teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


スレッド一覧

  1. パソコンクラッシュ(>_<)(6)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:693/8569 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

1977~1979は人生の核となった日々であった

 投稿者:管理人 永野悟  投稿日:2017年 3月19日(日)23時07分18秒
  通報 編集済
   弟から会わないか、快気祝いしようでないかというので、午後から出かけた、こちらもちょうどPHSがクラッシュし、スマホに買い替えたばかりだし、iPadの不調もあったので、相談がてらの気持ちだった(奴もiPadに、携帯はiPhoneを持っている)。
 当方はせっかくだから、彼と彼の家族の写真をPCからiPadに流し、それをメール添付で彼のiPadに添付メールしていたが、後で、それは写真の「共有」で処理すると、一発で多くの写真・動画が共有されるということで、やってもらった。
 神保町のレストランであったが、当方は家族のことや、仕事のこと、彼自身の体調など聞きたかったが、やっこさんは相変わらず、政治の問題(安倍批判・官僚批判など)から切り出してくる(ま、この板の書き込みにだいぶ共感しているようだ)。見舞いに来てくれた姪(次女)は5月が予定日だそおうで、だいぶ胎が大きくなってきたということだ。ま、自分にも親族ができるということで、多少関心がないことはないが、小生にとって、この弟家族は入院のときなど、だいぶ助かっている、このたびは突然の入院だったので、1週間もすると、着替えやその他身の回りなど必要なものが出てきた。前にも大島のこの拙宅に来ていろいろやってもらったが(掃除なども)、今回も彼の嫁とその次女が来てくれた(弟自身は仕事で来られなかった)。

 ま、のんきな兄貴だが、それなりの感謝はしている。で、今回は彼らへの感謝もこめて、パソコン内にある写真を送ろうと、整理していたのだった(カメラ・動画好きの当方には、いろいろな研究会や集いの写真、同人のがたくさんある。群系ホームページが新規に出来上がったら、それらをアットランダムでも掲出したい。

        〇

 最近、渡瀬恒彦が亡くなったことで、兄の渡哲也の切ない気持ちを読んだことだが、人生のかなりの部分を共有してきた兄弟は、この年になると、いろいろ感じることだ(この数年、弟のブログを読む機会があって、ああ、あんなことを知っていたか、などその内容に何度か感心したことだった)。自分もこの板には同人皆と同様、政治や歴史、民族の話などには関心があるが、ここでは意識高い同人諸君に教わることにして、この板には最近感じる身辺のことにふれたい。

 最近、you tubeなどでは、昔のドラマや歌手のことなどに見入っている。ドラマなど、最近はあまりみることもなかったが、だいぶ以前には連続ドラマにはまっていた、代表的な一つは「岸辺のアルバム」という山田太一脚本のもので、もう一つはNHKの「大草原の小さな家」だった、前者は1977年に15話放送され、後者も、おもに70年代から80年代にかけての頃だった、1977年というと、いまからちょうど40年前で、ああだいぶあれから時が過ぎたな、という感慨とともに、それらの映像やセリフがいまも脳裏に鮮明で、人間の記憶とか人生そのものの不思議感にも思いをはせた(ちなみに主演の八千草薫は当時46歳くらいだが、その美しさは魅力的、繁という大学受験生の息子役の国広富之も好きだった、のち「死線を超えて」主演などいい仕事している、ちなみにドラマはTBSのオンデマンドで配信契約をしていま見入っている)。
 またやはりそのころ聞いていたアイドルのキャンディーズの最終公演があったのは、1978年だったと知って、自分の青春の「核」となる思い出が醸成されたのはこのころだったのか、と思い至った。1950年生の小生にとって、そのころは腎臓病で大学卒業が遅れ、医者から仕事が続くと早く透析になるよといわれ、添削やら校正など細々、その人生の道を歩き始めていた頃だった。将来と現在の不安から、文学の勉強会(市川の森安理文師)や、そこで発行していた同人誌(「みとす」)などに関わり出していた(土倉ヒロ子姉・取井 一・小池金太郎、同期の星野光徳などが同人だった)。まあ、そんなときに見たテレビ、またアイドルだった(ちなみに、同世代の村上春樹の「風の歌を聴けでデビューしたのも、1979年だった!)

 いま振り返ってみると、当方の人生(TVなどのメディア人生が主だが)、この病を養っていた70年代(三島事件もあったし、連合赤軍もあった、成田闘争もあった)を核に、その前の50年代などともに、その思い出、追憶に回帰する時空間となっている。(その後は1983年には透析導入となり、もはや腎臓をかばう必要はなくなり、塾・予備校に精を出し多くの友人・仲間と出会った(草創期の東進スクール、トフルアカデミー、駿台予備校など)。で80年代から90年代にかけては、テレビ番組のことや、歌手などのことはまったく思い出がない。皮肉なことだが、人生のもっとも活躍の時期には、仕事のことしか関心がなかったのである、
 が思うに、虚実という対照でいわれるその内実だが、自分にとってはTVなどメディアの生こそが実であり、予備校で学生の人気をとろうと躍起になっていた人生のほうが虚ではないか、と思うのだ(ただ、しかしこの受験産業にいて、有意義だったのは、試験問題作成などを通じて古典にだいぶ触れ得たことだろう。いろいろな昨比に出会えたのはよかった)

 むろん、「群系」に関与していろいろな文学作品に触れ得たのもよかった、短い作品でも自ら批評を書いたことは、既刊号をみるたびにその中身が思い出される、そういえば、本誌「群系」が創刊されたのは昭和63年、来年2018年には、創刊30周年を迎える。
 
 
》記事一覧表示

新着順:693/8569 《前のページ | 次のページ》
/8569