓地へ向かって吹いて来る。墓の間の草むらに大きな青いアネモネが咲いていて、その萼が風に揺れる。死が身近にあった。生は死を下地に描かれた絵であった。ここにはアドニスの寺院が建っていた。かつてこの地上で喜びにつけ悲しみにつけ尊敬された神々のうち、最も明るく朗らかな春の神アドニスの寺院である。ビブロスの近くのここで、アドニスは猪に殺されたという。」(「小さな狩」、E・ユンガー)
エーゲ海から吹いてくる風に揺れるアネモネは「アドニス」とも呼ばれ、ギリシャ語で”風”のことだそうです。この文に魅せられて、いつか出会えたならそばに置いてみていたいと長らく思っておりました。

中央は(なんと)三代目。春到来を感知したのかぞくぞくと後輩たちが蕾を開いております。同人誌「クレーン」のO女史もこの花が好きでして合評会の後では文学の話でなく、この花の話で盛りあがりました。

感度により花が開いたり閉じたり。ですから、お天気情報より彼らの様子で外出着を決めてます。情報解析より自然の動きの方が中っているかもしれないです。

※猫ちゃんとアネモネたちは、今の私にとって必須アイテムです。
 

真珠の首飾りの少女

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 4月 4日(火)06時36分52秒
編集済
  ■鎌田さんのスズメの写真、どういうわけか、
一瞬、戸惑ったような不安げな視線から、フェルメールのあの少女を連想しました。
もう十年以上前だったか、昔来た映画も、
窓辺から差し込むフェルメール特有の光線と色彩、
そして絨毯や織物、陶器などの静物画ふうの質感を、
よくとらえていたと思います。
(しかしまさか、あの蒼白い病弱そうな娘が、今をときめく大女優スカ・ヨハに育つとは!)

~それにしても、星雲から、スズメ、芸術から政治、その他、日常茶飯事の諸々。
まあ、この世界はいろんなことがあるもんですね。


 

定点観測の特等席

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 4月 4日(火)00時18分6秒
編集済
  先週の定期検査で気になる異変。臨時で全身のCT検査。
特に何もなし。一時的なものだろうが(主治医も同意見)、
念のため、今日は再検査と追加検査。

他に考えられるのは再発・白血病の合併・骨への転移の三つ。
どれかひとつだったら、あと半年で旅を終えることができる。
楽になれるのかな?

夢想していたら頭の中はウンコだらけ。何が詰まっているのか。
三日で霧散。

検査結果は特に問題なし。

旅は続く。それでよし。それがよし。

銀河鉄道999
https://www.youtube.com/watch?v=cfhHfc4KaRw

一年半前は滞在ツアー。今は日帰りツアー。29回目。

診察を待つ間は定点観測の特等席でのんびり。贅沢な一時。
待合室に誰もいないソファがある。いつとはなく使われなく
なる場。そこに腰をおろし、何もせず、のんびり過ごすだけ。
自然と全体の眺めが入ってくる。何とも言えない贅沢。

来る人たちはほとんど入れ替わった。
私も入れ替わった方がいいのかな?などと夢想をしても、
入れ替わることはできないしね。

余談:よくわかりませんが、こんな写真が残っていました。
十三年前、自宅のベランダから撮影したアンドロメダ星雲。
銀河鉄道999の終着駅みたいですね。

 

勝手な空想

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 4月 3日(月)23時02分24秒
  話の流れとは全く関係ありませんが、荻野さんのネコの写真に、
眠り猫を思い出してしまいました。眠り猫といえばスズメ。

二羽ではなく一羽だけポツンと。スズメ君の寂しげな表情を。

 

「弱いもの=善・強いもの=悪」というトンチンカンなことを、どこで私が言ってますか。教えてください。

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 4月 3日(月)21時57分18秒
編集済
  >弱いもの=善・強いもの=悪、一般民衆=正義・権力=不正義、
と言うような抜きがたい観念をお持ちであることがビンビン伝わって参ります。

■「弱いもの=善・強いもの=悪」??
はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああァ~。

そういう、しょうもないことを言っているのではなくて、
人間が政治をやっている以上、
権力というものは、腐敗する可能性がある、
国民がしっかり監視し、さらに新聞、テレビがジャーナリズムとして適切に機能することにより、
その暴走や腐敗をチェックすべきだが、
現在、その批評・批判機能を果たしていない、ということを言っているつもりです。
そして、日露戦争のときも、
太平洋(大東亜)戦争の時も、同じように言論は政権に追随した。
毎度毎度、日本人は、いつまでそんなことを、繰り返してんの……と思うわけであります。
権力そのものは、善用も悪用も可能な、ニュートラルな作用力でしょう。

「弱いもの=善・強いもの=悪」?
~くッだらない。
私が、どこでそんな馬鹿げたことを言っているんですか。
大堀さんにとって、ずいぶんと、また好都合な、
手頃な、ちょうどいい湯加減のバカなんですね、私は。
残念ながら、そんなサービス精神は、持ちあわせておりませんよ。

ただし、大きな権力を持つ政治家・為政者は、
その持てる力を、できるだけ弱者の救済に注ぐべきだとは考えます。
少なくとも、彼らが税金で食っている以上は――。




 

”沈黙”に非ず、”閉店”なり

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 4月 3日(月)14時33分52秒
編集済
  大事の前の小事なのか否か(むろん否)。一国のリーダーが政商的役割をしているのは仕方がないか糾弾すべきか(糾弾だ!)。またまた國体とはいったいなんのことであるか(関心が無い)。わたしからすればそれらは議論終了とみなして「シャッター」を閉めさせていただいたのですが、「ばつが悪くて黙り込んだ」と思われるのは心外です。

今上天皇について大堀さんは苔むしたお話をされていますが、3.11から始まって近々の諸外国平和大使として、病身を押さえて体力消耗が激しいのにもかかわらず、活動されているのには頭が下がります。わたしは皇国史観とか天皇国父的発想はもとよりありませんが、「下界の醜い無責任政治家ども」の現況を横目に見て、若々しい次世代(ヒロノミヤくん)に引き継ごうとするあの見識にも下がります。(なにせ相手があの古色蒼然の宮内庁!)

上皇になっても後白河さんみたいな陰湿な行為をするはずもないことは誰しも判っています。休まれて身体を治してもらいたいものです。

(安らぎましょう。↓)
 

安倍政権の政商化・・・草原さんの指摘は大枠ではその通り

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年 4月 3日(月)13時40分9秒
編集済
  ・そうですね。自民党そのものが、経済界の旗振り政党ですから、ま、大枠では安倍政権は<政商内閣>と言っても過言ではないでしょう。アッキーも亭主の総理の立場を援護する内助の功を積み上げている意味では、アッキーが意識するしないにかかわらず、<フィクサー的役割>を果たしているのは、当然のことですね。であるから、アッキーの言動を行政が忖度するわけです。でも、アッキーが<フィクサー>そのもの、黒幕そのもののごとき<大物>と呼ぶほどの存在かといえば、本物のフィクサーなら、一言言いたいことがあるでしょうね。

・フィクサーとは、大物の黒幕を言うのであって、内助の功に毛の生えた程度のアッキーの立ち回り方を見れば、<フィクサーもどき>にもならない存在でしょう。子供のいないアッキーは退屈まぎれにあちこち顔を出す程度のものですよ。

・安倍総理の政商化は、企業の海外活動を後押ししてる意味では、確かに政商内閣の長としての世界における安倍総理の振る舞いを見れば明らかですが、それとて一党独裁の中国に対抗した振る舞いで、時代に沿った行動理念を実行に移しているに過ぎません。問題は、国内においての総理の振る舞い方です。

・安倍・麻生門閥の国内支配を強めている現実があることを思えば、今回の森友学園問題は、小さな象徴的な出来事に見えるところが、安倍政権の瑕疵であったようです。

・ただ、私が危惧するのは、今、安倍政権が揺らぐと、日本の前途には時期的にマイナスである、ということです。それを敏感に察知しているのが国民で、これほどのごたごた騒ぎにもかかわらず、国民の安倍政権支持が減らない現実の世論調査の結果を見ても分かる通りです。不満もあるが、今しばらくは安倍政権で、という国民の選択意識が根強いことですね。これを国民の無知と切り捨てるか、皮膚感覚で国民は現実を了解していると観るか、身びいき、他ひいきの立場で評価は別れましょう。
 

ネ申的「反権力」

 投稿者:ねとうよ老婆敏靖  投稿日:2017年 4月 3日(月)13時22分10秒
  合掌 ありがとうございます。

まず、

矛盾の誤魔化しサンプルのことですが、

>「安倍-天皇-國體」をもともと崇拝して思考の基軸にしていた大堀さんが、途中で、安部と天皇が対立しているような空気を察するやいなや、「うつしみの天皇はともかく」とか、
「肉体天皇」を別扱いにして「國體」概念を云々するような、変なレトリックを言うのですよ。

 私は安倍を崇拝などしていなくて、同じ方向を向いて拝んでいるだけだと前にも申し上げました。

 陛下には御位を全うしていただきたかったのですが、GHQの意図で家庭教師ヴァイニング女史から自由主義的感化を受けられた陛下は皇室の伝統に縛られることはないと判断されたのでしょう、御父君昭和陛下が吐血されて重篤の時にも口にされることのなかった退位ということを昨夏示唆的に述べられたのでありました。

 わたくしはこれは現身の天皇のお姿で、本来性ではないと考えます。
 三島的に言えば、ザイン(存在)の天皇とゾルレン(当為)の天皇の区別でありまして、三島は昭和陛下を批判して「などてすめろぎは…」と恨み言を綴りました。

 でありますから、安倍と陛下が衝突することもあります。

 これは何ら矛盾ではないのであって、矛盾にしか見えない草原さんは日本の國體や皇統の歴史に対する理解が不十分だと思われます。



 次に、森友問題をまた執拗に、おそらく一昨日から沈黙されている荻野さんの代理に投稿されたのだと思いますが、

 まさに「黒岩涙香-「萬朝報」論」(日露戦争と言論)の延長にある「反権力」のブレない一貫性に感服致します。

 弱いもの=善・強いもの=悪、一般民衆=正義・権力=不正義、と言うような抜きがたい観念をお持ちであることがビンビン伝わって参ります。

 向田邦子は「弱者は卑怯」と言っていたようですが、強いものが悪いとは限らないように弱さを武器にして卑怯なふるまいをする人間もいるのではないかと思います。

 上に立つ人間は様々な理不尽を強いられ、決して羨まれるような境遇にあるとは言えないのではないかと思います。

 どこまでも森友は安倍夫妻が悪いと言い続けられたいようでありますが、疑惑、憶測にすぎないものを規定事実のように言われて、他の疑惑、払い下げには言及されないのはどうかと思います。

 森友の小学校の隣接地の払い下げも破格のプライスダウンをしていることや、民進党の辻本議員が公園の方の払い下げに関わっている疑惑、あるいは、朝日、読売、共同通信の社屋の敷地も大幅ディスカウントで払い下げられていることも考えなければならないと思います。

 たまたま読んでいた「福翁自伝」には慶応義塾が三田に移ったとき、島原藩の広大な地所を東京市が買い取ったものを払い下げられて、「ほとんど無代価」で手に入れたと福沢は書いておりましたが、公有地の安価な払い下げは頻々としてあることで、こんな大騒ぎをすることではないとわたしは思います。

 国民もそろそろ興味を失って、稀勢の里、羽生選手の逆転劇に関心は移ろっていきますし、次の「テロ等準備罪」(共謀罪)へスイッチしていくべきではないですか?

 老婆心ですが~
                      再拝

 

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