teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. パソコンクラッシュ(>_<)(6)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


モスラの歌の意味

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月11日(金)22時11分21秒
      モスラの歌の意味、やっとわかりました。
(ちなみに、本多猪四郎監督のご尊顔も拝せます)。
https://www.youtube.com/watch?v=NBfQkPj9e2g
 
 

そうです、モスラです。

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 8月11日(金)21時54分43秒
  なんというロマンチックな映画だったことでしょう!!。
哀愁味溢れる、小さな姫ぎみたちが助けを求める唄。♪
駆け付けるモスラ♪
最高でしたね。

しつこく…

https://youtu.be/-711ChssDik
 

インファント島

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 8月11日(金)21時19分30秒
編集済
  ザ・ピーナッツ。
大事な名曲が一曲、抜けてます。

https://www.youtube.com/watch?v=DfeC-w7SUbM


https://www.youtube.com/watch?v=SWwIIe3rxZ4
 

ザ・ピーナッツの最盛期

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月11日(金)13時51分29秒
編集済
  ザ・ピーナッツ の国民的ヒット曲

   可愛い花(デビュー曲)(1959年4月)
   情熱の花(1959年9月)
   悲しき16才(1960年4月)
   ふりむかないで(1962年3月)
   恋のバカンス(1963年4月)
   恋のフーガ(1967年8月)

   しかし、当時小学生から中学生になった頃の自分には、実は彼女らよりも圧倒的に好きだったのは坂本九でした。女の子なら恋や裸でキスは思春期にはずばり当たってたのでしょうが、晩生の男児は、まだ九ちゃんがよかったのでした。「上を向いて歩こう」だとか「見上げてごらん夜の星を」などは、騒ぐだけでなく孤独も感じつつあった当時の少年の心象にあってました。特にこの頭を上に向ける姿勢は、はにかみながらもそれでも下に目をおとすのではない、「涙がこぼれないように」のせいっぱいの意地はこころの中にフィットしてました。ほんとに、この「上向き」で歩く姿勢は、実に当時の国民的な態勢だったのかもしれません。
   が年端がゆくとともに、九ちゃんは目の前の関心から去って行きました。自分にも、グループサウンズやフォークシンガーがなじみとなり、よく口ずさむようになってました。(GSは特に好きでもなかったが、当時のヒット曲はよく覚えている。流行歌ならではのことか)。

    しかし、この連載文を綴っていると、本当にこころの内奥までに住み着いたのは、ザ・ピーナッツの歌、そしてそれらを歌っていた彼女らの姿であったのかとしみじみ感じています(ま、こんなものを書いているのですからね)。特に、冒頭に掲げたヒット曲ですね。

    やはり、これら国民的ヒット曲は、まず今一度聞いてもらうのが一番ですね。

   可愛い花(デビュー曲)(1959年4月)
http://www.uta-net.com/song/43128/

   情熱の花(1959年9月)
http://www.uta-net.com/movie/42986/

   悲しき16才(1960年4
http://www.uta-net.com/movie/39105/

   ふりむかないで(1962年3月)
http://www.uta-net.com/movie/4021/

   恋のバカンス(1963年4月)
http://www.uta-net.com/movie/1833/

    恋のフーガ(1967年8月)
http://www.uta-net.com/movie/1837/
 

のんびりボケッ

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 8月11日(金)12時58分41秒
  先月末、廃墟になっていたホームグラウンドの再整備を完了。
表紙となるホームページ、双方向の掲示板、独白用のブログ、この三本で十分。
FacebookとTwitterのアカウントは削除。いつの間にか使わなくなっていたから、潮時というもの。

きっかけは昨年秋の大歩危。写真を撮るのはいいが、どうやって写真を渡したものか。メモリカードにコピーして郵送とかいうのは面倒。消していたホームページを復活させれば大丈夫。

半年ボケッ。荒れたままのブログをどうしたものか。ログをチェック。廃止しても問題ないだろう。削除した上で新規再開。これで一段落。そして、のんびりボケッ。

書き急ぐことなど、特にない。それとなく眺めるのも楽しい。
 

酷暑、ひと休み。ヤレヤレ。

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 8月11日(金)11時55分59秒
編集済
  義母からもらったガーベラは、数日咲いていましたが突然葉っぱだけになってしまいました。アネモネのあの旺盛な力はないのかな、と思いながら毎日水をあげてましたが、葉が茂るだけで(こっちは旺盛)なんだかなー、と思いつつ。しかし、昨日ひとつの蕾が「鎌首をもたげるようにして」(見た目エイリアンに似てました)立ち上がっているのを発見。そして今朝、赤い花が。

諦めないで良かった。

そして旺盛な、という意味で、黄色いミニ薔薇はこの酷暑にめげずにほぼ毎日、最低一つは蕾を付けて咲いております。しかも数日前から蕾の数が増えているのです。なんというタフネス。

タイシタモンダ。ニンゲンノホウガ、ダメダナ。

そして二年前の朝顔から採れた種から―孫にあたります―毎朝「繚乱」、綺麗な色とりどりに咲いてくれています。毎朝の発見が楽しみ。すでに種も作られていて、さっそく蒔いてみました。

二期作か?

http://

 

盆と七夕の風景

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 8月11日(金)01時34分57秒
編集済
  夏の盛りは和霊大祭、そして七夕。笹を飾り、皆で提灯行列、夜の九時頃まで、それとなく賑やか。七夕が終わると次は盆。朝夕涼しくなり、夏の終わりが漂ってくる。昔からの風習で、初盆の家を一軒一軒回って盆踊り。踊り子は十七歳の女子(遠い対岸の踊り子は男子)。口説き歌と太鼓は若い衆。担い手がいなくなり、十年ほど前に終わりとなりました。

宗教事情は至って適当。実家と周辺は真宗、市内の多くは臨済宗、お殿さまは日蓮宗?お大師さまは同行二人、神さまたちはご安泰。神仏習合というより、昔からの風土に堆積した神仏同居といったところ。

学校の裏山はお伊勢山。藩政時代の塾から続いた小学校(小学校になったのは明治五年)は今年三月に閉校。
 

八月や六日九日十五日

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2017年 8月10日(木)05時06分55秒
   もう間もなくお盆です。六日の広島忌、九日の長崎忌、そうです、日航機墜落事故という大惨事もありました。
 南無阿弥陀仏・・・、南無妙法蓮華経・・・、天の愛する父よ、イエスよ、この八月の死者のためにお祈りください。人間は愚かで、何時の時代にあっても戦いを止めることができません。どうぞこの罪をお許しください。願わくば、この戦争に向かう心を改めて、愛に充ちた世界が訪れますよう私たちをお導きください。主とイエスと聖霊の御名によってアーメン。

 それぞれの信じる神に向かってお祈りする月です。

 八月や六日九日十五日  この俳句をかみしめています。

 『暮らしの手帳』で第2弾の「戦争体験の原稿」を募集しているようです。私が昭和十五年生まれで最後の戦争記憶のある世代になるかと思います。

 空襲警報で電車がとまり、電車から飛び降り、近くの防空壕に避難したこと。
 東京大空襲を母の故郷の空で見たこと。あの赤より赤い不気味。
 
 

フェイクには御用心

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 8月 9日(水)18時03分55秒
編集済
  皮疹にはステロイド軟膏。驚かれた人がいるかもしれません。

皮疹といっても原因はいろいろで、原因に応じた対処をしないと効果はありません。
多くの場合、ステロイドは必要ありませんが、他の薬剤では効果がないこともあります。適切に使っていれば、まず心配はないのでした。ステロイドは怖いなどという怪しげな情報モドキには、惑わされない方がいいでしょう。

がんを治療するということは、がん細胞を殲滅するということ、それが困難な場合はがん細胞の影響をできるだけ小さくすること、になります。代替治療に効果はありません。単純でわかりきったことなのですが、だからこそ騙されやすいところでもあるのでしょう。あるいは、騙してほしい願望にとりつかれやすいところなのかもしれません。

病を選ぶことはできませんし、経過を選ぶこともできません。自分を突き放し、冷静に判断していくこと、死ぬ可能性が小さくない場合は、死ぬという現実を見つめていくこと、そしてここから、などと言い出しそうになったら御用心というもの。これが正解とかいうのはないのではないかと思われます。それぞれがそれぞれであること、ここを大切にしていくことでしょうか。

それはともあれ、浮世ではフェイクが好まれているように見受けられます。御用心ではありますが、好まれる文脈を眺めていくのも面白いですね。
 

牛乳石鹸の時

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 8月 9日(水)16時47分17秒
編集済
  写真は二年前の夏に買った牛乳石鹸。愛用の赤箱。

二年前の秋、内科病棟に転棟となった時、毎日の入浴を勧められた。看護師さんからアドバイス。「ボディソープを使った方がいいですよ。」素直に従うのがよし。しばしの別れ。

一年前の春。半年振りに牛乳石鹸。さっぱりした洗後感がいい。
束の間の味わい。肌が突っ張る。痛いのか痒いのかわからない。気づくと、全身に皮疹。病気と治療の影響で皮膚が脆くなっていたみたい。こりゃいかん。ステロイド軟膏を塗って一息、今はまだ、ボディソープの時。

一昨日は恒例のツアー。血液検査。七月に受けたPET-CT画像を確認しながら診察。
正常例のサンプルをみているみたい。検査データは異常なし。
ところがどっこい。急に天候が変わると、両足が痛く痺れ、体がふらつく。左眼が乾き、皮疹がにぎやか。毎月の血液検査と三ヶ月に一回のMRI検査は、変わりなく続く。

旅に出ていたのかな?牛乳石鹸。戻ってきてくれるのかな?

さくらのバラード(「男はつらいよ」より)
https://www.youtube.com/watch?v=JUQZexaScIM

おっと。何を言っているのか、わからなくなってきた、この辺で一休み。

追記:勝手ながら、順序を入れ替えさせて頂きました。

 

昭和60年

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 8月 9日(水)16時22分31秒
  阪神タイガースが優勝した年でしたね。西武球場で日本シリーズの試合がある時、前の晩から池袋の地下道は阪神の応援団でごったがえしていたものでした。

後に知り合いとなる大学の一学年後輩からの話。日航123便で大阪に帰る予定だったが、乗り遅れてしまい、新幹線に変更したが、帰りの車中で123便が行方不明だと聞き、何とも言えない気分になってしまった、とのことでした。

九月には夏目雅子さんが死去。死因は急性骨髄性白血病。同い年。
縁のない病気だろうと思っていましたが、三十年後にはお隣さん。同病ではありませんが、類病。治療と療養の多くは共通します。「こっちに来るな」と言われそうですから、「ありがとう。もっとゆっくり娑婆を楽しんでいくことにするよ。」
 

日航123便に関する

 投稿者:坂井瑞穂  投稿日:2017年 8月 9日(水)15時21分34秒
  まず問題なのが圧力隔壁の大破です。結局安部譲二さんも書きませんでしたが、事故をひきおこす原因はどこにあったのか、横田か、百里かということです。このままでは坂本さんほか五百人はうかばれません。

 

御巣鷹山の日航機事故のこと

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 8月 9日(水)15時09分40秒
  もうずいぶんと昔のことになったんですね。あの事故機には、わたしが勤めていた会社の経済部長が乗りあわせていました。その部長は編集なのに気さくな人で、記者であるということをあまり押しつけない人柄。経済部のデスク(次長)が長く、ようやく念願の部長職についた年の不幸でした。記者手帳が見つかったものの、酷い状態の「そのひと」がそうであるかどうかの身元確認は、ようやく彼の通っていた歯科医院に残されていた歯のレントゲンで取れた記憶があります。手帳には家族への最後のメッセージが、ぶれる字体で書かれてあったそうです。
(当時よく使われた「ダッチロール」は、偶々、わたしの父が重篤な病床にいて、いつ死ぬかわからない不安な気持ちで、母と乗り合わせたタクシーのラジオで知りました。父も「ダッチロール」状態でした。)

不吉な寓意として思うに、あの機体番号、123便です。123の次は”4”・・・日本人が嫌う数字ですから、あのジャンボ機は”4”に向かってフライトしていたということなのか・・・という、忌まわしい空想が当時過った事でした。
 

坂本九 怪談

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 8月 9日(水)07時32分54秒
編集済
  ■先日のパーティーでは、最後のあたりで坂本九のCDを流そうかとも思っていたりしたのですが、
案外あわただしくて、ホテルの支配人みたいなダークスーツを着たおじさんに、
ていよく、追い出されてしまいました。

坂本九が亡くなったのは、1985年8月12日、
通称、御巣鷹山での日航機墜落事故ですが、
今年ももうすぐ、その日がやってきます。
いま聴いても、その歌唱力は、レベルが高く、当時の全米ビルボード連続三週トップというのも、
単なるキワモノではない歌手としての実力が、評価されたかと思われます。

https://www.youtube.com/watch?v=Ts5-ksL9OM0

               *


■ついでにWikiを調べていて、その坂本九の死には、
奇妙な都市伝説があるのを、知りました。
ちょっと、納涼感覚で~。

>坂本の遺体が発見された時間が墜落から99時間後、棺番号が333、司会を務めていたクイズクロス5は
99回放送、北海道で放送されていた福祉番組サンデー九は9年間務めあげ、偶然にも9という数字が重なっていた。

>また、後に、永六輔は滞在していた北海道から坂本の法事に向かおうとしたところ、偶然となりに座った女性の夫が
医師で坂本の検死をしたと打ち明けられ、坂本の法事に出席するまで鳥肌が止まらなかったと語っている。


>事故翌日の8月13日には、事前収録の坂本本人が出演する、フジテレビ『なるほど!ザ・ワールド』200回記念が
放送された。この時点では安否不明の状態であったため敢えて放送され、番組の最後ではブラックバックに
「坂本九さんの無事をお祈りします」というコメントが寄せられた。

>墜落から99時間後の16日、家族らによって遺体が確認された遺体は損傷が激しかったが、普段から身に着けていた笠間稲荷のペンダントが胸に突き刺さっていた事と首の太さが確認の決め手となった。
また、墜落現場では両手で足首を掴み頭を膝の中に入れる「安全姿勢」をとった状態で発見されており、
即死状態であったという。


■そもそも、「上を向いて歩こう」のヒットが、19歳だったのですね。
若い。


               *


■これ、なんで笠間稲荷だったかというと

>戦争中の1943年10月26日に発生した常磐線土浦駅列車衝突事故で川に転落し、多数の犠牲者を出した車両
に、疎開のために笠間に向かっていた坂本は母と乗り合わせていた。
ただ、事故の直前に他の車両に移っていたために遭難死を逃れる。
成長して周囲の人々にこの一件を聞かされて知り、
「笠間稲荷神社の神様が自分を救ってくれた」として、終生信仰していたという。
後には、この笠間稲荷神社で結婚式を挙げる。
そして、日航機事故で命を落とした時にも、笠間稲荷のペンダントが遺体の身元を特定する決め手となった。


>坂本は本来、国内移動には日本航空(JAL)ではなく必ず全日空(ANA)を使っており、所属プロダクション
や妻の由紀子も「手配は必ず全日空で」と指定していたほどだった。
しかし、当日は全日空便が満席で、飛行機やホテルなどを手配した招待側の側近はチケットを確保できず、
仕方なく確保したのが日本航空123便であった

■遺体の胸に、お稲荷さんのペンダントが突き刺さっていたのは、
「だから、日航機は、やめろと言ったジャロ!」という、カサマイナリの戒めか…。
でも、死んじゃっちゃァ、しょうがない。
ちなみに、いまでも日航機では、坂本九の音楽は流せない――――とか。



■怪談系ではありませんが、

>坂本を記念して命名された、(6980) Kyusakamoto という小惑星がある(発見は1993年、命名は1998年)。
小惑星番号の6980を「六八九トリオ」にかけたものである。

~というのも面白い。


【ともだち】
http://www.dailymotion.com/video/x2kpwq3
■よくチャリティーコンサートでうたわれていた曲。
福祉や慈善事業に力を入れていた坂本の突然の死によって、
手話の普及が、五年以上は遅れたといわれているそうです。


                *


【坂本九さん最後の歌声 『心の瞳』収録 完全ノーカット版
(1985年:昭和60年8月12日:NHK505スタジオ) 】
https://www.youtube.com/watch?
v=liJBA8DEQmA

■まさに、死の直前の歌声ですね。
画像は笠間にあったという母親の実家でしょうか。


>坂本は、幼少時から兄弟や花街という土地柄や稼業などの影響で、邦楽はもとより、洋楽の影響も多分に
受けて育っていた。小学生の頃から「ハリー・ジェイムスのトランペットは色っぽい」「歌舞伎の所作がいいね」
などというほど、自然に芸事や洋楽に触れていて当時としてもとてもハイカラな環境で育った。
家族兄弟でいうと、ジャズ、シャンソン、芝居、日舞、三味線、邦楽など、一通りの影響を強く受けた。
また、兄弟の影響でヨーデルにも手を出して、のちにそれを生かしたファルセットボイスを
「ビキニスタイルのお嬢さん」「素敵なタイミング」などで生かしている。

>三味線片手にさのさも歌えば、小学生の頃からナット・キング・コールも歌い、中学生になると三味線を
ギターに持ち替えて当時最も新しい音楽のロックンロールに感化されていく。
「う~えをむ~いて」を「ウフエヘヲホムフイテ」というように言葉の裏の音「ウフ」「エヘ」「オホ」と、
邦楽の素養も、洋楽の要素も持ちながら表現した独特の歌い方は、だれもやっていない当時最も斬新な歌い方
であったと九重佑三子がのちに回想している。

>デビュー当時は、本人も大好きなアメリカンポップス、ロックをカバーして歌っていたこともあり、
カバー歌手はほかにもいたが、体の芯から理解して日本語を英語のようなグルーヴで歌うのも初めての歌手
だった。 また、キーが高めで軽いハスキーな声質も個性的であった。

■つまり、坂本九は、サザン桑田佳祐の先駆ってことか…。
このNHKの最後の歌を聴くと、子供の頃からのかなりの背景があったことが、わかるような気がします。

               *


■1985年8月12日の日航機墜落事故のあと、
9月にはニューヨークで、プラザ合意が結ばれ
いわゆる"日本の失われた30年"が始まりますが、
これについては、もっと、怖~い怪談・都市伝説も……。




 

すみません

 投稿者:鎌田良知  投稿日:2017年 8月 9日(水)07時12分13秒
編集済
  昨夜、久し振りに焼酎を楽しんでいたのですが、酔いが回った頃「どうしようもない投稿をしたものだ」といった気分になってしまい、消してしまいました。すみません。牛乳石鹸については、もう少しまとめて、後ほど再投稿したいと思います。  

牛乳石鹸、なつかしい!

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月 9日(水)00時49分10秒
編集済
     鎌田さん、牛乳石鹸の写真、どうされましたか?
ぜひ、今一度アップしてくださいさいな。
 

ザ・ピーナッツもいいですが

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年 8月 8日(火)15時57分51秒
  いっとき、あのビートルズをかなり追い詰めた「演奏できない」(ギターのマイク・ネスミスを除いて)”The Monkees”も懐メロでよろしいですね。ほとんどの曲は埋もれているようですが・・・。

わたしの妹がかなりのファンでして、誕生日に楽譜集を贈ってあげたものでした。もっとも彼女は別方面に関心が行ってしまい(恋愛だったかな)、悲しくもその楽譜集はピアノの上に置き去りにされてしまいました。良い曲はたくさんあります。ほとんどの曲は外部の作詞作曲家が作ったものですが、一人ギターのマイク・ネスミスは曲を書いたのです。彼はカントリー出身で(たしか)、モンキーズ解散の後、敢然とバンドを新たに組み音楽活動を継続しました。
わたしが好きな彼の曲、”The Girl that I knew somewhere”。懐かしのアメリカン・ポップ。

https://youtu.be/EZS8LJ7mVAg

写真は若き日のネスミス君。(甘いマスクですね)
 

間取り

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年 8月 8日(火)06時36分26秒
編集済
  >家の間取りを正確の書いておかなくては、今日の仕事は、それにしようか・・・

■V・ナボコフの大学での文学の講義は、
カフカやドストエフスキーの小説に出てくる室内の間取りを
明確に図解することから始められたようです(笑)。
 

先ずはデッサン?「夢のうつわ」

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2017年 8月 8日(火)05時42分57秒
   「お父さん・・・もう、この家を開放してもいいいでしょう」京子は広縁に置かれた夫の机に向かってつぶやいた。夫の節夫が亡くなって100日が過ぎていた。たっぷりと8帖はあろうかと思える板の間を節夫はこよなく愛していた。「僕がこの家に養子に入って良かったと思っていたのは、此の広縁だね。君のおじいちゃんの建てた、この家は傑作だね」と、もういない節夫の落ち着いた話ぶりが蘇ってくる。

 そう、この家は大正時代の終わりに建てられたもの。大正15年(1926年)から数えると91年になろうとしている。二度のリホームをしているが、基礎の柱がしっかりしていなければとっくに立て直しになっていたろう。

 この家にくるとほっとすると何人の人たちが言っていたことだろう。江戸町屋の良さと田舎家をミックスした家であった。玄関は3帖くらい式台から茶の間、奥座敷に続いている。この二間のまえに節夫の愛でていた広縁がある。子育てのころは、ここが格好の遊び場になっていた。

 玄関からすぐ左手は土間になっており台所に繋がっていた。これがおじいちゃん自慢のつくりで、親しいひとたちは「どうぞ、どうぞ」の招きに食堂へと直行することになる。下駄ばきのままで。この食堂のテーブルがまたじいちゃんの自慢の品で、祖父の笑顔がこぼれっぱなしになる時でもあった。
 檜の一枚板で作られたテーブルは広く長く12人は座れる。

 京子は、このテーブルと広縁をご近所さんに開放したいと思っている。特に、一人暮らしの老人たちに。



 と、「掲示板小説」のデッサンを始めました。郷愁ではなく、現代を悩みながら送る老人たちを描けたらと思っていますが・・・これ、まったく推敲なしだからどうなりますか。

 家の間取りを正確の書いておかなくては、今日の仕事は、それにしようか・・・
 

ザ・ピーナッツの歌

 投稿者:管理人 iPad  投稿日:2017年 8月 7日(月)21時15分29秒
編集済
     ザ・ピーナッツの歌のなかでも、ホッとするような思い出の曲といえば、「シャボン玉ホリデー」だろう、いま思うとこの童心そのもののタイトルの曲と、その音楽番組はどんなにか、思春期の僕らを慰めたことだろう、いきなり、「恋」とか、「裸のキス」という歌謡曲の世界に入るより、この番組とそこのメロディー・歌詞のクッションがどんなにか、青少年の情操に大事であったろうか。また彼女ら相手のハナ肇やクレージーキャッツのコントも楽しかった。
    しかし今思うとこんなにすごい国民的な番組が、牛乳石鹸一社の提供だったとは驚きだ。(今もあるのかな)。

http://www.uta-net.com/movie/189018/


   さらに、この番組最後にピーナッツが歌う「スターダスト」は、しっとりロマンチックで、これは大人の世界をうかがわせるものであった。確か日曜夜の番組で明日からの学校がそんなに嫌でなかった思いがある(これとは対照的に、もっと幼少の時に見た「ポパイ」の終わりは、「また来週」のアナウンスが恨めしく思えた)。

https://www.youtube.com/watch?v=u51l4-EJOf8&index=7&list=RD5LDJlsyY0cI



    ピーナッツの歌う歌が表題になった番組にはもう一つ、NHKの「若い季節」がある。タイトルのとおり、若く伸びやかで、まるで当時のテレビ放送の青春期を自ら寿いだような曲と番組内容だった。
出だしの、ウワーオは、印象的だった。


       ウワ ーオ     ウワーオ
       おなかの底から    ウワーオ
       若い風が    街をわたって行く
       青い空に   白い雲に
      よろこびを   苦しみを
       あなたも   あなたも   あなたも   あなたも
       あなたも   あなたも   あなたも   あなたも
        若い若い    季節を歌おう

http://www.uta-net.com/song/186447/




    
 

レンタル掲示板
/427