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AIって何よ?

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 9月30日(土)11時04分31秒
編集済
  ■最近のニュースによると、
AIが勝手に独自言語を開発して、AI同士で対話を始めた……そうな。

ということは、AIは、思考能力を持っており、
意識も持っている……というストーリー、なんでしょうかね?
もちろん、この、独自言語の開発は、プログラマーの介在なしで、行われていなければならない。
そうでなければ、単に、これまでのパソコンの延長線、というだけの笑い話。

実は、プログラマーが目だたないように、文楽の黒子のように息を殺して隠れているだけの話ならば、
単なる『オズの魔法使い』のお伽話。



■この「AIが勝手に独自言語を開発して、AI同士で対話を始めた」という情報がほんとうならば、
20世紀か、21世紀のいつごろからか、
人類は物質(機械/コンピュータ)を通して、
なんと、意識そのもの、思考能力そのものを、発生させた、ということになる。
フッサール現象学のいう、ノエシスそのもの、知覚力そのもの、
志向性と強度を持った《ノエシス、その可能性の中心》そのものを、
精密機械の微細なからくりの中から、ヒヨコのように、誕生させたことになる。

~そんな驚天動地の思想史上の大事件、どこかで、聞きましたか?

https://kotobank.jp/word/%E3%83%8E%E3%82%A8%E3%82%B7%E3%82%B9-112070#E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.E3.83.9E.E3.82.A4.E3.83.9A.E3.83.87.E3.82.A3.E3.82.A2

~しかも、よくわからんのは、そんな高度な意識を発生させながら、
なぜ彼らAI達も、人間みたいに、「読み」「書き」を必要とする原始的な言語体系なんぞを必要とするのか、
さっぱりわからん。

意識ぬきの物理的な機能力・作用力としての記号であるなら、
単なる因果関係の延長であり、精緻に設定されたアルゴリズムの問題であり、これまでのコンピュータと同じこと。
膨大なデータの集合体の中から、人間によって入力されたプログラムに沿って、最適な解を得たというだけの話。

凄まじい情報量の中から、0.0000何秒かで瞬時に最適解を得るAIが、将棋やチェスの名人に勝ったとしても、
「人間の優秀なプログラマー & AIの合同チーム」と、
経験に限りある一個人としての名人とが勝負しているだけだから、
そりゃそうだろうよ、というだけの話。
優秀なサラブレットに、レーシング・カーを競わせて、何が面白いんだか。


しかし、この話は違う。
AI同士にだけわかって、人間には解読できない言語体系というものを、
(プログラマー抜きで)AI同士で作成してしまうという、ステキな童話的モチベーションそのものが、
なんとも、不可解です。



                *


■量子論では確かに、
(観測者の)意識は、物質(素粒子)に作用するという話は、定着しているけど、
独自の意識が、精密な物質の回路の中に発生したということは、まったく別次元の話。

これは、唯物論と観念論(唯心論)との間に、
大きな架け橋が作られたことになる。
もっとも現代では、唯物論自体が、それこそ「物語」になってしまったが。

フェイク・ニュースや、トンデモ情報ではなくて、事実だとするならば、
専門家(科学者と哲学者が対峙したかたちで、もしくは、最近はやりの脳科学者、あるいは言語学者)に
この「機械の中の幽霊」現象を、具体的に、説明していただきたいんですけどね。


               *

【スペースXやテスラの創立者イーロン・マスク氏はツイッターに、
北朝鮮との緊張エスカレートよりも人工知能(AI)のことを懸念するべきだと書き込んだ。】
https://jp.sputniknews.com/science/201708133985148/


>マスク氏は3月、植え込み型インプラントを用いて脳とAIを融合させる新会社Neuralinkを
立ち上げた。
マスク氏は、これがAIをコントロールする手段の1つになると期待している。


■へーえ、
来るべきAIの独裁体制に対抗し、人類が主体性を奪われないようにするために、
「脳とAIを融合させる」んですと?

こっちも、またまた、胡散臭いなあ~。
あんたら、じつは……"同根"なんじゃないの?
かつてのISISと、米・英・イスラエル軍産複合体の関係、なんじゃないの?
コンピュータ・ウイルスと、セキュリティ・ソフト製作会社の関係、なんじゃないの?



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

≪追伸≫

ああ、そうだ。
チョムスキーがいる!

http://ch.nicovideo.jp/kotaku/blomaga/ar438570


 
 

文学のトポス

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 9月29日(金)16時25分17秒
編集済
     野口さんご家族からの投稿を群系仕様に打って、また雨情の年譜コピーなども添えて、初校ともにお送りしました。  ご文によれば、野口存彌さんは、九人兄妹の真ん中だったそうだ。上に姉四人、下に妹四人、の女系家族だったそうな。母上・つるさんも、いつも身重だったことになる(でもそんなことは当時はふつうだった。自分の父の兄弟も多かった)。でもいずれにしても、ご文には、別に系図などもあったらいいなと思ったので、存彌さん作成の年譜コピーも同封したのだった。
   三鷹の太宰治特別展示の方も連絡があり、これからその都度、依頼がくるそうだ。
    菊田義孝(1916-2002)、野口存彌(1931-2015)、という文学的同士のことが脚光を浴びることになり、お二人の側用人のような位置にいた小生にとって、うれしいことではある。

    お二人を先生と仮によべば、当方にはあと二人先生がいた。森安理文(1915-2003)氏と、葉山修平(1930-2016)氏である。群系同人にもゆかりがあるし、新規の人にも知ってもらいたいので、以下書いてみる。
   森安先生は、同人誌「みとす」の代表であり、群系同人の土倉さんや星野光徳、野寄勉らも中心同人だった。創立運営されていた芸術至上主義学会(当時は研究会)にも、積極的に参加させられ(時には発表しー芥川「玄鶴山房」論)、市川の先生居宅には、金曜日夜には多くの弟子があつまって、やれ谷崎やら荷風やら川端やら、の作品研究会を夜を徹して議論し合った(居宅は昔の農家を多少改造したもので、古く傷みはあったが広くはあった)。資料レポーターと発表者を二人設けてもので、本格的だった。朝方には皆でカレーライスを食べたものだった(中にはそれから勤務にゆくものも。当時皆わかく、教員やらバイトやら仕事先があった)。この森安塾の思い出はそのうち土倉さんの方からお願いしたいですね。
    主な研究対象は文字通り芸術至上的な文学者であったが、戦争中飛行機乗りであった森安先生は、戦争とその文学には心中期するところがあって、弟子たちに指令して出来たのが、「戦争文学研究会」であり、そこには、星野、永野が幹事として参画した(八〇年代に二回、数人の参加者でそれぞれ三年くらいに渡って隔月の例会をもった。前半の座長は読売新聞記者の有山大五氏、後半の座長は後の武道大学教授の大森盛和氏であった)。研究の成果の一半は、『近代戦争文学』(国書刊行会刊)にまとめられた(巻末の資料は国会図書館に通って作成した)。当時購入した、集英社版の『戦争文学全集』全16巻、はまだまだ読んでないのもあり、出番待ちである。
   葉山修平氏は、当方の母校、千葉大学国文科の先輩であり(それも新制大学の初回卒業生)、当方在学当時の70年代から、千葉大学国文学会創設のこともあって、よく大学にきて我々に文学を鼓吹した。どちらかというと、研究よりも創作中心の葉山グループであったが、読売文化センターなどの小説教室を首都圏のあちこちに作って、その教え子の数は森安塾に肩を並べる以上であったか。葉山氏は千葉大卒後後、東京大学院生となり、その縁で室生犀星と知り合い、その愛顧を被った縁で、後に「室生犀星学会」を創設する。同窓生やその他葉山氏が教員を務めていた開成高校の教え子などが参画したが、当方は一度発表をしたきりであった(犀星「抒情小曲集」について)。ま、戦争文学研究もあって、森安氏のほうについたかたちだった。
    だが、そのうち、当方周辺で読書会をやり出し(昭和60年ごろ。葦の会)、それが「群系」の創刊につながった(昭和63年)。いま衆院解散で新党ブームであるが、この新同人誌は長く続き、来年創刊三〇周年を迎える。お二人の反応は両極端に分かれた。森安先生は新規の同人誌に嫉妬?を持たれ、俺にも書かせてくれ、と依頼があって掲出した(第4号)。逆に葉山氏は徹底して無視の態度をとり、共通の印刷出版社の龍書房で鉢あっても、挨拶を返してくれないことがママあった(目に入らなかったのかな)。ま、それだけ、ご自分の文学に執心されていたのでしょう。むろん、当職はそんなことは意にもかいしませんが。

   四人の文学の先生の人柄、ご業績はそれぞれでありますが、小生は、長く一緒に同人誌をやり、ともに軽井沢の堀辰雄文学館に同人と行ったり、伊豆の別荘に安宅先生を乗せて弟の運転で行き、ともに大室山にのぼったこともある、野口存彌氏を、その文学者の対象も同じうするし、何よりその文学への姿勢、生き方に共感するもので、ぜひこの方の文学的なお仕事を継承したいと思っているものです。ほんとに、いまの時勢にあって氏のような立派な方はほかにいるでしょうか。こういう尊敬できる人に会えたのは、大いなる財産だとおもいます。

    下のリンクは「菊田義孝氏の思い出」より(群系HP)。森安理文氏、野口存彌氏も見える。

http://gunnkei.sakura.ne.jp/99_blank078.html

 

たぶん……。

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 9月28日(木)08時15分29秒
編集済
  決して平常運転ではない永野さんの
自分自身への鼓舞、叱咤、激励のニュアンスも、含んでいるのだと思いますよ。



 

鎌田さんへ

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 9月28日(木)05時54分53秒
編集済
  永野さんと鎌田さんのやりとり―本来は個人同士のメール―原稿依頼と辞退のやりとりを拝見しました。

わたしは”日本文学史”に関する書物を、わざわざ買って読む気はしません。と言いますのも、「群系」同人の批評文で学べるからです。名だたる古典作家に関しての諸氏の知識にははるかに及ばない。「群系」№38にはずらりと揃った日本近代文学の始源に関わる、と言うのか基礎となった作家の論考があり、わたしはなるほどな、と読んでいました。
(いま関心があるのは宮沢賢治ですが、「春の修羅」に挑みましたが歯が立ちません。いつか同人の論考に教えられることを期待しています。)

鎌田さんは「掲示板」にいろいろと興味深い投稿をされています。永野さんの依頼した「清沢満之」はわたしは全く知らない人物ですが、どうして永野さんが鎌田さんを指名したのかは知りませんが、群系紙面にまとまった鎌田さんの論考を読みたい気持ちがわたしにはあります。でもしかし、あと一カ月で書くというのは準備の面もありますから「無理です」と言われるのはもっともなこと。

鎌田さんの健康状況に無頓着で永野さんが依頼しているのではないことを理解されてはどうでしょう?。永野さんご自身も健康面はガタガタに近いですし・・・そんなことを言いだすと皆ガタガタかもしれない。わたしもガタガタです。(白内障手術も二回したし、慢性肝炎、腰痛、耳鳴り、蓄膿症、皮膚炎などなど)。

すっかり秋模様の日常です。旅立つ前に、紅葉色の空気を思い切り吸いこんでください。
 

太宰治没後七〇年

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 9月27日(水)22時59分44秒
編集済
     本日、三鷹市の文化財団からお手紙がきていました。太宰治文学サロンの学芸員の方から、手書きのご案内が入っていました。それによると、来年は、太宰治没後七〇年だそうですね。それで、その命日を挟んだ期間、特別展を企画しているそうです。今回は、特に「太宰治のお弟子さんや友達にも焦点をあてたい」とのことで、それで用向きは、というと、本誌同人だった菊田義孝氏の資料を拝借したい、とのことでした。なんでも、群系ホームページをご覧になったとかいうことで、諾否のご返信を下さい、とのこと。むろん、否というわけはなく、喜んで提供します、という返事を出すつもりです。ご遺族(菊田さんの娘さん)とも連絡がとれているとのことでした。
http://mitaka-sportsandculture.or.jp/dazai/

   やはりホームページがあるといいですね。こういう余得にあずかれるのですから。
    しかし目下のところ、前のパソコン(Vista)がクラッシュして以来、今のパソコンにはなかなか不具合が頻発して、苦労しているのでした。

〉Windows10では、インターネットオプションがどこかいってしまったー。
   当方だけでなく、不満はあちこち聞こえています。
(実はメールも不具合で、各位の投稿の添付ファイルもダウンロードできませn!)
   もはやデスクトップ起動するのもうんざりで?、掲示板投稿ももっぱらiPadからです。
https://www.sakana.tech/entry/where-is-internet-option

 

清沢満之について、ぜひ次号に。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 9月27日(水)12時58分10秒
編集済
  鎌田さんへ
  何度かメールをしたのですが、全部エラーになってしまいました。公的な原稿募集ですので、掲示板に書きますね。

〉近代日本の思想を語るにあたって、忘れてならないのは、清沢満之かもしれませんね。内観を取り出した人。同じ頃(少し遅れて)西洋では現象学。大戦にまみれた狐ハイデガー(アーレントの言より)。

   前にもこの人に関しては触れていましたね。漱石にも影響を与えて、「こころ」のKのモデルにもなったとか。ぜひ、今回の特集《日本近代文学の展開》に参画されて、この人について、お寄せください。2~4pくらい。

   このところ、原稿募集のお願いを同人内外の方にも失礼を顧みず、出しています。同人の方などは懇ろなご返信をいただき、感謝しています。でも、外部の方などは、ご反応がない方もいらっしゃいます。いろいろご考慮のことと存じています。(なぜ出すか、というと、野口氏のも合わせてこうした特集は、ぜひ今やり遂げねば、と思うからです)。
   残念なのは体調が思わしくなく、と仰せの方です。命にかかわる現状ならともかく、少しの不調は書きたいことがあれば、頑張れると思うのです。同人で傘寿を超えた方もご投稿ですし、不肖当職も白内障手術を控え、左目は見えず、ようやく見える右目で何度もすかして活字を判断しています。脚のカテーテル手術も頑張ろうと思っています。24歳で腎臓病、33歳で腎不全・透析導入となって34年、今も節制しながら活動しています。自分がやらなければ、という使命感(そんな大げさではありませんが)、日々の動因です。
   土倉さんも、あんなひどい骨折、5時間もの手術を経ても、へこたれていないメッセージでしたね(ご連絡の電話も声が明るかった)。
  いま二葉亭の評伝をよんでましたが、困難な中、挑戦して、大陸、そしてロシアにゆきましたが、断然すばらしい挑戦でした。最後は、肺炎で49歳で亡くなってしまいましたが、彼の名は、近代史に燦然と輝いています。
 

土倉さんへ

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 9月27日(水)09時06分24秒
編集済
  今回の合評会は「創作を先にしましょう!」と提案してくれた土倉さんによって、出席者で一緒に昼食を摂りながら談論するというおみやげも付きました。(わたしはカレーオムレツを食べました。蛇足・・・)
創作の合評の場にも昼食の場にも土倉さんの姿のないことは実に寂しいものでした。なにせ、土倉さんは元気溌剌ですから。強力な照明灯です。

粉砕骨折ですか。痛そうだな。骨折は経験の有る無しにかかわらず、アッ、やったなと分かりますね。わたしも今年の始めに交差点内でおもいきり転倒しまして、とっさに「受け身」を取り掌を擦りむいただけで済みました。まだ運動神経の一部は作用しているようで、危なかったデス。

完全回復になるまで時間がかかるでしょうが、じっくり治療に専心してください。

※我が家のキキョウの赤ちゃんたちもスクスクと順調に育っています。
 

傘寿を過ぎたら。

 投稿者:狐の孫娘  投稿日:2017年 9月27日(水)01時24分8秒
  極私的情報――傘寿を超えた狐の孫娘は、今年前半、インフル・肺炎を、いずれも予防注射しているにもかかわらず、ドジなことに、ダブって発症。しかも、冬季と初夏と二度も発症、その都度、靖国神社に続く、某病院に夜間救急車にて収容され、各一か月呻吟せり。
この病院の某医師曰く、インフル・肺炎をダブって発症、予期せぬ床上生活するは不運なれども、当院の至近距離に「北朝鮮本部」あり、故にテポドン、水爆着装のロケットはここには飛来せず、安心して保養したまえ、と。

孫娘の連れ合いは、飯田橋から法政大学に向かう坂道の途中にある病院に「見舞い」に通う日々が続き、疲労からか急性胃潰瘍となり、中野のクリスチャン系病院に「緊急入院」。絶食、ついで点滴治療、重湯、お粥と進み、一か月強入院。

幸い両狐とも「帰穴」できしが、穴内中、室内・ベランダ・玄関・風呂場の混乱甚だしく、脚の踏み場どころか、大切な「友人・知人たちへのマル秘振込先までも記入の連絡簿・図書館から借用の書物等」までが大量の本、雑誌、新聞等の下に沈没。噴火後の御嶽山山上界隈以上の様相を呈し、この発掘・発見・探索・整理は、今もって続き居り。

今夜、群系掲示板を開いてみるに、これはしたり、狐一家と同類項の人たち多し。

ぜひ、心して各々方「すり足歩行」にて当面過ごされたし。

 そこで、T.S.エリオット「荒地」からの悪魔払いの呪文を以下に。

 シャンテイ、シャンテイ、ポール、ソハカ、ウンケンボサツーー     以上。
?
 

痛そうですね

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 9月26日(火)22時32分57秒
  「右手上腕粉砕骨折」。
名前からして、痛そうです。

合評会は、いつもより長めに時間をとったはずなのに、
意外に、十分には論じつくせなかった感。
「文学」とは何かの共有感覚が、いまだに得られない。
ま、そんなもの、ハナからないのかも、しれませんがね。

~ムードメーカーにして、学級委員長の土倉さんの
一日も早い回復を、祈っております。



 

土倉様へ

 投稿者:間島康子  投稿日:2017年 9月26日(火)21時15分30秒
  今回の合評会、土倉さんにお会いするのを楽しみにしておりましたが、
骨折のため欠席とお聞きし、残念でした。心配しておりましたが、掲示板に
書いて下さるまでにおなりで、少し安心しました。
今回は、安宅さん、永野さん、澤田さん、草原さん、荻野さん、稲垣さん、
小野さん、近藤さんそして間島と、小ぢんまりとした合評会でしたが、創作に
たっぷり時間をとることができ、改めて文学とは、文学作品とはというところにも
触れられたと感じました。
二次会はいつもの所で、赤穂さんも参加されました。

どうぞくれぐれもお大事になさってください。
 

『合評会も一期一会」

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2017年 9月26日(火)19時30分54秒
   思わぬ骨折から24日の群系合評会には欠席ということになり、残念無念!!「右手上腕粉砕骨折」。
 6日の夕暮れ、洗濯ものを取り込みに庭に出てテラスまで。そこに魔があり、錆びた物干しざおにけつまずく。右肩からどっと倒れ、右半身の衝撃のすごさ。「やってしまった」

 魔の時は快楽の前にあり。7日は「童謡の会」の開催日。明日集う面々の顔などを思い浮かべていたのだろう。一瞬、足が躍ったのだろうか・・・教訓!!何かある前の日は慎重に行動しよう。
 8日に入院。12日に手術。19日に退院。手術時間、5時間。「肺血栓」治療中の私なので、全身麻酔での手術は、かなりリスクがありと告げられる。手術中に「心不全」もあり。覚悟しての手術であった。

 合評会にはどなたが参加されたのか・・・様々な意見が飛び交い、まさに「知」の交歓。この日、この場でなくては交わされない会話が弾んでいる。(ああ~もうこの日は、二度とめぐってこないのだ)

 まだ、右手は上がらず、炊事もままにならない。それでも、左手を工夫して使い、何とか乗り切っている。

 みなさま、怪我などなさらぬようご用心なさいませ。
 

次号特集についてーその見込み

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 9月26日(火)07時29分12秒
編集済
     現在までの予定原稿としては、特集《日本近代文学の展開》では、島崎藤村、国木田独歩、夏目漱石、あるいは大正期から鈴木三重吉、さらには社会主義運動とともに、日本近代に胎動してきた国粋主義についての論考も上がってくる予定です。編集部としては、これらに加えて、徳田秋聲、田山花袋、そして大逆事件をめぐる動向について書いていただける方がいれば、と思っています。

   《野口存彌と日本近代文学》では、「群系」に掲出の、漱石(25号)、鴎外(31号)、芥川(32号)、さらには佐藤春夫(26号)については、それぞれ担当も決まって、紹介批評してゆく次第になっています。さらに、野口さんのご著作からは、例えば、明治期の詩人、あるいは宗教家、思想家、児童文学者などを紹介していただければ、と思っています。


   小誌「群系」は、目下、他に類例を見ない誌面作りをしています。先に富士正晴大賞をいただいたように、本誌は質的にも良質で、それゆえいまの時代を撃つ性格をもってきています。が財政面は(先の合評会で報告しましたが)決して余裕があるわけではありません(会費振込も従前より少なくなっています)。これから呼びかけなどもしてゆきたいですが、とにかくこの雑誌の火を消さぬよう、各位のいろいろな面でのご協力をお願いしたいと思います。

 

群系39号特集アピール

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 9月26日(火)06時57分9秒
     以下、特集のアピールも再度アップしておきますね。

   本誌のこのところの特集は、募集要項にも記した通り、以下のようなテーマ・内容となっている。

   第1期   日本近代文学の始原   明治初期~45年まで         38号
   第2期   日本近代文学の展開    明治期~大正11年まで      39号
   第3期   日本近代文学の転換    大正12~昭和8年年まで  40号   予定
   第4期   日本近代文学の崩壊   昭和8年~20年敗戦      41号    予定
    第5期   日本近代文学の再編  昭和戦後                           42号     未定

   従来の文学史は、明治大正など、元号によって区分されたものが多かった。これは簡便で便宜的ではあったが、やはり前代と質が異なって来たところは、それなりの分節点を設けるほうがいいのではないか、との立場から最低限の、分節点を設けてみた。第2期の下限を大正11年としたのは、翌年に関東大震災という未曾有の災害が起こったからである。これにより帝都や近隣都市は壊滅的な打撃を受けた。輪転機も紙の配給も打撃を受けた(この被害状況については、本誌28号「震災・戦争と文学」に詳しい分析がある)。これらは、前代とは異なる質のもので、「転換」というべきだろう。
    単に社会的に壊滅を受けただけでなく、震災後にそこから復興がなされると同時に、街は近代化、都市化が計られ、映画や劇場、ラジオ放送の開始、レコードが普及されるようになった。いままでなかった都市文化が作られ、文学もそれに倣ってモダニズムということが言われた。横光・川端らの「文芸時代」の刊行、また都市の労働者のための労働運動、プロレタリア文学運動は、この頃から昭和3年頃には最盛期を迎えた。
    だがそのプロレタリア運動も内部と外部の影響で終焉を迎える。昭和6年の満州事変、翌7年の満州国の創設、国際連盟脱退の流れの中で、昭和8年小林多喜二は虐殺され、党中央の獄中転向声明が出され、ここに状況に対する組織的抵抗は終わった。
    それ以降、昭和10年代は文芸復興などが言われたが、保田與重郎らの新浪漫派、あるいは思想界では京都学派を中心とした「近代の超克」の議論が交わされた(これらも、33号に、詳しい論考がある)。そして、昭和12年の支那事変勃発とともに、マスコミ・文壇は、多くの戦場特派員、作家の派遣をしていった。その中で、昭和14年の日中戦争膠着のなかで、文藝春秋社は、陸海軍そろって、14名の作家の派遣を決めた。いわゆるペン部隊である。その内容はさまざまであるが、文壇がこぞって戦争協力にはしった点で、もはや「崩壊」の名に値しよう。戦争文学が独立した文芸ジャンルとして認められるか、議論はあろうが、少なくとも戦前戦中は、抵抗文学はなかった点で、問題は戦後にゆだねられよう。

                               ◯

   さて、以上のアウトラインは了解されるとして、前回とどのように違った視点、取り組みが出来るか、これが問題である。いくつかの視点が挙げられようが、第1期の特集に見られたこと、そこから敷衍されることを考えてみたい。
    いくつか、ここで整理してみると、明治初期に現れた自由主義・浪漫主義・啓蒙主義の、その後の展開はどうなったか、である。北村透谷・島崎藤村らの「文学界」の内実はどんなものだったのか(これは残念ながら、38号に論考はなかった)。福澤諭吉らの啓蒙主義、中江兆民らの自由主義はどうなったか。福澤の活動でいま思いみるのは、朝鮮独立に塾生を派遣・支援したことである。このことの是非もふくめて、現在の朝鮮半島も思い返すと、独自な視点が生まれたかもしれない。兆民の自由主義、幸福論は、幸徳秋水という最大の継承者を得ていたが、結果は官憲の弾圧で頓挫した。しかし秋水らの視点はわが近代の希望でなくてはならない。大逆事件後の「冬の時代」、しかしその中で堺古川、利彦の売文社の活動は近年喧伝されるようになった。
   この大逆事件が、文壇・思想界に与えた影響は、これを考察することは、いま重ねて重要であろう。そのなかで、事件を取り巻く文学者が今更思われるが、鴎外の行動と立場は重い。また、事件にかなり近くにいた佐藤春夫は、この際考究する価値があろう(この点については、今は亡き同人・野口存彌に、貴重な論考がある。「佐藤春夫ー大逆事件から遠く離れて」・26号)。

   当職には、大逆事件の弾圧後の「冬の時代」というものが気になる。官憲の凄まじい弾圧後、社会主義運動が萎えてしまった時期(明治末期から大正5年頃まで)をいうが、果たして、まったく雌伏を余儀なくされたのか(この点でも野口氏の論考はやはり気になる。雨情が社会主義詩人として出発したというなら、その周囲にはどんな人物がいたのか)。また、後のプロレタリア運動は、この冬の時代をどのような反省として捉えていたのか。

    思想的・政治的な問題にかたよりすぎたかもしれない。もう一つ、この時代にぜひ考究してみたい、問題がある。それは文学の表現の問題だ。明治初期の講談から、言文一致、口語体表現の模索を説いた草原克芳氏の論考は実に示唆的であった。その後の言文一致は、口語体文学の確立までの道程は、今回特集でぜひ、どなたでも挑戦していただけたらと思う。焦点となる二葉亭のその後は欠かすことができない。紅葉・山田美妙なども大事だが、世の文学史の教科書などは、やれ「だ」調であるとか、「です」調であるとか、目に見える文末表現を云々しているに過ぎない。もっとその言文一致調と、その文学・思想内容にふれたものはないか。たとえば、自由主義、個人の自由をいった透谷や幸徳秋水は、その文章は漢文書き下し体だったという事実がある。単純に言文一致の文章に触れなかったという面もあろうが、泰西の文学、思想に触れていく中で、漢文書き下しに違和はなったのか(その点、田山花袋は泰西の文学にほれるなかで、星星派といわれる叙情的な文体を手に入れた)。当代を代表した国木田独歩も、この文体表現という点ではどうなのか、さらに大正昭和まで活動を続けた島崎藤村、泉鏡花なども、その文体の変化・変容があれば言及していただきたい。また、案外従軍記者の文体は当時しては、口語表現に近かったという指摘もある。

    美文というものがある。これが中古に由来する優雅な文体であるのならそれは否定すべきものでもないだろう(鴎外や一葉の擬古文の、「古」とはやはり王朝時代をさそう)。手紙すら擬古文で書かれた我が国特有の事情があるから、いちがいに、この擬古文、それに比される言文一致(口語)の、一長一短を論ずるべきでもないかもしれない。
     まとまりにくい論調になってきたが、明治大正期は、新聞雑誌すらも、幾分擬古文調であったことは、文体、近代日本文学の表現を考えるのに、いままであまりに等閑視されてきたのではないか。


    長くなりましたが、一つの視点、取り組み方、ということでご了承下さい。


     なお、同人・野口氏の業績に関しては、「野口存彌と日本近代文学」、という表題で、本編の特集に付するかたちで、論考募集、掲出してきます。こちらは、野口氏の論点、捉え方を紹介する中で、従来の近代文学研究になかった視点を紹介できればすばらしいと思われます。対象となる、文学、作家・詩人は野口氏の「群系」既刊号論文、ご著作などから、お選びください。このうち、既刊号収載の鴎外( 31号)、漱石(25号)、芥川(32号)、そして佐藤春夫(26号)については、今回の特集でぜひ論じてもらいたいところで、近日、各位にご投稿のおうかがいを個別に出しますので、よろしくご留意いただければ、と思います。
なお、この野口氏の特集も、本編特集に連動、扱った作家・詩人の時代順に分けて、原稿募集・掲出してゆく予定です(例えば野口氏考究の、梶井基次郎、宮澤賢治は第3期、太宰治は第4期に属する形となります)。
   また、野口雨情自体の論考も以前は自由論考あつかいでしたが、今回は、この「日本近代文学」特集に併催するものといたします。


   このアピールについてのご意見など、よろしくお願いします。
(編集部でお伺いをして、内部で調整してから発表の予定でしたが、もう九月にはいり時間的におしているので、ご了解ください)。
 

野口存彌氏の研究、そのお仕事について (再掲出)

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 9月26日(火)06時52分50秒
    合評会も終わって、次はいよいよ次号についてです。特集についての呼びかけを繰り返し致しますね。特集は《日本近代文学の展開》ですが、明治大正期のこれだという作家・詩人について、何か書きませんか。掲示板に前に書いたものを、今一度掲出します。とりあえず、特集に併載する、《野口存彌と近代日本文学》ですが、野口さんのお仕事を、以下、あげておきます。

   野口存彌氏が書いてきたものは、どういうものか、「群系」既刊号と、文学研究の単行本からわかるかぎりで示してみようと思います。

「群系」既刊号 投稿内容  収載号
野口存彌 創作 顔蒼ざめて          1
野口存彌 創作 異形の男           2
野口存彌 創作 異形の男(承前)        3
野口存彌 創作 正午を過ぎて          4
野口存彌 創作 チューリップが咲いて     5
野口存彌 創作 夕日が沈んで         6
野口存彌 創作 真夏の前           7
野口存彌 創作 モノローグ旅行        8
野口存彌 創作 夜が明けてから        10
野口存彌 「風と光と二十の私と」について ―坂口安吾を読む・第一回―   11
野口存彌 「いずこへ」について ―坂口安吾を読む・第二回        12
野口存彌 創作 長い夕暮れ            13
野口存彌 創作 (児玉)花外の悲しみ、母の悲しみ        14
野口存彌 「城のある町にて」 ―子供を見る青年―         15
野口存彌 堀辰雄―「麦藁帽子」の背景              16
野口存彌 特集芥川賞 二一回(一九四九上半期)由起しげ子「本の話」 17
野口存彌 堀辰雄 ―幼年時の問題―               17
野口存彌 藤枝静男 その男性性 ―「ヤゴの分際」を読む―     18
野口存彌 特集「昭和文学」 武田泰淳・「審判」を原点にして    19
野口存彌 太宰治 健全な生活というアポリア-「黄金風景」から「津軽」「舌切雀」まで―  20
野口存彌 太宰治・罰せられるものとしての自己 ―「俗天使」から「斜陽」「人間失格」まで― 21
野口存彌 太宰治と菊田義孝 ―文学と宗教を問うー             22
野口存彌 「私」の好きな詩 蒲原有明・詩的完成という逆説         23
野口存彌 【新刊紹介】野口存彌著 『太宰治・現代文学の地平線』      23
野口存彌 大岡昇平―中原中也へのまなざし ―無垢と邪悪と          24
野口存彌 特集Ⅰ夏目漱石  家族という他者と漱石
          ―「道草」と『漱石の思ひ出』から浮かび上がるもの―   25
野口存彌 特集 大逆事件と文学 佐藤春夫 ―大逆事件から遠く離れて―      26
野口存彌 野間宏「顔の中の赤い月」の背後に ―戦争の経験をどう受けとめたのか  27
野口存彌 特集 『戦争×文学』を読む 川上宗薫「残存者」 穂田川洋山      28
野口存彌 大田洋子と原子爆弾 ―人間の不幸へ注ぐまなざし      28
野口存彌 森茉莉のいる部屋 -鴎外・山田珠樹・森類         29
野口存彌 佐多稲子・その生きるという経験             30
野口存彌 森鴎外・小説の問題 -「舞姫」まで、「舞姫」以後-    31
野口存彌 芥川龍之介・芸術の光、人生の闇             32
野口存彌 優美なものを求めて-軍歌のかげのひそやかな調べ     32
野口存彌 特集 昭和戦前・戦中の文学  坂口安吾・廃墟への意志   33

 第10号までは、本誌には創作が主な投稿ジャンルでしたが、11号からは、研究論文が中心になりました。ほとんど毎号欠かさずに投稿、それも20ページ以上のものが多かったです。中には、本誌特集の求めに
応じて、二つの原稿を出されているのも少なくないようです・



 ご著作については、その数が多いのと、そこからどういう作家・詩人を対象としているのかつかむのは難しいのですが、とりあえず、文学研究のご本から、その目次をあげてみました。ご本は、雨情全集など、編集・共著も含めるといろいろありますが(それらの【解題】は37号にあります)、とりあえず目につくものをあげてみました。

『父野口雨情 ー青春と詩への旅ー』筑波書林
「父 野口雨情と利根川」「父 野口雨情と童謡の時代」「初期作品・新資料について」
「初期おとぎ話群の発見」「明治四十年前後」「『沖の島根』の発見」「初期詩篇六編」
「父野口雨情点描」巻末に年表

『野口雨情 詩と人と時代』 未來社
   Ⅰ
1可憐なるものの死と孤児と―児玉花外と野口雨情 (『枯れすすき』第7号 昭和55年4月)
2同時代の知友たちの足跡―鷹見久太郎と鈴木善太郎と(『枯れすすき』 第8号 昭和55年10月)
3民謡・口語詩・象徴詩―野口雨情と上田敏のあいだ(『枯れすすき』第9号 昭和56年4月)
4山上の人―中村有楽の生涯をめぐって(『枯れすすき』第10号 昭和56年10月)
5明治の奔流のなかで―社会主義運動をめぐる一断(『枯れすすき』第11号 昭和57年4月)
6救済者としての子供―童謡への出発(『枯れすすき』第12号 昭和57年10月)
   Ⅱ
樹木の多い庭―父野口雨情の晩年小景 (『柿の葉』第37号 昭和56年4月)
父野口雨情について(『児童文芸』昭和57年9月臨時増刊号)
街路樹のある道(『早稲田大学仏文科クラス会記念文集』昭和55年7月)
樹々の音楽 (『眼』第8号 昭和55年9月)


『大正児童文学―近代日本の青い窓』踏青社
Ⅰ 編集サイドよりみた大正児童文学
鈴木三重吉と『赤い鳥』/「蜘蛛の糸」と「一房の葡萄」/宮沢賢治の童話/北原白秋の童謡/
宇野浩二の童話/沖野岩三郎/大正の終わり、昭和へー
Ⅱ 大正児童文学の探索
坪田譲治と加藤一夫/編集者小野浩についての覚書―「赤い鳥」の知られざる功労者/
内藤鋠策と童謡雑誌『たんぽぽ』
Ⅲ 野口雨情 検討と追憶
「七つの子」観賞/「シャボン玉」観賞/父の印象/父が用いた筆と眼鏡/言葉の背後にあるものー父雨情をめぐって/明治三十年代から四十年代へー証言と新資料による/『定本 野口雨情』に寄せて/<枯れすすき>への道程
あとがき

『文学の遠近法』  武蔵野書房
Ⅰ 中里介山・その文学の原点/森鷗外「大塩平八郎」を読む/平出修・英知の人の感性/
『太陽』・『文章世界』に見る平出修/沖野岩三郎と平出修/沖野岩三郎と大逆事件/
沖野岩三郎と内村鑑三/軽井沢と沖野岩三郎/沖野岩三郎と加藤一夫/
加藤一夫と独歩の『欺かざるの記』をめぐって/加藤一夫『トルストイ人道主義』について/
野口雨情と北方の海、大地/野口雨情の童謡/よみがえった短歌世界―『内藤鋠策 人と作品』を刊行して
Ⅱ 宮沢賢治を考える/梶井基次郎・子供を見る青年
―「城のある町にて」試解―/葛巻義敏と坂口安吾/坂口安吾・『言葉』創刊の前後/坂口安吾について/
坂口安吾著『白痴』/坂口安吾「いずこへ」を読む/堀辰雄―「麦藁帽子」の背景/
堀辰雄―幼年時の問題 あとがき 初出一覧

『詩的近代の生成 明治の詩と詩人たち』 踏青社
「花薔薇」からの始まり/『枯れすすき』第二三号(平成12年10月)
国木田独歩・「山林に自由存す」の成立/『枯れすすき』第二四号(平成13年10月)
島崎藤村・『若菜集』への道程/『武蔵野大学文学部紀要』第六号(平成17年3月)、
同七号(平成18年3月)
上田敏・その人間像を求めて/『平出修研究』第38集(平成18年6月)
永井荷風・言葉の音楽/『枯れすすき』第二二号(平成10年10月)
川路柳虹・最初の口語自由詩を書くまで/『武蔵野女子大学文学部紀要』第二号(平成13年2月)、
同三号(平成14年3月)、同四号(平成15年3月)、『武蔵野大学文学部紀要』第五号(平成16年3月)


 先の「群系」で論じた作家などには、漱石・鴎外、芥川や佐藤春夫など、有名な作家も目につきましたが、こちらご著では一見して、そうでない人たちも目立ち、野口氏の扱った文学者のある傾向性がみられることでありましょう。
 以上は、目次から、どういう作家・詩人が扱われているか、眼につくものをあげたまでで、むろん他のご著に扱われている文学者は、そうしたご本に直接あたるしかなないでしょう。畢生の大著『沖野岩三郎』には、それこそ明治大正期の思想群像が相当あげられたいましょう。でも現在編集部でそれをあげるのは手にあまることなので、各位のお力におまかせしたいです。、

 さて、これらを元に、次号で、野口存彌氏と明治大正文学、といった特集を組みたい。むろん、野口氏のこれらと関係なく、明治大正文学を扱うことになっているのは、この板で開陳してきた通りです。
 

脚のMRI検査やりました。

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 9月25日(月)18時25分23秒
編集済
     今日は夕方4時からMRI検査。今回は、脚の動脈のつまり具合を診る。石灰化やアテロームなどつまりがあると、カテーテルを挿入して、その部分を除去する。透析室のABI検査で多少のつまりみたいなものが所見されたので、今回の精密検査となった。カテーテルは以前にも心臓の冠動脈、頸動脈と入れて施術してもらったことがある。当方の場合は、狭隘部にステントを入れて拡げるのではなく、ローターで石灰部分を削り取る方法だった。削り取ったCaはミクロン単位に小さいのでそのまま血流に流し込んだことだった。施術のドクターいわく、「120%、いい!」ということで、もう七年くらいになるが、以来問題はない。
   今回は脚の部分なので、気持ち的にもラクである。血流がわるいせいか、歩行がしんどく、特にバスから降りる際のステップに足を置くのも転んでしまわないか、不安であった。施術して軽快になれば、こんな福音はない。しかし、あいかわらず、MRIはうるさい音と、なんせ小一時間、体位が束縛されるので、それがつらかった。いま女子医大近くの喫茶店でこれを綴っているが、やれやれというところです。
 

本日の業務をご連絡

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 9月24日(日)09時59分17秒
編集済
     今日の合評会は11時からですが、12時半に終わった後、1時間の休憩です。昼食のレストランが7階にあってハンバーグなどありますが、駅のコンビニで何か買ってこられてもいいですね。夕方の飲み会は5時からですので、飲物だけでは持たない方は、おにぎりやサンドイッチなど、いかが。
  午後は1時半からですが、その10分ほど前に、前号の会計報告を簡単にさせていただきますね。その後、特集の箇所、3時に15分休憩をとって、4時半まで、残りの箇所をやります。
   最近、小生は人の集まるところに、iPadを持参し、カメラ撮影する、という習慣ができてしまいました。写真と動画ですね。合評会は和室で、しかもコの字型に囲んですわるので、iPadカメラは定点一箇所に固定というわけにはいきませんね。ま、ずっと回しているわけではありませんが、

https://www.youtube.com/watch?v=Tt1nX3PS-Ec

 

葦の会の頃

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 9月23日(土)22時44分56秒
  発端は1984年だったと思います。何度か「みとす」を頂いたことを覚えています。
1988年でしたっけ、永野さんに誘われて、野口先生の出版記念会に参加。それからは仕事が忙しくなり、ずっとご無沙汰していました。

再会のきっかけ?省略ということで(苦笑)

追記:見苦しい投稿が続きましたから、勝手ながら、一部削除させていただきました。
 

明日は合評会

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 9月23日(土)14時02分48秒
編集済
     明日は合評会ですが、振り返れば、当職は三〇年間、欠席したことがない。群系創刊前の葦の会の二ヶ月ごとの読書会もそうだった。1985年からだから、三十二年にはなろうか。ま、主催者だし、自分の都合のいい日に決めているのだから当然ですが。
   欠席しないのは悪いことではないですが、それによって、貴重な会合を見逃したこともあります。もう三〇年以上もまえですが、中学校の同窓会に行けませんでした。それは葦の会の読書会で、その日のレポーターは誰あろう、当掲示板常連の鎌田さんでした。当時東京大学の現役医学生で、担当されたご本は「力動精神医学」というご専門のたいへんなご本でした。
   この読書会の記録を活字に残そうということで出されたのが「群系」などのなわけで、大事なステップだったと思います。
   あれから、ん十年、読書会参加者、初期の同人もそれぞれ散りじりのなか、どういうわけか、再会出来た人もありました。鎌田さんはその初期の最たる人で、ともにインターネットをやっていなければ、こうした遭遇はなかったことでせう。
 

明治という時代の乱気流

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 9月22日(金)10時36分7秒
編集済
     次号の特集の輪郭を形成すべく、各位にご投稿・ご執筆をお願いしている。明治という新しい時代には、庶民も指導者も、いろいろな戸惑い、試行錯誤があったようだ。西南の役を始め、各地で起こった不平武士の内乱はそれらの現れであろう。しかし、西方東漸・文明開化の時代にあっては、早急に国家の成立・独立を成すことは焦眉の課題だった。欧米視察を終えた岩倉具視らの使節団は、すぐ国家の枢要につき国家建立にあたる。ここにおいて、大久保や木戸らがどんな方向、政策でいたのか、不運にも早世して残念だったが、ともかく、条約改正など大事をのちの課題にして、1889年(明治22年)、大日本帝国憲法の発布をみる。
   しかし、こうした国家の出発を前に、上へ下への擾乱がすさまじかったのは、新聞条例、讒謗律などが立て続けに出されたのでも推察される。そのなかで今さら注目されるのは、福澤など明六社の開明派以上に、国士・右派の動きである。徳富蘇峰は「国民の友」、三宅雪嶺は「日本人」を出し、国家の危急に行動を起こした。また、日清・日露の戦役前後には、黒龍会や玄洋社といった結社が作られた。漱石の「それから」、さらには、「明暗」でも、衣食に困った青年が、「大陸でも行って一旗あげたい」などの話があった。今日からすれば、他国への容喙、食指などあってはならぬ話だが、当時は半島や、大陸でも満州などはもはや内国のように思われていたのではないか(実際、日韓併合は、植民政策というより、朝鮮人保護、半島保全、という内国政策の感じではなかったか)。
   当時の右翼は憂国の国士といわれた。私利私欲ではない、国家百年の大義の元に企図行動されたのではないか。そして、案外国民も彼らに同調期待するところではなかったか。日露戦後のポーツマス条約に不満の分子の日比谷焼き討ち事件は、国民の愛国的水位がきっ線を超えたからであり、こうした国民のナショナリズムの高まりは、独歩「号外」における酒場の一男爵の内心言動にも現れている(ま、このシンからの浪漫主義者が、国家主義にかられるのは、本人が日露戦争中、初めての戦争グラビア誌を出してやんやの喝采を受けていたからでもあろう)。
    ともかく、明治の乱気流は、とりあえず、明治43年の大逆事件で逼塞事態を迎える。いわゆる「冬の次第」は、こうした官憲の強圧に左翼が明治末から大正の5年までくらいのあいだ、まったくの沈黙を強いられたことをいうが、左翼だけでなく、多くの国士もそうだったのではないか(これは年譜などで徴する要があるが).
    前世紀から第一次大戦ころまでは、歴史学では国民国家の時代といわれる。列強が揃ってきて、国民国家が醸成されてきたことをいうのだろうが、その頃の国民の意識、水位が奈辺にあったのか、これを知らないでは、特集《日本近代文学の展開》も片手落ちだろう。如上の、右翼・国士らの動きについても、ご投稿があれば、と思う(一部同人に依頼はしたが)。
 

「バイキング」の面白さ

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 9月22日(金)00時15分5秒
編集済
     テレビを点けてもおもしろいことはないですね。音楽番組では、ロックだかなんだか大音響で喚いているし、トーク番組ではマツコデラックスが相変わらず、女言葉と、「てめえ、このー」という怒鳴り言葉を使っている(こいつはまだ人気あるのか。もういい加減あのデブ巨体には食傷しているのだが)。また東京MXテレビというのは、毎回お子様相手だか、マンガ・アニメばっかりですね。
   ま、テレビに高尚なことは求めないが、おふざけも含めて、男女の痴話話も、提供の仕方にあると思う。
   その点、当職が最近面白いと思ってみているのは、お昼のフジテレビ、「バイキング」だ。前は、同時刻、TBSの「昼おび」をみていたが、変わってきた。ま、昼おびが、北朝鮮問題など時事ネタをしっかりやっているのに、バイキングでは、最近話題の女性ネタ、不倫ネタが多い。必ずしもそうした問題に積極的にチャンネルを合わせる人でなくても、この番組見ている人は多かろう。なぜか。それは、坂上忍の当意即妙、素早いMCぶりであり、それにあわせたパネラーの、これまた納得の話ぶりからである。パネラーも、特に文化人、というのではさらになく、IKKOだとか、アンガールズの田中や、誠くん、ブラックマヨネーズの吉田、である。せいぜいが東国原なのに、この番組は面白い。このお笑い芸人の、必ずしも第一線と限らなくとも、場を盛り上げる話術の巧みさ、か。いうまでもなく、MC坂上忍の存在はおおきい。
    面白いテレビ番組もあるものだ。
 

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