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それでも、文学の特権とは。

 投稿者:管理人 iPad 986  投稿日:2018年 1月 7日(日)11時23分58秒
編集済
  〉映像メディア、音楽、デザイン、漫画、アニメーション等、多様なジャンルと文学というより文芸は競争しなければならないのです。これだけの選択肢が作品の受け手にある中で、読者を文芸に引きずり込むのは並大抵のことではない。
「文学」がどう考えても他のジャンルと比べて特権性があるとは思えません。
〉文学、文芸が、ジャンルとして他の分野と競争する必要があるのかどうか。"興行的"には、もう十分に、メタメタに、敗北しているんじゃないですか。少なくとも「純文学」は。

   「君の名は」などの大ヒットを受けて、アニメ、映像・音楽メディアに対して、昔からある文学に対する劣性、疑義が問われている。いわば「文学の特権性」がもはやあり得ないのではという疑義。それを受けて、文学が他ジャンルと競争する必要があるのか、もはや「興行的」的にはためたに敗北しているという指摘もあった。
   こういう認識は広くいまの世間にあることであろう、特に若者のあいだでは。さらにいうなら、本を読まなくなった新世代にあっては。
    何も皮肉交じりにいうのではない。21世紀になってのこの物質文明・情報時代においては、こうした流れのなかで、活字文化が劣性になるのは、文明論的にいわば不可避のことだろうからである。今日、われわれが目前にしている、アニメ・映像音楽メディアはその質の高さに讃嘆するが、一方でこういう媒体が進展すれば、もう一方の従来メディアが関わる人の数からも減衰するのは理の当然だからである。
    しかし、「興行的」にそう受けなくとも、従来芸術の真というものは普遍的にあるもので、こういう局面に至れば、われわれはそうした価値を多角的な視点から云々するべきであろう。確かに活字に嗜むことがなくなった世代に説くのは、難しいところがあろうが。
     ここで文学守旧派として、声高に言いたいのは、アニメなどと、文学との媒体としての基本的な、また決定的な差異のことである。確かにアニメなどは視覚的に訴えてくる。いつも日常目にしているヴィジョンがあるアングルと、なにかの既視感とでアピールすれば、人間の受容特性として、活字よりはるかに手っ取り早く脳裏に訴えられるであろう。そして、そのアングルの視野がアニメ映画としてのシークエンスとして持続すれば、それは居ながらにして感動的なものになるのである。
   対して文学は、まずその視覚、日常馴染んだヴィジョンが初めからない。あるのは活字、すなわち文字であって、そこからまず、そうしたものに馴染んでいない世代を遮断する、しかし人類文明・文化の歴史を振り返るまでもなく、この文字、すなわち言葉こそは、人間知の表象であって、文学はそうしたもののいわば積分であり、それはその時代と人びとの内面を反映している。
    映画など映像メディアと比較して、根本的に大事な点は、その受容において想像力を要することである。映像メディアは居ながらにして光景が現前するのに対して、活字メディアは「読む」という能動姿勢が要求される。そして読書過程において、それこそストーリーとともに場面、人物の内面への忖度、以降の展開への興味など、根元的に想像力が要求されるのである。これこそ人間にのみ付与された資質に対応するメディアではなかろうか。そしてこれがだいじなのであるが、その想像力は、読書という能動過程において、いや開発されることであろう。
    このことはミクロ的にみれば、言葉・語句の触発ということがまずあろう。言葉が挑発する観念・感情は、輪郭的な隈取り、すなわち印象となって、読み手の脳裏に刻まれる。これは映像メディアどころではない鋭利な認識となって読み手に受け止められる。例を持っていえば、梶井基次郎の各作品を思い浮かべればよい。あれらにうかがわれる、世界の、自然の、ひとびとの、幼児の追憶、などの描出は、文学の特質を典型的に語っていよう。

   マスとしての映像メディアと活字メディアとでは、規模的にも圧倒的にも前者が優勢である。しかしだからこそ制作にも大きな力が必要となる(そこにはだから興行的な配慮が不可欠である)。しかし、後者はいわば一人の出発である。弱さもあろうが、しかしそこには天分の差配ということもある。同人誌はそういう出現をも期待して運営される。

   ※ 「君の名は」は、従来からのアニメ映像作品とは少し違っていよう。そこには言葉(「結ぶ」など)を基盤とした伝統文化が底流しているのであって、いわば言葉(文学)と、映像(アニメ)とのミックステクチャーとなっている。映像メディアが言葉の伝統を無視できなくなったという新しい動きではないか。ちなみに言うと、深海誠監督は、村上春樹の圧倒的な影響を受けていたそうである。

https://m.youtube.com/watch?v=EEB0xzT921M

 
 

「戦略」と「創造」

 投稿者:草原克芳  投稿日:2018年 1月 7日(日)07時52分39秒
編集済
  ■文学、文芸が、ジャンルとして他の分野と競争する必要があるのかどうか。
"興行的"には、もう十分に、メタメタに、敗北しているんじゃないですか。
少なくとも「純文学」は。

小説としての文学は、宗教や哲学(絶対的真理というものがとりあえず信じられていた)を
脇目で眺めつつ、それを物語的に批判したり、諷刺したり、異化したり、相対化したりしつつ、
悪役や、道化や、ヒーローや、求道者や、トリックスターや、娼婦的聖女を、人物造型していた時期こそが、
いちばん豊饒で、創造的であったことは、歴史的にも否めない話。
(近代の始まりから、19世紀。市民の時代の勃興期、隆盛期)

いまは、その、「絶対的な観念・信念体系」の資産食い潰し作業も、すでに終了しつつある…。
というか、現実の世界の方が、「近代」の理念のパロディを、
醜悪にデフォルメ化し、グロテスクに実演じてしまっている。


■大手出版社の文芸雑誌は、もともと同人誌から出発したにもかかわらず、
現在は、出版企業のお荷物的存在。
(都市風景に喩えると、ハーフミラーの高層ビルの谷間に、赤レンガの「旧館」ビルが
ひっそりとたたずむように)

あとは、ジャンル間の競争というより、
それぞれの感性・知性のミクロコスモスを、小宇宙を、
個々の表現者の資質にいちばん適したジャンルで、創り上げるしかないのでは。

しかし、宮崎駿のアニメ『風立ちぬ』の背景には、
堀辰雄の文学のみならず、トーマス・マン『魔の山』も控えている……みたいな
マスメディア的クリエーターの時代における、地下からインスパイアする「黒幕としての文学」――めいた伏流水も感じられる。

               *

■とにかく、いま、文芸同人誌なんぞに携わっているのは、
いちばん鈍臭い、カッコ悪い、惨めったらしい、辛気くさい、時代遅れの行為をやっている
という覚悟でやるしかない。

~問題は、
 個々の表現者が、創造的であるかどうか、なのでは?

あとは、それぞれの書き手が、「壺中の天」の幻術を、見出すしかない。
http://8614.teacup.com/snagano/bbs/11234


                *



■坂井瑞穂さんの小説は、豊かな物語性に富んでいて面白かったです。
同人雑誌の小説は、あまり、従来の"同人雑誌的"な臭みがないほうが、いいと思いますね。
年末、実家が空き巣に入られたりして(笑)バタバタしていたので、
合評会前までには、今号の小説作品も、もう一度、分析的に読んでみようと思います。

~しかし何だか、
あまり最近、この掲示板では、
最新号の掲載作品については、以前みたいに、語られなくなってしまったのですね。





 

(無題)

 投稿者:土屋慶  投稿日:2018年 1月 7日(日)06時01分51秒
編集済
  映像メディア、音楽、デザイン、漫画、アニメーション等、多様なジャンルと文学というより文芸は競争しなければならないのです。これだけの選択肢が作品の受け手にある中で、読者を文芸に引きずり込むのは並大抵のことではない。

また、先に述べたほぼすべてのジャンルが、もし、その作品がすぐれているのならば、たとえばYOU TUBEにアップして、拡散されることを期待することができるが、言語芸術である文芸はそうもいかない。

「文学」が権威である時代も終わっていると思います。

メインカルチャー、サブカルチャーという区分けというよりも、ぼくはイイ、美しいと思った作品はいかなるジャンルであったとしても肯定します。「文学」がどう考えても他のジャンルと比べて特権性があるとは思えません。一部の専門家、批評家に正当化を期待したところで、もし仮に評価されたとしても一般読者にバカ受けするということもありません。したがってよい戦略は今のところ思いつかないですね。

ところで、坂井瑞穂さんの小説面白かったです。荻野さんの作品もかなりの水準だと思いました。ただ、坂井さんの作品はぼくの趣味に合いました。ほんとうに素敵な小説でした。お二方は新人賞に応募してみれば?とくに荻野さんは母校に三田文学があるのでそちらに投稿するとか新人賞にエントリーするとかしてみればいいと思います。

永野先生群系今季号ご送付していただいてありがとうございました。御礼遅れて失礼いたしました。
 

子供の頃の懐かしい番組

 投稿者:管理人 iPad 840  投稿日:2018年 1月 6日(土)09時17分14秒
編集済
     昔の作品も良かった。

「チロリン村とくるみの木 」195604~196404 主題歌
https://m.youtube.com/watch?v=z61AFsy9wI4


50年前のコメディ「お笑い三人組」
https://m.youtube.com/watch?v=rBIxxYs9Uvg


   ともに、半世紀以上も昔の作品なのに、出演者の大半が今も存命です。

チロリン村とくるみの木    黒柳徹子, 里見京子, 横山道代  ー三人とも今も元気

主題歌
ランランチロリンやさい村
うれしい村だよとぼけ村
みんなのむねに 夢の花
「みなさんトンペイです よろしくね!」
お空が青く晴れてます
いつもよい子をながめてる
フンワリ ニコニコ 白い雲

ランランチロリンやさい村
楽しい村だよとぼけ村
やさいくだもの 村作り
「みなさん くるくるクルコです!」
お空にチカチカ星の花
夢のお花のコンペイトウ
チカチカ ピカピカ 甘い夢

ランランチロリンやさい村
心のふる里とぼけ村
みんなのむねに 夢のうた
「みなさん プリプリピーコです!」
お空にぽっかりお月様
やさいの村の子守唄
にっこり わらって 聞いている


『お笑い三人組』(おわらいさんにんぐみ)とは、1955年11月から1960年3月までNHKでラジオ放送され、1956年11月から1966年3月までテレビ放送された公開バラエティコメディ番組。
酒屋の金ちゃん:三遊亭小金馬(現:4代目三遊亭金馬)  ー今も元気
保険外交員の今泉良夫さん:一龍齋貞鳳  ー今も元気
パン屋の六さん:3代目江戸家猫八
金ちゃんの妻:桜京美
良夫さんの妻:音羽美子 ー今も元気
六さんの妻:楠トシエ ー今も元気
 

「秒速5センチメートル」連作短編

 投稿者:管理人 iPad 794  投稿日:2018年 1月 5日(金)21時09分37秒
編集済
    2007年制作のこの映画は全編公開です。
このしめやかな動画をどう受け止めるべきか。
こんな作品が出来ていたことに、この国の情緒の在りようを思う。
ー(「君の名は」以上の感動があるかも)

https://m.youtube.com/watch?v=NAVMVZLpeE0

 

「君の名は」の各ショット

 投稿者:管理人 iPad 780  投稿日:2018年 1月 5日(金)19時50分30秒
    「君の名は」の映画、大変な人気のようですね。いくつか、引いておきますね。

https://m.youtube.com/watch?v=E0Qg35KFbCQ
【映画予告編】『君の名は。(your name.)』満員御礼篇TVCM|監督/脚本/原作:新海誠、出演:神木隆之介、上白石萌音、長澤まさみ、市原悦子|Movie Trailer 45sec

https://m.youtube.com/watch?v=QAJ8g8MkMwc
「君の名は」。予告 ノンテロップver.


https://m.youtube.com/watch?v=ZBmLEmiK908
細かすぎる小ネタが神がかっている。

https://m.youtube.com/watch?v=dyORFp0SJz4
よくみると、

https://m.youtube.com/watch?v=FkX4v5wOq9c
「君の名は 」。三葉と瀧 見た夢とかたわれ時 AMV

https://m.youtube.com/watch?v=Oa5jEOH_PFM
宮水三葉(みずは)はなぜ可愛い?

https://m.youtube.com/watch?v=j72508sG9Cc
おばあちゃんの重要なセリフ

https://m.youtube.com/watch?v=gxP7UVKyOrk
「君の名は」の実写化映画。神木隆之介と広瀬すず  《予告編》  ソックリっー。

                   ◯

   新海誠監督の作品
https://m.youtube.com/watch?v=2Eo8ScmRv2M
【映画予告編】『言の葉の庭(The Garden of Words)』監督/脚本/原作:新海誠、出演:入野自由、花澤香菜、平野文|Movie Trailer 83sec

https://m.youtube.com/watch?v=7y9OGaaNh0I
【映画予告編】『秒速5センチメートル』特報予告|監督/脚本/原作:新海誠、出演:水橋研二、近藤好美、尾上綾華、花村怜美|Movie Trailer 37sec

 

残念!「君の名は」見逃してしまった。

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2018年 1月 4日(木)06時15分13秒
   昨夜は「ニューイヤーオペラコンサート」を観て、その余韻にひたっていたものだから、9時放映のアニメを見逃してしまった。残念無念。亡くなった次男が封切られてすぐに観にいっていて、興奮して帰ってきたのを思いだした。新海監督を絶賛していました。日本の古い物語と最先端機器との合体による今世紀の傑作なのでしょう。うるさがたの永野さんを感動させたのですから。どこか劇場で再上映しないかな・・・  

やっと時代の表現に追いついた「君の名は」。

 投稿者:管理人 iPad 527  投稿日:2018年 1月 3日(水)23時32分3秒
編集済
    ついに、「君の名は」(新海誠監督)を観た。正月特番として3日にテレビ朝日でやっていたものだ。
   アニメ映画など見ることも、筋を追うことも出来ないだろうと思って、いわゆるジブリの名作もきちんと観たことがなかった方だが、この映画だけは、ある期待もあってか、最後まで見切ることができた。それも感動を持って。この映画がなぜこれほどまでヒットし、若者たちの圧倒的な支持を得ているか、十分に納得できた。これまでのアニメになかった「未開拓の領域を描いた」もの、という宣伝文句も頷けた。
   映画は二人の若い男女が夢の中で入れ替わり、それが現実の世界になって展開されていくというものだが、このありえない仮想現実が実にリアルに感じるのは、我々の夢というものの現実感(とはかなさ)が下地にあるからだろう。こうした事実を、現代のコミュニケーションツールとしてのスマホを巧妙に使い、バックの音楽とアニメの美しさで見事に映像化している。
   田舎に住み、その日常に憂鬱な感じを抱いているみつは(宮水三葉)という少女と、東京に住み大学受験を控えた高校生・立花瀧が主人公。みつはは、家が代々の神職で、妹のよつは(四葉)とともに巫女姿で神に奉納する神事の踊りもする。母はなく、祖母が日頃ふたりに組み紐の作業をしながら、先祖のこと、土地のいわれや、神の言葉を教える。その中で「結ぶ」という言葉の意味を闡明するのは、映画に底流するテーマを示唆して、伝統と由緒を今に伝えている。いわく、二つのものを引き合わせる、こと。
    また、みつはの高校の授業で、女教師が黄昏の語源である、「誰(た)そ彼」を黒板に書き、この昼とも夜とも違う、薄暗くなって人の姿が曖昧になるいっときのことを教えるのも、古来からの人の伝承を現代に伝えている(黒板には「逢魔が刻」という言葉も書かれていた)。
    みつはと瀧は、夢から覚めるともう忘れてしまうのだが、ひじょうに大切な夢を見た感じが毎度する。そのうち、二人の身柄はお互いが入れ替わって、みつはは東京に住む瀧になり、瀧は田舎の(ドラマでは岐阜の「糸森」という仮名の地)みつはに成り代わっている。面白いのは、二人が自分の身体を触って、見て、自分が他人になっていることがわかるのだが(ここらはよくある話)、そのうち、また自分の姿にもどり、その入れ替わりが周期的になっていることがわかって、くる。これは互いの環境、友人や家族から違和感を持たれていることが互いにわかってくるからだった(時折ノートや何かに「お前は誰だ」という問いが出てくる)。確かに、自分が自分でない他人、に入れ替わっていれば、周囲との交渉もちぐはぐになるだろう。ここで登場するのが、先ほど紹介したスマホである。きょうあったことを、入れ替わる相手にわかるようにLINEに日記として書いておくのである(例えば、明日は奥田先輩とデートの待ち合わせをした、というように)。  しかし、見ていくと切なくなるのは、夢が覚めると互いの名前がわからなくなることだ。あんなに「みつは!」「瀧!」と呼び合っていたのに。
   ドラマのサビともいうべき展開は、実はみつはの住んでいた「糸森」の土地は、三年前の大彗星の落下で、街ごと滅びてしまっていることを瀧が知るところからであろう。周期的に入れ替わっていたのに、そのことがなくなり、みつはからのLINEもない(エラーメッセージが出る)。どうしたんだろう、と瀧は思い焦りの気持ちにもなってくる。そのうち、新聞記事かなんかで、瀧は糸森での彗星の被害が甚大だったことを知る(町民ら五百人が死んだ)。みつははもうこの世にいない!こうした思いが電撃のように瀧の背を走る。それから、瀧の探索が始まる。夢でしか知らない土地、それが実際にあるのかもわからないのに、夢の記憶で描いた絵をもとに新幹線にのり、ローカル線に乗って、現地のタクシー運転手他に聞き合わせることが続く。「みつは、みつは」と彼女の名前を叫んで、神社の御神体のある、湖の島にまで行く(この辺は夢かうつつか微妙だ)。だが、この必死さは実によくわかる。いわば、自分探しに近い。現代の若者たちに共鳴されるところであろう。
    それから数年して、大学卒業前の就活のシーンになる。友人が内定を受ける中で、瀧は全然うまくいかない。電車の中ですれ違う女性をみては、みつはかと思う。しかし最後に、二人はある坂の階段ですれ違ったとき、声を掛け合う。「どこかで見たことがある」「わたしもよ」ー。「君の名は!」と互いに連呼しあい、バックの歌声とともに幕となる。ー

    一言、時代の表現が、ここに来てやっと出来たか、という思いだった。21世紀もここまで来て、物質文明と情報が錯綜し、かつての思想やイデオロギーが解体して、ほとんど漂流状態かと思えた今日の人々が、こんなにも個人の結び付きを欲していたのだということを、見事表現に持ち運べていた。それも高層ビルの立ち並ぶ東京の実際風景(主に新宿と四谷)と、また対照的となる田舎は岐阜県といっても、仮称の土地にしている、そのリアルとアンリアル(虚構)のツーショットにおいて。
    夢という人間が持つ太古以来の特性と、スマホという現代の利器を見事に使ってストーリー展開をしているのみならず、またそこには、古典と伝統も織り込んで心憎い。小野小町の「思いつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらん夢と知りせば覚めざらましを」の和歌と、『とりかえばや物語』という平安の物語も下地にしている。

    このようなすごい傑作は、我が国・日本でしかできない表現だろう。人の心の奥深さ、それを他人を思い遣るという気組みで運ぶ筋展開は他国ではまず出来ないことであろう。
   しいて残念に思うのは、これが文字表現としての文学ではなく、現代の最先端の技術を使った映像表現であったことか。

https://m.youtube.com/watch?v=tOJ8eDYcVsI

 

新年は「近代文学」からスタート

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2018年 1月 3日(水)08時00分7秒
   昨日、息子の家族が新年の挨拶にきた。いつも二日に新年会をやっていて、わたしがお節料理でもてなしていた。今年は仏教的に言えば喪中であったから新年会は中止しようとも思っていたが、腕の怪我のリハビリを兼ねてお節を目いっぱい作ってみた。昆布巻き、ごまめ、煮しめ、柿なますなど。特別料理として、「蟹すき」。蟹はさしみ用と鍋用にとたっぷりと買っておいた。ビールで乾杯。息子は運転があるのでノンアル。嫁さんはイケるのでビールから日本酒へ。

 いい気持ちで飲んでいたら息子が、お母さん、「近代文学全集を全部貸してくれないかな」。
 スマホ三昧の孫から暮れにルールを作ったそうな。文学全集はほとんど処分してしまったので、文庫を出してやった。漱石の「こころ」太宰の「斜陽」志賀の「暗夜行路」など。数冊。
もともと小学校時代は本の好きな子だったのだから、じきに読書感覚は戻ってくると思っている。「近代文学史」も入れておいたので、大事な本を選ぶようになってくれればいいと思っている。気持ちのいい新年のスタートになった。
 

「平成」も三〇年になりました!!

 投稿者:管理人 iPad 297  投稿日:2018年 1月 2日(火)07時52分57秒
編集済
  あけましておめでとうございます。

    年末年始はテレビ三昧でした。当初はテレビなんかと思っていたのですか、やはり年越しを実感しようと「紅白」を見ました。知らない歌手やグループが多かったのですが、安室奈美恵が引退するというので特別ゲストで出ていたのには注目しました。彼女自体はデビュー当時から知っていましたが、全く関心がなかったのですが、九州沖縄サミットのとき、並み居る政治指導者の前で歌っていたのを見て、時代が変わったと実感しました。があれから十数年、彼女も四十を過ぎて引退か、と時の流れに感じ入りました(でも、その割には彼女、綺麗で初めていいなと思いました)。
    時の流れという点では、この大晦日と元旦には他にも感じいったものがありました。およそスポーツ番組など見ない当方ですが、女子格闘技をやっていたのがあって、新しい世代のチャンピョンが出たのにも見入りましたが、関心したのは、芸能人二世の若い女性が登場した時でした。母親は野沢直子、その娘でアメリカ人の父との間に生まれた、いかにも国際人のその娘は背も高く容姿も綺麗で、相手のアメリカ人ファイターを見事、下しました。関心したのは母の野沢直子の様子で、娘の登場の時から涙顔でついに勝った時はリングに上がり抱擁し合っていました。実は当方、この野沢がその芸風からして大嫌いで、いつのまにかアメリカ行って結婚したのも関心もなかったのですが、彼女も人の親かと関心、また時の流れにも関心しました(娘の名前は、真珠・野沢オークライヤー、でした)。
    目前の状況に変に関心してしまう当方ですが、やはり当初はまったく関心なかったのに今回感動?したのは、やはり体を張った競争技の番組(「筋肉番付」)。いろいろな点でその並外れた体力を披露するものに、ケイン・コスギが出ていました。こうした番組のパイオニアだそうですが、前回登場してその凄さを見せつけたのは2003年のことだそうで、あれから17年、コスギも現在43歳。しかし跳び箱では三十段近くまで跳び、走る方の競技でも、二十台の若手とほぼ互角に戦って、その強靭な肉体と精神力を見せつけ、人間の可能性を感じさせてくれました。
    時の流れ。それを番組自体として感じさせてくれたのは、お正月の特番でやっていた「笑点」と、その前の年越しの特番でやっていた朝生こと「朝まで生テレビ」の二つでしょうか。特に後者は、この平成という年号が始まった時から始まったもので、番組でもその時のビデオとともに回顧していました。「平成」の名札を出す小渕官房長官から、東欧の民主化、ソ連崩壊、湾岸戦争など、あの時は本当に時代の変革期を感じさせられましたね。その平成も今年は三〇年!亡くなった人も多いですが、存命の人も司会の田原総一郎以下、多くいますね(そういえば、小誌「群系」も創刊三〇年、平成の年月とともにありました)。
   年月の流れ、この実感と、そんなにも流れたのか、という不実感、が番組を見て感じていたことでした。しかし、来年でしょうか、今の天皇が退位されて、浩宮が即位して新しい年号が出来た時、平成は文字通り、時の流れの一つの時代となるのですね。

http://

 

迎春

 投稿者:大堀敏靖  投稿日:2018年 1月 2日(火)01時13分23秒
   あけましておめでとうございます。

 今年も中3生たちを近くの神社まで連れて行き、合格祈願したあと勉強するという新年の幕開けでありました。

 昼に帰ってくると、お雑煮、お節をいただき、初詣にでかけ、眠くて仕方がない中、親類の子の遊びに付き合わされ、少し寝て、ようやく掲示板に向かうことができました。

 今年もよろしくお願い申し上げます。


 今年も初春にふさわしい筝曲などを貼らせていただきます。

 春の海

https://www.youtube.com/watch?v=M0qM5zrWock

 津軽じょんがら節

https://www.youtube.com/watch?v=ex_nplUHzsg
 

森敦

 投稿者:草原克芳  投稿日:2018年 1月 1日(月)20時22分17秒
編集済
  >草原さんは『月山』を読み返したとか。(荻野さん)

■今回、再読したのは『意味の変容』の方です。
『月山』の幽玄性とは、だいぶ違う趣きの世界ですね。
ただ、背景にある世界観は一緒なのかも知れない。


                          *


>狭い蚊帳の中に無限な空間認識を持ったのは…

■ここですね。
この部分を、『意味の変容』では、かつて森敦が勤務した光学レンズ工場、ダム工事現場、印刷会社の空間を舞台に、
独特の哲学というのか、トポロジーというのか、文学というのか、妄想というのか……を展開しています。
内部と外部(小さな内部―広大な外部)を反転させる独特の「幻術」を語る。
そこに無限が現出する。

http://sunset-runnner.way-nifty.com/blog/2015/05/post-ccea.html

>任意の一点を中心とし、任意の半径で円周を描く。
 そうすると円周を境界として、全体概念は二つの領域に分かたれる。
 境界はこの二つの領域のいずれかに属さねばならぬ。
 このとき、境界がそれに属せざるところの領域を内部といい、
 境界がそれに属するところの領域を外部という。  『意味の変容』


■位相幾何学の話として、真面目に論じたり批判したりしている読者が多いけれども、
むしろ、これ、意識論じゃないでしょうかね。
「任意の一点」とは、他でもない、志向性を持ったノエシスの焦点。
(そもそも、任意っちゃ、何よ?「意」に任せるってぇのは。……笑。「意識」がやるんですよねぇ、コレ)

言い換えれば、森敦流の現象学。
外部・外界を、判断中止(エポケー。とかいいますね、フッサール教授)して、
いったん、「境界/円周」とともに、余所にうっちゃっておいて、"現象学的還元"してしまっている。
するとそこに、たちまち立ち現れる「壺中の天」の無限性の話。
小さな坪庭が、
桂離宮にも、ベルサイユの庭園にも、アフリカの大平原にも、無相の光明界にも、なりうる。

「いま・ここ」の現前性は、目の前に、無限を生む。
~というか、無限・有限の「限り/境界/円周/世界の分節化」というのは、誰がやっているかというと、
ほかでもない、意識そのものがやっている。ノエシスがやっている。
外界や環境世界(現象学でいう「生活世界」)がどう見えるかは、意識の鏡像――。
無限も有限も、意識の内部にある――という曼荼羅の悟り…でしょうか(笑)

短いですが、奇書の一種。
華厳経のコスモロジーは、確かに関係していますね。

 

穏やかな元旦でした

 投稿者:土倉ヒロ子  投稿日:2018年 1月 1日(月)19時13分25秒
   家のすぐ裏に日の出スポットがある。毎年早く行き過ぎて身体が冷えきってしまうので、ぎりぎりに出ていった。太陽は八分ほど顔を出していた。太陽はありがたい。無事に元旦の朝を迎えられたことを感謝しました。
 『群系』同人の御健筆を祈ります。
 

明けましておめでとうございます

 投稿者:荻野央  投稿日:2018年 1月 1日(月)12時23分47秒
  戌年です。「犬のようにくたばる」(カフカ、『審判』最終行)まで走ります。ウォーキングの成果ですか・・・。

>血肉を込めた言語空間により、《独自の象徴的ミクロコスモス/世界模型》を創造する者こそが、
Creatorとしての「作家」なのであります。その作品は、世界と生と人間心理の深層部のアナロジーとなる。(草原さん)

「血肉」は血肉化した外部経験、すなわち内的反省を通して発火している自分の根底的なモチーフの契機と成果のことであると思いました。つまり、もがきながら全体としての自分の言葉を求めていく。それは畢竟「独自の世界」につながる。作家は創作家以前に創造者であることの自己意識が最大の前提か条件であろうかとも思いました。

埋没しようとしている戦後文学に対して”温故知新”の姿勢で臨みたい。私は、武田泰淳では「蝮のすゑ」が一番好きな作品ですが、梅崎春生の「日の果て」から「幻化」へいたる戦前戦後の”線”をどのように踏み越えたかについて、泰淳さんは特異な体験から創作されています。とても魅力的です。

草原さんは『月山』を読み返したとか。私も昨年から何度も何度も読み返しています。月山麓の注縄寺に泊まり込む主人公が、庫裏の二階に蚊帳を吊り一冬を過ごす。狭い蚊帳の中に無限な空間認識を持ったのは、森敦の仏識、華厳経の理解と密接に関わり合いがある。「月山抄」という随筆集を読みますとそう考えたいです。生と死の混淆の聖なる霊域「月山」。批評のしがいある小説だな、とつくづく思うことです。

「群系」40号の締め切りまであと4カ月。松の内が明けて支度しようかな、と思う元旦です。
(お屠蘇抜き、無念なり。)
今年もよろしくお願いいたします。
 

謹賀新年

 投稿者:草原克芳  投稿日:2018年 1月 1日(月)06時04分7秒
編集済
  あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

■梅崎春生、いいですねー。
『幻化』もいいですが、短編にも『蜆』など幾つか印象的なものがありますね。

梅崎に限らず、なぜか、いま、忘れられているのが
第一次戦後派の作家達ではないでしょうか。
武田泰淳、埴谷雄高、野間宏、椎名鱗三、
彼らと遠藤周作の宗教的思想小説をつなぐのが、梅崎春生。
漱石以降の日本文学の頂点は、結局、
あのあたりの八ヶ岳ふうの戦後文学連峰にあるのでは?
(そういえば、ちょうどこの時期、ヨーロッパでも実存主義系の思想・文学がブームだった!
 サルトル、カミュ、カフカ…。)


               *


■なんだか最近は、うっかりしていると、経済記事ライターがいつのまにか「作家」を名乗っていたり、
よそ見をしていると、著名作家の娘がテレビタレントになってエッセイを書いて、いつのまにか「作家」を名乗っていたりしますが、
やはりかつての第一次、第二次戦後派(大岡、三島あたりか)の小説家達こそが、
「作家」の名に値するのだと思います。
血肉を込めた言語空間により、《独自の象徴的ミクロコスモス/世界模型》を創造する者こそが、
Creatorとしての「作家」なのであります。
その作品は、世界と生と人間心理の深層部のアナロジーとなる。


          ※最近、『月山』の作者でもある森敦『意味の変容』を読み返し、その「内部-外部」の哲学にあらためて、讃嘆。
           トポロジー的発想が軸となり、いかにも、これは小説ではないといわれそうな作品ですが、
           小説とは、ローレンス・スターンの怪作から、志賀直哉『暗夜行路』、
           ヴァレリー『テスト氏』、夢野久作『ドグラ・マグラ』、土方巽『病める舞姫』、
           カフカ『城』、ボルヘス『エル・アレフ』、埴谷『死霊』をも含む、
           かくも自由な"内的宇宙の容器"なのですから、十分これも、ありだ。

          『意味の変容』の提示する、輪郭線を外へと押し付けた際に展開する〈内部の無限〉は、
           近-現代の病(生への意志喪失/個人の価値低下/自己疎外=自殺・他殺へのブレーキ不機能化)であるところの
           世界の数量化・客体化・人類のバイオマス化という、「量」の黒魔術的呪縛に対する、
           〈個〉の尊厳の砦となりうる。
            ~何のことはない。この作品は、位相幾何学の喩えを借りて語られた「意識の遠近法」の話ですね。



               *



■既存の物語パターンを、トランプのようにシャッフルし、
カシャカシャと順列組み合わせすればできるような、
AIでも作れる青春小説、恋愛小説、冒険小説、ハーレクイン・ロマンスは、
もうアニメとゲームで十分。
濃密な原酒のような「文学」は、いちばんAIが苦手な分野になるはず。


わたしはやはり、武田泰淳が気になります。
しかし、泰淳好きだった野口存彌さんも、初期の短編ばかり論じて、
後期の大作『富士』『快楽』については、あまり語られなかった……。

http://6910.teacup.com/capricciolitera/bbs



 

群系会報№26を読んで

 投稿者:荻野央  投稿日:2017年12月31日(日)11時07分13秒
編集済
  石井洋詩氏の島尾敏雄批評の継続宣言(ご著書を出したのに続いての、そのパワフルなこと!!)、名和哲夫氏の藤枝静男批評の開始宣言、本誌では山中千春氏の野口存禰論考批評の連載宣言が目についた。三氏それぞれに継続するテーマを開陳されていたので”新たに”刺激を受けた。

以前、澤田繁晴氏から「そろそろ、荻野君も一つのテーマに絞り込んでみてはどうか」とアドバイスをいただき、それまで批評的な感想と勝手に名付けている自分の方法の先に何があるのかと思っていた。その一つが詩人、石原吉郎の世界であった。もう一つは梅崎春生。(梅崎論考のためにタネ本として、沖積舎版の全7巻を目指しているが、年末に欠巻2冊を入手できて後7巻のみとなった。幸先よし!)
この両者に通底する大きく深刻な主題は「戦争と戦後」である。
数年前、芸術至上主義例会の後の宴席で竹内清己氏が「この時代、いまこそ戦後文学を!」と言われたことが頭に残り続けた。戦争体験の風化が問われ、戦後文学の作品があまり読まれなくなってきている事態は日本文学において重要な課題ではないか、と示唆されたように思う。
(小説はともかく)私には、詩において詩誌「荒地」(特に田村隆一、鮎川信夫、北村一郎)と石原吉郎が、ずうっと頭に響いていた。いつかこの二つのテーマに取り組みたいと考えていたので、何回か書いてみて良い経験をさせてもらっているな、と「群系」と編集長に感謝している。(まだ一年くらいはかかりそうですが・・・)その後は「荒地」に、梅崎春生に取り組む。

「石原吉郎の詩、わたしの読み方」は言わば作品紹介を基底にした「作品論」。現在、なかば忘れ去られている感のする石原吉郎の詩を読んでもらいたくて全文引用し、そしてわたしの拙い感想も添えるという形式を取ってきた。あと残る詩集はわずかに三つ。

来年も取り組んでいきたいと、私も三氏に倣って宣言してみた。

皆さま、良いお年をお迎えください。
 

江戸川乱歩と横溝正史

 投稿者:名和哲夫  投稿日:2017年12月30日(土)11時54分29秒
  この本、面白いです。乱歩のほうが歳はずっと上だと思っていたが、二人はよきライバルであったという話。
 

クリスマス by エルヴィス

 投稿者:下手の横好き  投稿日:2017年12月30日(土)10時35分49秒
編集済
   少し遅くなりましたが、皆様楽しいHoliday Seasonをお過ごしください。以下はエルヴィス・プレスリーとMartina McBrideのデュエットによる「ブルー・クリスマス」です。エルヴィス、格好いいですね(笑)。

 https://www.youtube.com/watch?v=3KK6sMo8NBY

 ちなみにMartina McBrideという女性は御年51歳の現役歌手で、これはエルヴィスが一人で歌っている映像に、彼女の映像と音声とを合成して作られたヴィデオです(上記アドレスはエルヴィス公式サイトVEVOのものです)。

 元の映像(エルヴィスのみのソロ)は以下で見られます。

 https://www.youtube.com/watch?v=WgLpMwkfOgw

  https://www.youtube.com/watch?v=4Z6BM-xj8x8
 

スーパーキッズ

 投稿者:管理人 iPad 749  投稿日:2017年12月28日(木)18時52分9秒
編集済
     「こんにちは」とある投稿、

パートナーが見つかりますよ
大人同士のお楽しみ…

   とあるの、どなたか連絡してみますか。

                ◯

    それはともかく、面白いサイトを見つけました。
     名付けて、「スーパーキッズ」。
      保育園児が跳び箱10段をみんなが跳ぶわ、楽器を自由に弾くわ、集中して勉強するわ、
で、もうすごい、と感心しました。

https://m.youtube.com/watch?v=pQ7CtlqACJc
 

今年もカウントダウン、リトルフラワーの日取りとなりまして

 投稿者:坂井瑞穂  投稿日:2017年12月28日(木)17時53分26秒
  昨年の今頃ですと一年を表す一文字に 病、酒、賞を選ばれた意見が見られました。そういう意味でこの一年を振り返りますと私の一文字は黙、になるでしょうか。来年こそは走、駈、翔が似合う年にしたいものです?

 

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