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バジさん、皆様こんばんは。
バジさん、「宴」本当に本当に楽しかったです。こんなに笑っていいのだろうかと思うほど笑い転げてしまいました。今思い出しても…笑ってしまいます。
と言うわけで、誉田さんの題名、納得です(爆)。
(少し長い書込みになってしまいますが、どうぞお許し下さい。)
私も、望夢さんと同じように曲から入ってしまう人間です。ですから、望夢さんと同じように詞よりも曲を聞き、曲に感動してしまうと感じてきました。
しかし、最近、方向転換するきっかけとなる出会いがあったのです。
あるコンサートに行ったときのことです。私はその中で歌われる曲の一つに大好きな曲があったので、とても楽しみでした。原詞は英語です。もともとの舞台の設定も知っていますし、何十回も聞けばおおよその意味はわかるものです。そして、日本語でその歌を聞いたとき感じたことは…。意味はあっていますし、歌って下さっている方も実力のある方です。しかし、その演奏は、ここまで申し上げていいかわかりませんが、英語で聞いていたときと同じ歌とは思えない出来だったのです。
その時に、はっとしました。歌は、旋律、歌詞、そして歌い手の技術すべてがそろって本当に感動するものだと。私は、ずっと、旋律と歌い手に重きがあると思っていたのです。しかし、訳詞となると、旋律まで変えてしまう危険性も含んでいるのでした。ですから、訳詞の歌を聞き、いい曲だなぁとか、原詞で聞く以上に感動するという場合には、本当に素晴らしい訳詞がついているということではないでしょうか?
こう考えると、訳詞というのは、作詞以上に難しい作業なのではないかとも思えます。
ほんの少し前までは、こんなことを考えるような私ではなかったのですが、「太平洋序曲」との出会いがすべてを変えてしまったのです(苦笑)。今は、あそこまでの自分の感動がどこからやってきたのかを探る放浪の旅の途中です。放浪の旅にも終わりが見えてきました。再演、本当に楽しみにしております。
長々と、また素人が生意気なことを申し上げ、失礼致しました。
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